Wi-Fi無しで乗り切る!心が貧しい田舎者のニューヨーク冒険ぼや記。
これを読めばあなたも、Wi-Fiなしで冒険する勇気が湧く(ことは一切ない)!
1.始まりはカナダ。金だ。
トロントでの語学留学を終えた私はお世話になった家をでたあと、大学の後輩の電話履修相談会に飛び込み参加しながらダウンタウンのバス停で落ち着いていた。当て布をされたボロボロのリュックは実家を出たときと同じくまたパンパンになっており、それはこれから始まる大冒険への期待で膨らんでいるようだった。
Wi-Fi無しでニューヨークを旅行する、という冒険だ。
しっかりと己の運の悪さを思い起こし、気を引き締めていたのは言うまでもない。飛行機のチケットが帰国三週間前に吹っ飛んだ男だ。行きはロシアのウクライナ進行とともに急下落した円の価値を恨みながら海を越えたが、帰り道では、云十年ぶりの実質的な円の価値の下落のさなかにアメリカへ立ち寄るのである。この先、何があっても驚かない。というのは無理だが、対処していくしかない。どうせ何か起きるんだから。
私はケチだ。どうしようもないぐらいケチである。それは、オードリー春日の伝説的なダクト飯に共感を覚えるレベルだ。それもこれも、留学や旅行をするためであると言い聞かせてやってきた。しかし、いざその時が訪れ、「さあこれから気持ちよくお金を使うぞ!そのための金だぞ!」と分かっていても、言い聞かせることのできない強力なリトル春日を心に飼っている。
だからこれは、街中にたくさんあると聞いていたWi-Fiスポットに望みを託した、心が貧しい大学生の孤軍奮闘記である。ケチにイライラする人は絶対に読まないでほしい。
2.ことわざ 「右翼で移民のねーちゃんの横には、Wi-Fiなしで初海外単独旅行をするバカアジア人がいる。」意味:類は友を呼んでなくても、神が配置してくる。
長距離バスでの移動は、北米大陸ではおそらくあまりポピュラーではない。なぜなら、航空機での移動が圧倒的に便利だからだ。北米ではおそらく、上手に立ち回る人か時間のあり余った荷物の多い貧乏人が長距離バスを使う。私の隣に座ったコロンビア人の移民のねーちゃん(推定30歳)は前者だ。バカンスで、フロリダに行くための飛行機がバッファローからの方が安かったので乗ったのだという。(もちろん私は後者である)
電車やバスでの「お隣失礼します。」から意外と弾むコミュニケーションがあるというのはこれまでにも何度か経験していたが、このねーちゃんは中々濃い人物であった。なんでもコロンビアからの移民でカナダの永住権を持っているそうであるが、カナダ政府の福利厚生システムを腐し、移民や女性の権利を主張する社会運動に反対し、トランプ元大統領に好意的という人物だったのである。社会の真実をCBC(カナダのNHK)は報道していないとか言って、明らかにヤバめの右翼界隈のネットニュースを流すアカウントやその界隈の論者を教えてくれた。あまりにも気になってしまったので彼女のアカウントをフォローしたのは言うまでもない。
Twitterやニュースでは「アメリカの右翼陰謀論界隈がヤバい」みたいな話はホワイトハウスの襲撃事件からたくさん見聞きしていたが、実際に会ってみると、信仰心の深いフレンドリーな人が良かれと思って教えてくれるものなんだな、と勉強になった。
しかし、残念ながら隣にいるのは社会学を真面目にやりすぎた、母国で完全に浮いている貧乏大学生だ。ただの一般的な=保守的な日本人ではない。彼女の期待していた、単一民族神話を奉じて成功したかつてのアジアの盟主たる日本の話はできず、平行線をたどったまま彼女とは別れた。もっと時間があれば彼女のアイデンティティを探れたのだが仕方ない。
そうこうしているうちにアメリカに突入し、完全に電波は途絶えるtttttttttttっ!
