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「再投資型」のように生きるな

昨日「投資のような子育て」の話をしたついでに「投資家のような人生を生きること」についても少し語ってみましょう。

『投資家みたいに生きろ』に特に恨みも批判もなにもないのですが、語呂が良いので引き続きちょっとモチーフに使わさせてもらいます。



さて、投資家みたいに人生を生きる時の罠は、つい「再投資型」のように生きてしまうことにあるでしょう。


「再投資型」とは、投資信託における分配金の扱い方の一種で「分配金受取型」と対比されます。「分配金受取型」は投資信託から定期的に発生する分配金をそのまま受け取るものですが、「再投資型」は分配金を受け取らずにそれを自動的にまた投資に回します。

「分配金受取型」は確実に分配金を獲得することができる反面、複利が効く「再投資型」のように資産が指数関数的に増えることはありません(もちろん「再投資型」は市場の動向によっては受け取れるはずだった分配金の分まで失ってしまうリスクを抱えています)。

株式市場の長期トレンドに楽観的な見方が支配的であること、もともと資産を長期に増やそうとして投資をしている人が多いこともあり、特別な理由がない限り、基本的には単純に期待値が大きい「再投資型」が合理的として勧められているようです。


しかしながら、ここまではあくまで「お金の投資」の話です。
人生まで「再投資型」のように生きると大変なことになります。

人生で「再投資型」のように生きるということは、いつも将来のために人生を費やしているということです。


「再投資型」人生のわかりやすい例が、『限りある時間の使い方』で紹介されている思想家アラン・ワッツによるとされる言葉です。


教育について考えてみればいい。まるで詐欺だ。まだ幼い子どもの頃から保育園に入れられる。保育園では、幼稚園に行くための準備をしろと言われる。幼稚園に入ったら1年生の準備、1年生になったら2年生の準備。そうやって高校まで行ったら、今度は大学に行く準備だ。そして大学では、ビジネスの世界に出る準備をしろと言われる。……こんな人生、顔の前にぶら下がったニンジンを追いかけるロバみたいなものだ。誰もここにいない。誰もそこにたどり着けない。誰も人生を生きていないんだ。

オリバー・バークマン『限りある時間の使い方』
 


なお、ビジネスの世界に出たあとも、あるいは育児をするにしても、絶えず次への準備を求められる雰囲気があることは、みなさまご存知の通りと思います。


つまり、『再投資型』の人生とは、過去の自分の投資で得られた果実をも楽しむことなく、常に将来のために人生をつぎ込む生き方です。
いつまでもいつまでも、先のため、将来のための準備をし続けていることになります。
これでは永遠に人生を今を味わうことができません。


それでも『再投資型』は将来のリターンを最大化するにはあくまで合理的なのです。今を費やして将来のために使えば使うほど確かに将来に関しては有利になります。理屈は正しいのです。

しかしむしろ、それは合理的であるがゆえに人をいつまでもとらえる魔力があります。
合理的であるがゆえに、選ばされてしまう。やめられない。とまらない。


もちろん「将来のため」を完全にやめて後先考えず刹那的に生きることが良いというわけではありません。
ただ、完全に「再投資型」のように生きることの罠には注意した方が良いでしょう。

なにせ、お金と違って、人生は貯めておくことができません。
そして、お金と違って見えないために、いつの間にか投資しすぎていても気づきにくいのも人生の特徴です。

完全な「再投資型人生」に陥ってる人はさすがに少ないとは思いますが、長期的な期待値の合理性に惑わされて延々と人生を後回しにする「再投資」ループをしていないか注意するにこしたことはないでしょう。

仮に人生を用いて「投資」をするにせよ、せめて「分配金受取型」のように、確実に人生を味わうことを欠かさないのも悪くはないのではないでしょうか。


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江草 令
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