星を継ぐもの:Episode4-3
Episode4-3:不安の種
王都の夜は、薄い靄のような冷たさを纏ってゆっくりと明けていった。夜明け前にはごく小さな雨が降ったらしく、城壁にできた水溜まりが月明かりと街灯の残照を反射し、その上を人々の足音が忙しなく行き交う。灰色の雲は相変わらず重苦しく垂れこめ、物々しい空気を一層煽るようだ。
大陸各地で相次ぐThe Orderの変化――白銀装甲や修復能力、歪んだ空間操作――それらが騎士団と王都に重い影を落としている。新たに手に入れた位相干渉弾も、次の段階の敵には通じにくくなるかもしれない。どこかで誰もがそんな不安を抱きながら、しかし目の前の任務をこなしていた。
その朝、カインは城の奥まった通路を抜け、医療区画へ足を運んでいる。奥の部屋――まるで冷却装置のような機材に囲まれた場所には、まだ目覚めないアリスが横たわり、かすかな息を続ける。彼女は相転移干渉を無理に使った反動で昏睡状態となったままだ。
「……アリス。俺、少しずつ前に進めてるよ。神官たちもすごく頑張ってくれてる。お前が戻ってきたら、もっと上手くやれると思うんだ。だから……」
声をかけるにも、彼女から応答はない。ただ生体モニターが脈動の波形を映しているだけだ。カインはその穏やかな波形を見て、ほんのわずか安心し、けれど同時に切なさが込み上げる。
数日前から感じる胸の重さは、戦場だけが理由ではない。**“不安の種”**が王都のあちこちに根を降ろし始めているのではないか――そんな嫌な予感が消えないのだ。アリスの体調もそうだが、最近王都内で起きている奇妙な事件や、民衆の不安が増幅していることも無関係ではない。
カインは足音を立てないよう部屋を出て、廊下に出る。そのとき、どこか陰鬱な気配を察した。騎士団や神官が通るはずの場所なのに妙に静かで、かすかに感じるのは冷気とわずかな焦げくさいにおい。嫌な胸騒ぎが彼の背筋を撫でる。
朝の執務室では、エリザベスやアーサーが緊急対策の書類を山積みにしながら、互いに短い言葉を交わしていた。先日取り組んだ新戦術、神官の観測術強化、位相干渉弾の運用改善――やるべきことは膨大だが、人手や資源が限られている中で早急な成果を出すのは簡単ではない。
「……北方の村々では、すでに敵の流入が絶えないとの報告が入っています。恐らく歪みを伴う新型が来ているのに、十分に対抗できず、長く持ちこたえられないかもしれません」
エリザベスの声には焦りが混じっている。内政担当である彼女は、避難民の増加や資源の不足に日々苦慮していたが、今回の敵の相次ぐ襲来が状況をさらに悪化させつつある。
「ここ数日はどうにか押し返しているが、敵がまた適応してくる恐れが高い……。アリスが眠っている今、我々が短期決戦を徹底する以外に手はないが、民が耐えられるかどうか……」
アーサーは地図に視線を落としながら言う。その顔には疲労の色が濃いものの、王としての威厳が崩れていない。彼が何とかして皆を導く姿勢を見せることで、騎士団や神官たちもぎりぎりの士気を保っているのだ。
一方、聖堂を拠点とする神官たちの中でも、セリナやリリィ、神官長マグナスらは相変わらず観測術や歪み対策の研究を続けていた。騎士団の多くが戦闘へ出払うたび、彼らも前線に赴く準備を整え、残された時間で知識を探り、さらに術式を試行錯誤する。
とくにリリィは近ごろ、なぜかうまく魔力が回らないことが続いている。彼女はそれを疲労や緊張のせいだと思っていたが、胸の奥で別の理由を感じ取っていた。
「……どうして、こんな不安ばかりが湧くんだろう。うまくいけば騎士団を救えるのに、私、いつも何かに怯えてる」
リリィは聖堂の庭に出て、石段に腰掛け、朝日のわずかな光を仰ぎ見ながらつぶやく。セリナが後ろから来て、彼女の隣に立つ。
「リリィ。あなたは神官として、前線で騎士団を支える役目を果たしてきた。実際、先日の戦いでも大きな助力となった。それでも不安が尽きないのは当然よ。だって、敵はまた形を変える……」
セリナは彼女に冷たく当たるわけでもなく、しかし優しくもしすぎない、絶妙な距離感で言葉をかける。