3.ニューヨークの洗礼は華やかに訪れる。
私がニューヨークに着いたのは深夜11:30頃。マンハッタンの中心地に降ろされたすぐ先では、ハリースタイルズのマディソンスクエアガーデン15公演のうちの一つが終了したところであった。氷川きよし的な立ち位置で頑張っている彼のファンは、もちろんレインボーで開放的な感じである。その虹色の洪水はスーツケースを転がす私を巻き込み、目を回らせた。これがニューヨークの洗礼である。
その後、命からがらホステルに着いた私は14時間ほどの移動で疲れ切り、例えるならラグビー部の夏合宿よりもムワッと雄臭い部屋で寝るのだった。
(安かろう悪かろう。安かろう、悪かろう。安かろう、、、悪かろう、、、。ガクッ。)
4.Day 1-1 無料の聖地巡礼と有料の名物拝見。
さて、Wi-Fiとコンセントが唯一の救いの宿ではもちろん朝食などない。ドケチ過ぎて温存できてしまったサトウのごはんとふりかけ、お吸い物を朝飯に、日本への帰還の助走をすることから朝は始まった。午前8時起床。なぜなら、メトロポリタン美術館の開館に合わせるためだ。その道すがら、ダコタハウスとイマジンのプレートを見てジョン・レノンを偲び、セントラルパークを満喫しなければならない。大忙しである。
Wi-Fiのあるうちに駅や道なりを全力で暗記し、いざ出発。まず気づくのは、NYCの地下鉄の蒸し暑さだ。歴史があるせいだろうか。深さは東京のそれよりもずっと浅いはずなのに、異常に熱気がこもっている。「あっちいなー」と思っている側では無賃乗車。これがこの街の日常であるのだろうと考えると、それすらも面白いのだった。
イマジンプレートは、おそらく世界一有名な公園にある、ただのプレートである。下調べによると、事件現場が聖地化して道路に巡礼者が溢れるとよくないと思ったオノヨーコが彼の遺骨を公園に舞き、そこに作られたそうだ。こんな朝一番にゆっくり見に来るやつなんて俺だけだろう。それこそイマジンでも聞きながら少し感慨に浸ろうか、と思った矢先、ブラジル人の団体ツアー客に押しのけられ、滞在時間は1分になったのだった。ポルトガル語だからツアーの解説を聞けてお得!ともならない。トホホである。でも俺は怒らない。イマジンを聞いているから優しくなれた。そういうことにしておく。
セントラルパークはなだらかな丘と緑、池が憩いをもたらす気持ちのいい場所であった。そして、お目当ての美術館はその敷地内におっきく構えているのだ。
それは異様にでかかった。開館から閉館までいた日本代表のドケチ侍であるこの俺が、昼飯を抜いてもまわりきれなかった。よって、有名な青いカバは泣く泣く見過ごしている。シカゴのアートインスティテュートを二時間半で完走した私としては非常に悔しい。
”皆さんは迷惑にならないよう、ゆっくりと味わって鑑賞しましょう。美術館はRTAする場所ではありません。”
5.Day1-2 悪の元凶、ここにあり。
そのあとは、有名人の写真を貼り倒しているのが親近感の湧くごく庶民的なピザ屋と、小さいのがかわいいけど一口サイズ過ぎて悔しい有名なチーズケーキを食べて、世界貿易センタービル跡へ。
ビルのあった場所は底なしの深淵のようになっていた。もうすぐ9月11日になるという時期である。本当の本当にマンハッタンの超中心部に現場があるということが実感できたために、この大きな暗闇にも、若干の想いを馳せざるを得なかった。
続いてウォール街を散歩する。するとたまたま、かの有名なニューヨーク証券取引所を見つける。国旗がでかでかと掲げられているわけであるが、円安に苦しんでいる私には悪の元凶に見えて、非常にムカついた。私怨の塊である。神の見えざる手というが、その神はなんで私に微笑まないのか、教えてほしい。教えてくれ。なあ、教えろよ!!!(そして泣き崩れ、ホームレスの方に哀れまれる)
その後はブルックリン橋を見ながら北上し、何とか記憶にある最寄りの駅へむかう。河川敷というのは日本でも野球場やテニスコートが整備されているが、ニューヨークのそれはチャイナタウンのコミュニティの方々に有効活用されていた。謎の喧しい、THE中国な音楽に合わせて、太極拳でもなんでもない、向こうのラジオ体操みたいなのを100人ぐらいの規模でやっているようだ。コロナ禍で差別による傷害事件も起こった地では、こういった日頃の同朋の交流が助け合いになるのだろうな、としみじみ思う。
そして流石に歩き疲れ、ヘトヘトになって帰った私は男臭い部屋にむせそうになるが、うるさいやつがいないだけましだと思って寝るのだった。
6.Day2-1 ツアーバスに乗れば、Wi-Fiなくてもいいじゃん!
