
高額薬剤の費用対効果と少子化対策
高額療養費問題の一件の流れで石破総理が先日、高額薬剤を否定的に言及したことを受けて炎上していました。
これに対して石破氏は「人が死んでもいいとか、そんなことは夢さら思っておりません。『受診を抑制しなければならない』とか、そういうような方が出ないために政府として最大限考えております」と前置きをした上で、「一方で、せっかくですから申し上げておきますが」として具体的な薬の名前を挙げた。 「『キムリア』という薬があって、1回で3000万円ですよね。有名な『オプジーボ』が 年間に1000万でございますが、1月で1000万以上の医療費がかかるケースが10年間で7倍になってるということは、これは保険の財政から考えて、これ何とかしないと制度そのものが持ちません」
つまり、キムリアやオプジーボのような高額薬剤が負担となって保険財政が持たなくなってるよという主旨の発言です。
これに対して特に医療関係者や患者さんの方々から強い非難が上がり、それで大炎上となったという流れ。
特にキムリアが若年白血病患者に使用される薬剤であることもあって、「若い命を見捨てるな」という論調での石破総理批判が多く見られました。
ほんというと、この「若い命を見捨てるな」と年齢文脈で高額薬剤を擁護すること自体にも倫理的な問いが立ち上がるのですけれど、今回はその議論は置いておきまして、また別のポピュラーな擁護ロジックに注目したいのです。
それは「若い命を救ったら以後納税もするし国益になるから救うべき」というロジックですね。
高額療養費はその治療さえすれば治って、その先の人生長い人には適応してほしいよ。治療してもしなくても結局すぐ亡くなるような人はしなくてもいいかもしれないけど。そういう線引じゃダメなのかなぁ。若い人が治療を断念するのは、国益にもならないんじゃないのかな
— Kaori YAMADA, PhD (@KaoriYamada01) February 22, 2025
治癒が期待できる治療を単に高額だからとやり玉に挙げるのは愚かすぎます。治癒したらそこから社会復帰して納税してもらえるんですよ?? https://t.co/IxMG8yrNzU
— ねこまた見習い💙стою з україною💛 (@vc_neco) February 21, 2025
世界の中心で愛を叫ぶ世代としては、若者の白血病を治せるなら安いもんだ。治ればその後労働して保険料とか納税とかしてくれるし。老人の寿命数年延ばすのに数百万円使うより全然いい。
1回3千万円の薬で若者が救われれば、その後何十年と納税者となってくれるメリットがあるのだが。目先の金を取るかどうかの話かと。てか適応を増やしコストダウンを促す話にはならないの?
3000万円で納税者が1人増えるなら、それ単体で見てもプラスでは?生涯税額ってどう考えてももっとあるよね。
江草がざっと見た限りでもいっぱいありまして、これはほんの一部です。
「若い命を救うのは将来の納税者にもなるんだから」というロジックは、すなわち「この薬剤の社会的な費用対効果(コスパ)は十分にある」として、高額薬剤を擁護しているということになります。
また、オーソドックスな医療経済的な費用対効果の側面でも、十分にキムリアは許容できる水準を達成していることが指摘されています。
キムリアは主に「B細胞性急性リンパ芽球性白血病(B-ALL)」の患者に使われるが、過去に中医協に報告された費用対効果分析で「追加的有用性あり」かつICER(増分費用効果比)は500万円以下となっている。
簡単に言えば、キムリアは「高いけどそれだけの効果がある」薬であり、もっといえば「効果の大きさからみれば比較的コスパが良い」と評価されているということだ。
【石破総理の答弁に違和感を覚えます】
— 市川 衛 @医療の「翻訳家」 (@mam1kawa) February 23, 2025
2月21日の石破総理の答弁を聞いた。確かに「せっかくだから申し上げておきますが」とわざわざ前置き、キムリアを名指しして「1回で3000万円ですよね」と強調しておられた。…
ICER(増分費用効果比)というのが専門用語で分かりにくいかもしれませんが、この薬を使うことで追加で得られたQALY(Quality Adjusted Life Year)すなわち「薬のおかげで増加した患者さんの人生の質×年月」と、「その薬の費用」の比を取ってるものです。おおよそフル健康1年分の増加効果で500万円以下であれば十分な費用対効果であるとされる慣習があります(この水準"Willingness to pay"は本来社会的に定める必要があります)。で、キムリアはその水準をもクリアしているというわけです。
なので、今回名指しされたような高額薬剤はコスパが十分にあるので、それを使うことを否定するのは妥当ではないというのが、石破総理批判者(コスパロジック派)の意見ということになります。
この論旨自体は一つの立場として一理あるものですし、江草も費用対効果に優れる薬剤を無闇に停止するのは避けるべきと思うので、「まあそうよねえ」と感じてます。
ただ、この議論を眺めていて、ふと疑問が湧いたんですよね。
「若い命を救うから」とか「将来納税者になるから」という理由で高額薬剤の使用が正当化されるのであれば、少子化対策に同程度の規模感で追加投資することも正当化されることになるのでは?
