目的外利用はおやめください
子どもと遊んでいると、その想像力の豊かさに驚かされます。
大人からするとリモコンはテレビを操作するための装置ですが、子どもからすると積んだりぶつけたり放り投げたりする長い板状のおもちゃでしかありません。
あるいはキーボードも大人からするとパソコンに文字を入力するための措置ですが、子どもからすると落書き帳になります。現に江草の持っていたAnker製の白色のキーボードはクレヨンの無数の線で彩られ大変にカラフルでモダンな芸術作品に変貌しました(シクシク)。
まだまだ若い彼ら彼女らが知る由もないので当然と言えば当然ですが、子どもたちは物事の本来の目的にとらわれずに自由な発想で向き合っているわけです。
ただ、子どものその自由な発想に驚かされるのは実に楽しい体験ながら、同時に、保護者目線からするとそうした目的外利用は思わぬ危険が起こり得るので大変にヒヤヒヤする場面でもあります。あまりに自由な発想すぎて、大人の危険想定を超えてくるんですよね。
そういう意味では目的外利用は怖い側面もあります。
実際、世の中の商品や施設でも「目的外利用はおやめください」的な注意をしばしば目にしますし、なんなら増えてきてる印象さえあります。
もともとの想定と異なる利用方法をされると、事故の責任も取れないですし、器具の損耗や他の人の利用の妨げにもなりますから、当然と言えば当然です。
だから、「目的外利用の禁止」の意図や意義は理解できるんです。
しかし、そうした「目的外利用の禁止」があらゆるところで強まる社会というのは、逆に言うと子どもたちがしているような自由な発想の発露を抑圧する社会でもあるのでしょう。
よくよく見てみれば、大人の社会でもあえて建前上の目的を掲げておいて、本来の狙いは他にあるという物事は少なからず存在しています。
たとえば、「飲みに行こうぜ!」と他人を飲み会に誘う文句。言葉上は「飲み」が目的のはずですが、真の目的は飲みながら一緒に会話をして盛り上がることでしょう。もちろん、お酒自体を楽しみたいという目的も存在はしているでしょうから必ずしも嘘ではありません。ただ、純粋にお酒が飲みたいだけなら自分一人でも可能なわけですし、実のところお酒が主目的ではないのは明らかです。建前の目的「酒」を強調し、「親睦を深めたい」という真の目的をあえて言葉にしないことで人を誘いやすく、誘われやすくしている、そうした人間関係の機微がここに隠れてるんですね。
同僚や親友を誘う時の「飲みに行こうぜ!」ではそこまで重大な隠し要素ではないですが、たとえば意中のあの子を誘う時の「ご飯でも行かない?」は、「ご飯」が主目的であるかのように言葉上はしておきながら「仲良くなりたい」が真の隠された目的なのは明らかでしょう。
直接的に「仲良くなりたい」という真の目的をあからさまに表明してしまうと、人の心というのはなかなかに繊細なもので、実に重たく感じられてしまうんですよね。あくまで「ご飯に行くため」だよという建前で合意した方が、かえってお互いに真の目的「仲良くなりたい」に到達しやすくなるという逆説的なメカニズムがあるわけです。
直接的な目的表明でなく婉曲的にサブ目的で合意する方がスムーズに行く人間心理についての考察も色々とできると思うのですが、話が脱線しすぎるのでそこはここでは深追いしないことにしておきます。
ともかくも、飲み会や食事の誘いなど、明言された言葉上の目的を逸脱した「目的外利用」を隠された真の目的としている活動が大人の世界でも案外存在しているということがひとまずここで言いたかったことになります。
ところが、現在の世の中は子どもに対してのみならず大人に対しても目的外利用の制限が強まってる世の中になってきてるんですね。
たとえば会社での「飲みニケーション」。先ほども述べたようにこれこそ社員同士での親睦を深めるのが公然の目的ではあります。しかしそれよりももっともっと根本段階の目的たる「会社は仕事をするための場所」という名目があるために「なんで仕事上の人間関係で飲みに行かなきゃいけないんだ?」という目的外利用禁止ロジックが優勢になってきています。会社は仕事をするのが目的のコミュニティなのだから飲み会みたいな目的外利用はやめましょう、というわけです。
なにせ、たいていの職場の飲み会は労働時間外に行われますから「仕事のため」という本来の目的に沿ってると主張するのは難しい。だから、なんなら「仕事のためと言うなら飲み会も労働時間として認定して残業代を出せ」とそんな言い分も出てくるわけです。
あるいは、同様に職場内での恋愛も御法度となってきています。かつては職場内で「相手を探す」が当たり前の時代があったようですが、最近では「仕事の関係」に恋愛のようなプライベートな要素を持ち込むのは忌避されるようになってきている印象があります。
