ロスジェネ氷河期世代の半生を振り返る 過酷な時代を生き抜いた軌跡
はじめに
振り返ると、自分の人生は常に時代の荒波に翻弄されてきたように感じます。特にロスジェネ氷河期世代として生まれ育った私たちにとって、勉強、就職、そしてその後の生活まで、困難は常に隣り合わせでした。今回は、私自身の半生を振り返りながら、同じ世代の皆さんと共有したいと思います。
勉強嫌いだった幼少期
子供の頃から、とにかく勉強が嫌いでした。宿題やテストが嫌でたまらず、親には相当苦労をかけたことを思い出します。学校ではいつも成績が伸び悩み、親は私を何とか勉強に集中させようと、様々な習い事や塾に通わせてくれました。公文式、学習塾、個別学習塾、英語塾…。それに加えて合気道、ピアノ、水泳、マット運動といった運動系の習い事まで、思い返せば実に多岐にわたる活動をさせられていました。
子供の私にはその意図が理解できず、ただただ「忙しい」としか感じませんでしたが、親は私の未来を思い、懸命に育ててくれていたのでしょう。今になって、親の努力と忍耐に頭が上がらない思いです。
中学時代と高校生活
中学時代になると、部活動が加わり、さらに忙しさは増しました。学校が終わると部活、そして夜には塾や習い事。振り返ると、相当なハードスケジュールだったはずですが、当時はそれが当たり前と感じていました。体力と若さに支えられて、忙しさに追われることにも慣れていたのかもしれません。
高校では機械科を選びました。勉強が苦手だった私には、座学よりも機械いじりの方が性に合っていました。機械科での学びは、実際に手を動かすことで得られる充実感があり、自分には悪くない選択だったと思っています。しかし、この選択が将来への道筋を確立することはできず、大学進学を諦め、専門学校へと進むことになります。
IT専門学校と厳しい就職戦線
高校卒業後、それまでやっていた機械科での知識にこれからはITだろうと、私はSEを目指してITの専門学校へ進学しました。時代はまだWindows95が登場する前、MS-DOSの時代でした。当時の私たちにとって、ITはまだ未知の領域であり、学びながら未来の可能性に胸を膨らませていました。ただ、少しばかり時代が早かったかもしれません。というか、ちょうど転換期にあたる頃だったのです。それでもまるで無駄だったわけではないと思いたい。そう思い頑張っていました。
しかし、卒業後に待ち受けていたのは、就職氷河期の厳しい現実でした。特にロスジェネ世代として、多くの学生が同じように就職戦線に挑んでいましたが、その競争は熾烈を極めました。結局、卒業してから2ヶ月後にようやくFAXのメンテナンス会社に就職することができました。これが、私の社会人としてのスタートでした。これまでのスキルはほとんど活かせる感じではありませんでしたがまだ若いですし、この時は若さにまかせてがむしゃらにやっていました。
17年間の勤務と再び訪れた困難
その会社では17年間働き続けました。しかし、会社が解散となり、またしても社会の荒波に放り出されることになりました。職を失い、再び厳しい労働市場に身を投じることとなりました。今振り返ると、この時期の経験が私を大きく成長させたとも思いますが、同時に心身の疲弊をも感じました。
年齢的に30後半になっており転職もままならない上、前職が時代遅れのFAXテンテ・・・、大きく舵を切らざる得ず簿記の勉強を始め資格を取得。とはいえ実務経験もない上事務などやったことがなかったので大変でした。その後経理で入った会社には馴染めず、挫折。つてをたどり個人事業で米販売を数年やり、今は工具会社で事務をやっている。個人事業は休業してあるのでまたいつかチャンスが有ればといったところか。このような感じで未だ荒波の中。
過酷な世代の現実とこれから
こうして振り返ってみると、私たちロスジェネ氷河期世代は、常に過酷な状況に直面してきました。教育、就職、そして社会生活。どれもが困難を伴い、それが私たちの世代に独特の苦労と耐え難いプレッシャーを与えてきました。
そして今、私たちが直面するのはシニア世代としての未来です。これまで以上に厳しい環境に立ち向かう覚悟が必要とされるでしょう。しかし、これまでの経験が私たちに教えてくれたのは、困難を乗り越える力と、前向きに生き続ける強さです。
結び
この半生を振り返ることで、改めて自分の歩んできた道のりを再確認することができました。そして同時に、私たちロスジェネ氷河期世代の仲間たちにも、同じような思いがあるのではないかと感じています。過去を振り返りつつも、これからの未来に向けて一緒に歩んでいくことができればと思います。