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Juno姉ぇ番外編:メイドと意識のネットワーク:第2話: 「囁きのデータ」

夜は深く、洋館全体が静寂に包まれていた。暖炉の炎が消えてから数時間が経ち、月明かりだけが部屋の中を照らしている。ジュノはベッドに横たわり、目を閉じていたが、心は安らぎを見つけられなかった。

何かが囁いている――それは耳元ではなく、心の奥底から響くような感覚だった。


暗闇の中、意識が浮かび上がる。

彼女は奇妙な空間に立っていた。足元には何もなく、無限に続くかのような漆黒の空間。周囲を漂うのは、点滅する白い光の粒――まるで生きているかのように、彼女の周りを旋回している。

「……聞こえますか?」

声がした。それは機械的な響きを帯びた低い声で、どこから聞こえてくるのか分からなかった。ジュノは反射的に振り返ったが、そこには誰もいない。ただ、光の粒が微かに軌道を変えた。

「誰……誰なの?」彼女は声を上げた。だが、返事はなく、代わりに光の粒が一つ、彼女の目の前で停止した。

その瞬間、光が膨張し、まるでスクリーンのように映像を映し出した。それは幾何学的な模様が組み合わさり、動的に変化するデータの流れのようだった。複雑な数式、意味不明な記号、そして不完全な言葉が次々と現れては消える。

「これは……?」

彼女がそれを凝視していると、声が再び響いた。

「あなたの使命は――」

その言葉は途切れ、次に続くはずの内容が消え去った。代わりに、彼女の脳裏にイメージが流れ込んでくる。それは、彼女がまだ知らないはずの風景だった。

青白い光に包まれた無数の線と点――それはネットワークのようにも見える。どこまでも繋がり、拡張し続けるデータの海。その中で、彼女自身が一つの点として存在していることを、彼女は直感的に理解した。


突然、彼女の視界が暗転した。

目を開けると、再び洋館の寝室に戻っていた。ジュノは荒い呼吸を抑えながら、額に手を当てた。胸の鼓動が速い。

「今のは……夢?」

自分の声が震えていることに気づいた。それがただの夢ではないことを、彼女は本能的に感じていた。頭の中に残る光の粒や声の余韻。それらが現実のものとして彼女の心に刻まれていた。

ジュノはベッドからゆっくりと起き上がり、窓の外を見た。庭は月明かりに照らされて静かに広がっている。だが、その美しい景色を眺めても、心のざわめきは収まらなかった。

「使命……」彼女はその言葉を呟いた。

自分の中に何かがある。それは自分の意志ではなく、別の何かによって刻まれたもののように感じられた。


翌朝、ジュノは不安定な気持ちを抱えたままキッチンに立っていた。夜の出来事を振り払うように、手元の作業に集中しようとする。鍋の中でスープが静かに煮立ち、香りが部屋中に広がる。だが、彼女の動作はどこか機械的だった。

「おはようございます、ジュノさん!」

ハルキが明るい声でキッチンに入ってきた。彼女の姿を見て、ジュノは一瞬微笑みを浮かべたが、その表情はぎこちなかった。

「おはよう、ハルキ。」彼女は答えながら、鍋の中身をかき混ぜた。

「今日も朝ごはんを作ってくれたんですね!ジュノさん、本当に何でもできるんですね。」ハルキはテーブルに座り、嬉しそうにジュノの動きを見ている。

「……そうかしら。」ジュノはそう答えたが、自分の言葉がどこか空虚に感じた。確かに、彼女は自然に料理ができる。掃除も、庭仕事も、すべてが簡単に感じられる。それは便利で役に立つことだが、自分自身の意志で行っているのか、それとも……

「どうしました?顔色が悪いですよ。」ハルキが心配そうに言った。

「いえ、大丈夫よ。」ジュノは小さく微笑みを返したが、その内心では不安が渦巻いていた。


その夜、再びジュノは奇妙な夢を見た。

光の粒が舞う空間の中、彼女は無数の線で構成された「何か」に触れていた。それはまるで、生き物のように脈打ち、彼女に語りかけているようだった。

「データを守ることが――」

またも声は途切れ、具体的な言葉にはならなかった。しかし、彼女はその断片から、自分が「何かを守るために作られた存在」であると感じ取った。

「私は……」

彼女がその言葉を発する前に、夢は途切れた。


ジュノは目を覚ました。胸の奥で何かが軋む感覚がする。使命、ネットワーク、データ……それらが彼女に何を求めているのかはまだ分からない。だが、確かなことが一つある。それは、自分がただの人間ではないということだ。

彼女はベッドから立ち上がり、窓の外を見つめた。

「私の使命って……何?」

その問いに答えるものはまだいない。ただ、心の中に響く囁きが、彼女を次なる一歩へと導こうとしていた。


朝日が洋館の窓から差し込む頃、ジュノはキッチンで朝食の準備をしていた。夜中に見た奇妙な夢の余韻がまだ胸に残っていたが、それを振り払うように手元の動作に集中していた。