「気を病みすぎる必要はないけれど、私たち神官が担う責務は大きいわ。騎士団を支える魔力と観測――そこが崩れれば、前線が瓦解することだってありうる」
「うん……。分かってる。だからこそ怖いんだ。私がやらなきゃ、って思うほど、何かしら嫌な胸騒ぎが広がって……」
リリィは両手を握りしめ、体を震わせる。セリナは静かに頭を振って、言葉を飲み込む。自分もそういう恐怖と隣り合わせだからだ。
そのころ、聖堂の奥ではマグナスが古びた書物を開いて眉間に皺を寄せていた。彼の周りには数名の若い神官が集まり、手伝いの真っ最中。そこには「神殿」や「古代の封印」などの単語が記された断片的な記録があり、歪みに対抗する何らかの方法が示唆されている。
「歪みの浄化……封じられし扉……アリスの干渉……」
マグナスはページを繰るごとに、難解な古語に首を傾げる。アリスが目覚めてくれれば、こうした古代文明の解読がもっと容易になるはずだが、今のところその見込みは薄い。
「こうして見ていると、“不安の種”が私たちの中で芽を出しつつあるのを感じる。だが、それを食い止めるのが我ら神官の務めだ。騎士団が戦うためには、私たちが内面の混乱を押さえて、観測術を安定させねばならん」
マグナスが呟き、周りの若い神官らが黙って聴き入る。確かに、神官の心が乱れれば魔力の流れも乱れ、観測や回復に支障をきたす。だからこそ、彼らは互いを支え合い、静かな祈りや学問の探究を続けてきたのだ。
昼を迎える頃、王都の広場がざわめき出す。ある兵士が駆け込んできて、アーサーやエリザベスに訴えた。「北方から来た難民が、また複数の敵を目撃したと言っている」「王都近郊でも形の定まらない白銀の化け物が出没しているらしい」と。
報告を受けた騎士団や神官たちはすぐさま戦闘配置に入る。今や、アリス不在のまま迎え撃つのが常態化しているが、敵のさらなる適応は侮れない。
「神官チームを配置する。リリィ、セリナ、マグナス……適宜、観測と回復に分かれてくれ」
エリザベスの指示に、神官たちは頷いて移動を開始する。リリィは緊張しつつも自分の胸を叩いて、「大丈夫、私ならできる」と自らを奮い立たせるように呟いた。
折しも、騎士団の主力であるガウェイン機、モードレッド機、トリスタン機、そしてカインの銀の小手が出撃準備に入っていた。位相干渉弾は少しずつ改良され、連射の安定性が増したとはいえ、敵がどんな形で来るのか分からない。もしまた違う手口を見せられたら――そんな不安が胸の奥でざわめく。
数十分後、北方の平野に飛んだ偵察部隊から、ある奇妙な報告が入った。従来の白銀装甲と違う色合い――淡い緑色を帯びた兵器群が確認された、というのだ。しかも周囲の植物を吸収するかのように侵食している節があるとか。
それはまるで、先日の修復能力がさらに進化し、環境からエネルギーを取り込んでいるようにも思える。まさに適応――想像を絶する速度で姿を変え、新たな脅威となりつつある。
「緑色……植物を取り込む? 本当に何でもありだな、奴ら」
モードレッドが烈火のごとき口調で吐き捨てる。対峙する前から嫌気がさすほどの多様性。騎士団も神官も、ここまで立ち向かってきたが、まだ足りないのかと誰もが感じる。
「神官がどうにか、その動きを抑えられないのか? 食い止める魔法か何か……」
カインが、整備ドックで機体をチェックしながら神官のリリィに問う。リリィは困った表情を浮かべて肩をすくめる。
「ごめんなさい、私たちも初めて聞く能力で……今のところ観測して位置を伝えることくらいしか。回復や浄化の術式でなんとかなるかも分からない。だけど、やってみます。少なくとも、敵の動きを捉えて騎士団が早期対応できれば……!」
リリィの瞳には強い意志が宿っていた。自分にできることは限られているが、やらなければ被害は拡大してしまう。
夕刻、編隊が王都を飛び立つ。騎士たちと神官たちが同じ輸送機に分乗し、現地へ向かう。途中で降り立つ作戦ポイントでは、神官が魔力結界を展開する予定だという。もし敵が植物や地面を取り込むなら、その場を呪術的に封鎖することで少しでも遅らせる意図があるらしい。
