![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/155353678/rectangle_large_type_2_e85cbb351db30eb952e304d7d503c9bc.png?width=1200)
ロスジェネ氷河期世代と昭和の遊園地「失われた体験」が問いかけるもの
昭和の遊園地とロスジェネ氷河期世代の共鳴
ロスジェネ氷河期世代。バブル崩壊の余波を受けた我々は、希望と不安が入り混じる時代を生き抜いてきました。就職氷河期という名の壁にぶつかり、時に自らの価値が揺らぐことを感じながらも、我々は懸命に現実と向き合ってきたのです。しかし、その記憶の奥底には、まだ未来が無限に広がっていた子供時代、特に昭和の遊園地に刻まれた「体験」が確かに存在していました。
昭和の遊園地 家族との時間、社会とのつながり
私が子供時代に行っていた遊園地。二子玉川園遊園地、向ヶ丘遊園地、多摩テック、よみうりランド…。当時すでに二子玉川園遊園地はだいぶ古くなっていてジェットコースターが錆びているのかわからないが凄い音をたてて走っていて子供心に怖かった記憶。向ヶ丘遊園地は山の上で長い階段を登った思い出。多摩テックは様々なゴーカートがたくさんあり楽しかった思い出といった具合にそれぞれに思いで深かった。昭和の遊園地は、家族で過ごす特別な空間であり、親子の絆を深める場でもありました。日常とは違うファンタジーの世界に足を踏み入れることで、子供たちは夢や冒険心をかきたてられ、大人たちは日々の疲れを忘れ、一瞬の安らぎを得たのです。こういった感じが変わってくるのが小学生の頃にディズニーランドが出来て、そこから徐々に変わっていったかと思います。
これらの遊園地は、ただのレジャースポットではなく、昭和の家族文化や社会的なつながりを象徴していました。毎週末、家族で出かけ、子供が遊具に乗り、親が見守り、そしてお弁当を広げる。その一つ一つが、現代では少なくなりつつある「共通の体験」を創り上げていました。
時代の変遷と遊園地の消滅 「失われた空間」が意味するもの
ところが、時代が平成、そして令和へと移り変わるにつれて、昭和の象徴であった遊園地が少しずつ姿を消していきました。二子玉川園遊園地は1985年に閉園、向ヶ丘遊園地も2002年に閉園、多摩テックも2009年にその幕を閉じました。唯一よみうりランドのみ残っています。次々と消えていく遊園地のニュースに、私たち氷河期世代はただノスタルジーを感じるだけではなく、何か大切なものを失った感覚を覚えるのではないでしょうか。
昭和の遊園地が持っていた「空間」は、現代の私たちが生きる世界とは異なります。物質的な豊かさが追求される一方で、デジタル化が進む現代では、遊園地が提供していた「物理的な体験」や「リアルな人間関係の場」は希薄になりがちです。かつて遊園地が提供していたような「共有された感動」はどこか遠ざかってしまったのです。
ロスジェネ世代が感じる「失われた体験」の意味
ロスジェネ氷河期世代にとって、昭和の遊園地は単なる懐かしさ以上の意味を持ちます。遊園地という空間は、我々が「何者でもない存在」であり、ただ無邪気に楽しむことが許された場所でした。それは、未来に対する不安や社会的な役割から解放され、純粋な「今」を楽しむことができる特別な体験だったのです。ゆったりとした時間が流れ、今のように何時間も並ぶとかはなかったように思います。
しかし、氷河期を迎えた我々は、「失われた世代」と呼ばれながら、常に社会的な役割やプレッシャーに直面し、余裕を失っていきました。昭和の遊園地が象徴する「安心して楽しめる空間」の消失は、私たちが抱える生きづらさや孤独感と無意識のうちに重なるのかもしれません。
「遊園地の消失」が問いかける未来への道標
昭和の遊園地が姿を消す中で、ロスジェネ世代は次に何を手にすべきなのでしょうか。過去の体験が未来にどう活かされるべきかを考えることが求められています。遊園地はかつて、誰もが一瞬でも夢を見られる場所でした。その夢の場所がなくなった今、我々は現実の中で新しい「夢」をどう見出すのかが課題となっているのです。
多様化が進む現代において、家族の形やコミュニケーションのあり方も変わりつつありますが、「人々がリアルな場で感動を共有できる空間」が再び必要とされるのではないでしょうか。例えば、地域コミュニティでのイベントや新しい形態の体験型エンターテイメントが、昭和の遊園地が果たしていた役割を担うことが考えられます。
また、我々ロスジェネ世代は、次世代に「何かを受け継ぐ」役割を果たす存在でもあります。自らが体験した昭和の遊園地の温かさや家族の絆、その大切さをどのように伝えていくかが、これからの時代をどう生きるかに大きく影響するのです。
昭和の遊園地が教えてくれたこと
昭和の遊園地は、ただのレジャー施設ではありませんでした。それは、我々ロスジェネ世代にとって「未来への希望」を具現化した場所でもありました。社会が変化し、遊園地が姿を消した今、私たちはその「体験」を失ったことの意味を深く考え、新しい時代における「共有の場」を作り出していくべきです。
昭和の遊園地が教えてくれたこと、それは「共に過ごす時間の尊さ」と「リアルなつながりの価値」です。今こそ、我々がその教訓を胸に、未来へと歩んでいく時ではないでしょうか。昭和の遊園地はもう存在しないかもしれませんが、その精神は、私たちが次の世代へと引き継いでいくべき大切な「遺産」なのです。
いいなと思ったら応援しよう!
![EX-FAX-CE](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/24920153/profile_abf3dff8745288aab26273cbf0f0ab49.jpg?width=600&crop=1:1,smart)