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刺激的すぎるティーン~ こんな仕打ちが待っていたとは その4~

前回の記事(その3)はこちらです→

アンドレアとの生活は刺激的な毎日でした。

普段、学校へはアンドレアが運転する車で行きますが、私はテニス部の中でもいわゆるVarsityという学校の代表選手だったため、早朝の強化練習や近隣州への遠征試合も多く、イレギュラーな時間帯の送迎はアンドレアのママとパパも分担。

ママは、早朝5時から始まる強化練習には毎回、色っぽいネグリジェのままで送ってくれ(笑)、パパは放課後、試合が終わる頃に時間を合わせて仕事場から抜けてきてくれて、テニスコート脇の駐車場から試合を観戦しながら待ってくれていたなぁ。。。

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アンドレアの両親は共働きだったのに、本当によくサポートしてくれたなぁと、振り返ってつくづく思います。

山盛りのソフトクリーム

アンドレアと一緒に帰る日の楽しみは、給油のために立ち寄るガソリンスタンドで、自分でマシーンを操作して盛り付ける$1のフローズンヨーグルト(いわゆる低脂肪のソフトクリーム)。店員から手渡されたカップに倒れるギリギリまで抽出して、それを車中で2人でシェアして食べるんです。誰から見ても非常識な高さ30cm位までグルグルと盛り付け、毎回店員に呆れられるという。。。あくまでもこれはアンドレアのアイデアです(苦笑)

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ある日、アンドレアが友達と遊びに行ってなかなか帰ってこない夜、パパは玄関のチェーンを掛けて寝てしまいました。夜中の2時位になり、裏庭に回って私の部屋の窓を「コンコン」とノックして起こすアンドレア。チェーンを外して彼女を家に入れたとして、翌朝、私まで一緒にパパに叱られるという羽目に。

日曜日の教会。ファミリー全体に向けた説教の時間が終わり、親は親、子供は子供に分かれての部屋での説教の時間が始まる頃、こっそり抜け出してダウンタウンまで遊びに行ってしまい、再びファミリーが一同に集まる時間帯に間に合うように戻ってきて「シレ~ッ」と合流する不良ぶり。

アンドレア、東京へ

高校を卒業したアンドレアは、大学進学までの長い夏休みを帰国後の私がいる東京で過ごしました。色んな経験をしたいと言って、私が学校に行かなくてはいけない時間帯には家の近所にあった仲の良い洋菓子店の工房でお手伝いをしていたようですが、お店のマスターからは「作りながら味見をする量が多くて笑える!」と報告がありました。やっぱり!

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私の兄が大学に連れて行った時のこと。授業中にトイレに行きたいと言い出して一人で教室を出て行った直後、構内中に防犯ベルが鳴り響いたそう。トレイの個室で防犯ブザーを押したアンドレアの仕業。笑いながら教室に戻ってきた本人いわく、「赤いボタンがあったので押してみただけ!」。

私の父の故郷、島根県出雲へ旅行した時のこと。田舎なので当時はまだ汲み取り式トイレ(つまり、どっぽん便所)でしたが、使い方を説明すると「Wow!So Scary💦」と異次元のモノに遭遇したかのように目をキラキラさせて、ある意味喜んでいました。翌日、トイレから「OMG!OMG!」と叫ぶ声が聞こえてきたかと思うと慌てて出てきて、スリッパを片方、トイレの暗い底に落としてしまったと笑いながら説明。

出雲からの帰りの寝台列車でのこと。備え付けの「浴衣」に魅了され、いつの間にかカバンに入れて持ち帰ってきて、その後の東京生活で着用しているし。アメニティじゃないっての!

私の母が東京観光に連れて行った日のこと。建設現場で「ニッカポッカ」を履いて作業をしている人を見て「So Cool ! I need that pants💕」と言って、作業着専門店を物色する彼女。

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アメリカに戻ったアンドレアは大学では第二外国語として日本語を専攻。数年後、大学で知り合った日本人男性と結婚してアリゾナ州フェニックスに住み始めました。

7年ぶりにアメリカを訪ねることとなった私はアンドレアと懐かしいアイダホ州を旅行しようという話になり、ボイシー空港で現地集合することに。

この時にまさかの出来事が起きました。

続く。。。

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