ニューヨーク観光においては、遊園地の乗り物乗り放題みたいな感じの、観光名所行き放題パスが存在する。そのパスの利用サイトにはドケチ心をくすぐる、通常ならいくらだ、という表記があり、もちろん私は高いものを狙って利用するのであった。
今回予約していたのは、NYCの各地域をめぐるバスツアーである。なぜか。それは、高額なのももちろんだが、Wi-Fiのない自分には躊躇してしまうような治安の悪い北部地域にもいけるからだ。
このツアーは、添乗員さんが非常にアタリだった。ウルグアイ出身の彼は明らかにベテランで、英語がとにかく聴き取りやすい。また、解説が非常に内容盛りだくさんであるので、観光ガイドブックには載らないであろうディープな話もたくさん聞けた。
アポロシアターやヤンキーススタジアムを見れたのはうれしかったが、一番印象に残ったのは、ニューヨークの中でも異質なユダヤ人街を訪れたことだ。ハシド派の人々の住む地域は建物の外観こそそこまで変わらないものの、そこで生活する人々の見た目の画一さや店の宗教色の強さは非常に興味深かった。彼らはコミュニティの衰退に苦しんでいるらしいが、この地でずっと根を張って生きてきたことは明らかである。ビックアップルの裏側を見る、貴重な経験であった。
また、労働者の日という名の祝日にも関わらず店を開けて、最高のピザを食わせてくれたブルックリンのピザ屋さんには感謝したい。これが主食にできるなら、太っても幸せ太りだと思う。節約のためにスーパーで買ったコーラでさえ普通サイズで300円以上したのはショックだったが、この旅の食事のハイライトはここである。大満足のバスツアーであった。
7.Day2-2 旅行でのまいにちチクショー。
ツアー後、リトルイタリーでニセモノのNewEraのキャップをつかまされ、ドケチも大概にしないとな、と反省した俺は、ブルックリン橋を歩いて横断した。やたらと入口に警察が張っていたのが心配であったが、名建築を堪能できたので満足。無料の観光スポットは傷を癒してくれるなぁなんて、懲りずに思ったのだった。
流れでロックフェラーセンターに行き、昼のニューヨークを眺める。あの恐ろしい、鉄骨に命綱無しで並ぶ作業員の写真のところである。古い見た目の高層建築がガラス張りのビルを見下ろしているのは、なんだか変な感じがしたのであった。
そして移動し、超高価な建築物であるVesselを一目みたあと、the high lineと呼ばれる美しい高架公園を下り閉店間際のチェルシーマーケットに行く、が!、店は閉まり倒していて全くの無駄足だった。チックショー!!!(もちろんWi-Fiがないせいで起こったミスである)
しかし、転んでもただでは起きない精神の持ち主なので、かの有名なドラマ、フレンズの家の外観を見たり、ストーンウォールの反乱の現場を見たりして有意義に時間をつぶした後、無事ヴィレッジヴァンガードに着いた。
ヴィレッジヴァンガードには歴史のあるジャズビッグバンドがいるので、その演奏を聞きに来たのだ。もちろんWi-Fi無し男は心配性なので行列の3番目。入場を待っている間、2番目にいたティモシー・シャラメ似のイケメンが、やたら通りすがりの女子に話しかけられて容姿を褒められていたのが悔しかった。本日2回目のチックショー!!!である。そんな嫉妬にかられつつもワインと極上の演奏で気を取り直した私は、かの有名なビル・エヴァンストリオの写真のところを偶然見つけつつ、こじんまりとした伝説のクラブを後にしたのだった。
8.Day3 男は行く。例え天気が悪く、カツアゲにあっても。
三日目ももちろんサトウのごはんとふりかけ、お吸い物でエネルギーを補給した私は、ついに自由の女神を見に行った。先述の観光パスではお得に行けるみたいなことをうたわれていたが、ぜんぜんそうでもない、というかむしろ若干損をする可能性にこのあたりで気づき始めた。そんなことを考えて旅行を楽しまない奴は当然、悪天候に懲らしめられる。強風と大雨のなか見上げる女神はどこか、自由の限界を教え諭してくるようであった。続いて、エリス島では移民の歴史博物館をじっくり見る。内容が盛りだくさんで長居してしまったし、グッズのくまちゃんが可愛かった。これを買わなかったことは、さすがのドケチが過ぎたと後悔している。
マンハッタンに戻った後はウォール街のチャージングブルという牛の銅像の前でパチリ。このためにシカゴブルズのキャップを被っていった。ちなみに、金〇の側もやたら写真のための行列ができていて、ビリケンさんの足的な感じでみんな触っていた。こういった歴史があまり無さそうなものにご利益を求める気持ちは意外と世界共通なのかな、と妙に感心したのを覚えている。