と。
それでポロッとつぶやいたのがこちらのポストだったんですが、
しかし、ふと思ったけれど、1回3000万円の薬剤で若い命を救うことが倫理的に正当とされるなら、少子化対策として子供一人当たり3000万円支給することも妥当ということになる気もするけれど、どうなるんだろう。
— 江草 令 (@exa_ray) February 23, 2025
あまりに思いつきで書いちゃったせいで、主旨がわかりにくすぎたなあと反省しています。
そこで、今回、これを少しばかり整理してみようかなと。
(もっとも、江草自身の中でもまだ思いついたばかりで見解が定まってない未解決問題でもあるので、あくまで一つの問いの提起としてご理解ください)
さて、ここではともかくも、先の「納税ロジック」で高額薬剤を擁護してる方々の意見に乗っかるとしましょう。人によって色々意見はあるかと思いますが、とりあえずこれを受け入れてみたとします。
これはすなわち「将来納税者になるような若い命を救うのに1人当たり3000万円の薬は十分なコスパであるから財政支出するべき」という論旨です。
でも、そうであるならばこれも同時に正当化されるのではないでしょうか。
「将来納税者となるような若い命が産まれるのに1人当たり3000万円の追加支出は十分なコスパであるから財政支出するべき」と。
少子化対策とは、自然にほっておくよりもより多くの出生数(子どもの人数)を増やそうとする公的介入でありますから、言ってみれば、追加の少子化対策予算で国民の追加の人年(LifeYears)を得ようとしているわけで、構造的には医療の費用対効果計算と相似です。
だから、医療において「1人当たり3000万円の支出で若い命を救うこと」が正当化されるのであれば、少子化対策において「1人当たり3000万円の支出で若い命が新たに産まれること」も歓迎されるべきではないかとなるわけです。
たとえば、今や子どもの産まれる人数が年70万人を下回ったと報じられています。ここで少子化対策によって、この70万人を100万人に増やしたいと思ったとします(実際には少母化の要因があるので相当難しいハードルなんですが、あくまで計算のための例です)。
そうすると、30万人の若い命が追加で産まれるための政策的補助をするわけですが、ここで「1人当たり3000万円の支出が正当化されてる」という前提からすると、この少子化対策に「30万人×3000万円=9兆円」のスケールの予算を付けるのは十分に許容されるということになります。
ちなみに現行の少子化対策予算が約5.3兆円(令和6年度)らしいので、それ以上の額面になりますね。
しかも、ここで注意しないといけないのは、ここで言ってるのは「追加の予算支出」であるということです。先ほども追加の高額薬剤支出に対する追加の人命救助効果を費用対効果計算していましたからね。
従って、現行の少子化対策では子どもの人数が70万人に留まってるという時に、それを100万人に増やすための追加支出が9兆円のスケールという話になるので、現行5.3兆円の予算を総額9兆円にするどころではなく、5.3兆円に9兆円を加えた総額14兆円ほどを少子化対策に費やすべきではないかということになります。
すなわち、「納税ロジック」で正当化される予算規模に対して、現行の少子化対策予算はまるで足りてないという結論に至るわけです。
この場合、極論、追加の30万人出生を見込んで、今後出生した子ども1人につき900万円ずつ追加で現金給付をすることもあり得ない策ではなくなります(9兆円÷100万人)。これ、現行の児童手当の総額の3倍以上のスケールですね。
もちろん、これは目標値(100万人にするかどうか)によって変わるわけで、実際にはもう少し減らざるを得ないかと思いますが、でも今よりも大幅に予算を増加させる正当性はあると言えるわけです。
にもかかわらず、実際には少子化対策の予算の規模感は全然足りてないという状況です。いや、増えてはいるんですが、牛歩のごとくの、ちょっとずつの歩みです。
巷で「少子化対策として給付金には効果が無い」という意見はよくありますが、「そもそも現状の額が全然少なくて子育て世代の年収の減少を補えるレベルに達してない」と書籍『なぜ少子化は止められないのか』でも指摘されています。
もちろん、薬剤の効果の評価がそうであるように、少子化対策も十分な効果が得られてるかどうか個別具体的に検証する必要はあります。しかし、高額薬剤擁護の文脈で多数の人が支持していることが判明した「納税ロジック」によって1人当たり3000万円の財政支出が正当化されるのであれば、少子化対策もそれにならった規模感での財政支出拡大が認められるべきだろうということになるんじゃないかと。
少なくとも、理論上正当化される十分量を投与(少子化対策予算の確保)をしないうちに「効果がない」と断じるのは、早計な判断であると言えるでしょう。
ただ、ここで「そうは言っても少子化対策の予算規模はキムリアなどの薬剤の規模よりも大きすぎるのでは」という疑問があるかもしれません。
どうしてそうなるのか、よくわからないけど。
— papas akiha (@AkihaPapas) February 23, 2025
まあ、1回3000万の薬剤を使わないといけない人は年間250人程度を予定していたらしいので、日本の子供たちの中で250人だけが受けられるわけっすかね?
