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「洗練」されていない、気だるさの昇華:蓮沼執太フィル 「Imr (In my room)」

 いつも蓮沼執太フィルの曲を聴くと、都会的に洗練されていると思うのだが、「Imr」にはどこか気だるさ、「洗練されてなさ」が感じられる。しかし、ほんとうに蓮沼執太フィルの新曲「Imr」は「洗練」されていない、と言うことができるのだろうか。
 蓮沼執太フィルの音楽は洗練されている。都会的で、たまに綿密に計算された、壮大なクラシック音楽のように聴こえるときもある。しかし、その、ある種「都会的な洗練さ」は家の中では、自分の部屋の中では (in my room)、もはや必要ではない。朝起きた時の気だるさ、怠惰を洗練させる必要はない。しかし、「Imr」はその気だるさを洗練するのではなく、それが空に蒸発していく様子、「昇華」していく過程(を、気だるい私はベッドに寝そべりながらそれを見ている)を洗練にするのである。

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 ピアノの主旋律は朝起きたことを身体に告げるが、ベースとシンセのだるさはまだ眠気が残っていることを身体に示す。だが、管楽器、マリンバ、スティールパンの朝日がカーテンの隙間から何層にも重なって、そして規則的に(何小節かごとにマリンバやスティールパンなどの楽器の音が重なってくる)差してくる。徐々に、朝日はギターのクレッシェンドとともに強度を増して、目を覚まそうとしているが、ベースとシンセの気だるさは続く。
 フルートとカウベルはどこか、それだけだと薄く、表面的に聴こえてしまう。フルートは他の管楽器や弦楽器と重なることで壮麗な響きを奏でるが、それだけだと何か物足りなく感じてしまう。そして、ドラムセットではなく、鉄の板を叩くようなカウベルの空疎でちゃっちい音。やはり部屋にずっといると、なにをやってもうまくいかない気がする。くすぶってしまう。その空虚感はフルートの細い音や空っぽなカウベルから出る軽い音にも似ている。そして、その音は洗練されている、とは言い難い。とくにカウベルの音それ自体は、この曲においては安っぽく聴こえてしまう。
 そして、曲が後半に切り替わる直前から、ギターの音はもどかしさの象徴として登場する。ギターは洗練された「朝日」の音の一部であったが、後半への切り替えのまえではフルートとギターのみのパートがある (3:40-3:50)。相変わらず、フルートは細く長い音を奏で、ギターは強いエフェクトがかけられ、スライドでキーが下がるその音は、部屋に止まっていなければならないことに不満でため息をついているようにも思える。今持っているエネルギーを早く放出したい、というようなもどかしさがここでのギターの音には詰まっている。
 突如、曲調は切り替わり、それは蓮沼のボイスパーカッションと大谷のスキャットで構成される。ヒップホップとジャズ。「洗練されていない」ヒップホップと「洗練された」ジャズ、二つのブラックミュージックが、そして「洗練されていない」私の気だるさと「洗練された」朝日の光や「澄んだ空気」が混ざり合う。蓮沼の口から出る最初の音、ボイパのバスドラムの音は、英語で言う let off steam のように、部屋の中にあるもやもやとした霧のような蒸気を抜くように発される。ボイパの繰り返しの最後の音、「はあ」という声は、どことなくやる気のなさ、ため息とも聴こえれば、張りのある気合いともとれる。しかし、蒸気はすでに最初の音で出されているので、もう出す必要がない。つまり、この「はあ」は気合いを入れる音なのである。そして、そのボイパの裏側には絶えずスキャットが発せられている。気だるさという蒸気を外へと放つスキャット、ベントする風。
〔追記 (2020/12/19):ボイパは必然的に飛沫を外に「ベント」する行為であって、コロナ禍においてそういった行為は忌避される。そのなかでボイパをするということは「Imr」という楽曲が比喩的に家の中で演奏できない(他人との距離を保てる環境でしか演奏できない)ことを示している。〕
 蓮沼執太フィルの楽曲たちは、声や歌詞が楽器として働くのかを実験する。蓮沼はピアニストの冨永愛子との対談において、自身の個展「作曲的 | compositions: rhythm」での作品を説明する。

声のリズムにも興味があるんです。続く《届かない声》では単一志向性スピーカーを使い、正面で立ち止まると聴こえるけれど、通り過ぎると耳に入らなくなる「声」を流しています。声は報道でも広く知られたある事件にまつわる映像から抽出したもので、政治的な側面も暗示するものになりました(注1)。

 蓮沼執太フィルとしても、「声のリズム」、声をリズムをつくりだす楽器として扱うことをいろいろと試してみたい。2017年のフルフィルオーディションではそういうことをしている人を募った。

