【活動報告06】”LivingAnywhere”な生活:隅田川ウォーキング3日目
7月13日作成
本記事は、ランサーズ新しい働き方LABの「研究員制度」の活動の一環として、私個人が行う「働き方実験」についてまとめたものです。
LAC(LivingAnywhere Commons)を活用する目的は、
荒川・隅田川・神田川の水辺ウォーキング
荒川・隅田川でのカヤック一人旅
です。
水辺ウォーキングをしながら、川沿いの河川施設を中心に見学を行います。
また、カヤック一人旅の下見も兼ねています。
カヤックを川へ降ろせる地点や、漕いだ後に陸へ上がる地点を見出すのも、大事なミッションとなります。
さらに、美味しい酒と肴があれば、ぶらりと店に寄ってみて、特に筆者が大好きな日本酒を堪能しつつ取材したいと考えております。
1.隅田川ウォーキングルート・日程
東京都の下町を流れる隅田川を、起点である岩淵水門をスタート地点として、右岸・左岸(*)交互に歩きながら、河口(東京湾)へ向かって歩きます。
*右岸:上流から下流側を見て右側の河岸
*左岸:上流から下流側を見て左側の河岸
1-1.隅田川の概要
隅田川は、東京都北区にある岩淵水門を起点とします。
東京の東部低地帯の沿川7区(北区、足立区、荒川区、墨田区、台東区、中央区、江東区)を南北に流れ、東京湾に注ぎます。
荒川水系の一級河川であり、東京都が管理をしています。
流路延長は、23.5km。
流域面積は、上流部の新河岸川を合わせて690.3㎢。
流域人口は、全体で約300万人に達します。
隅田川は、世界でも類を見ない大都市の中心部を流れる都市河川です。
1-2.隅田川ウォーキングルート図
隅田川の起点である岩淵水門を出発し、河口にあたる築地大橋まで歩きます。
基本的に隅田川の水辺を歩きますが、水辺に近づけない箇所もいくつか存在します。
その際は、仕方ないので、川から少し離れた道を歩きます。
1-3.隅田川ウォーキング日程
隅田川ウォーキングの日程ですが、6~7月の暑い日中を歩きますので、自身の年齢も考え、5回に分けて歩く予定です。
隅田川を歩きながら、寄り道を意図的に行うつもりですので、ゆったりとした日程を組みます。
1日目:岩淵水門から石神井川河口部までの区間:2022年6月25日
2日目:石神井川河口部から千住大橋までの区間:2022年6月27日
3日目:千住大橋から吾妻橋(浅草)までの区間:2022年7月8日
4日目:吾妻橋(浅草)から日本橋川河口までの区間
5日目:日本橋川河口から築地大橋までの区間
あくまでも予定ですので、早くなるか?遅くなるか?歩いてみないとわかりません。
2.1日目:岩淵水門から石神井川河口までの区間:2022年6月25日
1日目の隅田川ウォーキングの様子は、下記の記事をご覧ください。
3.2日目:石神井川河口から千住大橋までの区間:2022年6月27日
2日目の隅田川ウォーキングの様子は、下記の記事をご覧ください。
4.3日目:千住大橋から吾妻橋(浅草)までの区間:2022年7月8日
3日目は、千住大橋から吾妻橋(浅草)までを歩きます。
3日目のルートは、下図の通りです。
4-1.隅田川第11橋:千住大橋(せんじゅおおはし)
千住大橋については、前回の【活動報告05】でも触れました。
千住大橋周辺は、歴史にまつわることが多く見受けられます。
それらの一部を紹介します。
4-1-1.千住大橋
千住大橋左岸上流側の隅田川テラス内に小さな案内板が立てられています。
そこに記載されている案内文を引用します。
千住大橋は、隅田川に最初に架けられた橋で、徳川家康の関東入国間もない文禄三年(1954年)に、普請奉行伊奈備前守忠次(ふしんぶぎょういなびぜんのかみたたつぐ)によって架けられた橋です。
文禄三年の架設の際に、伊達政宗が資材を調達し、水腐れに最も強いという高野槇(こうやまき)が使われたと伝えられています。
その後、流出や老朽により、何度か架け替え、修復を繰り返してきましたが、大正十二年の関東大震災にも焼け落ちることはありませんでした。
しかし、震災復興計画に基づいて、近代化が計られ、昭和二年の現在のようなアーチ式の鋼橋となりました。
町の人々は、永年親しんできた旧木造橋に感謝を込めて、その橋杭を火鉢にしたり、千住の彫刻家が仏像などに加工して大切に伝えています。
その昔に架けられていた橋の一部と思われる木杭が今もなお、水中に眠っています。
時には、桟橋の上から見えるかもしれません。
「伽羅(きゃら)よりもまさる 千住の槇の杭」
古川柳
東京都・足立区
4-1-2.松尾芭蕉:おくのほそ道行程図
千住大橋左岸上流側の橋詰に公園がありますが、そこに「おくのほそ道行程図」の看板が立てられています。
そこに記載されている案内文を引用します。
元禄2年(1689)旧暦3月27日、門人河合曾良を伴い深川を舟で発った松尾芭蕉(1644~1694)は、隅田川をさかのぼり千住で上陸し、多数の門人等に見送られて、関東から東北を経て美濃国(岐阜県)大垣に至る旅に出発しました。その行程はは何と600里余り、日数にして約150日に及ぶ大旅行でした。