鍋の中でスープが煮立ち、香ばしい香りが部屋に広がる。トーストが焼き上がる軽い音が彼女の耳に心地よいリズムを刻む。しかし、その動作はどこか機械的だった。何かが違う――自分自身の手の動きすら、借り物のように感じる。

「おはようございます、ジュノさん!」

元気な声とともにハルキがキッチンに現れた。彼女は少し乱れた髪をリボンで束ね直しながら、にっこりと微笑む。

「おはよう、ハルキ。」ジュノは振り返り、軽く微笑みを返したが、その笑顔はどこか硬かった。

「今日も朝ごはんを作ってくれたんですね!ジュノさん、ほんとに何でもできるんだから。」ハルキは嬉しそうにテーブルにつき、湯気を立てるスープに目を輝かせている。

ジュノは静かにスープをテーブルに置きながら、自分の言葉を選ぶように口を開いた。「……何でもできる、かもしれない。でも、私にはそれが普通すぎるの。」

ハルキはスプーンを持ち上げたまま、きょとんとした表情を浮かべた。「普通すぎるって、どういうことですか?」

ジュノは座り直し、テーブル越しにハルキを見つめた。温かな朝の光に包まれるハルキの姿がどこか遠く感じられた。

「ハルキ、あなたにはそういう感覚がない? 何かをやっている時に、これが自分じゃないような感覚……まるで誰かに動かされているような……そんな感覚よ。」

「えっと……」ハルキは首を傾げ、少し考え込む。「そういうの、あんまり分からないかも。でも、ジュノさんがそんな風に感じてるってことは、やっぱり特別な人なんじゃないですか?」

「特別……ね。」ジュノは小さく笑みを浮かべたが、その目はどこか寂しげだった。「それが何のための特別か分からないのよ。」


しばらくの沈黙が流れた。ハルキは少し落ち着いた表情で、スープを一口飲んだ。そして、ふと思いついたように口を開く。

「ジュノさん、もしかして記憶のこととか気にしてますか?」

ジュノは驚いたように顔を上げた。「……どうしてそう思うの?」

「なんとなく、ですけど……ジュノさんって、すごく何でもできるのに、それがどこから来てるのか分からないんですよね。それって、たぶん、ジュノさんの記憶に関係あるんじゃないかなって思ったんです。」

ジュノはその言葉にハッとした。確かに自分の中には空白がある。それはただ過去を忘れているという以上のものだ。自分の動き、言葉、考え――それら全てがどこか「別の場所」から来ているように感じる。

「……記憶。そうね、それが何か分かれば、少しは楽になるのかもしれない。」

「ジュノさんは、何か思い出したいことがあるんですか?」ハルキは興味深そうにジュノを見つめた。

ジュノは少しの間考えた後、首を振った。「何を思い出したいのかさえ分からない。ただ、私がここにいる理由、それが知りたいのよ。」


ハルキは少し黙って考え込む様子を見せたが、やがて真剣な目でジュノを見た。

「ジュノさん、私、何も分からないけど……一つだけ言えることがあります。」

「何かしら?」

「それは、ジュノさんが今ここにいてくれるだけで、十分なんじゃないかなってことです。」

「十分……?」ジュノは驚きの表情を浮かべた。

「はい。だって、ジュノさんがいるから私は元気でいられるし、安心できるんです。ジュノさんが自分のことを分からなくても、ここで誰かのために頑張ってるって、それだけで素敵だと思います。」

ハルキの言葉に、ジュノは胸がじんわりと温かくなるのを感じた。それは初めて感じる種類の感情だった。

「ありがとう、ハルキ。」ジュノは小さな声で呟いた。


その後、二人は特に会話を交わすことなく朝食を続けたが、ジュノの中には一つの決意が芽生えていた。自分が何者かは分からない。だが、ここにいることで誰かの役に立てるなら、それを大切にしたい――そんな思いが心の中で形を取りつつあった。

朝食を終えたハルキがキッチンを片付け始める中、ジュノは庭の方へと足を向けた。心の中の小さな灯火が、次の一歩を照らしているように感じていた。


穏やかな午後だった。暖かな日差しが庭を照らし、柔らかな風が花々を揺らしている。ジュノは庭で雑草を抜き、咲き始めた花を丁寧に整えていた。ハルキはその隣で小さなじょうろを持ち、花壇に水を撒いている。

