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虫恐怖症の謎解き

 私はひどい虫恐怖症だ。飲食店でコバエがたかってきたら身体が飛び上がるぐらいのパニックに陥る。飛び上がる私を見て目を丸くする人もいた。
 家にいても気が休まりきらない。ついつい、部屋に虫が侵入していないか気になって、あたりを見渡してしまう。そういうときは心臓のあたりがかなりこわばっている。
 虫を見かけると「いつ自分の身体に飛びついてきたら?」という恐怖が胸の内を駆け巡り、気が狂いそうになる。その虫に何とか殺虫剤をかけたとしても、今度は死体を見て全身が粟だち、悪寒と軽い吐き気が押し寄せてくる。こういう虫恐怖症に、15年ぐらいは悩んでいたと思う。
 この恐怖症にはいくつか特徴があった。

・屋外で虫に出会う場合は平気。
・そばに身近な人がいる場合も、あまりパニックにならない。
・虫の写真や動画も大丈夫。
・1人の時で、虫が屋内か玄関口にいるときのパニックが1番酷い。

人がいる場合はともかく、屋外で虫に出会っても平気なのはどういうことだろう?長年そんな疑問を抱いていた。最近になってこの疑問が解けてきたので、記録する。

 結論から言うと、私の虫恐怖症は対人恐怖と繋がっていたのだ。

「死」と「水」が重なって恐怖症にいたったある患者の例

 虫恐怖症の解説をする前に、ある水恐怖症の患者の例を説明しておきたい。
患者の名前はジェーン。花瓶の水でも怖がるほどの水恐怖症だ。彼女は恐怖を克服するため、催眠療法の大家ミルトン・エリクソンのもとを訪れる。
この治療のプロセスが面白い。意味不明な発言を繰り返して患者を混乱させたり、患者に記憶を遡らせて、子供の頃の患者を呼び出し、その"子供になった"彼女と会話したりとかなりアクロバティックなのだが、今回は彼女の恐怖症発症の経緯だけ述べる。詳しくは以下の書籍を参照願いたい。

ミルトン・エリクソンの二月の男(金剛出版HPより)
https://www.kongoshuppan.co.jp/book/b514697.html

 ジェーンは末の妹ができてから親に顧みられなくなった。まだ幼く、寂しい思いをするジェーン。不満を溜めていた矢先、誤って妹の命を危険に晒す事故を2件起こしてしまう。うち1件は妹を桶の水の中に落としてしまった…というもので、死にかけた妹の青い顔が脳裏に焼きついてしまった。更に悲しいことに、この件で親からは妹を殺そうとしていると誤解されてしまった。これをきっかけに、ジェーンの中で、妹の「死」と「水」が強烈に記憶される。
 その後も水にまつわる悲しい思い出、怖い思い出が積み重なり、彼女の中で「水」と「死」のイメージがさらに強く結びついていった。大人になるにつれ、彼女は1つ1つのエピソードは忘れてしまったものの、水自体を恐れ、避けるようになってしまった。
 上の本ではこのように、何かショックな出来事と、その場にあったものが結びついていき恐怖症に至る経緯が述べられている。

虫恐怖症の成り立ち 

 私はこの本の読書会に参加していた。みんなで読み進めて上の経緯が明らかになるにつれ、自然と自分のケースにも意識が向いた。

「私も、同じような出来事の積み重ねで虫が怖くなっていったんじゃないか?」

1人の時に記憶を辿り、思い出したことをノートに書き起こしたり、読書会で打ち明けてみた。
その結果、やはり私もジェーンと似た経過を辿っていたとわかった。

・3歳ごろ 母方の実家でギンヤンマのホバリングに遭遇
ヤンマは座ってた私の目の前でホバリングし続けていて、私は呆然としてたらしい。記憶にはないのだが、母からそう聞かされた記憶を思い出した。

・5歳ごろ 祖父が亡くなる
まだ小さいうちに、とっても慕っていた祖父が亡くなってしまった。遺体を見て、愕然として涙も出なかったのを思い出した。
死も火葬もまだ上手く理解できない歳だった。親戚が「お爺ちゃんは明日燃やすんだよ」と、今思えば火葬のことを子供にも分かるように教えてくれたのだが、幼かったので「大好きなおじいちゃんが燃やされてしまう、何者かに奪われてしまう」という風に捉えてしまい、「可愛がってくれる人は奪われる。自分はもう永遠に孤独なんだ」と、火葬場の前で絶望してしまった。この後しばらく、寝る前に髑髏のイメージが出てきて悩んでた。いつか私もお母さんも死ぬ、と密かに泣いていた。
この絶望を、当時誰にも話せなかったのが手痛かったと思う。

