![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/153329891/rectangle_large_type_2_917a04ca74364779c1876f0e1942265c.png?width=1200)
偽科学と偽宗教と真宗教と真科学と
最近読み始めた『創造論者 vs. 無神論者』という本が面白いのです。
知ってる人は表紙を見てすぐにフフっとなってしまうであろう例のモンスターが目印。
「神が世界を作った」とする創造論者と、「神なんていない。全ての宗教を否定する!」とする無神論者の論争が21世紀に入りますます過激になってるということで、その歴史的経緯を解説する新書です。
これ、一見すると「宗教(創造論者)VS科学(無神論者)」の構図と思われそうですが、著者によると実は創造論者の武器もまた科学であるということで、なかなかややこしい事態となってるようです。
ちなみに、ここでつけ加えておけば、創造論者の武器も科学である。ここまでの記述から、創造論者とは、学問とは縁のない素朴な教会出席者や、学歴があっても神学に親しんだようなタイプをイメージしたかもしれない。だが、創造論者のリーダーにはケンブリッジ大学、ハーバード大学、シカゴ大学といった一流大学で学び、博士号を取得した人が多い。しかも生物学・化学・地質学・天文学といった自然科学の学位を持ち、医学や生化学の研究者として大学の教壇に立つような人々だ。
創造論者が自然科学を好む理由は第 3章以降で明らかにするが、本書の戦場では、生物学が専門の無神論者が極端な信仰を持つ化学者(創造論者)を攻撃すると、穏健な信仰を持つ遺伝学者(非創造論者)がどちらも原理主義者だと非難するといった事態が生じる。批判するのもされるのも科学者だ。創造論者の話には怪しいものが多いが、全てが出鱈目なわけではない。それなりの科学的事実に基づく主張もある。友敵の相関関係は複雑で、時に宗教論争なのか科学論争なのかも見分けづらい。非合理な宗教者と理性的な科学者という単純な対立図式には全く収まらない戦いなのである。
めちゃくちゃ面白そうでしょう。
江草も以前、『科学者はなぜ神を信じるのか』という本の感想を書いたことがありましたが、これとも関連してきそうなトピックです。
といっても、『創造論者 vs. 無神論者』まだ最初の章ぐらいまでしか読めてないので、現時点で全体像について感想を述べることはできないのですが、序盤で既にめちゃ面白いのです。
序盤の何が面白かったかと言うと「真の宗教とは何か」という問いです。
たとえば、科学については、「科学的に証明された」などと称してうさんくさい商品を売るビジネスが横行しており、それを「偽科学だ」と正統科学者が糾弾するという流れが日常茶飯事となっています。
でも、意外と「真の科学」と「偽の科学」というものを厳密に区別しようとすると難しいんですね。その作業をしようとすると「では科学とはそもそもなんなのか」という哲学的な問いに向き合うことになります。これが驚くほど一筋縄ではいかない。
この問いについての詳細は下記書籍が良かったです。
そうしたわけで、江草もかねてから科学と疑似科学(偽科学)との線引き問題の難しさは知ってましたが、今回のこの『創造論者 vs. 無神論者』で、真の宗教と偽の宗教との区別もまた難しいということに気づかされて、うならされてしまいました。「科学vs偽科学」の構図に気を取られて、宗教のそれはすっかり盲点でした。
江草も空飛ぶスパゲッティモンスター教(スパモン教)の存在は前から知ってましたが(そう例の表紙のモンスターです)、マラドーナ教とか、ジェダイ教とか、ヘヴィメタ教とか、けっこうガチでそういう「パロディ宗教」が活動してるそうなんですね。
スパモン教徒が湯切りボウルを頭にかぶった状態で運転免許証写真に写るのを「信仰の自由」として認めるよう当局に訴えたり。ジェダイ教徒がフードを被ったままスーパーに入店するのを拒まれて「宗教弾圧だ」と非難したり。マラドーナ教(ええ、あの名サッカー選手のマラドーナを神として祭る宗教です)で洗礼儀式が施されたり。
一般的な人の反応としては「そんなふざけた宗教なんてちゃんとした宗教と言えない」というものでしょう。けれど、これがまた冷静に考えてみると、では「ちゃんとした宗教」とは一体何か、という難題に直面することになるんですよね。すなわち、「そもそも宗教とは何か」という哲学的問いです。
さっき偽科学を排除しようとした時に「そもそも科学とは何か」という問いに向き合わないといけなくなったのと同じ構図ですね。
「ちゃんとした宗教」すなわち真の宗教とみなされてる、キリスト教や仏教を始めとした各種伝統宗教は、学校で教えることが許されてたり、社会経済的に優遇される特権を持ってたり、なんだかんだ特別扱いされています。
しかし、何をもって伝統宗教は真の宗教とされているのか。何をもってスパモン教やマラドーナ教やジェダイ教、ヘヴィメタ教は偽宗教と判定できるのか。
伝統宗教こそが真の宗教であり、それ以外のたとえば「パロディ宗教たち
」が偽の宗教であると、明確に区別できる根拠を示せないと、伝統宗教が今得ている特権は不当なものなのではないかと言われてしまうわけです。
実際、よくある素朴な宗教定義だと、スパモン教もジェダイ教も、宗教に認定されてしまうんですね。じゃあ、彼らも正式な宗教として各種優遇措置を認めないといけないかもしれない。しかし、そうすると社会にどんどん都合の良い新宗教が増殖する未来が目に見えているわけで……。
しかも、著者の指摘は面白くって、もし仮に宇宙人が地球にやってきて人間社会をつぶさに観察したとしたら、たとえば「アップル教」を地球人の宗教のひとつとして見い出すだろうと。「アップル」も信仰と言っていいほどの熱心な「信者」がついてますからね。ジョブスという「聖人」もいるし、「シンボル」としての林檎マークもあるし、デバイス(神具?)を常に肌身離さず持ち歩いてるし。
こうした「潜在的な宗教」の存在も想定するとなるともはや問題は「パロディ宗教」に限らないわけです。なんか、あれもこれも事実上の「宗教」に見えてくる。「宗教ってなんだっけ」ってゲシュタルト崩壊してくる。結局、私たちは恣意的にホンモノとニセモノを判定してるだけに過ぎないのではないか。
そんなわけで、真宗教と偽宗教を区別するのは簡単そうでいて実に難しい。偽科学と真科学を区別するのは極めて難しいという科学哲学の定見と同様に、宗教もまた真偽の区別をするのはなかなかの難問なのです。
もうこうなると、人によっては、もう偽宗教の判別とかいいから全部の宗教を否定したくもなりますでしょ。ハナから全ての宗教を否定すれば各種宗教特権も全廃できて平等、公平ですからね。
しかして、これで無事「新無神論者」のできあがりです。冒頭でちょっと触れた「伝統宗教も含めた全ての宗教を否定する!」とする立場の方々ですね。
そんな、積極的に全宗教を否定する過激派として登場した「新無神論者」が、神が世界を創造したとする立場の「創造論者」と苛烈なバトルを繰り広げる——というのが本書の展開になるようなのですが、先に書いた通り、まだ序盤しか読んでないので、実際のとこどうなるか分かりません。
いやあ、続きが楽しみです。
いいなと思ったら応援しよう!
![江草 令](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/159442884/profile_6a38fb1225eabbdb89e8f63612818e5b.png?width=600&crop=1:1,smart)