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星を継ぐもの:Episode6-1

Episode6-1:ギネヴィアウイルスの深刻化

夜明け前の王都は、かつてないほどの沈黙に包まれていた。灰色の雲が空を覆い、遠くの街灯がぼんやり霞む。見上げても星は見えず、月の姿さえ隠れている。足元の石畳はしっとりと湿っており、まるで街そのものが深い嘆きに沈んでいるようだった。

かすかに聞こえるのは、巡回の兵が打ち鳴らす微かな足音。そして、発熱や幻覚に苦しむ人々のうめき声が、時折薄暗い路地や家屋から洩れてくる。騎士団の詰所や医療区画は明かりが絶えず、昼夜問わず慌ただしい。いつか来るはずの敵の襲撃に備えながら、内部ではさらに深刻な問題が着々と広がっていた――ギネヴィアウイルスと呼ばれ始めた謎の病の蔓延である。


ある兵舎の一室で、若い騎士が荒い呼吸をしながら床に崩れるように横たわっていた。体温は高く、じっとりした汗が顔を濡らす。目は虚空を見つめ、時折なにかを追うように動き、意味を成さない言葉を吐き出す。それを見守る仲間も言葉を失っていた。最近増え続ける、まさに幻覚と高熱の症状である。

「ここ数日、悪化が早い者が増えてる……」

部屋の隅で、金髪のショートカットをした神官リリィが、憔悴した面持ちでそう呟いた。彼女は額に浮かぶ汗を拭いながら、浅い呼吸をする患者に回復魔法を当てているが、効果は限りなく薄い。
となりにいた深緑のローブのセリナが、静かに瞳を伏せる。

「ううん……熱を下げても、幻覚や錯乱が止まらない。これじゃ、ただの風邪や疲労とはまるで違う」
視線を患者に戻すと、そのかすれた声がかすかに聞こえた。「……敵……撃たなきゃ……敵が……」と繰り返し言っているのだ。まるで頭の中に、常に観測光の残像か敵のイメージが焼き付いているかのよう。

「私たちが観測しても、これといった呪いの波動は読み取れないし、歪みの影響とはまた別物……。かといって治癒魔法も効かない。どうすればいいの?」
リリィは震える声でセリナに問う。セリナも眉をひそめるばかりで、確かな回答はない。


詰所の廊下を、騎士のカインとモードレッドが急ぎ足で通り過ぎる姿があった。前日の夕刻から出撃していた彼らは、どうにか敵の襲来を押し返して戻ってきたところだが、王都に広がる病のせいで空気が異常に張りつめているのを肌で感じ取っている。

「まさか、こんな短期間でここまで拡がるとはな……」
モードレッドが低く唸り、眉間に深い皺を刻む。
「誤射や暴走がこれ以上起きれば、戦うどころじゃなくなる。何とか食い止めないと……」
カインは切迫した面持ちで吐き捨てるように言った。二人とも、すでに何度か“仲間への誤射”や“暴走”を目の当たりにしていた。発熱や幻覚で味方を敵と見なす症例が増えつつあり、さらに恐ろしいのは、その症状が深刻化する速度が上がっていることだ。

「もし誤射が続けば、士気が下がるだけじゃなく、俺たちが互いに銃口を向け合う地獄だぜ……」
モードレッドは苛立ちを押し殺しきれず、壁を軽く拳で叩いた。
「わかってる。すでに仲間を信じられないという声も出始めてる。皆、ギネヴィアウイルスと呼びはじめたが、本当にそんな呪いみたいな病が実在するのか……」
カインは視線を落とし、唇を噛む。敵が外から攻めてくるなら斬りかかることもできるが、内側から崩れる病には剣も魔法もままならないのだ。


城の一角では、神官長マグナスがマーリンとともに実験室で論議を重ねていた。テーブルには古代の文献や、新たに解析を行った魔力波形のデータが散乱している。先日、干渉治療の仮説がわずかに成功した例があったものの、まだ効果が安定しない。むしろ患者が増えているため、一人一人に長時間の干渉を試す余裕もない。

マーリンがタブレット端末を握りしめながら息を荒くして言う。
「検体データを比べたら、この病原体はやはり観測光と似た波形を体内で増殖させている。しかもだんだん増殖速度が上がってるようだ。もしかすると敵が進化するように、コイツも進化してるのかもしれない……」
マグナスは神妙な顔つきで、「神官たちが施す回復魔法がほとんど通じない時点で、ただの感染症じゃないな……。観測光の“侵食”のようなものが人の精神を蝕んでいるのかもしれん」と返す。

