「情報の非対称性」「権威主義」「エクスペリエンス」のトリレンマ
寝かしつけ中に、うにゃうにゃっとウザ絡み的なポストをしてしまったので、今日はその勢いで関連した話を書こうかなと。
Xではいつものこととして、震源地や議論の全体像がさっぱり分かりにくいのですが、どうも産院で高そうな院内食を投稿したこちらのポストから炎が広がったよう。
(小声)がまさかの大声になってしまうのがSNS時代の恐ろしさ。
つまり、このポストに対して「豪華な食事が出るような産院は医療の質としては必ずしも高くないから危ないぞ」という方向でのネガティブな反応が多数寄せられ、そこからあちらこちらで議論が拡散していったという流れのようです。おそらく。
先ほども言ったように全体像が把握しようもないので、この産院豪華食事問題についてはとりあえず置いておきまして、この一件から抽出できる一般論的な話をふと思いついたので書いておこうと思います。
で、結局のところ、こうした医療の悩みは「情報の非対称性」「権威主義」「エクスペリエンス」という3つの要素によるトリレンマが背景にあるのではと。
医療界では「質」「コスト」「アクセス」の3要素によるトリレンマが有名ですが、内容は違えど構造としては同類です。
すなわち、「情報の非対称性」「権威主義」「エクスペリエンス」を全て同時に良い感じに処理するのは難しく、どれかは甘受しないといけないということですね。
一つ目の「情報の非対称性」というのは、医師と患者の間の知識量や情報に差がありすぎるために、医師による診療上の判断が適切かどうかを患者は判断できないという問題です。
医療経済系の解説では定番のお話で、これによって患者には分からないことを良いことに医師が勝手に不要な検査や治療を増やす「医師誘発需要」の問題が語られることになります(とはいえこの存在の有無は議論があります)。江草個人的には、別に「情報の非対称性」は言うほど医療に限った話ではないのに「医療の特徴」として強調されてるのはそれはそれで「医療特殊論」に偏ってるように感じてますが、その点は置いておきましょう。
とりあえず、「情報の非対称性」は良いことではないというのは業界の共通認識で、患者教育やリテラシー向上を狙った啓発活動の重要性は盛んに言われてます。
二つ目の「権威主義」というのはいわゆるパターナリズムですね。医師が偉いんだから患者はその判断に従っておくべきだという考え方です。
これ、それこそ「情報の非対称性」を背景にして医師を権威付けしているところがあるので全然互いに独立ではないのですが、たとえば先にも触れた有名な医療トリレンマにおいても「質が上がればコストがあがる」のように要素間で関連はしているわけですから、トリレンマにおいては互いの要素が独立してる必要はありません。
ここで、「情報の非対称性」は「両者の把握している情報や知識に差がある」という事実を表しているのに対し、「権威主義」は「医師の方が偉いんだぞ」というエモーショナルな上下感覚を表しているので、両者はあくまで似て非なるものではあります。
平等主義の思想が広まった昨今では、こうした「医師の方が偉いんだぞ」というヒエラルキー的な態度は忌避されるようになり、インフォームドコンセントはもちろんのことシェアードディシジョンメイキングなどと、患者参加の診療意思決定が重要視されるようになってきています。
三つ目の「エクスペリエンス」というのは、ちょうど件の産院の話題で焦点になったところですね。
たとえば「医療の質とアメニティの質は正相関しないのだ」という主張は、すなわちクオリティ(質)とエクスペリエンス(体験)はトレードオフになっているということを想起させるものです。
もちろん、「正相関しない」を「逆相関(トレードオフ)」とみなすのは論理的に見て本当は乱暴なのですが、豪華な食事を出してる産院に対して「どうせ質が悪いんだろう」という構えで多くの人が群がってるのを見れば、事実上、全体としては逆相関(トレードオフ)と扱ってるようなものではあるでしょう。
で、患者(今回の件では妊婦ですが)のエクスペリエンスが良いことにこしたことはないと皆思ってはいるでしょう。でも、色々とコストや医療上の制限もあってどうしてもエクスペリエンスの悪化をやむを得ず受け入れてもらわないといけないと。
そういう背景があるからこそ、今回の件も、エクスペリエンスの良さ(豪華な食事)を無邪気に喜んでる姿に「食事の豪華さではなく医療の質で施設を選ぶべき」と釘を刺したくなった人が多く生じたと、そういうことなのだと思われます。
しかし、まさにここなんですよね。
「エクスペリエンスの良さ」を喜んでる人に対して、「一般の妊婦さんには医療の質なんて分からないから」とか「エクスペリエンスが良い産院は医療の質は低い可能性があるよ」とか差し込んでくるのは、まさに「情報の非対称性」および「権威主義」の発現です。質が高い産院を妊婦に選ばせるために結局は「情報の非対称性」や「権威主義」の論理に頼っちゃってるわけですね。
すなわち、意識的にか無意識的にか「情報の非対称性」と「権威主義」を肯定する代わりに「エクスペリエンス」を否定してしまっていると。