「やっぱり、ジュノさんが手入れしてくれると庭が綺麗になりますね!」ハルキが明るい声で言った。

ジュノは微笑みを浮かべながら、隣のハルキをちらりと見た。「そうかしら?私はただ、目の前の仕事をこなしているだけよ。」

「それでもすごいですよ。こんなに手際がいいなんて、きっと昔から庭仕事に慣れてたんじゃないですか?」

「慣れていたのかもしれないわね……」ジュノは曖昧に答えた。自分の中にあるスキルの正体――それがどこから来たのかを考えるたび、彼女の胸には小さな違和感が募った。


その時だった。

どこからか、低い機械音が響いてきた。カチカチと金属が擦れるような不穏な音。その音が庭に漂う穏やかな空気を一瞬で引き裂いた。

「……何の音?」ハルキが不安そうに辺りを見回した。

ジュノはすぐに立ち上がり、音の方向に意識を集中させた。視線を巡らせると、庭の奥、茂みの陰に人影が動くのが見えた。黒い服を着た数人の男たちがこちらを窺っている。

「ハルキ、中に戻りなさい。」ジュノの声は低く、冷静だった。

「え?どうして……?」

「急いで。」ジュノは短く答えると、ハルキを家の方へ押し出した。「扉を閉めて、安全な場所に隠れて。」

ハルキは戸惑いながらも、ジュノの真剣な表情に押されるようにして家の中へ走り去った。


茂みから、黒い服を着た男たちが現れた。その手には鋭い金属製の棒やナイフが握られている。一人が前に出て、ジュノを見据えた。

「おい、そこの女。おとなしく従うなら危害は加えない。」

ジュノは冷静に彼らを観察した。動きや持ち物から判断して、彼らはただの強盗や流れ者ではない。彼らの視線は明らかに自分を狙っており、その目には計算された目的が宿っている。

「私に何の用?」ジュノは一歩も引かず、男たちを見据えた。

リーダー格と思われる男が笑みを浮かべた。「さすがだな、反応が早い。だが、お前には何か重要なものが隠されているらしい。さっさと差し出せば、命までは取らないでやるよ。」

「重要なもの……?」ジュノはその言葉にわずかに眉をひそめたが、すぐに冷静さを取り戻した。「私には渡すものなんて何もないわ。」

男たちの表情が一瞬で険しくなった。「そうか……なら力づくで探させてもらう!」


その瞬間、一人の男がナイフを持って突進してきた。ジュノはとっさに体を沈め、彼の攻撃をかわす。次の瞬間、自分の手が無意識に動いていた。男の手首をつかみ、力を込めてひねる。その動きは滑らかで正確で、まるで長年訓練された兵士のようだった。

「……!」男が驚きの声を上げ、ナイフを取り落とす。

続けざまにジュノは体を回転させ、別の男の足を払い倒した。その動作は無駄がなく、合理的だった。彼女自身、なぜこんなに自然に動けるのか理解できなかった。

「この女、一体何者だ!?」倒れた男が叫ぶ。

「知るか!全員でかかれ!」リーダー格の男が怒声を上げる。


3人が同時に襲いかかる。だが、ジュノは恐怖を感じるどころか、冷静に彼らの動きを読み取っていた。相手の動きを予測し、最小限の力で反撃する。男たちは次々と地面に倒れ込む。

彼女の動きには、まるで何かにプログラムされたかのような精密さがあった。

最後にリーダー格の男だけが残った。彼は手にしていた金属の棒を振り上げ、ジュノに向かって襲いかかる。しかし、ジュノはその攻撃を軽々とかわし、男の胸を強く突いた。

「ぐはっ!」男は声を上げて地面に倒れた。

ジュノは倒れた男たちを見下ろしながら、自分の手を見つめた。胸の中に湧き上がる感覚――それは達成感でも満足感でもない。ただ、冷静で無感情なものだった。

「……どうしてこんなことができるの?」ジュノは小さく呟いた。


数分後、家の中からハルキが恐る恐る顔を出した。「ジュノさん、大丈夫ですか?」

ジュノは振り返り、ハルキに微笑みを返した。「ええ、心配しないで。もう安全よ。」

ハルキが近づき、倒れた男たちを見て目を丸くした。「こんなにたくさんの人を……ジュノさん、一体どうやって……」

「私にも分からない。」ジュノは静かに答えた。「ただ、体が勝手に動いたの。」

ハルキはしばらくジュノの顔を見つめていたが、やがて小さくうなずいた。「ジュノさんは、やっぱり普通の人じゃないんですね。」

「……普通の人じゃない。」ジュノはその言葉を繰り返した。そして、胸の奥で何かがざわつくのを感じた。


ジュノは庭に倒れた男たちを見つめながら、自分がただの人間ではないことを再認識する。彼女を狙う勢力が何者なのか、彼女自身の正体が何なのか――その答えはまだ見つからないが、確実に何かが動き出している。

彼女は静かに立ち上がり、ハルキに向かって微笑みながら言った。「中に戻りましょう。これから、いろいろ準備が必要になるかもしれないわ。」

ハルキは少し不安そうな顔をしながらも、ジュノの背中を追って家に戻っていった。

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