ここまでなんとなく「目的外利用」の方に同情的な雰囲気で記述してきちゃいましたが、必ずしもそういうわけではありません。むしろこれらの事例については「目的外利用禁止」に理があると思っています。
なぜなら、職場での「飲みニケーション」も「恋愛」も、それが目的外利用として目的をはっきりさせなくていい非公式活動であるのをいいことに、それを悪用したパワハラやセクハラが横行した経緯があるからです。
子どもが危険な目的外利用をしでかした場所や遊具が自ずと出入り禁止・使用禁止になるように、危険で悪質な行為が横行しがちな「職場の目的外利用」も禁止になる動きが出るのは自然なことではあるでしょう。
ただ、悪用を防ぐために「目的外利用」を禁止にすること自体は理解できるにしても、それは同時に「目的外利用」の隠された効能を失うことにもなるわけです。江草としてはこのジレンマについてもう少し注目したいんですね。
先ほど、飲み会やご飯のお誘いの例を出したように、建前の目的を触媒にして人同士が仲良くなるという場面は社会には多々あります。学校だってそうです。学校は「勉強をする」という目的の場所ですが、そこで知り合った者たちと生涯の親友になることだって珍しくありません。しかし、これも言ってしまえばちょっとした目的外利用です。しかも、授業という学校の主目的にかなった場面よりも、部活動や休憩時間といった合目的的でない場面の方でこそ、人は親交を深めるということも要注目です。
だから、大人において多くの社会生活時間を占める職場において目的外利用を徹底的に禁止される時、人間関係の醸造がどうしても妨げられてくることになります。
もちろん、現時点で完全に禁止されてるわけではありませんし、各自が慎重に丁寧に誠実にその方法を模索している結果として、職場内で仲良しになる関係は今でも次々と生まれているでしょう。
ところが、それでも、徐々に見えない圧として「目的外利用禁止」の文化が広がった一つの結果として、孤独な社会人が増えてるのではないでしょうか。人間関係の摩擦係数がほんの少し増えただけだとしても、社会全体というマクロな視点で見れば大きな影響を与えることはありえるはずです。
つまり、社会人が「仕事をするため」の時間ばかりに染め上げられた結果、その目的外にあたる人間関係の醸造の機会がなく、静かに人々が孤独に陥り始めている、そんな風に感じているわけです。
実際、社会人の孤独が社会問題として特集されるようになったり、政府が調査に乗り出すなどされています。公衆衛生学分野的にも孤独は健康に対してマイナス要因となることも指摘されています。
必ずしもこれらがただちに「目的外利用の禁止」が元凶にあると断定できるわけではありませんが、私たちの人間関係のほとんどが目的外の場面で生まれ培われてきたことを考えると、無視はできない要素なんじゃないかなと思うわけです。
非婚率の上昇と恋愛経験が無い方々が世の中で増えたことに対して、社会的に打ち出されてる対策も、この問題を象徴するものです。その対策というのは皆様もご存知の通り、マッチングアプリや街コン、結婚相談所などの隆盛です。今や、自治体も身を乗り出してカップル作りを後押ししようとしている時代です。
これらの策、効果がないとは言わないまでも、十分な成果が達成できてるかと言えば疑問が残るところでしょう。マッチングの場では、結局、年齢や年収などのカタログスペックに基づくヒエラルキー競争にもなってるという話も聞きますし、皆が想像する「人同士が自然と仲良くなるプロセス」とどうしても異なるぎこちないものになってる現実があるようです。
これは、おそらく、マッチングや結婚相談所というのがまさに「恋愛や結婚をしてくださいね」と堂々と銘打たれている場、つまり正式に「恋愛や結婚のため」の合目的的な場として設計されているがために、私たちが自然とイメージする「目的外利用から生じる偶発的な人間関係」とは別種のものとなっているからではないでしょうか。
もし「目的外利用の抑圧」が社会的に孤独が増幅されたことの隠された要因だとすれば、それを「合目的的な場」の設置でゴリ押しして解消しようとするのは、なかなかに矛盾に満ちた話とも言えます。
つまるところ、目的というのは事前に定まる性質を持つ以上、必ず予定的であり、偶発的なイベントを防いでしまいます。
たとえばブレインストーミングという企業等でもポピュラーな手法は「偶発的なアイディアを出す」というのが目的ですが、案外うまくいかないらしいんですね。「仕事上の利益」という大きな目的のために「目的外(予定外)のものを生み出そう」という小さな目的を掲げるというのは、結局あまりに合目的的すぎて十分に目的外ゾーンに侵入できないからなのでしょう。
「良いアイディアを出すぞー」と意気込んで机に向かってる時は全然アイディアが出ないけれど、散歩してたりシャワーを浴びてたり洗い物をしている時(目的から解放されてる時)にこそむしろふんだんにアイディアが湧いて出てくるのとも似ていますね。
