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広く浅くは楽

はじめまして

この一文から始めさせていただきます。

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広く浅く物事に触れる。

ある時知り合った人が心理学専攻だと聞いたので、「心理学おもしろいですよね、私も時々本で読んだりします」などと話した。しかし、その人は「Excelとか出てきて面倒ですよ。私も思ってたのと違う部分が多くて。心理学はそのくらいの触れ合い方が1番楽しいですよ」と言われた。

インターン先で自分の他にオープンデスクで来ている人がいる。オープンデスクとしてその場にいる時間は同じなのに、全く異なる密度の時間を過ごしていた。積極的に所員に話しかけ、様々なことを質問する。会社内にある資料を見ながらメモやスケッチをする。大学ではグループや1人でプロジェクトを実際に回しているのだという。

この話が広く浅くと関係あるのかは分からないが、私がライブにいったり、漫画を読んだり、アニメを見ている時間にも世の中の色んな人が建築なりほかの学問なりを頑張っているのを痛感した。

私は何事においても広く浅くの人間だ。そもそも、人間誰しもが、自分は広く浅くだと感じるかもしれない。ある分野においては、絶対に自分より深く知っている人がいる。そしたら、私はまだまだだなとおもってしまう。

それを加味しても私は広く浅くの人間だろう。広く浅く物事に触れるというのは、物事の上澄み、つまり美味しい部分のみを頂いてるようなものだ。そして、それを頂くのにそこまで手間を要さない。しかし深く行けば行くほど、そこから派生する面倒なことに対処しなければならない。広く浅くは面白く楽なのだ。

まさに今の私の状況は広く浅くを体現している。昨年春から様々な場所でインターンを行っている。その業種、業界の概要だけをつまんでいる状況だ。面倒な業務は所員が行う。末端の仕事のため責任もない。3ヶ月に1度くらい勤務先を変えては広く浅く学ぶ。これが楽しいのだ。

とはいえ、何事も専門性がないとどうしようもない。専門性があるから仕事になる。そのため、広く浅くというのが時々、いや、ほぼ毎日自己嫌悪に繋がる。これが自分にはある!というのがないのは辛いものだ。そういえばVaundyがラジオで「何事にも手広くやっていると周りに色々言われる。しかし、それを何年も積み重ねれば武器になる」といったことを語っていた。

私も広く浅く重ねて、己だけの武器を生み出せるのだろうか。

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手の届く範囲にいるあなたが

幸せでいることを願います

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