誰だこんな主語の大きなタイトルをつけたのは。間違いなく私なのであるが、思わず怖気付くレベルの適用範囲の大きな言葉である。むしろ悪魔の証明が必要なレベルである。大きな主語には気をつけなければいけない。主語は常に自分だけにしておくほうが良い。自分の考えはあくまでも自分の考えなのだから。 話を戻そう。上記のタイトルは、私がお風呂に入らなければと思いつつぐずぐずしている時に、なんとか腰を浮かすために思い浮かべる言葉なのである。お風呂に入ること自体は嫌いではない。むしろ湯船に浸か
また、選挙の期間が始まった。駅前や繁華街の前が何やら騒がしくなり、SNSの話題が変わる期間である。私はいつも早々に期日前投票を済ませてしまうので、いつも選挙期間が早く終わるといいのにと感じてしまう。しかし、日頃は政治に興味がない人にとっては大事な期間なんだろうとも考える。 私は投票するためにできる限り無駄な時間を使いたくないので基本的に期日前投票にしか参加したことはない。期日前であれば投票待ちの長い列に並ぶ必要がないからである。私がまだ幼少の頃は選挙は当開票日に行くこと
夫の好物はコロッケだ 私だってコロッケが大好きだ しかし、コロッケはとても作るのが面倒な料理だ 例えば私の作り方はこうである じゃがいもとにんじん適度な大きさに切る 鍋に湯を沸かして茹でる にんじんを出して小さめの銀杏切りにする じゃがいもは鍋の水分が切れるまで煮詰める 水分が十分抜けたら、潰す 玉ねぎをみじん切りにする ミンチ肉と一緒に炒める 胡椒や塩で味をつける じゃがいもににんじんとミンチ肉と玉ねぎを加え混ぜる さらに味を整える 適度な量を分けて 小麦粉と卵を混ぜた物
YouTubeでたまに断捨離が好きな人の動画を見る どんなふうに断捨離するか 物を減らしていくかを自分に合わせて参考にする 断捨離の方はよくいう ウタマロクリーナーがあれば 家中の掃除が事足りると 実際、さまざまな用途に使える ウタマロクリーナー 油汚れも、水垢も、壁の汚れも落とせる 手肌に優しいのもありがたい だけれど、我が家の頑固汚れはなかなか落ちない 強力クリーナーでなんとか落ちた そこでふと考えた きっとYouTubeの断捨離の方は ウタマロクリーナーで事足り
雨が好きかと聞かれたら、それは好きだと答えるけれど、長雨はやっぱり好きじゃない 雨の日はできれば休みの日がいい 雨の日専用の服を着て、お気に入りの傘を刺して、多少濡れてもいい靴を履いて できれば、水溜りには足を入れたい 長靴を履いて、水溜りに足を入れた時のあのうっすらとした圧迫感が好きだ レインシューズがおしゃれになってとても嬉しい 家に帰ってそのままお風呂に入れるならば、いっそずぶ濡れになってもいい けど、大事な服を着ているときは勘弁して欲しい 特に、本革のものを身に
こどもが起きている時や授乳時はなるべく声掛けをしようと、たいていの育児書には書かれている。しかし、まだまだ宇宙語にも満たないこどもに一方的に声掛けをし続けるのはなかなか難しいものがある。そう言った時に最適なのが歌を歌うことである。口の動きをつけつつ、リズムで楽しくさせることもできる。歌さえ歌っておけばネタを探さずともこどもに声掛けをし続けることができるのである。 こどもが新生児の時にそのことに気が付き、早速歌おうとしたときに、とある問題が私を襲った。童謡のリズムは記憶し
私は、産休に入ったタイミングから意図的にニュース番組やニュースサイトを見ないようにしている。なぜなら、私は共感性と想像力が高すぎるため、ニュース内容によってはうまく寝付けないような思いをすることも多いからである。ひどい事件が発生した際などは、被害者や被害者家族の心情はもとより、加害者の家族などの今後についても考えてしまい、むやみに思い悩んでしまうこともあったりした。ホルモンバランスの崩れやすい、産前産後においてこういったニュースから積極的に距離をとることは私の心身のバランス
子供は日々成長していく。生まれたばかりの時の写真と見比べると、その大きさは歴然としている。赤ちゃんなんてそんなものなのだろうが、それを超えてうちのこどもは大きいと思う。何せ、いま三か月に満たないのに70サイズのロンパースがぴったりなのだから。 一般的に70サイズは生後半年程度のこどものサイズだ。各種子供服メーカーが贈答用の子供服のサイズ表にそのように出しているし、母子手帳の成長曲線的にも70サイズは生後半年の平均サイズである。しかし、うちのこどもはすでに70サイズの服を
