役割論に逃げるな。階層性を認めよ。~とあるティール組織の「太陽神」~

「階層じゃなくて、役割だよね。」
という言葉を聞くことがあります。

「うちの会社はフラットで風通しがいい。この文化を守りたい。管理職と部下とか、そういう固い関係性とか、上下じゃなくて、それぞれマネジメント(リーダー)とメンバーっていう役割だよね」

いい話じゃないですか、うんうん。
美しいですよね。
人は平等。私もそう思います。

でもね、企業はそれでいいんでしょうか?

人間は平等だと思います。
社長の命とメンバーの命、どちらが重いですか?と聞かれたら、同じ重さです、と答えます。

命としても人としても誰しもが平等です。
でも、会社には階層性が必要になる時があります。というか、ほとんどの組織に階層性は必要です。

先に階層性が必要ない場合を述べておきます。
5~6人ぐらいまでのチーム(共通の目的をもって協働する集団)で、全員が「大人」且つプロフェッショナルであれば、階層性が必要ない時があります。
厳密に言えばリーダーが入れ替わるので、階層性が柔軟と言った方が良いのかもしれません。
米軍では、5人ぐらいの専門家が集まったチームであれば、適宜リーダーが変わります。
今は通信傍受、今は攻撃、今は医療、というように、戦況に合わせてリーダーが変わるのです。

しかし、「大人ではない人」がいて、プロフェッショナル度にばらつきがあれば、階層性は必要になります。

これは以前の記事で述べています。

成人発達理論:大人かどうか
リーダーの必要性:未来を描き、率先し、責任を取る人が必要
仕事の階層性:規模が大きくなれば階層が必要になる

https://note.com/ex_consulting/n/n2dae6ba06fa7

冒頭に書いたのが↑これです。

役割論に逃げるのは簡単です。
何故ならば、それはみんなが反論しにくいからです。
正論は思考停止しがちです。
正論は気持ちよくなりがちです。

リーダーやマネジャーにとっても、「自分の方が上」という覚悟が必要になるし、そのように立ち振る舞わなければならない本人達(もしくは候補者たち)がプレッシャーから役割論に逃げがちな時もあります。

でもね、パラドックス的な言い方になりますが、人には役割があるのです。
組織には、リーダー、マネジャーなど、人に指示をして、管理して、評価して、責任をもって成果を導く役割が必要であり、その役割を担うべき人がいるのです。
それがあなただったら、引き受けた方がいいのです。

とある、ティール組織だと標榜し、界隈でも有名な組織がありまして、そのCHROのセミナーに出たことがあります。
そのCHROがポロっといった言葉が、「(社長は)太陽神」です。
(※実際には社長と言う肩書ではないですが分かりやすくしておきます。)
その社長は、戦略を描き、組織も人事も設計し、メンバーはその設計図の中で仕事をしています。明らかに社長が上なのです。階層性の頂点にいて、メンバーの動きをコントロールしているのです。
そのCHROはこうも言っていました。「社長に聞いたことがあるんですよね。社長がいなくなったら、どうなるんでしょうね?この組織は持つんでしょうか?と。そしたら、『どうなるだろうね~』と言われましたw」と。
私は、この組織は確かにティール組織だと思います。メンバーが一丸となって理想に向かって、自律自走で働いている良い組織でしょう。
でも、その組織を設計した「神」がいるのです。
そして、「神」は必要なのです。

この組織にも階層性はあります。
CHROは「役割」だと言っていましたが、私から見たら立派な階層性でした。
でも、徹底的に設計され、役割と表現できるまでの明確なジョブ定義があり、自律自走を促す組織文化があるのも確かです。

ちなみに、「上」という漢字は「うえ」とも「かみ」とも読みます。
偶然でしょうか?

ということで、役割論に安易に逃げてませんか?