「子どもの手が届かないところ」が足りてない
「子どもの手が届かないところに置いてください」
この注意書きが付されてる品は山ほどあります。もっと言うと、「子どもに触らせていいですよ」と堂々と示しているのは子ども用のおもちゃぐらいなもので(しかもそれさえ対象年齢をきびしめに指定している)、世の中基本的には「子どもに触らせるなよ」というオプトアウト形式になってるのが実際でしょう。
安全面からしてまあ仕方ないかと思いはします。確かに好きに触らせたら危ない代物だらけですからね。
しかし、子どもというのは皆様もご存知の通り大変に成長が著しいものであります。
背は伸びるし、手は伸ばせるし、ちょっとした段差や棚は登れるようになるし、なんならジャンプもする。
必然「手が届かないところ」というのは日に日に撤退戦を迫られることになります。「子どもの手が届くところに置いちゃいけないもの」は棚の二段目へ、三段目へと、上に上にと追われていきます。
実際、わが家のリビングに鎮座する無印良品製スタッキングシェルフを見つめてみると、今やもともとあった先住民的な品々は棚の天面に追いつめられぎゅうぎゅう詰めになっており、三段ある実際のシェルフ部分は全て子どものおもちゃ軍の占領下に入りました。だって手が届くんだもの。
地球温暖化で海水面が上がって住む場所を追われる島国の方々の気持ちが少し分かった気がしました。
もちろん、物を上に逃がすだけが選択肢ではありません。子どもの魔の手から逃れるために、危ないものを奥まった部屋やタンスやクローゼットにしまいこむのも定番の手法です。ただ、子どももさるもので、成長に従い、簡単なドアや扉はどんどん攻略されるようになります。
結果、わが家のあらゆるドアや棚は100円ショップで買った簡易ロックが常設されるようになり、キッチンもゲートで封鎖されるようになりました。おかげで、子どもの侵略をなんとか防いではいるものの、大人も「あ、ちょっとあれ要るな」と思うたびに何重ものロックを開けてからでないと目的の品にアクセスできないので、一苦労です。
だいたい何でもかんでも奥に押し込むとそれはそれでぎゅうぎゅう詰めになって、視認性がさがって「あれどこいった?」と探す羽目になりがちです。江草家ではこないだ爪切りが行方不明となって捜索願いが出されましたが、残念ながらいまだに見つかっていません(もし万一目撃された方がいらっしゃればご連絡をお願いします)。
それに、奥にしまいこむのも限度があります。ご存知の通り、タンスとかってかさばるんですよね。部屋のスペースを大きくとる。圧迫感がある。
さらに言えば、奥にしまいこむのが癖になると片づけをしなくなり、物が貯まりがちになります。断捨離をしようにも、「子どもの手が届かないところ」にしか置いちゃいけない物ばかりなので、子どもの目の前で物を広げて整理するのは推奨されてないことになります。強行しても、すぐに子どもに襲いかかられるのは目に見えていますし。
「子どもの手が届かないところ」を整理するための「子どもの手が届かないところ」がない。服を買いに行くための服がない状態。
実際、かの片付け女王こんまりさんでさえ、育児が始まってからというもの部屋の片付けをあきらめたんだとか。詰んでる。
そんなわけでまともな片付けができないので、結果、物をしまいこむ「子どもの手が届かないところ」を確保するために、収納を増やす。すると子どもの遊ぶスペースが狭くなる。そういうジレンマが生じます。広い家が欲しくなります。
そう、これ。
これが問題だと思うんですよね。少子化の要因として。
しばしば、既に子どもを持ってる世帯を少子化対策の政策で支援しても子どもが増えないというデータをもってして、子どもを持ってる世帯を支援しても意味がないと主張されます。つまり、既に二人子どもを持ってる世帯を支援しても三人目を産んでくれるわけじゃないから、効果が薄いというわけですね。
でも、思うのは、これって単純にもう家のキャパシティの限界に到達してるからって要素が強いんじゃないかってことです。シンプルに家に子どもをさらに一人増やせると感じられる余裕がないからあきらめてるところがあるんじゃないかと。
