ガチャガチャどんどん増殖してない?
子どもとお出かけしてる時に、最近感じるのは異様なまでのガチャガチャの数の多さです。
特におもちゃ屋やショッピングモールでのガチャガチャ勢力の拡大がすさまじくて、他の売り物を押しのけるように、そこかしこにガチャガチャが繁殖しています。
いやほんと、それぞれ内容物は違えど、外見上はうり二つのあの白い筐体がひたすらに縦横無尽に積み上がっているので、無性生殖で倍々ゲームで増えてるのかと思わせるほど、まさに「繁殖」と言うべき光景なのです。
これだけガチャガチャが置かれるということは、ともかくもそれだけの需要があるということなのでしょう。
需要があって、それを買う人がいる。お店も生存競争のため、スペースを有効活用しないといけない。
だからまあ仕方ない面もあるとは思うのですが、それでもちょっとここまでのガチャガチャ増殖は複雑な気持ちになってしまいます。
もちろん、確かに合法の範囲内の設計ではあるとはいえ、ガチャガチャは良くも悪くもギャンブル性が伴ってる商品ですよね。
お金を入れて、回して、何が出てくるかは開けてのお楽しみ。このドキドキワクワクが楽しいと言えば確かにその通りなのですけど、これはやっぱりある種のギャンブルなわけで。
このギャンブル性による射幸心煽りは、スマホゲーのガチャ依存で散々問題となってきたところではあるのに、リアルワールドでは堂々とガチャが増殖している。
確かに個別のギャンブル性の悪質さは往年のスマホゲーガチャに比べるとかなり良心的ではあるのかもしれませんが、それでもこれだけ圧倒的にガチャガチャが並べられると見た目の圧の暴力で押すスタイルになっただけのようにも感じます。
もちろん、世の中は自由社会なのでこういうのも含めて自由ではあるのですけど、やっぱり気になるのは、往々にしてこのガチャガチャが子どもが通るところに仕掛けられがちなことですね。
どうしたって子どもの目に入るし、どうしても興味をそそられるように配置されてしまっている。
この辺は実際のマーケティング戦略を知らないので真相はどうなのかは分からないのですが(おそらく真の購買層は大人メインな気はする)、ぶっちゃけこれらのガチャガチャジャングルは通りすがりの子どもたちが興味を引かれて親におねだりすることもひとつ狙ってるように思えてなりません。だいたい子どもの寄りそうなところには置いてありますからね。
江草は以前、レジ前などにこれ見よがしに置かれてる子ども目当てのお菓子の配置にも苦言を呈したことがありました。
ぶっちゃけ今回は、この延長線上の話でしかないのですけれど、ただ「これが欲しい」と希望してお金を払ってそれを買うという単純なショッピングともまた異なる、ギャンブル性や射幸心煽りを伴うガチャガチャの増殖には、またより一層の危機感を抱いてしまったのです。
もちろんね、昔から子どものための商品にはそこそこのギャンブル性はありました。くじ引き的なやつですね。「当たりが出たらもう一本」とか、プロ野球チップスやビックリマンチョコにレアなカードやシールが入ってるとか。もっと言うとトレーディングカードゲームとかもありますからね。
こういう楽しみが存在していることは悪いことではないですし、それを子どもが一切経験しないようにすべきとは言いません。クジは人類社会に不可欠な楽しい文化のひとつです。
ただ、それらの旧来の商品に比べても昨今のガチャガチャ旋風はあまりに数と圧がすごすぎるんですよね。まさに壁のように林立していて、これまでのクジ引き性を含んでいた商品と比べて存在感が圧倒的です。
どうしたって視界に入るあの配置。「ほらそこの君、ガチャガチャしようぜ」と、強力なまでに誘い込もうとしているとしか言いようがありません。
そして、ガチャガチャは決して安くもありません。内容のクオリティからすると明らかに高い。けれど、ギャンブル的射幸心や限定品による希少性を煽ることによって、その時その場でガチャらないといけない気持ちにさせてきます。
お祭りの商品の値段が高くて、子どもにねだられる親は血の涙を流してるという話題を最近見かけましたけれど、
なんならガチャガチャは常にお祭り値段とも言えます。
なので、結論は先ほど挙げた以前の記事と同じにはなってしまうのですが、そもそもからして「子育て罰」などと言われて、子どもを持つことの金銭負担の厳しさが問題になってる昨今にもかかわらず、育児のコストプッシュ性を悪化させる影響が強いと思われるガチャガチャをこれだけ野放図に増殖させて良いのかは、疑問には思ってしまいます。
まあ、江草は自由主義社会を尊んでいるので、これも自由主義社会の副作用で仕方がないとは理屈では理解はしてるのですが、ただの個人的主観的な意見として「さすがに最近ガチャガチャ多すぎるんじゃない?」と思ったという次第です。