自民党の「道徳革命」について
共産党の党綱領に「暴力革命」が存在するのか否かが問題となっていて、それを発言した人が形ばかりの謝罪をするとか、閣議決定にあるとかいろんな言い訳が出てきて、政権やそれに近い人たちが懸命に共産党を「タリバンのような悪の組織」であると刷り込もうとしているのがよくわかる。少なくとも暴力革命を目指すような連中は「新左翼」としてテロ活動を起こし、連合赤軍のような形で最後は自滅して行ったし、あの連中は今の共産党の執行部とは何の関係もない。たぶん共産党は「暴力革命」とはもっとも遠いところに立つ政党だろう。宮本顕治がリンチを加えて特高のスパイを殺したのはもうはるか昔のことである。(この件に関してもデマだと主張する共産党の熱烈な支持者がいるが、そこまで行くともう新興宗教のレベルなのでオレは相手にしない。)
革命と言えば、安倍晋三政権の中で進行していったことの一つが「道徳革命」だと思っている。昔の政治家は森友事件のようなスキャンダルが起きればいさぎよく辞任した。「桜を見る会」にしても、前夜祭での供応があったことはもう隠しようのない事実であり、それを領収書を出さないとか秘書が勝手にやったとか安倍晋三が往生際が悪く粘ってるだけで、「実はやってました。すみません」と言えないのは、森友学園関連で「関与していれば辞める」と大嘘のみえを切ったものだから、忖度して官僚が公文書を改ざんするようなことになったのである。政治家が公然と嘘をついてそれを恥ずかしいとも思わせない雰囲気が世の中に溢れた・・・これが「道徳革命」である。
昔は「悪いことをしてもバレなければよい」「もしもバレたらその時は正直に罪を認める」というのが政治家の道徳意識で、月30万で芸者を囲っていたから総理を辞任したオッサンもいた。スキャンダルがあればそれが致命傷になったのである。
しかし安倍晋三という厚顔無恥そのものの下品な総理大臣のせいでそうした価値観はどこかに吹っ飛んでしまった。これをオレは「道徳革命」と呼びたい。
上が腐れば下まで腐る。悪いことがバレてもごまかして正当化しようとしたり、あるいは嘘をついて開き直ったりするということが常態化したのである。加計学園が文部科学大臣の下村に200万円献金した件とか、河井夫妻の買収事件の資金1億5000万円がおそらく自民党本部から出ていた件とか、明白な不道徳や不正がそこに存在するのに誰も責任もとらないし、まるで自分とは全く無関係な問題のようにふるまう。
交通事故で人を死なせても責任を認めない上級国民がいれば、首相側近が起こした性犯罪をもみ消した刑事部長が警察庁長官にまで出世する。悪が悪のままでどんどん出世していく今の状況はまさに「道徳革命」なのである。「清く正しく美しく」なんて価値観に縛られて行動するのは馬鹿で、ゼニのため出世のために悪いことをしていても「みんなやってるからOK」とそれが容認される世の中になったのだ。
これはオレのようなまっとうな人間にはとても居心地の悪いことだが、世間の多数派を占める悪人たちにとってはまことに都合がいい。世間にモンスタークレーマーやモンスターペアレントが増えたこと、公共物を盗んで売り飛ばす小悪党が増えたこともすべてそうした世相を反映しているのだろう。
昔は悪いことをしている人間には必ず悪事をしているという自覚と後ろめたさがあったし、だからこそ罰を受けるときは潔くそれを受け入れたのだ。今は全く違うのである。悪事なのにやってる本人は悪であるという認識が欠けていて、それを悪だと指摘すると目が泳いだ挙句に別の嘘でごまかそうとする。あるいは開き直る。そして指摘した人間を「オレはあいつにデマを流された」と攻撃し、時にはヤクザを使ったり、金で雇ったサクラを使ってSNS上で黙らせようとしたりする。
そうした道徳革命が、安倍晋三をはじめとする自民党の界隈や、維新の会という反社会的組織の中で起きているのである。この価値観の大転換はもはや革命と呼ぶしかない。オレのようなまっとうな人間が正義感を振りかざしてももうどうにもならない状況が起きているのである。
この道徳革命は子どもたちにどういう影響を与えるのだろうか。自民党や維新の会の議員の中には「道徳教育」を声高に叫ぶ者たちもいる。道徳を守れない連中の説く道徳教育というのは悪い冗談にしか思えないのだが、道徳革命はそれを笑えないレベルでもう進行中なのである。
森友学園問題を追及された安倍晋三は、平成29年2月17日、
「いずれにいたしましても、繰り返して申し上げますが、私も妻も一切、この認可にもあるいは国有地の払い下げにも関係ないわけでありまして(中略)私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい。」
と衆議院予算委員会で宣言した。この日に日本の道徳革命は始まったのである。
今も革命は進行中である。
モノ書きになることを目指して40年・・・・ いつのまにか老人と呼ばれるようになってしまいました。