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良い意見は良い経験と調査が生み出す

Twitterにとらわれない生き方をしたい。

そう思ったのは、今日あるツイートに対して私が返信をしたのだが、それにまさかの別の人に横槍を入れられたからである。つまり絡まれたのである。オンライン授業が話題だったが、横槍を入れてきた人は、どうも社会人のようだった。オンライン授業を受けたことない方がそんなことは言えるのだろうか?と正直思った。僕は今少しだけキレ気味なのである。(そう思ったことはずいぶん偉そうだと反省したが。)

そろそろ正直なことを言いたい。これはあくま一個人の考えであるし、別の考えを持つ人もいると思う。

それは、何かに対して自分が意見を言う時、そのことについて自分は経験し、調査し、考えているのかということを自分の中で確認するべきではないかと言うことだ。例えば、オンライン授業についてコメントする時。どうやったら、自分のコメントに説得力を持たすことができるのか。それは、良い調査と経験に裏付けられるのである。私は今生徒の側だ。生徒は教授から送られてきた資料を読んで、感想やレポートを書いて提出する。このことに関して、僕は言う。「フィードバックがないのに、レポートをいくつも書いてどうするんだ」。でも、でもだ。よくよく考えてみれば、教授も非常に苦労しているかもしれない。今まで通用してきたことが通用しなくなった2020年。先人に聞いても、今とは生活環境も大きく変わっている。そんな状況で教授へ苦言を呈することができるのか。僕だったら、言えない。この状況を理解して、誰もが大変だとわかっていれば、そんなことは言えないはずだ。

私がこのようなことに気を遣うきっかけになったのは、以下のnoteを読んでからである。それから何かツイートを見るたびに、本当にそのエビデンスは正しいのか、論理が破綻していないかと言うことについて考えながらツイートを読むようにしている。

実は、このnoteを探すのに少しだけ苦労したのだが、いざ読んでみると私のこの文章にも「エビデンスの欠如」があることに気がついた。次noteを書く時は、特に2や3を意識して文章を書きたい。今回は、あえて原文ママとさせていただく。


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