身体の中を振動させて音を出すことも演奏のひとつです。つまり「声」を使った音楽的動作も「演奏」です。ヴォーカル、ラップ、ポエトリー・リーディング、ホーミー、パンソリ、オペラ、ゴスペル、民謡などなど。世界中にある全ての声帯を使った演奏=歌もお待ちしております(注2)。

 「In my room. / Stayin' home. Havin' a good rest. (私の部屋で。/家にいながら。心地よく休みながら。)」—Stayin' と Havin' という語尾の g をとった動詞たちは重力 gravity という名の重りを外され、空中に浮遊し始める。これらヒップホップに使われるようなスラングの軽いリズムは最後の good rest の g の音を強め、rest の r の、舌を巻くような音で楽器へと状態変化する、音という気体へと昇華する。
 声、そして歌詞のリズムはその意味を越え、それは楽器として作用する。そのとき、もはや歌詞の持つ意味—stay home (家にいよう) —は関係がなくなる。その気だるい身体じたいにはもう意味はない。非意味的な身体。そして、そこから離脱していくなにか。それは窓から入ってくる風、澄んだ空気と混ざり合い、交わり合い、つながろうとする。その「なにか」とは、気だるいベースやシンセの音でも、ちゃっちいカウベルの音でも、気だるさそのものでも、ちゃっちさそのものでも…。気だるさやちゃっちさといった「洗練されていない」蒸気は、都会の洗練された「澄んだ空気」、フルートの薫りや金管楽器、ヴィオラの響きと交わり合い、「汽空域」(サカナクション)を形成する。
 この曲はギターの音で終わる。しかし、それはこの曲がもどかしさで終わることを意味しない。ギターのもどかしさは声=楽器のリズムによって、そして洗練された都会的な情景描写 (4:58-5:36) によって、部屋から出ていく。開いた天井へと蒸発する。青空が見える。ちょっとずつでいいから、前に進んでいく、いや上に昇っていく。
 間違えてはならないのは、これは都会の音楽、そして「都会の洗練さ」を持ち合わせている曲ではなく、それぞれの家で、それぞれの部屋でつくられた音楽であって、その音楽にはおのおのの部屋にある気だるさやもどかしさが詰まっているということだ。スケボーに乗ってベースを弾くのも、ほんとうは街に繰り出してスケボーを楽しみたい、というもどかしさをなんとか発散させようとしているのだ(注3)。
 それぞれのメンバーが担当にかかわらず、Recording、つまり録音を担当している。いつもであれば、あるスタジオに集まり、同じ録音機材をもって楽器の音を録る。しかし、「Imr」では、それぞれの演奏者がそれぞれの部屋で (in each room)、それぞれの楽器を弾き、それぞれの機材でそれを録音する。録音されたそれらの音は一つの場所に集約され、サンプリング、マスタリングされる。いつもであれば、録音する時点からその録音機材、そしてその質は普遍化されるが、「Imr」においては、サンプリングの時点で初めて音が普遍化される。そのとき、それぞれの録音を一つのところに集約する過程、すなわち録音を添付ファイルとしてそのメールを送ることが強調される。それはあたかも中央集権的なプロセスに見えるが、録音が集約される一つの場所—メールの送付先—も PAである葛西敏彦の(個人的な)部屋である。原雅明が指摘するように、「Imr」は「誰が、どの音が中心になることもなく重ねられたハーモニーとグルーヴが生む躍動感は、複層的にあって、まだ充分には成形されてはいない何かを讃えているかのようだ。」(注4)中心のない音楽。指揮者が倒れたクラシック音楽。「Imr」が今後ライブで演奏されるかはわからないが、演奏するのは難しいだろう。それは技術的に難しい、のではなく、ライブで演奏してしまうと、「Imr」の本質—それぞれの部屋から奏でられる中心のない音楽—が崩れてしまうからだ。

