生活に困窮する社員からの訴え ~経営は社会的情動と論理の合わせ技であり、抽象度の低い情動は排除する~
(思い出したことがあったので、ハワイの解剖実習からいったん離れます。結果的にはつながりますが。)
実際にあった事例をお話します。
古参の社員で、社長とも旧知の仲だった人に対して、減給しました。理由は単純で、能力もパフォーマンスも見合っていなかったから。その後、本人は頑張って仕事をしましたが、まだ能力とパフォーマンスが元の給与には見合っていない。
その社員から、評価面談の際に「生活が困窮しています。それもあって思考がネガティブになりがちなんです。今回、頑張ったので給与は戻りますか?」と聞かれたことがあります。
実際に困窮しているし、仕事でもネガティブな情動が発生し、十分なパフォーマンスが出ていない原因となっています。
なんて答えますか?
実際に給与の決定は、会社の人事制度によるので(例えば、期待重視かどうか、など)、そこは横に置いておいて、今回のお話は経営における情動のお話です。
社長と旧知の仲であり、生活の困窮を訴えられたり、実際のパフォーマンスに影響が出ていて、面談した社長は情動に引きずられそうになりました。
ですが、経営としてはこういった情動に引きずられたら負けです。
企業とは、社会や、顧客に価値を提供することで利益を得るというのが本質です。従業員からは直接的な利益は生まれません。従業員は価値を創出するための手段です。メンバーから利益を得る集団は、会費制の一般社団法人、オンラインサロンなどです。
経営は「社会や顧客にこういった価値を届けたい!この価値を届ければ、社会がよくなるんだ!顧客がよりよくなるんだ!」という考えによってなりたちます。それをDr.苫米地が社会的情動と呼んでいます。
情動はあっていいわけです。
(情動:ここでは強い感情、と定義しましょう)
高い視座、広い視野、長期的な展望から、誰かに何かをしたい、という気持ちと、社会、顧客に価値を提供し利益を得るという本質をかけあわせたものが、MissionやVisionとなります。
だから、社会的情動。
社員に報いたい、という気持ちは分かります。でも、利益が出ていない会社は報いることができません。また、一人の従業員の情動(生活の困窮、ネガティブな状態、旧知の仲)に引っ張られて、経営をすれば、人事制度上の不整合や、他の社員への不誠実さ、不平等へ発展します。
経営における社会的情動は、高い視座、広い視野、長期的な展望という点から、とても抽象度が高いものです。抽象度の高い「誰かのための感情」です。
しかし、一人の従業員の情動は、この社会的情動から比較すれば、抽象度の低い情動となります。
そして、抽象度の低い情動にひきずられるとIQが落ちます。IQが落ちる、というのは前頭前野の活動が下がると言うことです。これは人間の脳の仕組みからすでに結論が出ています。
では、どうすればいいのか?
抽象度の社会的情動を使い、ゴールに集中し、地に足を付けます。(嗚呼、ここで前回のブログとつながりました。足裏(足底)は大事ですね。)
但し、うまくいかないと、その情動によってたまったストレスや澱(おり)のようなものが身体に溜まったり、下手をすると社員の情動が経営者の身体に憑りつきます。
実際に、会社を変革した際に、古参の社員や、新しい会社の方向性に付いていけそうもなく不安になっている社員が社長に憑りついた例を見てきました。それを私は呪いと呼びます。
本当に身体が重たくなるのです。足を引っ張るのです。情動的に貼り付くのです。
ちなみに、最も困難なのは知性をもった呪いです。情動がベースにあるのに、一見合理的なことを言ってきたりします。知性があるから、憑りつく場所も見事です。表面的には見えないところに入っていくのです。
大殿筋とか表層についた呪いはまだいい。梨状筋の起始部とかに逃げ込んで憑りついた呪いは知識がないと取れないことも多いのです。呪い自身も進化をしていくので、ヒーラー、気功師自身も学び続けなければなりません。ここでも解剖学が役に立ちますね。