【宮崎IT】「スパークジャパン株式会社」岡田社長の破天荒な経歴をインタビュー 学生時代編
こんにちは。エクサコードの清水です。
本日は、「スパークジャパン株式会社」の岡田社長にお話をお聞きしました。
現在は宮崎県のIT業界を引っ張る岡田社長ですが、その経歴は何とも型破り。それだけで、映画が一本撮れてしまいそう。
同級生にいたらちょっと怖いような、でもとっても楽しいような。
そんな岡田社長の大学生活から、今の大学生へのメッセージまで、ぜひご覧ください。
01.原点は眼鏡屋さん
中学校から高校にかけてバブルがはじけたという岡田社長。
しかし、当時は学生だったこともあり、日本全国を襲った経済の荒波を実感することはなかったようです。
一方で、常に岡田社長の目に映っていたのは、個人で眼鏡屋を営む、お父様の背中でした。
「父親はね、年間360日くらい働いてたと思うとよね。だから、『大人ってすごいなー』という感じで育ってきた。」
そんなお父様とのやり取りの中で、岡田社長の原点になっているような、特に興味深いエピソードを聞くことが出来ました。
「眼鏡を買ってもらうわけやけど、お客さんから代金をいただいて『ありがとうございます』って言う。そしたら、お客さんが『わーすごい、見えるようになった。ありがとうございます。』って言う。お互いありがとうございます、みたいなやり取りが、自分の原点の中に根強くあるのかなー。」
お金を払う・受け取る、両者のどちらかが偉いわけではない。お互いに敬意をこめて生活することが当たり前であり、それが今の事業にも結び付いているそうです。
02.夢破れて…転機は「車検」
そうして中学・高校を卒業した岡田さんですが、本来はパイロットの夢を持っていたようです。しかし、航空大学校への入学には、大学に2年以上通っていることが条件でした。その条件を満たすため、岡田さんは宮崎大学に入学します。
2年間の大学生活を経て。航空大学校の試験を受けますが、結果は不合格。あての無くなった岡田さんが目を付けたのが、車の”車検”でした。
「あの車検を受けるのに、整備工場に相談したら、14万円くらいて言われて、なかなか払えんなって思って。だから、ちょっと好きで、車とかバイク詳しかったもんやから、自分でやってみたら、5万8000円ぐらいで車検が通ったとよね。」
この、車検を自分で行える技術と知識が、岡田社長のビジネスの種となります。
「それを友達に自慢してたら、俺のもやって、私のもやってってなって。これって、『世の中のためになるんだー』と思って。2万円くらい手数料をいただいてやってた。そうするとお客さんは、世の中よりも安く車検を受けられる、僕は知識と時間をお金に換えられる。これは一つの商売だなって。」
このwin-winの関係は、まさに岡田社長の原点である、眼鏡屋さんで見たビジネスモデルだったのではないでしょうか。
この車検ビジネスは、当時の岡田社長の行動力とアイデアに支えられて、思わぬ広がりを見せます。車検の整備のために車検場(現在の宮崎運輸支局)に通っていた岡田社長と、車検場の方で、ある日、こんな会話が行われます。
車検場の人:(工場に)毎日来られますけど、業者さんですか?
大学生の岡田社長:まあ、そんなもんです
車検場の人:じゃあ、これ(企業登録の書類)書いてください
大学生の岡田社長:・・・(あれ、名前どうしよう)
これが、岡田社長初の会社である「オカダオート」誕生の瞬間でした。
その後、税務署にも開業届を提出し、その場で考えた会社を、本当に形にしてしまったそうです。
本当に”0”からビジネスを作っていった大学生活に、驚きを隠せません。
03.挫折
その後、車検代行を起点に様々なビジネスにのりだします。250人規模の学生ダンスパーティーを執り行ったり、トラックの運転手をしたり。
特に大きいのは、中古車を安く買って、改良し、売るという、「中古車販売ビジネス」でした。
しかし、資格の取得や、取引のやり方など、様々なハードルが立ちふさがりました。人脈を駆使して、先輩から教えを請い、何とか店舗を構えることができました。
中古車販売やその他の業務も軌道に乗り、時には月に100万円ほどが手元に残ることもあったそうです。
しかし、朝から晩まで働き続ける生活に嫌気がさし、何とか楽して稼ぎたいと考えた岡田社長が、次に手を出したのが先物取引でした。
【先物取引】 あるものの将来の取引の価格を、現時点の価格で購入することを約束する取引のこと。
「仕組みがよくわからないのうちに、進められるまんまいろいろやってたらね、アッという間に1年くらいで、400~500万くらい損してしまって。」
そこから、岡田社長は、自分のビジネス観に疑問を持ち始めます。
「そこ(先物投資)に手を出したらね、今日入れた金額がいくらになったのかが気になって気になって。『そういえば車を磨いてないな、最近…』みたいな。」
「400~500万を投じて、なんとか借金を作らずにそこから足を洗うことができたっちゃけど。ただ、車屋さんをやる気力もなくなっててね。結局俺はお金儲けがしたかったのかなって。お客さんに喜んでもらうよりも、金・金・金…みたいになってたのかなって、自己嫌悪になって。」
こうして岡田社長は、二束三文で車を売り払い、車屋さんをたたんでしまったそうです。
ちなみにこの時、岡田社長は「量子力学Ⅱ」の単位が取れず、5回目の大学生活を送ることになります。
04.あとがき
今のところITの文字が全く出てきませんが、当時はインターネットはまだまだ一般に普及していませんでした。
岡田さんがインターネットに出会い、現在の「スパークジャパン株式会社」を創設するお話は、後編で書きたいと思います。
お話が濃密すぎたので、前・後編の二本立てにしています。
後編には、岡田社長からのメッセージもあります。
興味のある方は、ぜひよんでみてください。
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