この紀行が、元禄15年(1702)に「おくのほそ道」として刊行され、以後我が国を代表する古典文学作品として親しまれています。
芭蕉の旅から300年以上を経た今も、芭蕉およびその文学を追慕する多くの人々が旅立ちの地である千住大橋周辺を訪れます。
矢立初めの地で、俳聖の遥かな旅に思いを馳せるよすがとしていただくため、「おくのほそ道行程図」を建てました。
また、すぐ近くの堤防の壁に、松尾芭蕉が門人の河合曾良を連れて旅立つ様子の絵が、描かれています。
千住大橋を後にして、下流へ向かいます。
4-2.隅田川第12橋:JR常磐線隅田川橋梁(じょうばんせんすみだがわきょうりょう)
次に現れる橋は、JR常磐線隅田川橋梁です。
実は、「JR常磐線隅田川橋梁」をはじめとして、「つくばエクスプレス隅田川橋梁」、「東京メトロ日比谷線」と3本の鉄道協が連続して隅田川に架かります。
4-3.隅田川第13橋:つくばエキスプレス隅田川橋梁
JR常磐線隅田川橋梁のすぐ下流側に、「つくばエクスプレス隅田川橋梁」が架かります。
4-4.隅田川第14橋:東京メトロ日比谷線隅田川橋梁
「つくばエクスプレス隅田川橋梁」のすぐ下流側に、「東京メトロ日比谷線隅田川橋梁」が架かります。
東京メトロ日比谷線隅田川橋梁を後にし、隅田川左岸を下流へと向かいます。
4-5.隅田川第15橋:千住汐入大橋(せんじゅしおいりおおはし)
次に現れる橋は、千住汐入大橋です。
車線は片側1車線に歩道があります。
ここまで、隅田川左岸をあるいてきましたが、千住汐入大橋を渡り、右岸を歩き下流へと向かいます。
4-6.堀切(ほりきり):旧綾瀬川(きゅうあやせがわ)
千住汐入大橋を後にし、隅田川右岸を下流へと向かいますと、堀切が現れます。
堀切は、隅田川と荒川を結ぶ水路で、旧綾瀬川になります。
水路の荒川側に墨田水門があり、荒川の増水した水が隅田川に流入するのを阻止する役割を担います。
4-7.隅田川第16橋:水神大橋(すいじんおおはし)
次に現れる橋は、水神大橋です。
水神大橋の向こう側に東京スカイツリーが見えます。
車線は、片側1車線で歩道があります。
引き続き、隅田川の右岸を歩き、下流へと向かいます。
4-8.隅田川第17橋:白髭橋(しらひげばし)
次に現れる橋は、白髭橋です。
車線は片側2車線で歩道があります。
白髭橋を右岸から左岸へ渡り、左岸沿いを下流へと向かいます。
4-9.隅田川第18橋:桜橋(さくらばし)
次に現れる橋は、桜橋です。
歩道橋で、上空から見ますとXの文字に見えます。
桜橋を左岸から右岸へと渡り、隅田川右岸沿いに下流へと向かいます。
4-10.隅田川第19橋:言問橋(ことといばし)
次に現れる橋は、言問橋です。
車線は、片側2車線で歩道があります。
東京スカイツリーも明確に見えます。
4-11.隅田川第20橋:東武伊勢崎線隅田川橋梁(とうぶいせざきせんすみだがわきょうりょう)
次に現れる橋は、東武伊勢崎線隅田川橋梁です。
東武伊勢崎線隅田川橋梁を通過し、右岸を下流へと向かいます。
4-12.隅田川第21橋:吾妻橋(あづまばし)
次に現れる橋は、今回のゴール地点である吾妻橋です。
車線は、片側2車線で歩道があります。
吾妻橋の右岸上流側に「東京都観光汽船(とうきょうみやこかんこうきせん)」の船着場があります。
ここで、観光船「卑弥呼」などが離発着します。
また、吾妻橋の右岸下流側に「あみ清」の屋形船の船着場があります。
筆者は、屋形船での舟遊びを30代の頃によくしました。
それから20数年が経ち、あらためて屋形船を借切り、気の合う仲間と飲み食いしながら、楽しく隅田川を満喫したいと目論んでいます。
次回は、吾妻橋から日本橋川河口まで歩く予定です。
次回の隅田川に架かる橋も名橋ばかり!
5.まとめ
以上、
隅田川第11橋:千住大橋
隅田川第12橋:JR常磐線隅田川橋梁
隅田川第13橋:つくばエキスプレス隅田川橋梁
隅田川第14橋:東京メトロ日比谷線隅田川橋梁
隅田川第15橋:千住汐入大橋
堀切:旧綾瀬川
隅田川第16橋:水神大橋
隅田川第17橋:白髭橋
隅田川第18橋:桜橋
隅田川第19橋:言問橋
隅田川第20橋:東武伊勢崎線隅田川橋梁
隅田川第21橋:吾妻橋
と隅田川の右岸・左岸を交互に歩いてきました。
隅田川の橋のラインナップとしては、江戸時代から架かる著名な橋が並ぶ地域です。
川おたくとしては、たまらない地域でもあります。
また、このあたりの隅田川沿いを歩きますと、必ず「東京スカイツリー」が目に飛び込んでくる地域でもあります。
高さ634mと、日本で一番高い高層建築物なだけに、東京のランドマークとして定着しています。
宿泊拠点である「LAC浅草」に戻ってきたこともあり、「ホッピー通り」という一番賑やかな飲み屋街で酒と肴を楽しむことにしました。
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