東京タワーと東京スカイツリー、そしてロスジェネの視点から見る時代の象徴
子どもの頃、小1まで住んでいた港区の自宅から見えた東京タワーの姿は、今でも強く心に残っています。特に夜8時ごろ、タワーの照明が点滅してゆっくりと消えていく瞬間。あの光が消える様子を眺めながら、幼稚園の私はそのまま眠りについたものでした。なぜ8時に消えていたのか、当時は分からなかったけれど、今思い返すと、それは石油ショックの影響で省エネの一環だったのかもしれません。そんな幼少期の思い出と重なる東京タワーは、私にとってただのランドマーク以上の存在でした。
その後、世田谷区用賀に引っ越しました。東京タワーからは少し距離ができましたが、それでも心の中にある東京タワーへの思いは変わりませんでした。中学生の時、友達と自転車でタワーに向かったあの日のことも、今でも鮮明に覚えています。途中、疲れを感じながらも、あの赤白の塔が近づいてくる瞬間には一種の達成感がありました。高いところが得意ではない私が、なぜかその日ばかりは展望台に登りたくなってしまった。上から見る東京の景色は、少し恐怖を感じながらも、何か大人への階段を一歩登ったような気がしたものです。下りは階段を使った記憶があります。
時は流れ、約15年前、生まれたばかりの子どもを連れて、久しぶりに東京タワーに行きました。あの頃と同じ景色が広がっているはずなのに、私自身の人生経験が加わることで、タワーの見え方が少し変わっていたように感じます。でも、変わらないのは、東京タワーがもたらしてくれる「帰る場所」のような感覚。子どもにもその感覚が伝わっていたら嬉しいな、なんて思いながら、家族で写真を撮りました。
一方、東京スカイツリー。建設中からその巨大な構造に注目していました。仕事で外回りをしている際、千代田区や中央区のあちこちからその成長する姿が見えていました。時は流れて2年前にようやく登りました。高さやエレベーターの速さには圧倒されましたが、なぜだろうか、東京タワーほどの感動が湧いてこなかったのです。もちろん、技術の進歩や現代のシンボルとしての価値は感じますが、私の中ではスカイツリーはどこか「機能的な高さ」に過ぎないように思えてしまうのです。スカイツリーは、新しい東京を象徴するランドマークかもしれませんが、私の感情の中で東京タワーにかなうものはないようです。
これは、私がロスジェネ氷河期世代だからこそ感じることなのかもしれません。バブル崩壊後、就職氷河期を経験し、社会の変化に翻弄されてきた世代として、私たちは「古き良き時代」としての象徴をどこかに求めているのかもしれません。東京タワーはその象徴であり、昭和の終わりとともに育った私にとって、懐かしさと安心感をもたらしてくれる存在です。一方で、スカイツリーは「今」を生きる現代の象徴。どちらも東京の顔であることに違いはありませんが、感情的な結びつきという点では、やはり東京タワーが私の中では優位に立っています。
時代が移り変わり、ランドマークも進化していきますが、私にとっての東京のシンボルはいつまでも東京タワーであり続けるでしょう。そして、世代や経験を超えて、多くの人々にとっても同じような特別な存在であり続けるはずです。