・5歳ごろ 祖父の家で毒蛾の幼虫が大発生
祖父が亡くなった後もう一度祖父の家(伯父が相続した)へ遊びに行ったのだが、この時軒先から庭、出入り口まで毒蛾の幼虫、毛虫が大量発生していた。
「触れば毒にやられる」と親戚や母から警告されて、「毒にやられれば死ぬ」と怖くなった。死んだ祖父の顔を思い出し、死ぬ恐ろしさが深まった。
虫から守ってくれる祖父はもういないし、この頃は幼稚園で男の子からもいじめられていたので、「この世は恐ろしいところで、誰も自分を守らない」という確信が強くなってしまった。

・7歳〜12歳 小学校で虐めをうける
この時期が本当に大変だった。男の子からは殴られかけたり、「死ねブス」などと嘲笑われるのが日常だった。特にまずい同級生が1人いて、彼からは男性器を見せつけられたり、授業中にズボンを引き摺り下ろされたりもした。
仲良くしてくれる男の子もいたので、分かりやすい男性嫌悪には向かわなかったのが幸い。ただし一連の事件で男性の裸に嫌悪感を抱くようになってしまい、恋愛がほぼ出来なくなったが、読書会が進むまで完全に無自覚だった。
女性からも同じように殴られたり突き飛ばされたり、聞こえるように侮辱されたり、あからさまに疎外されていた。私は対話を諦め、教室で俯いてじっとしてる時間を多くとっていた。
あまり大人達もあてにならず、この頃の私にとって「この世は恐ろしいところで、誰も自分を守らない」は全くの現実であった。

・11歳ごろ〜 ゴキブリや暴れるセミに遭遇
文面だけだとよくあることなのだが、こういうことがあると父母は「お前ばかりがいつも攻撃される」「虫はお前にばかり近づいてくる」と笑ってるのが常だった。彼らにはあまり、人に気を遣ったりいたわるという習慣がなかった。
「人にも攻撃されるし、虫にも攻撃される。誰も私を助けない。私の人生はそんなものだ。私は1人でいるしかない。」
知らないうちに、私の中でそんな世界観が組み上がっていった。

特徴の意味

ここまで思い出したところで、虫恐怖症の特徴を振り返ると、こういうことだったのかなと感じた。

・外で虫に出会った場合はパニックにならない。
・パニックに陥るのは、虫が屋内もしくは玄関口にいるとき。
→外が平気なのは自分のテリトリーの「外」だから。
玄関口は私の精神世界の入口。私がいる屋内は精神世界そのもの。
「誰にも立ち入られたくない」「一人で安らかに過ごしていたい」と感じると同時に、
「また恐ろしいモノに攻撃された」と感じて、パニックになる。

・そばに別の人がいる場合もパニックにならない。
→「一人じゃない」から。

・虫の写真や動画も大丈夫。
→「襲ってこない」から。

わかってからどうなったか?

面白いことに、「2月の男」の患者と同じで、虫の恐怖が少しずつ減っていった。
まずコバエが平気になった。人付き合いでも、この人にはもう少し内心を打ち明けてみようとか、会議中にもう少し発言してみようとかいう勇気が少しだけ湧くようになっていった。
そうして、「話してよかった」と感じる経験が積み重なっていって、あの子供の頃の恐ろしい思い出は、過去のものだと実感できるようになってきた。
そうすると、家に入ってくる蜘蛛も平気になった。
祖父を亡くした悲しみを数ヶ月かけて味わって、人に話していくうちに、セミも、玄関前で暴れない分には平気になった。
恋愛はまだ抵抗があるし、カメムシとか、蛾もまだきついけど笑

怖いものの正体

「断絶した自分史」ではないかと思う。
私は「2月の男」の症例を読み進めるまで、祖父の死にまつわる思い出も、男子からの性的暴行も、女子からの疎外も、両親の発言も、完全に忘れていた。
蓋をしてたと言った方がいい。
蓋をしてたということは、語られなかったということ。
語られなかったということは、自分の歴史に編み込まれなかったということ。
特にその出来事に直面した時の感情ー私の場合は、怒り、悲しみ、絶望、やるせなさ、孤独ー
が語られなかったのが、まずいのだ。
思い出したくないから蓋をするが、出来事も感情も消えるわけじゃない。形を変えて出てくる。
それが私の場合、虫恐怖症だったのだ。

自分1人だけで出来事の奥を見るのは非常に難しい。でも、ヒントや契機はあるんじゃないかと思う。私にとって「2月の男」の読者会がそうだったように。

いつかあなたの断絶した自分史が、歴史として統合されますように。



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