人類よ、歌って踊れ
歌ったり踊ったりすることには力があると思うんですよね。
いずれも古今東西の人類社会で普遍的に見られる活動。子どもなんて気づいたら勝手に歌ったり踊ったりしているものです。人にとって歌や踊りは何か特別な意味があると言えましょう。
私見を述べれば、歌や踊りはある種のトランス状態であるのが重要なのかなと。歌ったり踊ったりしてる最中は、余計なことを考えることがありません。我を忘れて没頭する他ない。
たとえば、何か歌を歌いながら(鼻歌とかではなくちゃんとね)「今日の晩ご飯何にしようかな」などと思案するのは非常に難しいでしょう(ためしにやってみてください)。踊りならもしかすると簡単な振りであれば頭を働かせる余裕は残るかもしれませんが、それなりに複雑で負荷のかかる踊りであればそうはいかないはずです。
そして、このように、余計なことを考えることがない、我を忘れるというのは、実は幸福につながります。
たとえば、不安は頭が勝手に働いて色々考えてしまう余裕がある時に忍び寄ってくるところがあります。もちろん、頭が働く余裕がある時に常に不安が寄ってくるわけではないのですが、不安に付けいられる隙を生んでしまうというイメージです。
また、我を忘れるというのは、仏教がそれこそ忘我の境地を目指していることから分かるように、それが一つの安楽の境地であるのは言うまでもないでしょう。
「我思う、ゆえに我あり」と言ったのはデカルトですが、そうなると考えること(思考)を抑制することができれば我を忘れることができるかもしれないとも推測できます。(論理的にはただの「裏」なので必ず真になるわけではありませんが)
そういう意味では、「念仏」も今回の話に近いところがあります。完全な忘我の境地に至るのが難しい大衆にとって、その境地に多少なりとも近づくための手法が念仏であるという説を聞いたことがあります。念仏を熱心に唱えてる間は、余計なことを考える頭の余裕がなくなるので、結果的に忘我の境地に近づけるのだと。なんか、これ歌や踊りの間に考える暇がなくなるという先ほどの話と近いものを感じませんか。
実際、こういう研究結果もあるそうです。様々な活動を対象に、その行為がもたらす幸福度の変化を調べた研究のようなのですが、ダンスが2位、歌が6位とけっこう上位に位置してるんですね。
そう、歌や踊りは幸福につながると実証もされてるのです。(まあ誰もが気になるであろう1位の存在感の強さっぷりは今回は置いておきましょう)
というわけで、歌や踊りというのは、それに没頭することで、余計な思考を抑制し、我を忘れ、結果、幸福感につながる活動なのではないかと。
人類普遍的に歌や踊りが見られることは、人類が幸福を希求すると必然的に至る知恵だからだと考えられます。幸せになりたいなら、人は歌って踊るのです。
して、現代社会に生きる私たちはどうでしょう。
確かに子どもたちはほっといても歌って踊ってます。実に楽しそうです。でも、大人になってから、あんまり本気で歌ったり踊ったりしてない人は多いのではないでしょうか。ぶっちゃけ、江草も「頭でっかちキャラ」なので、正直ご無沙汰です。最近本気で歌ったり踊ったりしてません。
これがもしかするとあんまり良くないのかもしれません。現代社会って、何となく幸福感が乏しいし、不安に押しつぶされてる方が多いでしょう。このネガティブな空気感と、歌ったり踊ったりの活動が減ってしまってることは無縁ではない気がします。
おそらく、歌や踊りが現代社会で重宝されてる「生産性」の概念と相性が悪いのが、私たちが大人になるにつれ歌ったり踊ったりする機会が減るひとつの要因ではないでしょうか。たとえば誰かが歌って踊る時、その人がプロのエンターテイナーでもない限り、ほとんどの場合そこに経済的価値は生まれません。一過性の行為としてただその場その時にだけ立ち現れて消えてしまう。そして、その場限りで消えてしまうものは生産的に見えないので無駄に思われてしまう。
これが罠だったんじゃないかと思うんですよね。歌や踊りは確かにその場限りの行為ではあるかもしれませんけれど、それが実は幸福に寄与する効果があった。それを生産性がないからと自他ともに抑制してしまったことで、生産性は高まったけど皆がなんとなく幸福感が乏しくなるという悲しい社会を生み出してしまったと。
たとえば、先の表をもう一度見てみてください。直接的な「仕事」の項目もさることながら、「総務/財務/管理」とか「会議」とか「通勤」とか、仕事関係の項目がことごとく下位で、見事「マイナスの幸福度」を達成してしまってます。なんとも身も蓋もない。しかし、仕事ほど「生産性に寄与する」として現代社会で奨励されてる活動もないでしょう。
そう、私たちは幸福をもたらす「歌って踊ること」を捨てて、生産性をもたらす「働くこと」を取ってしまっているのです。
もちろん、生産性の追求が必ずしもダメというわけではありません。ここではそこまでは申しません。けれども、それによって私たちが捨ててしまってる大事なものがないかというのは、今一度振り返ってみてもいいんじゃないでしょうか。
特に、今の世の中に閉塞感があるのであれば、それこそ温故知新の精神で、人類が普遍的に行ってきた営みである「歌や踊り」を見直してみるのはありな気がしています。
子どもが楽しそうに歌って踊ってるのを見て、今日はそんなことを思いました。