「ギネヴィアウイルス……伝承には、これが広まると仲間同士の血を流し合い、王国が崩壊したとある。まさか同じ結末を辿るわけにはいかない。アリスが眠ってる今、どうすれば……」 マーリンの独白に、マグナスは深い溜息を吐く。 「もしアリスがいれば、干渉波で体内の観測光を強引に消し去ることもできたかもしれんが……もう少し、我々でできる術式を探すしかない」

そう、今や騎士団の内側で進行する病は、もはや個人の問題ではなく王国存亡に関わる問題だ。敵の襲撃も依然として続く状況下で、内から崩れていけば何の抵抗もできずに滅ぶ。確実に“深刻化”という言葉が似合う最悪の局面を迎えつつあった。


夕刻、アーサーとエリザベスは再度緊急会議を開こうとするが、騎士団員や兵士に出欠を取ってみれば、体調不良や発熱で参加できない者が過半数に達している。やむを得ず、まだ動ける者だけが顔を揃える形になったが、その場には苦悶や苛立ち、絶望が入り混じった雰囲気が漂っていた。

ガウェインが険しい面持ちで打ち明ける。
「出られない者の多くが、それこそ“大丈夫だから”と言いながらも咳き込んだりしていて、いざ戦場に行けば誤射するかもしれない……と周りに恐れられている。だから余計に外へ出ようとしない。これでは戦力が成り立たない」
「王都外の警戒が緩めば、敵が入り込み放題だ。現に、最近は小規模な奇襲が多発し始めている。何か狙っているに違いない」
モードレッドが拳を握りしめながら言う。彼も睡眠時間を削り続けていて、顔色がひどく悪い。

カインは苦渋の表情で、「……これがギネヴィアウイルスの正体か」と噛み締めるように呟く。 「昔の文献じゃ、これが広がった国は仲間割れで滅びたって話もあったらしい。誤射や暴走が増えれば、同じ運命を辿るのか……」

エリザベスが髪を乱して溜息を落とす。「今すぐ解決策があるわけでもない。でも、こうして放置すれば、王都の民も皆が怯えて疑い合うだけになる。私たちが止めなくちゃ」
その言葉に、場の誰もが反論できない。だが、どうやって? 病の治療は進まない、誤射への恐れで訓練にも不安が募る、敵は新たな形態を見せつつある。暗澹たる空気がひたすら会議を覆い、具体的な打開策を得られないまま時間だけが過ぎていった。


夜半に近づくと、街角から悲鳴が上がったという報告が届く。どこかの民家で発熱者が暴れ、家族を傷つけかけたらしい。騎士団が駆けつけて鎮圧したが、その回数が増えていることが問題だ。兵の人数も足りず、対応が後手に回れば取り返しのつかない惨事になるのは時間の問題だ。

「しっかりしろ……! 何を見てるんだ!」
民家に踏み込んだ兵が叫ぶが、発熱者は明らかに幻覚を見ているらしく、敵と叫んでは棒切れを振り回している。騎士たちが必死に取り押さえるが、家族は恐怖で声を上げて泣き叫び、「騎士団なんて信用できない!」とすがるように叫んでいる。以前なら「騎士団が来てくれた」と安堵する場面なのに。

騎士たちも心が張り裂けそうだ。自分たちの姿が民を落ち着かせるどころか、「あんたたちも誤射してくるかも」「病を移すんじゃないか」と疑われるありさま。それでも踏ん張らねば、守るべき街を放棄することになる。

「ご安心を……我々が何とかします……! 落ち着いて……」 必死に説得するが、恐怖に沈んだ家族がどう応じればいいのか分からない。確かに、ここ数日だけで仲間を撃つ事件が複数起きたと聞けば、外から見れば不信が湧くのも当然だ。


翌朝、空は相変わらずの曇天で、浅い霧が街を覆う。城下へ向かったカインとモードレッドは、通りを歩く市民の視線から敵意まではいかないものの、強い警戒心を感じ取った。おかしな話だが、今や騎士団の腕章を見ると人々が怖がる場面さえある。誤射されたくない、病を移されたくない、そんな思いが表情に浮かんでいた。