母親が徹夜をして手袋を編む童謡を初めて聞いたときは、そんなことをしてくれる親もいるのだなあと思った。手芸を楽しむようになってからは、一晩で手袋を編み上げるとはなんと手芸能力のある母親だと思った。今は、童謡が生まれた時代は小さな手袋を購入することが大変だったから作るしかなかったのだろうな、昼間はほかの家事や育児があるからできないのだろうな、と思った。小さくてかわいい手袋が手軽に買える時代に子育てができてとてもありがたい話である。 先日、こどもようのミトンを作った。新生児の
私のこどもはかわいい。誰が何と言おうと世界一だ。 起きている時に虚空も見つめながら「ああ、ああ」という声も、抱っこを求めて泣く声も、せいいっぱい腕を伸ばしながら、笑いかける姿もすべてかわいい。ちょっと都合が悪い時に泣かれてしまうと、焦ったり、もうちょっとだけ何とかならないものかと思ったりするけれど、手を止めて抱っこしてすぐに泣き止むとどうしようもない愛おしさがあふれてくるのだ。 何をしたって泣き止まない時もある。けれど、生きて頑張って何かを伝えようとしている、むずがゆさを
実家にいたとき、ほぼ災害への備えというものを行っていなかった。災害が警告されていた地域ではなかったし、田舎ということもあって平素から備蓄はできている状態であったし、何より身近ではなかった。しかし、実家にいるときに災害は起きた。幸い、ライフラインにも家にも大きな損害はなく、むしろ、被災してしまった親戚を実家に招き入れる、といった状態であった。被災地には組み込まれていて、被災状況は身近にあったが、自分自身には全く問題を感じなかった、そんな災害体験であった。 相変わらず、実家
こどもが昼寝をしてくれた。うまい具合に家事も進んで、ぽっかりと余暇時間ができた。やりたかったことはあったはずなのに、何をしたかったのか思い出せず、横になってスマホをいじっていたらこどもが泣き始めた。休めたような気がせずに、またこどもの相手をしながらやらなければいけないことが浮かんできて、うまくいかないという気持ちになる。そんな日常を過ごすことがなんとなくしんどくなっていくときもある。 毎日通勤して、以前よりは早くなったといってもそこまで早く帰宅するわけではない夫。育児は当
最寄り駅まで車で20分かかる田舎から、ターミナル駅といえる駅まで20分で行けるような関東圏に引っ越して数年がたった。都会の利便性にもだいぶ慣れてきて、それなりに都会人に擬態できないこともない状態になってきたような気がしている。そんな私がお上りしたての貧乏時代、一番しんどいと感じたことは、都会の駅前の豊かさであった。 私の住んでいた田舎は、文字通り車社会であった。唯一の公共交通機関であるバスは一時間に1本という少なさで病院通いの高齢者か通学の高校生くらいしか利用しない。1
こどもを産んで3か月が経過しようとしている。妊娠期間を含めれば、もう一年以上お酒を飲めていない。もともとそんなに多く飲むほうでもなかったが、制限されればほしくなるというのが人情である。 お酒以外でも妊娠から出産までいろいろな制限があった。まず、妊娠中はうつ伏せで寝ることができなかった。うつぶせ寝はこどもを圧迫するし、そもそも苦しくてできなかった。うつぶせになりながら、本を読むことが好きだった私にとっては、これはかなり大きな制限であった。いまはうつぶせ寝ができるようになったが
子育てを始めてはや二か月。ありがたいことに育休を取得できる立場なので、家事育児以外の業務を行わない状態をあと数か月は継続できる。そんな生活もだいぶ慣れてきた。 この生活はほとんど育児を中心に回すことになる。なぜなら、乳児の行動を事前予測することもできないし、泣けば対応しなければならないし、放置していれば大きな問題が起きてしまう可能性があるからである。それをうまく認識できていなかった時期は、時刻に合わせて行動をとろうとしてしまい、家事が後手に回ってしまっていた。新生児期の
予定日をあと1週間ほどに控えた健診の日、医者からはおそらく予定日は超えるので予定日の週を超えたら、入院して促進剤などを飲んでいくことになるだろうと伝えられた。初産はほとんど予定日より遅くなることがほとんどだと夫も周囲から聞いていたらしく、そんなものだろうと思って過ごしていた。あんまり遅れてもなぁ、という気持ちもあったし、これからしばらく外食もできないだろうからと、ジンクスの意味も含め焼肉を食べに行った。美味しく食べて、ゆっくりお風呂に入り、寝入ったその早朝、破水することにな