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100記事目指してなるたけ毎日更新!その93、VRとARにおける「無」について考える

Ignition.挨拶

皆さんいかがお過ごしでしょうか?

何も無いってなんだろうと考える今日このごろ。

どうも僕です。

本記事は私、Evolution LoopのMμLT1(まるち)が100記事完走を目指してゆるーく書いている記念すべき93記事目になります。

哲学的すぎて話せる方がほとんどいないのが悩みどころですね(;・∀・)

それでは今日も進化の為に書いていきます。


1st.VRとARの「無」とはなんだ



 現実空間で「無」を手に持っているなんて言われると頭のオカシイやつ扱いされる事間違いなしなのですが、VRやARでの「無」となるとちょっと勝手が違ってくるのではないかと思いましたがやっぱり頭がオカシイやつですね。

 「無」というと物事が存在しないという定義になりそうですが、現実世界だと自分が知覚出来ないものは全て「無」だと考えます。

 ではVRとARでの「無」とはいうと、こちらも現実世界の「無」と同じでVRやARで知覚できいないものは全て「無」という定義でもよさそうな気がします。


2nd.知覚できない物と存在しない物



 VRとARの現在の技術ではオブジェクト(表示されている物)にはリアルの手で触ることは原則としてできません。

 目の前のディスプレイには表示されてはいるが実態がないという「無」と現実世界では知覚できない(あるかどうか解らない)「無」があるのではと考えます。

 存在していない・知覚できないという物は万物に存在しているとは思いますが、こうしてVRとARにもあるはずの「無」を感じるのはとても面白いです。


fin.総括

 では今回の総括としては「無について考えると今まで見えなかった事が見えてくるのではないか?」という感じです。

 

 

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