その先の世界

大好きな人たちが2人も逝ってしまった8月になってしまった。

そのスパンが短かったのでさすがに考えさせられることも多く、久しぶりに死とは何なのかというようなことに思いを巡らせています。

私たちのあらゆる恐れという感情の奥には「死」というものの存在が見え隠れしているというのはここ数年で気付いたことなのですが、人がそれぞれ違う概念をもつ「死」というものが究極の恐れなのは、みんなそれをこの物理次元では体験できないからなんだろうなと思っています。

正確に言うとするならば完全死に到達する瞬間、心臓が止まるまでは肉体的には体感できても、果たしてそれに向かう時とその終わりの瞬間を自分という存在が自分の思考を持って認知できるのかと言われると、今ここに生きている人は誰もそれを知らないし分からないのが事実なんじゃないかなと思う訳です。体験談を語れないので。

臨死体験のある方はまた違った見方ができるのかもしれないけど、それもみんなが当たり前にできることではないので、その人の見方を聞いて想像する感じになるだろうなと思ったり、臨死って肉体的な死とはまた違いそうだから、死ぬ体験というにはちょっと違うのかもしれないとも思ったりします。

未知のものへの恐怖は人間が生き延びる上での必須の機能であり、だからこそ恐怖という感情が時に厄介に働いて困る時もあるのだけど、それにしてもその根元にあるのが「死」への恐れなのだとしたら、
「死」にしろ「恐れ」にしろ、きっと一生付き合っていかなければならないものと常に隣り合わせで生きているんだなということ、メメントモリは常に私の一部として存在し続けているんだなということに今更ながら気付いたお休みの朝でした。

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