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 蓮沼執太フィルはミュージシャン、そして音楽業界がヴァーチャルな空間へと少しずつ重心を移す、移そうとしているなか、いちはやくそこで楽曲を制作し、Bandcamp でリリースした(注5)。蓮沼執太フィルとして、Bandcampでの曲のリリースはこれが初めての試みである。しかし、なぜ主要ストリーミングサービスではなく、Bandcampでのリリースか(注6)。
 まず、Bandcampではストリーミングが無料で無制限可能で、リスナーにとってはお金を払わずに曲を聴くことができるという意味では手軽である。また、Bandcampにはリスナーがインディーミュージシャンをより支援できるという寄付的な一面もある。曲はストリーミングだけではなく、さまざまなファイル形式でダウンロードすることもでき、ダウンロードは通常、一曲150円以上と、上限金額は設定されていない。つまり、曲をダウンロードする人は購入金額をある程度自由に設定することができ、曲の市場的価値(150円)以上の金額を設定することで、その曲をリリースしたミュージシャンや Bandcamp(Bandcampはサイト上での売り上げの一部を自身の利益としている)を支援することができる。
 Bandcampはいまや、インディーミュージシャンとしての表明の場として存在を発揮している。まず、Bandcampという会社自体が非上場企業であって、ある意味、市場においてはインディー的立場にある。そして、何よりも Bandcamp、バンドのためのキャンプ場、において中心がない。キャンプは共営である。ひとりでテントをたてることはできない。キャンプ場においては、インディーミュージシャン同士が音楽的なアイデアで互いを切磋琢磨し、寄付的なシステムや無料ストリーミングによって、主要ストリーミングサービスよりミュージシャンとリスナーとの関係も深い。
 全てのミュージシャンがある種インディーになってしまった、という状態において、本来のインディーというものの再発見として、Bandcamp を活動のベースとして再び位置付ける。全てのミュージシャンがアンダーグラウンドに浸食してしまった、つまり全てのミュージシャンがアリーナでもホールでもライブハウスでもクラブでもなく、それぞれの家で、それぞれの部屋からしか音楽を発信できなくたってしまった今、もっともアンダーなグラウンド=それぞれの家、部屋は、インディーミュージシャンにとって、もはやポップミュージシャンとの差異化をはかるためのユニークな発信の場所としては通用しない。Bandcampはインディーミュージシャンの表現の場として、ヴァーチャルなアンダーグラウンドとして既得権益を寄せ付けず(Bandcamp ではすべての曲はストリーミング可能)、さらにインディーミュージシャンが飯を食っていけるような寄付のシステムを確立している。
 新曲「Imr」を Bandcamp上でリリースした蓮沼執太フィルはポップミュージック、そしてメジャーミュージシャンとの決別を告げたのだ。蓮沼執太フィルの英語名・Shuta Hasunuma Philharmonic Orchestra (蓮沼執太フィルハーモニックオーケストラ)はその名前からしてポップミュージシャンとは思えない。蓮沼執太フィルはオーケストラである。そして、オーケストラはクラシック音楽を弾く。蓮沼執太フィルの楽曲はクラシック音楽とは言わないが、もう決してメジャーになり得ないクラシック音楽「Imr」を、「オーケストラ」という名前を身に纏い、ただたんに「音楽が好きな (philharmonic)」オーケストラ集団としてをリリースした。「Imr」、あるいは In my room (わたしの部屋のなかで)、というのは、単に各演奏者がそれぞれの「わたしの部屋のなかで」演奏し、録音した音楽というのを示すのみならず、インディーシーンこそが「わたしの部屋」なのだ、と言っているようなものだ。

 それぞれの部屋から昇華された「洗練されていない」気だるさの蒸気は、また他の部屋で交わり合い、またそれぞれの部屋、リスナーである私たちの部屋へと届けられる。このとき、熱された蒸気は冷まされ、液体となり、私たちの体へと、血管へと—キャンプ場 (Bandcamp) に流れる川のように—流れ込む。ベッドに横たわる私たちの気だるさ=蒸気はほどよく冷やされる。そして、私たちは気づく、洗練さのなかに洗練されなさがあると。「Imr」という曲は洗練されていないだるさから出発している。洗練された液体としてそれは私たちの身体に流れるが、いまだそのだるさは感じられる。だから、流れ込んできた液体を、私たちは液体としてそのまま血液として循環させておいてもよいし、いつかそれを蒸気として「昇華」させてもいい。その「いつか」が到来したら、それぞれの部屋から放たれる蒸気は交わり合い、豊かな湿原をつくりだすだろう。そこで草を食べる動物たちとともに、私たちがそこにテントを張る日が。


注1. Tokyo Art Navigation,「アーティスト/蓮沼執太さん×ピアニスト/冨永愛子さん [後編]」, http://tokyoartnavi.jp/dialogue/index.php
注2. 「蓮沼執太フルフィル・オーディション 演奏者オーディションにむけて 追記」, 2017/9/3,  http://www.hasunumaphil.com/wp/.
注3.「Imr」のトレイラーでの Bass, Recording 担当の千葉広樹を参照のこと。Shuta Hasunuma,「Shuta Hasunuma Philharmonic Orchestra / "Imr" Trailer #stayhome 」, YouTube,  http://www.youtube.com/watch?v=ZG2mUtwFao4, 2020/4/30,(動画上は、0:02-0:07と0:44-0:46)。
注4. Shuta Hasunuma Philharmonic Orchestra, 「Imr Text」, 2020/5/1, http://www.hasunumaphil.com/discography/447/.
注5. Shuta Hasunuma Philharmonic Orchestra, 「Imr」, Bandcamp, 2020/5/1, http://shutahasunumaphilharmonicorchestra.bandcamp.com/track/imr.
注6. 主要ストリーミングサービスでは2020年5月16日にリリースされた。

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