ブックカタリスト『たいていのことは20時間で習得できる』回を聴いたよ
最近、追い切れてなかったのをちょっとキャッチアップしようと思って、Podcast番組「ブックカタリスト」の未聴回を立て続けに聴いてます。
その流れでこないだ聴いたのが、練習をテーマにした二冊を扱ったこの回。
もちろん、毎回安定のクオリティでこの回も面白かったのですが、この回で特に印象に残ったのがごりゅごさんの最後の方の語りです。
「20時間で色んなスキルやジャンルの入り口に立てるという意識が得られたら人生が豊かになった気がする」的な話。
いやあ、非常に良いなあと思っちゃいました。
番組を聴いてない方には補足が要ると思うのですけど、「20時間で習得できる」というのはもちろんそんな短時間でプロレベルになれるという意味ではなくって、そのジャンルやスキルの見通しがちょっとはついて、その後楽しめるようになるというぐらいのニュアンスです。「入門できた」という段階と考えたらいいかもしれません。なお、この20時間も座学の学習時間は含めずに、実際に実践してみる実練習時間のみでの20時間ということのよう。
番組でも例に出てた、自動車教習が例として分かりやすいかもしれませんね。本当に全く運転したことない人でも座学に加えて20時間前後の実習を経たら(検定試験は合格するとして)一般車道に出られるようになります。正確には20時間ではなく、仮免許までが約15時間、教習修了までが30時間強必要のようですけれど、おおよそ20時間前後とは言えましょう。もちろん、そんなの仮免許か初心者マークのレベルに過ぎないのですけれど、ともかくもそれぐらいの時間で「運転てこういう感じなんだ」という最初のとっかかりは掴めてるわけです。実際に、大多数の人がこの教習制度の実習時間で運転免許を取っているわけですから、確かに20時間という数字は信憑性があると言えます。
で、こういう風に最初は全然よく分からないものごとも「とりあえず20時間やってみたら見えてくる」って思えれば、色んな事にチャレンジ可能な気持ちになると。スポーツでもいいですし、楽器でもいいですし、絵や書道でもいいですけど、20時間取り組んでみる。すると、やっぱり人は全くの下手な段階から学ぶのが一番成長速度が早いので楽しいし、自分の人生で「できること」の種類が単純に増えることは自己効力感にもつながって、良いのではないかと、そういうお話でした。
話に出てた認知症予防につながるかどうかは、江草も医師ではありつつも専門外でちょっと分からないのですが、でもそういうこともあるかもしれないなと思わされます。
言うなれば「広く浅く」戦略でしょうか。個別に深掘りしていくことを否定しているわけではないですが、色んな物事に最低20時間ずつそうしてチャレンジしていく人生はとても楽しそうです。
もともと江草も、まさに『RANGE』という本が好きだったり、幅広く色んな物事に顔を突っ込むというのが性に合ってるのもあって、非常に刺さる回でした。
しかし、ここからは江草の私見ですけれど、こうした「色んな事にちょっとずつでも手を出してみる」ということの良さが、指摘されてようやく発見されるというのは、逆に言えば、「世の中はそうではない空気感が強い」ということを示してるようにも思われます。
すなわち「よそ見せず一つの物事に集中してずっと深くやり続けろ」という専門(プロフェッショナル)志向が世の中では優勢なのではないかと。
実際、仕事で重宝されるのも「その道のプロ」であって、第一人者と比較されると経験やスキルが中途半端な人材は需要も待遇も控えめになりがちです。
また、「あなたは何をしていますか?」と聞かれたとき「○○をしています」と自身の仕事(職種)を答えることが一般的ですが、それは「自分の専門」を答えてるのと同義です。ここでたとえば「○○をしたり△△をしたり××もしてます。今度は□□をします」などと答えると、「何をやってる人かサッパリ分からない」という怪訝な顔をされるでしょう。だから「これが私の専門です」と胸を張って答えられる分野があることは社会的評価にもつながっていると言えます。
こうした専門志向があるゆえに、世の中の少なくない人が自身のフィールド(職種や分野、業界)でプロレベルになれるよう、長い時間と労力を注いでそれ一つに集中的にフルコミットするキャリアプランを選んでいます。他のことに20時間使う暇があったら自分の専門に使うよと。
もちろん、ガチガチの専門家はやっぱり社会に必要ですし、それが性に合うという人もいるでしょうから、別にそれが悪いことというわけではありません。しかし、誰も彼もがことごとく一点集中型の専門志向になるのは、ちょっと危うい気はするんですよね。
専門家として深化することだけに集中してると、成長曲線はプラトーに近くなって、その成長の喜びが感じにくくなりますし、全く新しい物事に挑戦したり習得できる楽しみを得る機会も乏しくなります。
あと、あまりに一つの専門だけを強化しすぎると、人がその専門にしがみつくしかなくなるという側面も気になります。リスキリングやアンラーニングなどの「専門の解除」を促すような概念が昨今注目されるようになってきているのは、構造的失業の場面などで「自身の専門を降りることが求められてる時に人はそれがなかなかできない」という状況が問題になってるからこそではないでしょうか。これまで専門深化することばかり称揚されてきていたけれど、やっぱり時に専門から降りたり移ったりできる柔軟性も要るのではないかと、見直されてきてるわけです。
もちろん20時間だけの習得ではスキル的に十分ではないでしょうけれど、それでも別ジャンルのものごとを「習得できた」という経験が多い方が、こうした柔軟性の土台にはなるような気がします。
あと、超一流のプロみたいな人たちは、趣味もけっこうガンガンにやってる人が多いとも聞きますから、不思議なことではありますが、自身の専門を伸ばす上でも一見関係の無いジャンルの経験が活きることがありそうなんですね。一つの物事に集中するよりも「急がば回れ」というわけです。
そんなわけで、専門志向が強い今日この頃の世の中だからこそ、逆にあえて色んな物事に手を出す意識が重要になってきてるんじゃないかと思います。
今回のブックカタリスト番組は、そうした意識を高める触媒となる、とても良い回だったと思いました。
しかし、江草も20時間かけてなんか全然初めてのことをやってみようかなあ。絵心がカタストロフレベルで壊滅的なので、あえて絵を描いてみるとか……?