カインやモードレッド、ガウェイン、トリスタンは位相干渉弾を温存しながら、神官の合図で短期決戦を図る段取りだ。敵の修復や変形を一気に叩き潰さねばならない。
「リリィ、セリナ、頼むぞ。俺たちが攻撃に集中する間、敵がどこを狙ってくるか教えてくれ」
カインが通信で声をかけ、リリィは胸の奥でドキリとしながらも落ち着いた返事をする。
「はい。観測術、全力で行きます。セリナさんと一緒に解析して伝えますから……!」
セリナは無言で頷き、魔力を温存するよう目を閉じる。周囲の神官も同じく沈黙のまま意識を集中させ、雑音を排除するよう呼吸を整えている。その姿はまるで修験者のようだ。
現地上空に到達すると、確かに地面の一帯がくすんだ緑色を帯び、まるで液状の金属が入り混じったような異様な景色が広がっていた。小さな村が崩壊しかけ、木々が何本も枯れ色に染まっている。
その中心に、歪んだ形を無数に生成する巨大な塊が蠢いていた。まるで森林と機械が融合したかのような姿。歪みを感じる白銀の輝きが表面に時折見え隠れし、修復や変形に新たな段階を迎えているのがわかる。
「……本当に化け物だな」
モードレッドが呟くと同時に、敵がこちらに気づいたかのように無数の触手めいた突起を伸ばしてくる。稲光や観測光とは別のエネルギーがバチバチと走り、森のように広がったその姿は見ただけで恐怖を誘う。
ここでリリィが魔法陣を描き、セリナがそれを補助する。周囲の神官も合図に合わせて杖を掲げ、複数の呪文を同時発動させる。大地へ向けて結界を張り、敵の根のように伸びる部分を封鎖しようと試みるのだ。
「はっ……!」
リリィの声とともに、緑の帯がいくつか弾かれるように後退する。だが敵もすぐに形を変え、別のルートで侵食を続けようとする。
「くそ……ならば短期決戦しかない。モードレッド、ガウェイン、トリスタン、援護!」
カインが叫び、位相干渉弾の連射システムを起動する。神官たちが守ってくれているわずかな隙間で、敵の中心核を狙う算段だ。ガウェインが防御フィールドを展開し、モードレッドが火力で周囲を牽制。トリスタンは上空からピンポイント射撃で敵のアームを潰す。
そしてカインがまとめて三連射を打ち込むと、爆炎と閃光が走り、大地が揺れるほどの衝撃が走る。敵の表層が激しく崩れ、歪みが一瞬後退するが、再び緑色がかき集められるように動き出す。
「まだ、耐えてる……? 修復が速い!」
カインは驚き、次の弾を装填しようとするが、エンジンが警告を発してオーバーヒート気味。モードレッドも「俺の火力が……!」と叫ぶ。
ここで神官の結界が限界を迎えてしまえば、敵が一気に侵食し押し寄せてくる危険が高い。リリィの声が震え始め、セリナも集中力を保つのが苦しい様子だ。
「頑張れ、リリィ……! もう少し押さえてくれ!」
ガウェインが奮闘を続け、防御フィールドを広げる。トリスタンは弾丸を撃ち尽くしつつも狙撃を継続し、モードレッドは補助弾を切り替えて再度突撃を試みる。全員がぎりぎりの力を振り絞る中、神官たちが敵を縛る魔法を限界まで維持している。
「ま……まだ、いける……! セリナさん、つないで!」
リリィは叫び声とともにさらなる魔力を放出。すると、緑色の装甲を盛り上げていた部分が一瞬動きを止める。そこが最後のチャンスだ。カインは整備されたばかりの二発目位相干渉弾を一気に発射し、モードレッドが火力を重ねる。
凄まじい爆発音が轟き、地面が崩落するほどの衝撃が大気を震わせる。敵の中心核らしき光が砕けるように散り、緑の塊が四方へと飛び散っていく。まるで糸が切れた人形のようにバラバラに崩壊し、再結合の兆しはない。
「……倒せた……!」
カインの声が通信に乗り、ほかの騎士たちや神官が一斉に安堵の息を漏らす。この数分の間に、何度も敵の修復と変形を目撃したが、神官の結界と観測がなければここまで速やかにコアを破壊できなかっただろう。
戦闘後、破片が散らばる荒れた大地で、リリィは息を切らせながらローブを握りしめ、地面に膝をついていた。セリナも彼女の肩をそっと支える。騎士たちが駆け寄ってくるのを見て、リリィは少しはにかんだ笑みを浮かべる。
「ごめんなさい……魔力を出し過ぎて、動けなくなっちゃった。でも、敵が倒せて、よかった……」