お昼にはダンキン・ドーナツでドーナツ6個を一気食いをした。チープな生地にチープな甘さは、主食にしてはいけないものだった気がする。アップルシナモンドーナツが一番おいしかったが、あとはそれなり。でも日本にはないし、そういう意味でコスパはいい。食費を浮かせたいならおすすめだ。 お次に訪れたのは、ニューヨーク公共図書館である。ここの博物館は、世界史の教科書にのりそうなレベルで貴重なものをたくさん展示していて非常に良かった。ルー・リードやコルトレーン、アンディ・ウォーホルのものはもちろん、クマのプーさんの元ネタのぬいぐるみ、マルコムXのカバン、本物のグリーンブックなどがあった。肝心の図書館は見せてもらえなかったが、満足したのでよしとしよう。
近くにあるグランドセントラル駅は、映画でよく見るところだ。実際に生でみたら単純に感動してしまった。シカゴでは鉄道の寂れっぷりを感じたが、ここではアメリカの鉄道の最盛期が伝わり、圧倒される。そして、その隣のクライスラービルが、正直これまで見たビル建築の中で一番かっこよかった。霧雨の中で日が暮れたとき、この二つの建物が闇夜に輝いている様はまさに、資本主義の中でもアメリカが最強の悪の帝国だ、という感じを伝えてきているようで、とてもいいものだ。
そうこうしているうちに腹がまた減ってしまった。Wi-Fiがないのでいいレストランを見つけるのを断念した俺は、公園の方のマディソン・スクエアでシェイクシャックのハンバーガーを(日本にもあるから悔しいな…)と思いつつモシャモシャ食べて、22歳の幕開けとした。雨の後だったので緑からマイナスイオンがでていて、雰囲気も空気もよかったのが心地よかったが、そのあと昇るつもりだったエンパイアステートビルは視界不良のため断念。パスの元を取るためには何かをぶち込まねばならないと決意した。
そのまま帰るのは悔しいのでタイムズ・スクエアに行ったが、変な自称ミュージシャンに金を巻き上げられかけて小銭で回避した。こちとら外で携帯を使えないような貧乏(ドケチ)なので、本当に勘弁してほしい。この大都会で電波無しで生きてんだぞ、俺は。なめんなよ。
9.Day 4 脳筋旅行主義者の憂鬱
アメリカといえば大学であるが、その中でも指折りの伝統と権威のある大学がマンハッタンにはある。それがコロンビア大学だ。
朝一番にキャンパスを徒歩で目指した私は、コロンビア大生御用達のベーグル屋さんを偶然発見し、それがすこぶるおいしかったので上機嫌な朝を過ごした。どれほど機嫌がよかったかというと、ドケチな私が大学グッズに13000円ほどポンと出せるほどである。キャンパスや教会は美しく、図書館に入れないのが悔しかったが楽しかった。
そして、お待ちかねのMoMAに行く。意外とこじんまりした量だと感じた私は間違いなく感覚を破壊されていたのだろう。アメリカン・ポップアートのコーナーが見れなかったのは悔しいが、ゴッホの星月夜が超よかったので許す。早めに入場するという執念が程々の混雑でかの名画をじっくり見れることに繋がって嬉しかったのだが、一方で、やっぱり努力はしておくべきだな、という脳筋旅行主義を強めてしまった。もう誰も自分と海外旅行なんて行ってくれないだろう。
そんな奴なので、観光パスの元取りたさにマダム・タッソーというロウ人形の館にもいった。確実に一人で行くとこじゃないな、という感じであったが、原寸大の有名人というのはなかなかイメージがしずらいものなので、楽しめはした。楽しめはしたけど、誰かミーハー仲間と一緒に行くべきだ。自分だけが爆速で見終わって切なかった。
その後、チェルシーマーケット界隈に再チャレンジしに行き、スターバックスリザーブドという、超お高く留まったスタバで晩御飯を食べた。まったく、スタバはチェーン店なのにお高く留まるクセがあるが、この欲望の町ではその傾向も歯止めが効かないらしい。めっちゃ内装かっこよかった。
そんな調子で豊かさをやっかんでいると、その心の貧しさが、乗る予定だったアトラクションバスツアーの機材の不良による強制キャンセルという憂き目を起こすのであった。俺は非常に怒ったので、その勢いで映画「十二人の怒れる男」のロケーションである最高裁判所をわざわざ見に行ったあと、ついにエンパイアステートビルを上った。
