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天蓋の欠片EP7-1
Episode 7-1:再びの襲撃
まだ夏の名残が抜けきらない空気のなか、校舎の廊下を満たす朝のざわめきは、どこか落ち着かないものだった。最近になって、また立て続けに真理追求の徒の構成員が街で目撃されたり、小さな爆発騒ぎが起きたりと、不穏な噂が尽きない。
昇降口を抜けた先で、天野ユキノはクラスメイトのナナミと顔を合わせる。
「おはよ、ユキノ。……なんか朝から空気が重いよね。昨日も、近くの商店街で謎の騒ぎがあったらしいし」
「うん……たぶん、また連中が動いてるんだと思う。タスクフォースの人たちが警備してるけど、何をされるか分からないから……」
そう言いながらも、ユキノは心中、ずっとカエデのことが頭を離れない。彼女も同じように狙われる身でありながら、真理追求の徒の研究施設を抜け出し、今はクラスメイトとして日常に溶け込もうとしている。エリスやアヤカといった大人たちが衝突を続けるなかで、ユキノは彼女と「友達」になり、守り合う関係を築きはじめている。
「ねえ、カエデちゃんは? もう来てるかな」
ナナミがキョロキョロと周囲を見回す。彼女もすっかりカエデに親しみを抱いており、放課後には一緒に遊ぶ約束をしているらしい。ユキノは「どうだろう、先に教室かな?」と、足早にクラスへ向かう。
扉を開けると、カエデは席に座って何やらノートを広げていた。その小さな背中を見ると、ユキノの胸はじんわり温かくなる。「おはよう、カエデさん!」と声をかけると、彼女は少し振り返り、かすかな微笑みを浮かべて「おはよう、ユキノ」と返す。こうしたやり取りが当たり前になってきたのが、ほんの少し前までの孤立状態を思うと奇跡のようだ。
一方で、窓の外をちらりと見ると、校庭の端にはタスクフォースの車が数台止まっている。警備員が増員され、廊下にもスーツ姿の隊員たちの姿がちらほら。ユキノは(また何か大きな事件でも起こるんじゃ……)と不安をかみしめつつ、朝のホームルームを待った。
やがて始まったホームルームで、担任の先生が神妙な面持ちで告げる。
「みんな、もう知ってるかもしれないけど、また街で不審な爆発未遂事件があって……しばらく警備を強化するそうだ。校門や廊下にいる人たちが増えたのもそのため。くれぐれも用事がない限り放課後は早く帰るように……」
クラスにはうんざりした空気が漂う。「またかよ……」「いつになったら普通に過ごせるの?」という声が聞こえるが、一方で「真理追求の徒がまだいるんだろ」「生成者とかなんとか言ってたし……」といった不安混じりの噂話も絶えない。
ユキノは肩をすぼめ、「また、みんなが怖がってる……」と心を痛める。隣を見ると、カエデが伏し目がちになっているのが分かる。自分が原因でこうなっているわけではないが、やはり「私がいることで目立つなら申し訳ない」と感じているのだろう。
「……仕方ないよね、こんな状況じゃ……」
ユキノが小声で話しかけると、カエデは小さく首を振る。「私も、どうしてこんなに狙われ続けるのか、もう分かってるようで分かってない。あの人たちが何を望むのか……」
真理追求の徒は、カエデの力を利用しようとするのか、それとも“生成者”としての存在を排除したいのか。それとも蒔苗のような観測者を追っているのか……真実は闇の中。ユキノはアヤカやエリスから断片的に聞いているが、はっきりとした全体像を把握できていない。
「でも、私たちが力を合わせれば、きっと阻止できるよ。痛いし怖いけど、カエデさんも、私も……大丈夫だから」 「……うん。ありがとう」
カエデが微かに笑みを返す。そんな二人の姿に、少し離れた席でナナミが「よし、今日も一日がんばろー!」と声を張り上げ、クラスの重い雰囲気を和らげようとする。わずかではあるが、一致団結する空気が生まれつつあるのを、ユキノは感じ取った。
一見、平穏に見える午前中の授業が終わるころ、校内アナウンスが不意に鳴り響く。いつもより一段階大きな警戒音が混じり、教室がざわついた。
「……全校生徒に告げます。校外にて爆発音のようなものが複数確認されました。真理追求の徒による襲撃の可能性も否定できないため、ただちに……」
担任が苦い顔をして黒板をふり返り、「また……」と小さく呟く。生徒たちは机から顔を上げ、互いに不安げな視線を交わす。数週間前から続く襲撃騒ぎに、みんなの神経はかなり削られているのだ。