(。・ω・。) https://t.co/oG6xUxXkFs
たとえば、このように「1回3000万円という高額薬剤も適応となる患者の絶対数が少なかったから許容されたのである」という疑義ですね。だから少子化対策に同じ論理を使うにしても、同じく少人数対象までしか許されないぞと。
これは確かに理のある指摘ではあります。ただ、本稿の流れで言うと、この指摘がもはや「納税ロジック」のようなコスパ論の外部に出てしまっていることが重大な結果をもたらします。これを受け入れると同時に、この話題のそもそもの始まりである石破総理の主張も単純なコスパ論で退けることができなくなっちゃうんですね。
「少人数までなら許容される」という指摘は、つまり、「財政には拡大の限界があるからそれにあんまり影響しない規模でないとダメだ」という含意があります。実際、キムリアのような高額薬剤は適応となる患者数を意識されて保険適応になりますから、現実にはコスパだけでなく財政の限界も考慮されてるわけです。コスパが良いだけでは許されない、と。
ここで、改めて石破総理の発言を見てみましょう。
1月で1000万以上の医療費がかかるケースが10年間で7倍になってるということは、これは保険の財政から考えて、これ何とかしないと制度そのものが持ちません
これはすなわち「医療費が高額になってるケースが急増している(規模が拡大している)ので財政の限界がきている」と言っているわけです。あくまで「コスパがどうか」ではなくって、ただ「もう財政は限界だ」と言っているのが石破総理の立場なんですね。
確かにキムリアなどの個々の特定の薬剤単位で見れば対象者はそれぞれ少人数かもしれませんが、新たに追加で承認される薬剤や医療技術は他にも無数にあるし、今後も続々登場するわけで、それが総合されて大変な追加支出になってるというのが、石破総理の問題意識であると想像されるわけです。「積もり積もって絶対数が多いぞ」と総理は言っている。キムリアやオプジーボは分かりやすく高額な薬剤という意味で、(例示としてふさわしかったかはさておき)医療の高度化に伴う総合的な医療費増加現象を象徴する例として持ち出されたに過ぎないと考えるべきでしょう。
実際、津川友介先生の書籍『世界一わかりやすい「医療政策」の教科書』で「国の医療費増加の一番の原因は医療技術の進歩」とされてますし、康永秀生『経済学を知らずに医療ができるか!?』でも同様に医療技術の進歩が医療費拡大の原因であることを紹介されています。
医療の高度化が総じて医療費増加につながるとする見方は、異端どころか定説ですらあるんですね。
で、これに対して多くの人が「救えば将来の納税者になる」というコスパ論で石破総理を批判しているというのが先に見た展開なのですが、これは「高額医療もコスパが保たれていれば(少なくとも現時点での)財政限界は気にする必要が無い」と言ってるということになります。ならば、「少子化対策だって(少なくとも現時点での)財政限界は気にする必要が無い」ということになるのではないかと。なにせ、少子化対策で生まれた子どもたちも明らかに将来の納税者になるポテンシャルが高いわけですから。
従って、「1人3000万円相当の追加少子化対策は250人ぐらいまでの少人数規模に限るべきでは」という疑義に対しては、石破総理の「財政規模限界論」に批判的な「納税ロジック論」の立場からすると、「コスパがいいんだから(十分ペイするんだから)そんなの関係ねえ」ってことになるでしょう。
ここで、「それはおかしい、いくらコスパが良かろうと、財政限界に配慮して拡大規模は制限すべき」ってなるのであれば、「納税ロジック」の側に不足があるということになります。これはあくまで「納税ロジック」の前提に従って導いた結論でしかないのですから。
と言いつつ、正直なところ江草自身も「納税ロジック」には懐疑的ではあるんです。医療でも少子化対策でも「納税者を増やす」という目的は、あまり妥当な目的に思えないからです。
ただ、江草は少子化対策の予算拡大は積極的に為すべしと思ってる者でもありまして(財政規律もあんまり重視してない派)、こうやって「将来の納税者になるならそのための支出を惜しむべきでない」という世論が拡大しているなら、「ぜひとも少子化対策もその意気でガンガンに拡大しちゃいましょうよ」とせっかくだから申し上げたくなっちゃったという次第です。
以上、江草のふとつぶやいたポストの意図の解説でした。
ちなみに、今回のような医療資源の限界が関わる倫理的な議論については、こちらの書籍『誰の健康が優先されるのか——医療資源の倫理学』がオススメです。本稿で見てきたような「納税ロジック」に頼らないパターンでの、年齢に基づく医療優先順位の議論もなされています。
英語の原著側で第二版が出てるのが影響してるのか分かりませんが、この邦訳版は絶版ぽくってエラい価格表示になってます。。。
図書館などで見つけられたらぜひ。
いいなと思ったら応援しよう!
