子育てしてから初めて気づくこと
子どもが生まれて、子育てを担うようになってから初めて気づくことって多々ありますよね。
今回はその中でも特に子育てを体験しないと気づきにくいであろう「誤解」をいくつか取り上げてみます。
「赤ちゃんが泣いててもほっとけばいい」
いや無理やで。
江草も確かに昔はそう思ってたんですけど、無理なんすよ、これ。
赤ちゃんの泣き声って、周りの感覚的刺激に全く反応しないでいられるような既に悟りの境地に至ってる高僧でもなければかなりアテンションもぎ取られます。
泣いてる赤子のそばで人間が何でもできるというなら、世の中、図書館でも自習室でもカフェでもどこでも騒いでもいいはずでしょう。そうはなってないのは普通、人は周りからの大音量が来るような環境では集中できないし落ち着いて過ごせないからです。
特に我が子の泣き声というのは音量の面のみならず、精神に差し込んでくる質的な何かを有してます。生物として人類が進化してきた中で、子どもからのアラートを敏感に察知しないと生存に不利だったでしょうから、本能的に来るものがあるのは仕方がないところなんですね。
だから、赤ちゃんの泣き声というのは理屈ではなく体感に来るからどうしようもない類なのです。
「子どもが熱出ても寝かせとけばいい」
いや無理やで。
泣くし吐くし、脱水も避けないといけないですし。
受診だって求められます(あんまり医学的には要らないと思う時は少なくないのですが、社会的に求められがちで……)。
てか、だいたい自分ももれなく子どもから風邪をいただくので全然楽勝にはなり得ません。つまり、自分も体調不良な中で子供の看病をするわけです。まあキビしいですよね。
しかも予告なく突然かかるから、予定が一気に乱れますし。
熱が出ても寝かせとけばいいなんて、甘い話はないのです。
「子どもから常に目を離すな」
いや、無理やで。
人間が注視できる対象は同時に一つだけです。
子どもを見てたら当然ながら子どもしか見えないので、マジでなにも進みません。
多くの家庭では代わりに勝手に家事や仕事をしてくれる小人さんがいてくださってはないでしょうから、子どもを見ている間、料理や片付け等々、完全に止まったままになります。
外出中だって、本当に文字通り子どもだけ見てたら、周りが見えてないわけですから、逆に事故します。
しかも子どもが二人以上に増えたらもっと無理。やつら同時多発的に分散してクライシスを引き起こしてきますからね。もしも右目で上の子、左目で下の子を見続けることができたら、一応目を離さないでいることはできるかもしれませんが、そんなの人間業ではないでしょう。ってか、それ3人以上になったらどうするんって話ですよ。
もちろんね、目を離さないのはとても重要です。子どもというのは、ほんとに一瞬の隙をついて危険なことしてたりしますからね。でも、だからといって「常に目を離さない」というのは本格的に無理です。
子どもにまつわる事故とか事件とかが報道された時に、よく「目を離さないようにしましょう」というコメントが出るんですけれど、それができたら最初から苦労はない話なのです。こうしたコメントを聞いた時「んなこた、分かっとるわ!」って世の全育児担当者は思ってるはずです。
「子どもより仕事」
とまあ、上に挙げたように大変すぎる話が育児には盛りだくさんではあるのですが、それでもなお「子どもはかわいすぎる」から恐ろしい存在なんですね。
ある意味これが最大の「誤算」と言えるかもしれません。
これだけ手がかかるトラブルモンスターだと、普通に考えれば極力離れてしまいたくなりそうなものですが、やっぱり超絶かわいいわけです。
特に男性陣だと、「いくら子どもがかわいいといってもそれでも仕事優先の人生にしよう」と考えてる人は多いと思うんですね。
それが実際に子どもが生まれ、育て始めると、思いのほか、ぐらついてくるのです。
「いや、俺の人生、このめちゃんこかわいい存在と一緒に過ごさないでええんか、この子らと会わない代わりに仕事してていいんか」って想いが脳裏をよぎりまくるのです。
たとえば、育休期間を終えて、初めて子どもを保育園に登園させる時。一般的には「子どもがホームシックになって寂しくて泣いちゃう」みたいなイメージがあると思うんですけど、むしろ逆に親の方こそが子どもと離れちゃうことに後ろ髪を引かれる想いを抱いてたりするんですね。
もちろん、この感覚は人によりけりで、かなり個人差があるものと思います。「仕事なんかを子どもより優先するな」と押しつけてるわけでもありません。
ただ、最終的にどういうワークライフバランスの設計を選ぶにしても、思った以上に子どもがかわいすぎてビビるというのは、多くの方にとってやっぱり子育てをしてみてから初めて実感する感覚なのではないかと思います。
大変すぎるけど、かわいすぎる。
いやはやほんと、子どもとは実に恐るべき存在です。