だから江草としては社会にはもうちょっと「目的外利用の余地」が必要なんじゃないかと思うんです。いえ、もっと正確にニュアンスを伝えるならば、「余地」というより「抜け穴」が近いかもしれません。「余地」だと
「目的様」が特別に許してやってるスペースという感じが出ちゃうので。そうではなくって、もっと「目的様」の目が行き届いておらず、その支配に縛られてない場所。だから「抜け穴」です。
個々人にとっても、人間関係の培地としても「目的外利用の抜け穴」がきっと必要なんです。
どうやって社会に「目的外利用の抜け穴」を設置するか。非常に難題ですが、少なくともそれは仕事においては難しいように思います。仕事の場というのは、あまりに「お金を稼ぐ」「利益を出す」「顧客の効用」などの目的の支配力が強いフィールドに成り果ててしまったので。
合目的意識が強くなってしまった仕事というフィールドに、人々を長時間置いているなら、そりゃ目的外の偶発的な人間関係は生まれにくくなるはずです。すなわち人々が孤独になっていくわけです。
だから、変な話、大人にも仕事を離れた「部活動」をする時間を与えるべきなんじゃないかと思うんですよね。学校だって学業が本分でありつつも、生徒たちに学業だけに専念させずに部活動をすることを当たり前のように許容してるじゃないですか。
同様に、今の仕事中心社会だってたとえ皆が仕事が本分であることを変えないにしても、その上で、学校での部活動のように仕事と直接的に関係ない活動をする時間を与えるのはアリなんじゃないかと、そんな想像をするんですね。
もっとも、これも「社会における《目的外利用》の拡張のために大人も部活動的な活動をしましょう」と言うと、結局まるっきり「目的」に縛られてる言い方になってしまってるので、なんとも矛盾しちゃってるのですが。
というわけで、ダラダラと書いてきましたが、いかがだったでしょうか。
「この記事で何が言いたかったのか分からない」と感じた方もいらっしゃるかもしれませんね。
それはごく自然なご感想です。しかし「何が言いたかったのか」という発想こそがまさしく「目的」意識に縛られてる好例ではないでしょうか。
実を言うと、江草自身、全然何を結論に持ってくるか決めずに本稿を書き始めちゃったんです。漠然としたこういう話をしようかなというアイディアはあったものの、もうほんとあやふやで主張の形にもなっていませんでした。
目的意識があったとすれば、それはふと思いついたタイトルの「目的外利用はおやめください」が気に入ったので「このタイトルでなんか書きたい」という目的です。その程度の目的しかなかったので、全く「こういうことが言いたい」という目的もなくただ思いつくままに論考して出来上がったのが本稿ということになります。
だから「何が言いたかったのか分からない」というのは、至極当然のご感想になるわけです。江草自身、出来上がった本稿を見て「これは何が言われたことになるんだろう」と今さら首を捻ってるぐらいです。
でも、こういうのこそ面白いと思うんですよね。
目的に縛られずに自由に書き上げて、執筆者自身が完成品に驚く。これぞ「目的から解放されたフィールド」の醍醐味です。
もともと想定した目的ではありませんでしたが、結果としてそんな「目的外利用」の味わいの一端がお伝えできたなら幸いです。
なお、本稿はお気づきの方はお気づきの通り國分功一郎氏の書籍『目的への抵抗』にインスパイアされております。ただ、わりと好き勝手にオリジナルに論考してる感じですので、あんまり内容としては國分氏の主旨と近そうで近くないかも。
ところで、「育休期間中に副業したり自己研鑽したりするな」というのも、この社会における「目的外利用の抑制文化」の典型例だなあと思います。事例として本稿のどこかに挿れようかと思ってましたが、ちょうど良い場所が思いつかなかったので、余談的に最後に書いておきます。
いや、この「育休期間中に副業したり自己研鑽したりするな」、確かに正論ではあるのですが、こうしたことの積み重ねで社会の中の「目的外利用の禁止」を徹底させた時に、気付かぬうちに塞いでしまってる人間性の経穴はやっぱりあるように思われます。
あんまり本稿のような「目的論」の方向性ではないのですが、この育休中の副業・自己研鑽の是非の議論について過去に語った記事がありますので、ご参考まで。
また、本稿は人間関係や孤独についてフォーカスを置きましたが、「労働時間内は仕事をせよ」という合目的的な圧力は、仕事時間内の自己研鑽を徹底的に排除する現象ももたらしています。
それに対する批判を述べた記事も過去に書いてます。
江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。