情報なんて所詮は他人の経験と感想
「ライダーの感情を可視化した地図アプリ」
と題するネット記事をたまたま目にしたが
またか、と
瞬間的に、嫌悪感と猜疑心を持った
アプリという名の金儲けは内容よりも
いかにキャッチーであるかが重要だから
こういう手法がほとんどだ
よく似たやつに健康食品や美容用品があるが
訳の分からないカタカナを並べて
庶民の代表みたいな人たちが口を揃えて「個人の感想」を述べる
青汁がどういいのかではなく
青汁だからいい、と連呼している
これについてはボク的に看過できない感じなので
気を悪くする話をまた今回もする
「仮想センサ」という、分かるようで分からないプログラムだ
ボディセンサ(主に心電)などから集められたバイタルデータを解析し
そこにあるはずの「感情」をAIなどで可視化させ
地図上に反映させるアプリだ
つまり集めているデータは「快」「不快」の感情ということなのだろうが
その「快」イコール「ライダーの快」という前提にまずクエスチョン
そしてその「ライダー」とは誰のことなのだろうか、と端から胡散くさい
ボクは大学で心理学を専攻していたので
人の心とかいう問題には、当たり前だが、こだわりがある
心理学を学ぼうとする人は講義の冒頭で先生から執拗に
心理学とは占いの類とは別次元の科学であると刷り込まれる
クレッチマーとか古典的な類型論は心理学史として習うだけで
人には誰しもありとあらゆる感情や情動があるというのが基本だ
どんな人にも大なり小なり様々な感情が存在している
だけど世間にあふれるイメージだけの類型論は
非科学的であるにもかかわらず
人を引き付ける強力な力がある
それは掴みどころない他人を類型にはめて分かっているつもりになり
対人関係を安心なものにしたいという気持ちが
その裏に強いのではないだろうか
実際、ボクはA型なんだけど「O型ですよね?」とよく聞かれる
類型論にするには血液型って4種類でちょうどいい数だ
血液型累計論なんて統計的には血液型の構成比にすべて集約される
よく目にする性格判断にある「休みに家にいることが多いか?」
みたいな質問もそれだけで「内向的で神経質なタイプ」とか言われたりする
ボクは意図的にあの手の類型論なら自分で誘導する自信がある
心理学は実験を通して結論を導き出しているので必ず再現性がある
気の弱い人が暗闇で幽霊を見てしまう、のは「錯覚」だが
ミラーリエルの矢羽根のついた線分は
誰がいつ見ても線分の長さを見誤る「錯視」という現象だ
「AI」というマジックワードと
ひとの「こころ」という対象は単に非常にキャッチ―な組み合わせ
お金の匂いしかしない
悪い印象を持ちやすいものを考えればわかりやすい
「戦争」に対するイメージはほぼ100%の人が悪いと思うが
「穏やかに晴れた5月の休日」はどうだろう
好きだという人もいるだろう、いや案外多いかもしれない
でも大抵の人にとっては、どうでもいい話で
「穏やかに晴れた10月の休日」とあえて比べる気にもならない
何かが旨いとか
どこかが素晴らしい景観であるとか
人によって違うだろうし、また当然違っていていい
「みんな違って、みんないい」 by 金子みすゞ
生命や財産に直接かかわらない事柄などどうでもいいのだ
どうでもいい、つまり何でもいい
何でもいいから好みは人の数だけある
そして好みの種類も強さも人それぞれだ
なのになぜか「ベスト」を知りたがる
そこに病理がある気がする
大概、ベストは「多数」でしかない
「一番」売れている、食べられている、でしかない
まあ、なんとなく好きってことだろう
誰もそれを良いものだとは云っていない
クルマで2022年度に最も売れたのは「N-BOX」だ
だから日本の一番いいクルマが「N-BOX」だ、とはならない
ちなみに云えば2位は「アクア」
この2台で50万台を超えている、シェア11%
新車を買おうとする人の10人に1人がアクアかN-BOXを買っている
余計なお世話だけど、これ異常な数字だ
にもかかわらず、そんなにいいクルマでもない
悪くない価格相応のクルマ、って位だろう
多くのライダーが走っているときに
気持ちいいと感じたり、逆に緊張や不快を感じたりした
ルート、場所をデータ化し地図上に反映する
みんなが良いと感じているらしい場所を目指して走り
みんながここちょっと怖いと思う場所を避けたり注意したりする
ということなんだとさ
それがなんだというのだ
「君」の気持ちはいったいどこにある
自分の人生の主人公になろう
自分の行く道は自分の意思で選ぶ人になろう
自由に、積極的に人生を美しいものにしよう
既存のルートや常識に縛られない人になろう
自分の行く道は自分で決めたほうが楽しいに決まっている
人生のドライバーになろう
Be a driver
前にも書いたことがある
マツダのメッセージだ
マツダは世界シェア2%でも自分たちが作りたいクルマを作れる道を選んだ
他人に共感されないモノはダメで悪いモノなのか?
意見をぶつけ合うことがイヤみたいだけど
真の共感はその先にしかない
共感も反感もみんな丸ごと飲み込むこと
あなたはこういう理由でこれを望むんですね
と分かることこそが共感だ
多くの人の好みをなぞりに行くことのどこに何があるというのだ
誰にも自分の持ち物の中に
取るに足らない下らないモノなのに
絶対に捨てられないモノがひとつやふたつあるはずだ
自分にしか持てない特別な感情や記憶が
そこには確かにあると誰もが知っている
それは他人には伝わらない、伝えきれない思いだったりする
でもそれを分かろうとすることこそが共感なのだ
何も持っていなくても
自分の選んだ生き方をしているほうがマシだ
他人から認められたくて自分を無くすくらいなら
いっそネコになりたい
大好きなオートバイに乗って
いつでも、どこへで
自由に気ままに走ろうよ
そうやって辿り着いた場所が
素敵じゃない筈がないよ
自分の目で、耳で、鼻で、舌で、手で
感じたものこそが「自分」なのだから
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