ひとつまみの厭世観を大海に投じ、海面を眺める不毛な時間を愛したい。
スラム街の路上で裸足の子供が眠るとき、富裕層の子供がプラスティックの玩具を捨てている。
みたいな詩がありますよね、私の記憶読み出しなので卑屈補正がかかっているかもしれませんが、それはすみません。
けれど何人にも平等に日は巡るという点を意識した解釈として、大きな間違いはないと思います。
私と言う人間は心のなかでノーウォーと叫びつつ、ノーウォーの状態を維持するための小規模ウォーや自衛的なウォーという事に関して全く知見を持っておらず無知です。
なので当たり障りのない適当な記事を上げ、それっぽいことを考えている繊細な現代人のツラをしながら適当に、みんな幸せになれますようにと僅かな祈りを捧げつつ傍観しています。
そういう素振りを上手くやることがニンゲンへの擬態の一歩だと思うんです。
人の皮を被ってるから人間に見えるでしょう?
ウチガワ ダレダ ニンゲン ダレダ 。
人って皆違う存在なんで、衝突が起こるのは当然なんですよね。
それで蚊帳の外の野次馬の対岸の火事を眺めてる僕らが「○○すればいいのに」「○○しちゃえ!」「○がいけないんだ!」と言うのは違うと思うんです。
御高説をぶってる評論家は他の民族の何を知ってるんでしょうか。自分と他人が違うことすら知らないんじゃないでしょうか。
それで本当の気持ちは?
ソーシャルメディアで目に飛び込んでくる審議不確かなご意見にイイネ♡をつけて知能が上がったかのように感じますか?
それがあなたの求めるものですか?
ああ、ごめんなさい。今日はちょっぴり厭世感!
って事でオッシマーイ!!
明日の朝日を屈託なく迎えましょう。
もっとも、お日様が顔を出してくれればの話ですが。
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