皆様ご存知の通り、家というのは大変にお高いものです。生半可な支援ではそう簡単に広くできません。だから、正直言って現行の少子化対策支援レベルの内容では家のスペースを拡充するには力不足です。だいたい、あのレベルの支援で「効果がない」と言われてもって話ですよね。
それに、たとえ多額の支援がなされたとしても不動産価格は青天井ですから、供給が限られていれば結局はその分価格が上がるだけになるのも目に見えています。最初から子育て世帯が十分に広く住める物件が潤沢に用意されてないと、価格上昇で支援増額分も吸収されて現状と住める家の広さはあまり変わらないなんてことにもなりかねません。
たとえば、タワーマンションなんかはステータスシンボルとされてますが、その実、別に部屋が特別広いわけでもありません。タワーマンションは大量に住居を供給するものではありつつも、各住居のスペースの拡大を意図しているわけではないのです。共働き家庭が増えたことで通勤の重要性が増し、「駅近である」「都心に近い」などの地理的な要因が「広さ」という居住環境の要因よりも優先されている現状の象徴的な住居と言えます。
だから、むしろ、通勤なりなんなりといった子育て以外の事情で、そういう広さ(狭さ)の家を子育て世帯が選択をせざるを得ないことが問題と言えるでしょう。
比較的住居の広さが確保しやすい郊外に住んでも仕事や通勤に悩まされないようにするか、あるいは駅近のような地理的に恵まれた場所であっても各子育て世帯が十分に広い家に住めるように、強力な金銭的支援、十分な広さの住居の供給および競争的不動産価格上昇の抑制をするか。
そういった何かしらの抜本的な方策が育児のための家庭内スペース確保のために望まれます。もちろん、言うは易しで、いざやろうとなるととても大変な施策になってしまうでしょう。ただ、子どもという新たな人間を受け入れるためには、それなりにスペースが必要なのも間違いのないところなのではないでしょうか。
そういう目線で見ると、何LDKもあるような広い家に住む独居高齢者が少なからずいるのはなんとも言えない気持ちになります。活発で広い行動範囲を求めている子どもたちが狭いマンションの一角に押し込められて、逆に身体が衰えて行動範囲が狭くなっている高齢者の方々が広い家(なんなら二階建てだったりもする)を持て余しているのです。
江草の肉親にもいるのですが、しかもそのせっかくの広い家も各部屋が物で埋まってるんですよね。ゴミ屋敷とまではいかないまでも、使いもしないみもしない物たちがホコリをかぶったまま部屋を占拠している。かたや子どものためのスペースを1平方メートルでも広く確保しようと、子育て世帯はギリギリまでローンの計算式をにらめつけてるというのに、目の前で何年も物がただ部屋を埋めているだけの家がある。この世の理不尽の象徴的な光景と言えるでしょう。
もっとも、独居高齢者の方々も好きでそういう状態に陥ったわけではないんだと思います。だいたいが「なかなか片付けられなくて……」と申し訳なさそうな顔をしています。
我々子育て世帯が断捨離をあきらめながら育児に奔走しているように、彼ら彼女らもかつては断捨離をあきらめながら私たちを育ててくれていた。結果、物が溜まっていって、ようやく子どもが巣立ったあとには、体力も気力も片付けのノウハウも習慣も欠いてしまっており、そのままになってしまっている。そんなところなのでしょう。そういう意味では、私たちの将来の姿を見ているだけとも言えます。
となると、やっぱり社会の将来のためにも大事なのは子育て世帯に断捨離をする余裕を与えることになるかと思われます。片付けのための十分な空間的時間的スペースを与えなければ、子どもは増えない上に、物ばかりが増え続けるのです。
だから、このままではきっと将来、片付けられず各部屋がただ物で埋まった狭い狭いタワーマンションだらけになることでしょう。そこではジェンガぐらいにしか人が通れる隙間がないかもしれません。もはやホーンテッドマンションより怖い話です。
というわけで、早く我々にキャパシティをください。「子どもの手の届かないところ」をください。お願いします。このままじゃもうそろそろ物を天井に貼り付けるしかなくなります。子どものための場所が……場所がないんや……。
以上、「子どもの手が届かないところ」の水面上昇にあっぷあっぷしているとある父親からのレポートでした。