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物理的に声が大きい人間の独り言
私は、よく声が通ると言われる。実際に目立つ声らしく、他の人の声は聞こえないのに私の声は聞こえると言われたり店員さんを呼び止めることに困ったこともない。学生時代に行った劇の録画を見た時に他の人と同じくらいのトーンで話していたつもりだったものが、1人だけマイクをつけているような音量に聞こえたことも思い出深いものである。ことさら腹から声を出す意識をしているわけでも、ボイストレーニングを行ったわけでもない。ナチュラルボーンな大声なのである。
このナチュラルボーンに周りに響く大きな声の人間はまま身近に存在しているのではないだろうか。あまり大きな声を出さない方がいい時に大きな声を出されてしまってびっくりしたり、内緒話なのに普通のトーンで話してしまったりするのではないだろうか。それとなく、小さくするように伝えても、伝わっていないのか声が小さくならないと思う人もいるのではないだろうか。あくまでも私見であるが、その人たちも、ちゃんと声は落としているつもりなのである。たしかに、ちゃんと、しっかりと。
なぜ声を落としているのに、普通の大きさなのか、それはそもそもの声が大きいからだ。例えば、普通の声の人の声の大きさを10とした時、小さい声を5で出すとする。もし、大きな声の人の声の大きさが20の場合、5落としても15だし、半分にしても10なのだ。ナチュラルボーンに声が大きいからこそ、ちゃんと声の大きさを小さくしても普通の人の声の大きさにしかならないのだ。私が小声で話す時、それはほぼ音を出してはいない。息9、声1くらいにして初めて他人にはコソコソ話のように聞こえるらしい。個人的にはこれ以上対策出来はしないというレベルに抑えてやっと他人とこそこそ話ができるのだ。
そしてナチュラルボーンに声が大きな人間は笑い声も大きい。普通の人が10で話して15で笑うとすれば、20の人間は30で笑ってしまうのだ。これはなかなか厄介で、仕事中のちょっとした会話で笑ってもふざけているととられてしまったり、雑談が多いと糾弾されてしまったりもする。他の人と普通に会話していても、なんとなくマイナスになってしまうことも多いのだ。これはなかなか厄介なことで、本人は割としんどい思いをしていることも多い。
声の大きさというものは、割と本人は無自覚なことが多い。特に周りから指摘されてこなかった人は尚更であるし、声のコントロールが本格的に必要になるのは社会人からである。周りと同じようにコントロールしていると思っても、周りとは全く違う音量になってしまっているということにはなかなか気が付きにくい。なぜなら、そのままの音量で話しているようにも聞こえるのでただ声の大きさに気を使えない人間としか捉えてもらえていない可能性があるからである。録音でもされない限り、自分の声の本当の大きさというものは自覚しにくいものである。
物理的に声が大きいということは、あまり現代社会ではあまり役に立ちにくい。なぜなら、周りにたくさんの人がいて、話す人間の範囲を的確に把握して喋る必要があるからである。大声を出して誰かを呼び止めるということはほとんどなく、適度な声のコントロールを行なって生きていくことが当たり前になっている。もし、身近で大切な人の声が大きくて、ちょっと気になるという人がいたら、できれば声の大きさを指摘してあげて欲しい。本人はきっとコントロールできているつもりなのだ。そして普通の人と同じコントロールをしているつもりなのだ。ただ、水道で例えればとても水圧の強い水道を使っていて、他の人のように適度に絞めても大量の水が出てくるようなものなのだ。だから、状況に合わせてもっと絞めるべき時は閉めるべきだと伝えてもらえなければ気が付かないことが多いのだ。
私はこの声の大きさで、よかったこともたくさんあったが、ちょっとめんどうなことになったことも同じくらい多い。声が大きいことは一般的にいいことだと言われるが、本人的には声が大きいことすら無自覚である場合が多いので、できればもっと早めにコントロールも下手であることを自覚して練習したかったということも本音である。いいもわるいも紙一重。できればこの声の大きさが役に立つ環境で仕事がしたいものである。