South Penguin「gadja (Takuro Okada Remix)」 から考える”ルーツミュージシャン"としての岡田拓郎:岡田拓郎『Morning Sun』論(2)
岡田拓郎の『Morning Sun』について書くまえに、「gadja (Takuro Okada Remix)」について考えてみたい。バンド South Penguinの曲「gadja feat. Dos Monos」を岡田がリミックスした本曲は、South Penguinのボーカル akatsuka の呻き声ともとれるボーカルと反復するビートが特徴的だ。あたかも akatsuka がこのビートの反復という檻から逃げ出したいという欲望が滲み出ている声。しかし、それと同時に彼の声は反復するビートにつられ、それじたいが反復に取り込まれる。
「gadja」にはさまざまなバージョンがある。環ROY によるバージョンもあったり、Dos Monos の没 a.k.a. NGS と OGGYWEST による「クレイジーラブ」(akatsukaとの3人でやっているポッドキャストの名前)リミックスもあったりする。そして、岡田拓郎によるリミックスだ。
「gadja」とダダ
「gadja」というタイトル、そして akatsuka が唱える「uli zimzalla zalla loo…」といった意味不明な歌詞は、少し調べればフーゴ・バルというドイツの詩人の『Gadji beri bimba』という詩からの引用であることがわかる。この詩の一部を引用する。
ドイツ語がさほどわからない人でもこれがドイツ語で書かれた詩ではないことはすぐにわかるだろう。バルはこの詩を「サウンド・ポエトリー(音の詩)」と位置付け、このサウンド・ポエトリーによって彼はダダにおける重要な詩人となった。第一次世界大戦前後に巻き起こった芸術運動であるダダは既成の秩序や価値観を退け、それに対抗する芸術を生み出した。バルの詩において拒否されているのは「意味」という価値観であり、それに対して持ち出されるのが「音」だ。彼はサウンド・ポエトリーを別の言い方で「言葉のない韻文」と表現する。ドイツ語でも何語でもないこの詩はもはや意味をもつ言葉を扱ってはおらず、ただ音と韻がそこにある。
音楽の知識がある人なら、この詩を参照している曲がほかにもあることはご存知かもしれない。トーキング・ヘッズの「I Zimbra」という曲の歌詞もこの詩を引用している。よく聴いてみると、「I Zimbra」と「gadja (Takuro Okada Remix)」のイントロはパーカッションのビートが似ていることに気がつくだろう。トーキング・ヘッズにポスト・パンクやファンク、アフリカの音楽を持ち込んだブライアン・イーノがプロデューサー/作詞家/演奏家としてこの曲に参加していることを考えれば、アフロビーツを彷彿とさせるパーカッションには納得がいく。
Dos Monosの「コンシャスなナンセンス」
音と韻を前景化させたバルの詩を引用した「gadja」という曲がDos Monosをフィーチャリングしていることも合点がいく。反復するビートに韻を踏んだラップを乗せる。とくにこの曲における彼らのラップは意味が通らない場合が多い。
韻が多用され、それが流れるようにビートに乗る。その反面、文と文のあいだに意味は通らない。だが、Dos Monosはラップの音にも意味にも重要性を与えようとする。
i-Dのインタビューにそう答えた荘子itは吉田雅史の言葉を借りれば、「コンシャスとナンセンスの間を志向する言葉」を吐き出す。「メタな視点とナンセンスを愛し/クールとみせてフールに」振る舞うDos Monosのラップは、それを聴いている人との意味の齟齬を飛び越え、録音される音と意味にすべてを賭ける。意味を文字通り録音することはできないが、意味のこもった音を録音することはできる。コンシャスな意味をナンセンスな音の連なりに重ねる。
ハウスミュージックとしての「gadja (Takuro Okada Remix)」
akatsukaが歌う「言葉のない韻文」とDos Monosの「コンシャスなナンセンス」のラップ。それを両方取り除き、かわりにakatsukaの新たなボーカルを加えた「gadja (Takuro Okada Remix with akatsuka)」、そしてそれをも取り除いた「gadja (Takuro Okada Remix without akatsuka)」にはもはやなにが残っているのだろうか。アフロビーツを彷彿とさせるパーカッション、テンポのよいリズム、そして曲を支配する一貫した、原曲を踏襲したベースライン。問題は「なぜ岡田拓郎がこのリミックスをしたのか」ということだ。ハウスをやっているDJが「gadja」のリミックスをするのであれば理解できるのだが、あの岡田拓郎がこの曲をつくったのである。ずいぶんとシンプルなリミックスだ。すべてを捨象したあとに残ったのは四つ打ちの反復する音だけだった。
なぜ岡田拓郎がこのリミックスをしたのか。なぜなら、岡田はハウスに可能性を求めたからだ。ハウスの歴史に、そしてハウスが追求する快楽に。ハウス・ミュージックが生まれたのは1970年代後半、アメリカはシカゴの「ウェアハウス」というディスコだった。ブルックリンの人気DJ ラリー・レヴァンと彼の友人フランキー・ナックルズによってハウスは猛威を振るった。80年代からアメリカで猛威を振るったエイズのように。ハウスに快楽を求めた客の大半、そしてレヴァンとナックルズはエイズにもっとも脆弱だったゲイの黒人だった。彼らが求めた快楽はいまの我々がクラブに行って求める単なる身体的な快楽だけではなく、エイズパンデミック、レイシズム、ホモフォビアに対抗する政治的で社会的な快楽だった。その快楽をつくりだす音楽に意味は存在せず、ただ音だけが反復する。彼らは知っていた、反復する音が真に政治的・社会的反抗を形成できるということを。
だが身体的快楽と政治的・社会的快楽(そんなものがあるのなら)をわけることは難しい。身体は政治や社会の争点となってしまっているからだ。政治と社会はつねに身体に介入しつづけ、身体はつねに政治や社会に抗いつづけている。つまり、音楽によって、さらに言えば音楽の反復という要素によって快楽を求めるという快楽主義はつねに政治的であり社会的なのだ。ハウスが流れる80年代のゲイディスコのように、音楽は身体的快楽を形づくると同時に、その身体はそれに介入しつづける政治と社会に抗う。音楽は個人主義的なチルにも、全体主義的な暴力にも転びうる(『痙攣vol.01』)。「チル/暴力」の間、つまりはこの斜線から岡田拓郎の音楽を論じてみたい。だから、わたしはハウスミュージックという人間の欲望がもっとも顕著に現れる音楽の歴史から始めたかったのだ。岡田はどのような歴史を引き継ごうとしたのか。日本語ロックと日本語ラップの歴史、アフリカンアメリカンの音楽(ジャズ、ヒップホップ、ハウス)の歴史、そしてアフリカの音楽の歴史。そんな意味で岡田は歴史の音楽家(ルーツミュージシャン)だといえる。