「くそっ。これじゃ、まるで俺たちが疫病神扱いだな……」 モードレッドが小声で言うと、カインは苦い顔で同意する。 「騎士団が人々に恐れられるなんて、本当に最悪のシナリオだ。誤射や暴走事件が続けば、そりゃ信頼も揺らぐ……」

さらに神官が懸命に対応しているが、症例は増える一方だ。セリナやリリィも寝る暇を惜しんで医療区画を回っているらしいが、限られた人手では焼け石に水だ。しかも、敵の襲撃に同行しなければ歪みを捉えきれず、前線での被害が増す。どちらを優先しても被害が出る状況――まさに限界に近い。

「まさしく、ギネヴィアウイルスの深刻化……。こんな形で王都を崩されるとはな」 モードレッドが嘆息するように呟く。カインも足を止めて唇を噛んだ。今や誤射や暴走を恐れるばかりで、守るべき人々からも逃げられ、協力態勢は崩れ始めている。それを感じ取ると、胸にひどい空洞が生まれる。


王城の執務室に戻ると、アーサーとエリザベスが疲労困憊の様子で書類とにらめっこしていた。どちらも王国の要だが、一晩のうちに老け込んだように見える。見れば、机の上には民からの嘆願書が山積みになっていた。
「もはや民からは“誤射する騎士をどうにかしてほしい”“感染を防いでくれないなら逃げるしかない”という声ばかり。移住を検討する者も出始めているわ……」
エリザベスがそう言いながら眉を寄せる。アーサーも立ち上がり、「逃げられるのならまだ幸運だが、そうすればこの王都の力はさらに減る。外には敵がいるし、どのみち安全が保証されるわけじゃない」と頭を抱える。
どこへ逃げても、敵の白銀装甲や歪み、あるいはこの謎の病に追いかけられる可能性がある。それでも王都に留まって誤射の危険と隣り合わせか、あるいは外へ出て敵に襲われるかの二択。民にとっては絶望しかない。

カインが堪らない思いで口を開く。「何とか、希望を示さないと……。たとえば、セリナやリリィの干渉治療が少しでも進めば、誤射を起こす患者を救えるかもしれない」
アーサーは顔を上げ、エリザベスと視線を交わす。わずかな光にすがるしかないという苦渋が、互いの表情にこもっていた。
「そうだな。まだ確立されたわけじゃないが、成功例が出た以上、やるしかない。もしこれが上手くいけば、病の拡散を食い止め、誤射や暴走を予防できるはずだ。少しずつでも結束を取り戻せるかもしれん」


その夜、医療区画の奥で行われる第二回目の干渉治療は、何人もの神官とマーリンが立ち合い、騎士団からはカインやガウェインも護衛という名目で見守る形となった。施術を受けるのは、発熱と軽い幻覚を訴えている騎士二名。先に誤射をしそうになった者も含まれている。
「……大丈夫、怖がらないで。これが成功すれば、あなたは元に戻れるかもしれないから」
リリィが優しい口調で慰めるが、当の患者は震えながら「ひ、人を撃つくらいなら、死んだ方がマシだ……」と弱々しく口にする。
セリナはそれを聞いて心が締め付けられるようだが、治療の段取りを進めるため、淡々と指示を出す。「まずは魔力式装置を安定させて。マーリン、魔力の周波数を合わせて」
「分かってる。カイン、もし暴走したらすぐ押さえてくれよ」
マーリンはタブレットを操作し、カインは無言で頷く。ガウェインも横で身構えている。

いざ干渉治療が始まると、やはり患者たちは激しい痛みに襲われ、悲鳴が部屋に満ちる。魔力と干渉波に近い力が体内に入り込み、観測光の波形を消そうとしているのだが、その過程で精神に負荷がかかるらしい。何度も誤射を起こしかけた手を抑え込まれながら、荒い呼吸を繰り返す。
やがて、一人の騎士が泡を吹いて倒れ込み、皆が一斉に動揺するが、セリナやリリィが必死に回復魔法を当て、安定を図る。マーリンは「あと少し……!」と声を上げ、装置を制御する。
数分後、光の渦が収まり、患者の呼吸がゆっくりと落ち着いてきた。騒然とした部屋の中で、誰かが「どうだ……?」と呟き、カインが患者の顔を覗き込む。見ると、顔の赤みが幾分か引いているように見える。いまは意識を失っているが、命に別条はなさそうだ。

