「分からないことがあっても気にならない」が学力低下を招く?


こんにちは。

AIによって、たくさんの仕事が無くなると言われすぎている昨今。
当然親なら自分の子どもが将来自分で稼いで食べていくことができるのかという不安に駆られます。(もしかして、子どもの将来どころか今の技術進歩の速度からして親も仕事がなくなるかもしれない)

AIに打ち勝つ手段は、新しい価値を創造することにあると私は思っています。(私が思ってなくても、すでに偉い人たちが言ってます)

そして、そう言ったクリエイティブなことは学ぶ力に比例すると信じております。

私は、内田樹さんの本をよく読みます。
「下流思考 学ばない子どもたち、働かない子どもたち」(2007年 講談社 出版)も衝撃を受けた本の一つです。2007年の本と思えないくらい位現在においても本質的なことを語っていると感じました。

この本の中で以下のようなことが語られています。

 現代の子どもたちは、自分の前に広がる世界に「よく意味が分からないもの」が散乱していることに対して、特段の不安や不快を感じることなく平然としていられる。無知のままで生きることに不安を感じずにいられる。
(「下流思考 学ばない子どもたち 働かない子どもたち(電子書籍)」著:内田樹 出版:講談社 p.54から引用)

このことが、学力低下の問題を読み解く手がかりであるとされています。
具体的にいうと、教科書をはじめ子どもたちを読者と想定したもの(ファッション誌や漫画など)に出てくる言葉でさえも分からないものはスルーする子どもが増えているということが例です。

スマホで簡単に検索できるのに。
むしろ、いつでもネットで調べればすぐわかるから知る必要性を感じないのかもしれませんね。

もちろん、日常生活で分からない単語を全て調べて分かるまで納得しないという態度は生きづらくなってしまうと思います。
学びに重要なのは、「知っておかないといけない言葉」か「知らなくても良い言葉」かを判断できるかなのだそうです。難しいですね、、、、私もそんなことはできない自信があります。

内田樹さんは、この分からないままにしておく先延ばし機能は人間に特徴的な知性だとおっしゃっています。しかし、それはすぐ分からないものを徐々に噛み砕いて時間をかけて理解するための能力だとしています。
「この時間をかけて」という部分が私的には勘所だと思っています。

しかし、子どもは先延ばしではなく知らないものは「無い」ことにするので気にならないと言うのです。なぜそんなことをが言えるのかというと、子どもは無時間モデルで「等価交換」をしているつもりだから、らしいのです。
つまり、生活の全てに消費(お買い物)の理論を無意識に取り入れいているから時間がかかることに我慢ならないわけです。購入できないものは、無いも同然ってことなんですかね?


カタい話になってしまいました、、すみません。
多分私の説明では余計意味わからなくなってきたと思います。なぜなら私自身も理解しきれていないから(笑)
しかも、こういった本の内容に触れることってどこまで書いて良いのかハッキリわかっておりませんのでこれ以上はやめておきます。

気になる方はぜひ実際に本を読んでみてください。

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