エンパイアステートビルは観光地としての評価が非常に高いのだが、それも納得のアトラクションだった。ロックフェラーセンター並みのギラツキはもはやそういう世界観のものとしてうまく異世界化されており、展示も凝っていた。”世界で一番象徴的なビル”を名乗るだけのことはある。夜景は一日待たされた甲斐あって、最高であった。日をまたぐような深夜に行ったが人々の活動が感じられ、眠らない街を視覚化できたのが感動的であったといえるだろう。
終わりがよかったので大変良い一日だった。
10.Day 5 どぉなっちゃってんだよ
さて、男臭いホステルに別れを告げて最後のサトウのごはんとインスタント味噌汁を飲んだ私は、キャリーバッグを有料ロッカーに預けたくなさ過ぎて、午前中はブルックリンをこいつと一緒に再訪することにした。
ニューヨークをおしゃれにみせているのはその建物の統一感であると思うが、それは道路にも言える。小さい凸凹が続く、一部地域の石畳がキャリーバッグに向いていないと予測することは、連日のドケチ観光で疲れていた私には不可能だった。パンパンのキャリーバックは今にも壊れそうになる。また、地下鉄を何度も乗り降りしてパンパンになる腕にも腹が立った。JFK空港への道の途中で寄った晴天のブルックリンの公園で、己の愚かさを見透かした少年にバカにされたのはいい思い出である。
そんなこんなで、気合いで、いい感じのレストランに着いた。癒されるぞ~というつもりでメニューを見れば、目玉メニューのパンケーキは一枚4000円である。アメリカンサイズでもないのに。超高級パンケーキは神聖な食べ物のごとく、味わって味わっていただきました。
JFK空港へのアクセスは、特別な鉄道路線を使う必要がある(タクシー?なにそれおいしいの?)。そのため、地下鉄乗り放題チケットとは別のチケットを買わなければいけないのだが、驚いたことに券売機が現金しか受け付けていなかった。
「どおしてだよおぉぉぉぉ」
もうキャッシュなどごくわずかしかなかった私はあと3ドルが払えず、駅で絶望した。もちろん周りの観光客も困惑していたが、彼らは現金を工面するのにそこまで苦労はなかったようだ。なぜなら、一人旅ではなかったからである。ああ、キャリーバックと共に、ATMを探してさ迷わなければいけないのか、この駅にはどうもなさそうだ、腕はもう疲れきっているのに最悪だ。どうしよう、と途方に暮れた。海外一人旅Wi-Fi無し男の無謀な挑戦も、ここで大きな躓きに屈するのか、と思われた。
だが、世の中には心の貧しいやつがいれば、心の豊かな聖人もいる。アメリカ人の老夫婦が救いの手を差し伸べてくれたのだ。3ドルをくれたのである。当時のレートで450円。ありがとう、ありがとう。ヤンヤンつけぼー3個分だ。お礼の品もろくに持ち合わせていない私は、持っていたレモンスカッシュやミルクの国といった、チープな国産キャンディをお渡しした。喜んでいただけたのかはわからないが。
そして無事、JFKについたのであったが、問題はここからであった。9時間にも及ぶ、フライトまでの待機時間だ。JFKの床は汚い。ホットドックはめっちゃチープなのに1000円以上する。空港のWi-Fiは不安定すぎて時間つぶしもできない。あ~、しんどい。でも、キャセイパシフィック航空の飛行機は快適だった。
やがて日本を通り越し、いまだ閑散としていた香港に着いた俺は、衝撃の事実を知る、、、
11.宿はなし
香港で12時間待ちをしていた俺は、トロントの思い出を細々と振り返っていた。すると、オカンからラインが届く。
「もうすぐ帰国やな~。あんた、明日の朝までどう待つん?」
え、おれは夜に帰ってくるのだが、なにを言っているのだろう。
「あんた、そんなん今日の夜やったら向かえに行かれへんで」
???
オカンは午後11時着を午前11着と勝手に読み違えていたのである。逆に、午後11時という表現は一般的ではない、と難癖をつけてキレてきた。そこからの混乱たるや。結局、関空近くのホテルを探し、泊まることを検討しなければならなくなった。ドケチなのに最後の最後にこんなに余計な出費をさせられるとは、無念だ。香港の空港で長旅の疲れも癒せず瀕死だった俺にとどめを刺したのは、身内であった。
最終的にはなんとか無事に親父を説得でき、(この表現を使わないといけないぐらい私の父は自分優先なのである)関空まで迎えに来てもらえた私は帰国を果たし、家に着いたのだった。
終わりよければすべてよし、どころか、終わりめっぽう悪かったので、非常にビミョーな気持ちでそこから実家にいたのは言うまでもない。
子は親の鏡。親は子の鏡。奇特な子あれば奇特な親あり。はっきりわかんだね。
以上、なんの役にも立たない紀行文でした。終。