「効いてるかもしれない……!」
リリィが小さく微笑み、マーリンも眼鏡の奥で瞳を輝かせる。「波形は一時的にだが消失した……。もし再発がなければ大成功だ」
セリナは大きく息をつき、「まだ油断はできないけど、これで誤射の危険が減るなら、皆が少しずつ安心できるわね」と囁く。ガウェインは微かな笑みを浮かべ、「これが結束を守る鍵になるかもしれん」と力強く呟いた。


翌朝、治療を受けた騎士の容態が安定しているという報せが広まり、暗雲に覆われていた騎士団の面々にわずかな明るさが戻り始める。誤射や暴走を起こす可能性が大幅に減るならば、仲間への恐怖が和らぎ、病で倒れた者たちも救えるかもしれない――そんな希望を抱く者が増えたのだ。

「本当か……? あの干渉治療が効くって?」「嘘みたいだが、魔力の負担が大きくて簡単には量産できないらしい」
兵士同士の会話も、昨日までの陰鬱さから少しだけトーンが上がる。患者自身も「もし治るなら、もう一度戦える」と意欲を示し始めた者が出てきた。
だが、もちろん根本が解決されたわけではない。まだ少数の成功例にすぎず、敵の襲撃は続いている。カインやモードレッド、ガウェイン、トリスタンは再び出撃の準備をしながら、一刻も早くギネヴィアウイルスの深刻化を食い止めなければならないと痛感する。

「……もしこのまま敵が大規模に攻めてきたら、治療する時間も余裕もなくなる」
カインが装備を整えながら言うと、トリスタンは眼差しを伏せて静かに答える。「それでも、こうして希望を掴めた。俺たちが戦いを抑えている間に、神官たちが治療を進めれば……結束を守れるはずだ」

ガウェインも深く頷き、「ああ、まだ間に合うかもしれん。今こそ俺たちが戦って時間を稼ぎ、干渉治療が軌道に乗れば誤射の恐怖が消える」と強い口調になる。モードレッドも「あの病のせいで仲間を信じられないなんて冗談じゃねえ。絶対阻止してやる」と拳を鳴らす。

まさに、ギネヴィアウイルスの深刻化は今が山場なのかもしれない。誤射が増えれば崩壊、干渉治療が普及すれば復活の芽が出る――紙一重のバランスに王都の命運が乗っている。
騎士団が再び出撃に向かい、神官たちが医療区画で治療を試みる。外からの敵と内なる病、両方に対処する激務が続くが、暗雲の中で彼らは一縷の光を見いだしていた。結束を取り戻し、アリスが眠るまでも築き上げた防衛体制を崩させないために。


夜が深まると、再び王都は沈黙を取り戻す。だが、その静けさは決して安らぎではなかった。巡回する兵たちの足音が通常より多く、誤射を防ぐための監視体制が敷かれている。病室では数多くの患者が横たわり、意識のない者、幻覚に苛まれる者が入り混じる。神官たちが懸命に干渉治療を行おうとするが、魔力の負担は大きく、一日に対処できる人数も限られる。

「……全部を救うには、時間がかかりすぎるわね。これでいいのかしら」
リリィが疲労混じりに呟く。セリナは顎に手を添え、「今は仕方ない。夜通し施術しても、まだまだ追いつかない。でも、一人でも多く救えれば結束は崩れずに済む」と答える。
それを聞いたマーリンはタブレットの画面を確認しながら、「俺たちで装置を改良するしかないな。もっと効率よく干渉波を当てられれば、短時間で治療できるかもしれない」と力なく笑う。

もしこの瞬間に大規模な敵襲があったなら、疲れ切った騎士団は対応できないだろう。だが、不思議と今夜は大きな襲撃報告がない。まるで敵が様子を伺っているかのように、王都を取り巻く歪みは静かな姿を保っている。その静けさが逆に神経を逆撫でするようだ。

「きっと、敵は俺たちが病と闘うのを見計らっているんだろう。どこかで一気に叩くために……」
カインが医療区画の廊下でそう呟くと、ガウェインが重く頷く。「奴らは自分たちが進化する時間を稼ぎつつ、俺たちが崩壊するのを待っているのかもな」

もしギネヴィアウイルスがさらに深刻化し、誤射や暴走事件が増えれば、今度こそ騎士団の結束が決定的に壊れる。そのとき、敵が総攻撃をかけてくれば、王都は崩れるに違いない。それこそ、古い伝説が再現されるかのようだ。


