高信頼社会を取り戻すには
為末大さんが先日こんな記事を書かれてました。
昨今、盛んに報道されてる凶悪犯罪事件に触れて、人々の相互信頼がある高信頼社会を守ることの重要性を訴えられていました。
いやあ、ほんとその通りだなあと思います。(対策として提案されてる、監視カメラ網を隅々まで張り巡らせる社会は、むしろ人間不信の象徴っぽいように映るので、にわかには首肯しがたいですが……)
相互信頼感覚は大事なんですよね。見えないけれど、社会の基盤リソースとして働いてるところがあります。実は相互信頼があるおかげで、様々なことがスムーズに行ってるのですが、ぼやっとしてるとそれは空気のように無味無臭なのでそのありがたみを私たちは忘れてしまうわけです。
そうした信頼感覚にフリーライドして私服を肥やす行為が、まさに詐欺などの犯罪行為です。関係者はもちろんのこと、その恐ろしい犯罪行為の報道がまた世の人々の人間不信を広く煽ることになり、より破滅的な効果をもたらすという点で、言ってみれば三日三晩、野山を焼き尽くす山火事のごとき、とてつもない環境破壊性があります。
また、たとえば今や現代社会の象徴と言って良い存在である「エビデンス」や「お金」も人を信じてないものなのですよね。そもそも契約とか法律のような近代の象徴がことごとく人を信じてないとも言えます。
何か証拠や証文や証券(ここでは日本銀行券も入れちゃってください)があって、それで初めて納得するというのは、それは「人そのもの」は信頼してないということとと等しくなります。証言や「あなたの感想」では納得しないということは、基本的には人を信じてないということですからね。
この辺の話はこの過去記事にも書きました。
そして、たとえば「お金の論理」が社会の隅々まで行き渡ると、今度は人から信頼されなくてもお金さえあればなんでもできる(あるいは人から信頼されててもお金がなければなんにもできない)という感覚を呼んでしまいます。
こうなると、社会の相互信頼性を破壊してでもお金を奪う行為に合理性が生まれてしまうことになります。つまりは、先ほどから言ってる犯罪行為を誘発するわけです。
これがまずいんですね。
人間不信から、ことあるごとにお金などの「証拠」を求める社会になる。
↓
信頼感よりお金などのモノの方が大事という感覚が広がる。
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信頼を犠牲にしてでもお金を手に入れようとする者が出る。(犯罪)
↓
犯罪発生を知って人々がさらに人間不信に陥る。
↓
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まさしく悪循環と言えましょう。
この悪循環をどこかで断ち切らないといけないのですが、悪循環はけっこう力を入れてブレーキを踏まないとなかなか止まらないからこそ、悪循環なんですよね(勝手に回り続けるだけの馬力がある現象なので)。
それゆえ私たちには大きな決断が迫られてるのです。
たとえば、ベーシックインカムとかね。
ベーシックインカムはお金を給付する制度なので一見拝金主義的に見られがちです。(『ベーシックサービス』の著者の井手英策氏もそんな論調でベーシックインカムを批判してますね)
ただ、それは本当は逆で、ベーシックインカムは「あなたを信頼してるから無条件でお金渡すわ。自由に使ってね」という意味なんですよね。むしろ、社会におけるお金の優勢的立場を緩和し、人を信頼しようとする制度なのです。
ベーシックインカムが拝金主義どころか反拝金主義であり、人を信じることを打ち出す制度であることは、常々「お金の廃止の必要性」を訴えてるホモ・ネーモさんがベーシックインカムを強く支持してることからも自明でしょう。
まあ、別にベーシックインカムに限らなくてもいいのですが、高信頼社会を取り戻し維持するためには、それぐらいの抜本的な対応が必要になってきてるのではないかと思った次第です。
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