これはもちろん「良い産院を選んで欲しい」という善意からの気持ちであることは承知してます。その気持ちを責めたいとは思いません。ただ、その反面、「エクスペリエンス」の要素は放棄してしまってる点には自覚的でありたいなと思うのです。
単純に美味しいご飯を食べられないからとか豪華なアメニティが付かないからとか、そういう直接的なエクスペリエンスの問題だけでなく、ここでは、この平等主義的な社会において権威主義を押しつけるという点での思想的エクスペリエンスの悪化も含みます。
業界として盛んに行われてる「正しい医療情報を伝えよう」という試みも、もちろん素晴らしいことではあるのですが、いかんせん「情報の非対称性」にのみ注目してるところが否めません。「正しい知識を得れば当然我々のような正統医療を患者は選ぶはずだ」という感覚の基に立っています。確かにそのような「情報の対称性」を前提に自ずと患者から選んでもらえる形に落ち着くならば、そこでは「権威によって強引に選ばせる」という形も不要になりますから、権威主義も緩和されます。
しかし、そもそも、医療知識の急速な拡大発展によって医療従事者でさえ最新知識に追いつけるか難しいという議論がなされてる時代に、患者さんや一般の方々を啓発することで「情報の非対称性」を解消することはかなり厳しい情勢と言えます。むしろ、勉強を通して「情報の非対称性」や「教える者-教えられる者関係」が強く意識され、医師の権威付けをさらに高める可能性さえあります。
※この辺の啓発活動と権威主義の危ない関係については過去記事でも書いたことがあります。
だからといって、啓発活動をするなとか、ダメだとか言ってるわけではありません。そうではなく、どうしても「情報の非対称性」が完全にはなくならないのであれば、そしてその上で「権威主義」も嫌うのであれば、啓発活動と同時に「エクスペリエンス」の向上にも目を向けるべきだろうということです。
医療の質を高めるための努力はもちろん重要です。ですが、ならばこそ、そのせっかくの質の高い医療を選んでもらうための努力も同時に重要であるはずです。その手段として「正しい知識の啓発」だけに頼るよりも、「エクスペリエンス」との二方面作戦である方が、より網羅的で効果的な作戦になるのではないでしょうか。
冒頭のポストにも書いたように、そもそも人は万事の情報を把握することはできませんから、ついつい心地いい情報ばかりを収集したり支持したりする確証バイアスに陥りがちです。自分がもともと「こっちがいいな」と思ってる選択肢に都合が良い情報や理屈を用意してしまう。これは、人類万人の宿痾と言ってもいい、強力なバイアスです。
この強敵に真っ向勝負を挑む(出来る限り全ての情報を知らせようとする)のも、王道だしカッコいいし間違いとは思いませんが、他方のそもそも最初から「こっちがいいな」と感覚的に思わせてしまうという方法、すなわちエクスペリエンスを向上させてしまうという方法も、真の目的(良い医療を受けてもらう)のためには必ずしも悪くないのではないでしょうか。
ご存じの通り、いわゆるエセ医療とかあこぎな自由診療とかは、正統医療のまさにこの「エクスペリエンスの穴」を突いてくるんですね。「何時間も待ったのに3分診療でたいして話も聞いてくれなかった」という不満を抱く患者に対して、彼らはとても優しく丁寧に傾聴してくれる。これがなんだかんだ強いのですね。
これを「奴らは患者を金づるだと思ってるから優しくしてるだけだ」とバカにするのは簡単ですが、質の良い医療を本気で広く提供したいのであれば、この弱点を放置するのは賢明ではないでしょう。
たとえば、こちらは海外の有名な科学YoutubeチャンネルのKurzgesagtによるホメオパシーを特集した動画です。
これ、ホメオパシーのエビデンスの乏しさを一通り説明しながらも、最後に正統医療に対する警鐘も鳴らしてるんですね。ホメオパシー医療の面談は非常に親身であるのに対し、正統医療はシステマティックに無機質になっており患者に疎外感を与えている。そこは逆にホメオパシー医療に見習うべきところだと。
そうなんです。たかがエクスペリエンス、されどエクスペリエンスなんです。
正しさに驕って「良薬口に苦しだ」「患者はお客様ではない」などと開き直るのではなく、良薬を少しでも甘くして飲んでもらうための努力もまた、良薬を作ることと同じぐらい重要なのではないでしょうか。
何もあのような豪華な食事を患者に出せとは言わないですけれど、患者のエクスペリエンスを向上させるための試みももっと注目されて欲しいなと思います。
もっとも、これ、現場の人たちに言ってるというよりも、そうした患者のエクスペリエンスの向上にインセンティブをつけない診療報酬制度等々の体制に対する苦言という側面が強いですけども。
実際、医療従事者を多忙に追い詰めて、寝不足などにしたら、そりゃ機嫌も悪くなって、患者さんへの対応も横柄になるでしょうから、働き方改革だって大事ですよね。患者のエクスペリエンスは、医療従事者のエクスペリエンスも関わってくるのです。
P.S. 書き終えてから「あ、やっぱりこれあんまりトリレンマぽくないな」と思い始めましたが、まあもう書いちゃったのでこのままGOします。思いつきの見切り発車はいかんですね笑。