夜明け前、再び小さな事件が起きた。東の見張り台で、ひとりの兵士が仲間に銃を向けたとの通報が入り、近くにいた騎士が制止したらしい。未遂で済んだが、その兵士は発熱と幻覚の兆候が見られ、そのまま倒れたという。幸い、銃声は鳴らなかったが、これでまた騎士団内の不安は跳ね上がった。

「まだ未遂で済んだからいいけど、これ以上増えたら……」
兵士の一人が青ざめた顔で言う。
「もう疑うしかないのか、仲間を……」
それが合図のように重苦しい沈黙が広がる。とっさに制止した騎士も「俺、いつか同じことをするかもしれない」と背筋を寒くしていた。

まさにギネヴィアウイルスの深刻化が極限に近づいている。誤射が連鎖し、暴走が相次げば、円卓騎士団は内側から壊れていく。たとえ干渉治療が一部成功しても、患者の数と感染速度がそれを上回れば間に合わない。この綱渡りがどこまで続くのか、誰にも分からないのだ。


朝陽の色は隠され、僅かな薄明かりが城壁を照らす。カインたちは整備されたばかりの機体を前に、口数少なに身支度をしている。敵が新しい形態で攻めてくる兆候があるという報告が入り、それに対処するため出撃準備がなされていた。
「リリィたち神官は、また医療区画にかかりっきりだ。観測が足りないまま行くのか……」
モードレッドが焦燥を滲ませるが、ガウェインは低く唸る。「仕方がない。病を見捨てて出撃しても、後で誤射が起きれば……。今は少数でうまく戦うしかない」

結束の危機は続く。神官を戦場に呼ぶか、医療区画に留めるかだけでも意見が割れている。どちらかを選べば片方に不利な事態が進行するのだから。

そこへトリスタンが駆け寄り、「とりあえず敵はそこまで大きい規模じゃないが、やはり歪みを纏った個体がいるらしい。短期決戦で仕留めよう」と息を切らせる。カインは自分の銀の小手を見つめ、小さく息をつく。
「分かった。短期決戦で倒して、すぐに戻り、神官の干渉治療を手伝う方向で動く。これを繰り返すしかない。結束が切れないよう、踏ん張るんだ……」

その言葉が、空気をほんの少しだけ引き締める。皆、疲労と恐怖を抱えているが、「仲間を撃たずにやり抜く」と誓いを込めるようにヘルメットを装着して機体へ向かう。病に負けず、誤射に負けず、敵の進化にも屈しない――そう呟くように足を踏み出すが、何人がこのまま戦い続けられるのかは未知数だ。

こうして王都の夜明けは迎えられた。灰色の雲は遠くまで広がり、僅かな陽光が射すだけ。人々は怪訝な表情で互いの様子を窺い、発熱を隠していないか、幻覚に支配されていないかを気にする。兵舎には「誤射をするなよ」などの冷やかな声さえ飛び交う。
まさに、ギネヴィアウイルスの深刻化は騎士団の心を裂き、市民の安心を奪い、敵を利する最悪の状況を作り出していた。だが、神官の奮闘や干渉治療の仮説がまだ繋ぎ留めている。一筋の光を見失わず、どうにか一致団結しようと足掻く騎士たちの姿こそが、王都を支える最後の砦だ。

果たして、このまま乗り越えられるのか。それとも病がさらに猛威を振るい、結束の危機を越えて完全な崩壊へ向かうのか。何より、未だ眠り続けるアリスが目覚める気配は薄く、干渉波の本格的な助力は期待できない。もし敵が一斉総攻撃を仕掛けるタイミングを待っているのだとすれば、それは間違いなく王都の悪夢となるだろう。

それでも、カインや神官たちは進む。誤射による悲劇を増やさないためにも、ギネヴィアウイルスを封じ込めねばならない。今回の出撃でも、仲間への銃口が向かぬよう最大限の注意を払いつつ、歪みを纏う白銀装甲と戦わねばならない。
まるで二つの戦いが同時進行している――外の敵と内なる病。その両方に勝たなければ、王都も、眠るアリスも、守れはしない。その重圧を抱えながら、彼らは曇天を見上げ、いつ来るとも知れぬ大嵐に心を備え続けているのだった。

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