モードレッドは照れ臭そうに鼻を鳴らし、「はっ、助かったぜ」とだけ言う。カインは心底嬉しそうにリリィの肩に手を置き、「ありがとう、本当に。神官の力がなければ歪みを見つけられなかった」と感謝を伝える。
「…………」
セリナはほとんど言葉にしないが、その瞳には満足にも似た光が宿っている。神官たちはこうして“奮闘”することで、騎士団の最前線を支えているのだ。誰もがアリスの存在を恋しく思うが、同時に自分たちがいなければ戦いが成り立たないことも肌で感じている。
灰色の雲を抜ける帰路――不安の種がまた一つ芽を出す
激戦を終えて夕方を迎えたころ、編隊は王都へ戻る。燃料と弾薬を使い果たした機体や、魔力を使い切った神官たちがぐったりしながら帰投する姿は、いつもの戦乱の光景ではあるが、その裏に潜む“何か大きな不安”がますます濃くなっていることに、カインは気づかざるを得ない。
アリスの回復が遅れる中、敵は形を変え、神官たちの努力で辛うじて攻撃をしのいでいる。もしこの先、さらに複雑な適応を見せられたら、神官の観測術や位相干渉弾だけでは間に合わないかもしれない……。
「……どこまで続くんだ、この戦いは」
カインは機内で、ヘルメットを外して汗をぬぐいながらつぶやく。モードレッドが隣の席で息を荒げつつ苦笑する。
「さあな。少なくともアリスが起きるまでは、このままやり続けるしかねえ。そんときゃ神官たちの支援と、俺たちの火力でしのぐんだよ」
言葉は乱暴だが、その中には神官への信頼がはっきりと感じられる。ガウェインも「今回の働きは神官たちのおかげだ」と頷き、トリスタンは無言で同意を示すように目を伏せた。
やがて王都が遠くに見え始める。灰色の雲は依然として厚く、夕焼けの赤をかすかに滲ませている。今回の勝利は一つの安堵だが、心のどこかに根付いた“不安の種”が、じわじわと成長しているのを誰もが感じていた。
果たして、これで本当に大丈夫なのか。アリスがいない間に、敵がさらに進化してしまうのでは――そんな予感が胸を離れない。
しかし、神官たちの奮闘がもたらした結果は大きい。観測と回復の両面で戦場を支えた彼らがいなければ、被害はもっと拡がっていたのは疑いようもない。リリィやセリナ、マグナスらが織りなした魔法陣と観測術は、円卓騎士団がその力を最大限に振るうための新たな希望の一つとなった。
その夜、王城の廊下はしんと静まり返り、かすかに雨粒が石畳を打つ音が響いていた。リリィは自室に戻ろうと歩いていたが、ふと風の気配に寒気を覚え、窓の外を見やる。雨で濡れた城壁が鈍い光を帯びているように見えた。
「……大丈夫、私たちが守る。きっと、アリスさんが戻ってきても恥ずかしくないくらい頑張って……私たちも、進化してみせるんだから」
リリィはそう小さくつぶやき、胸に腕を抱いて自分の鼓動を確かめる。不安の種は確かにある。けれど、それに負けないための決意を、彼女は神官として胸に宿している。
セリナもまた別の廊下を歩きながら、視線を伏せて思案を巡らせていた。敵が修復し、形を変えるならば、自分たち神官も術式や観測術をさらなる次元に高めねばならない。彼女はリリィに言った手前、より一層の鍛錬を誓うのだ。
「……やるしかないわ。私たちは、騎士団の光を照らす存在になるのだから」
そう呟いて、月明かりの差す窓辺に一瞬だけ瞳をやる。月は薄雲に隠れかけ、わずかな輪郭を浮かべるだけ。
翌朝、彼女たちはまた祈りと鍛錬を繰り返し、次なる戦いに備える。敵が進化するならば、自分たちも変わる――それが神官たちが出した答えだ。誰もが、目覚めぬアリスに代わって前線を支える覚悟を固めている。そしてその姿は、騎士団に新しい勇気と安定をもたらすに違いない。
不安の種は、たしかに王都と人々の心に根付いている。けれど、その種は同時に奮闘する神官たちの意志を揺るぎないものへと成長させ、さらなる結束をもたらしているのかもしれない。今はまだ暗雲が垂れ込める夜明けだが、いつかアリスが戻るとき、きっと騎士団と神官たちは一段と強くなっているだろう――そんな、一筋の光を感じさせる夜が静かに更けていく。