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論文主査の教員さえいればどこの大学院でもいいのか?

大学院受験に際し「〇〇大学にもその分野の先生はいる(だからその研究科でもよいのではないか)」みたいな話をよく聞きます。
研究科自体で4人以上ぐらい同分野の教員がいると、切り口の異なる授業を受けられますし、論文も主査だけではなく副査も充実してすぐれた研究が可能です。

こんなnoteを上げるに至ったのは、YouTubeにコメントした内容に「適合する教員が1人いればその方が論文主査になるからそれでよいのでは?」というリプライがあったからです。
その方を非難する意図は毛頭ございません。私の見解を述べるヒントとなったので感謝しております。

研究したい直接の分野の先生が研究科に1人というのは大変危険です。もし入学して相性が合わなかったら? 先生が急病を起こしたら? 
たしかに、敢えて粗野な言い方をすれば修士「ごとき」は、隣接分野の先生でも一定の指導は可能でしょうし、その域にすら達せる修士生というのはなかなかいないものです。単に学位だけがほしいだけなら当該分野の教員より審査基準も甘くなりがちですし、ラッキーという捉え方もできるかもしれません。
しかし、真剣に研究がしたい、博士後期課程を前提にしているなどのことがあれば、その道を断たれかねない危機となります。なにより、同分野の複数の教員から薫陶を受けることで、複眼的な研究思考が育つ成長の機会を逸してしまいます。教員数が少ないということは同じ道を志す学生数も少ない傾向にあります。

研究レベルが日本トップレベルの大学院に通われている方はご存じないでしょうが、そうではない大学院で何が起きているのか。まず、学部ではそこそこの名門大学でも大学院では定員割れが常態化しています。選抜されていないわけですから、学生の質も推して知るべしです。
特に残念なのは、経営系や政策系の非資格系夜間大学院みたいなところで、学士しか持っていない実務家教員が、自らの体験談を肴に雑談し、適当に授業を切り上げます。そして毎回飲みに行くのです。「授業後の情報交換会という名の異業種飲み会が当大学院の本質である!」みたいなことを在学生が体験記で堂々と載せてしまう残念な大学院の多いこと多いこと。
もしも純粋に研究したくて、当該ディシプリンの教員がこういう先生しかいない大学院に行ってしまったら・・・? もう救いようがありませんね。

バッファーを考えながら大学院選びをしましょう。

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