100記事目指してなるたけ毎日更新!その98、VR空間での存在について考える
Ignition.挨拶
皆さんいかがお過ごしでしょうか?
存在とは何かと考える今日このごろ。
どうも僕です。
本記事は私、Evolution LoopのMμLT1(まるち)が100記事完走を目指してゆるーく書いている記念すべき98記事目になります。
透明人間って存在しているというカテゴリーに入れても良いもんですかね?
それでは今日も進化の為に書いていきます。
1st.記録をされれば存在が確定する
見出しのスクリーンショットはVRChatというVRSNSで開催されているVRAA02というイベントに参加されていた「ごんきち様作:天空広場 Sky Square」という場所にて撮影してきました。
さてVR空間の存在ですが、存在は観測されなければ存在していないと同義だと考えております。
記事を執筆するごとに存在は観測されないと~なんて良く言っているような気がしますが、いやいやなんとも(;・∀・)
VR空間はVR機器やその空間にアクセスできるデバイスがなければそもそも観測することが出来ない空間なので、その一部をスクリーンショットにて空間を切り取ることによってそこに「居た・存在した」という事が確定すると考えます。
2nd.観測されれば存在し観測されなければ存在しない
二次元コンテンツ全般に言えることではと思うのですが、観測されそして観測された人の記憶に残ったことによってVRの存在というのは「存在した」と確定されるのでは思考します。
シュレディンガーの猫みたいな感じですね。
逆に自分はとあるVR空間に行った!という事実があったとしても他者から見たら本当に行っているかはわかりません。詰まるところは本人が行っていたVR空間にその人が存在したということが確定していません。
友人に「昨日○○って所に行ってきたんだ!」とお話したとして、記念のスクショも無ければデータログも確認する手段はない。そんな状態で本当に自身は○○に行ってきたと証明できるでしょうか?存在していたと言えるでしょうか?
ここでは友人との好感度や信頼度で情報の不確実性を補完しているのではと思われます。
彼/彼女がそう言っているのだから本当なのだろうなというヤツで、人はそれを友情と呼びます。
fin.総括
では今回の総括としては「VR空間での存在は記録を取れば存在が確定され、観測または記録されなければそこにいたという事実が記録されない虚ろな存在なのではないか」という感じです。