「本日、午後の授業は打ち切りにします。早めに下校するように……」
続くアナウンスに、クラスは騒然となる。ナナミが隣の席に駆け寄り、「マジか……こんなに何度も途中で帰らされるとか……」と青ざめながら言う。ユキノは(またか……)とため息を吐きつつ、カエデの方を見やる。
カエデは窓の外を見据えて動かない。どこか、遠くで聞こえるサイレンを耳にしているのだろうか。彼女の瞳に浮かぶのは、怯えではなく、苦悶の色に近い。「……あいつら、どこまでしつこいんだろう。何がしたいの?」と小声で吐き捨てる。
ユキノはカエデの腕にそっと触れ、「落ち着いて。下校命令が出たなら、護衛の車で一緒に帰る?」と提案するが、カエデは少し視線をそらす。「どうしよう……でも、タスクフォースの車は苦手。まだ慣れない」
ナナミが「私は一緒にいたいけど、親がめちゃくちゃ心配してるから、家にすぐ帰らなきゃ」とバタバタと荷物をまとめ始める。教室全体がパニック状態だ。
そんななか、担任が入ってきて「みんな落ち着いて。すぐに下校の準備をして。校門にはタスクフォースの隊員が立っているから、指示に従って!」と声を張り上げる。ユキノは歯噛みしながら、「また、まともに学べないまま一日が終わるんだね……」と嘆息する。
廊下に出ると、あちこちから「避難!」とか「下校!」とかいう声が飛び交っている。護衛の隊員がユキノを見つけ、「天野さん、こちらへ。一刻も早く退避を」と急かしてくる。しかしユキノはふと立ち止まり、「カエデさんは……」と周囲を探す。彼女はすぐ隣にいたはずなのに、見当たらない。
「え……どこ行ったの? さっきまで一緒にいたのに……」 「彼女なら先に昇降口へ向かったんじゃないですか?」
隊員はそう言うが、ユキノには嫌な胸騒ぎがする。カエデが一人で外に出れば、真理追求の徒に狙われる危険もある。むしろ襲撃そのものが、カエデをおびき出す罠かもしれない、と考えると足がすくむ。
「私、探してきます! 彼女を放っておけない!」
「だめです、天野さんまで危険に……」
隊員が腕を掴もうとするが、ユキノは振りほどくように走り出す。「ごめん、すぐ戻るから!」とだけ叫び、廊下を駆ける。痛みが走る体を押して校舎を巡る。階段や空き教室を覗いてみるが、カエデの姿は見つからない。
「カエデさん、どこに行ったの……!」
そんなユキノの背後から、人の気配が迫る。振り向くと――タスクフォースの隊員ではなく、暗い服を身に纏った男たち数名。どこから侵入したのか、まるで学校を知り尽くしたように動いている。おそらく、真理追求の徒の下っ端かもしれない。
「っ……まずい……!」 階段まであと数歩というところで、男たちがこちらを発見し、「あれは……生成者の女か?」と声を上げる。ユキノは一瞬、痛みで身がすくむが、すぐに逃げようとする。しかし相手は早く、オーラのような衝撃波を放って階段をふさぐ。もう戻れない。
(こんなところで戦うと、校内が壊れちゃう……でも、仕方ないか。)
恐怖に震えながらも、ユキノは胸の射出機を手に取り、痛みに耐えて弓を呼び出す覚悟を決める。万が一、校舎が破損しても、ここでやられたら意味がない。この人数を相手にするのは厳しいが……と覚悟を強めた瞬間、背後から青紫の刃が男の腕を斬り払う。
「ぐあっ……!」 振り返ると、そこにカエデがいた。息を乱しながら、紫色のオーラを振るって男たちを牽制している。「ユキノ……こっち来て!」と促す声が聞こえ、ユキノはホッとしたように胸を撫で下ろす。
「カエデさん……よかった、無事で……!」 「はやく……これ以上、校舎を壊させない。外へ誘導して戦ったほうが被害が少ないわ」
男たちも容赦なくオーラを振るい、廊下の壁にひびを入れる。コンクリ片が落ち、生徒たちが怯えながら走り去る中、二人が視線を交わして頷き合う。ここでの戦闘は無意味に被害を増やすだけ――そんな思いが一致したように、カエデが男たちを挑発しながら階段を駆け下りる形をとり、ユキノが後方を守る。彼らは誘導されるように「逃げるのか!?」と追いかけてくる。
階段を駆け下りて校庭へ出ると、残っている生徒たちや教師が既に避難を進めており、広場の中央には警備員とタスクフォースの一部が待機している。ここなら多少スペースがあるから、派手な戦闘になっても人を巻き込む危険が少ない――二人はそう考えて、あえて校庭を戦場に選んだわけだ。
男たちが追いつき、血走った眼で「おとなしく捕まれ……いや、力を奪わせてもらう!」と呻くように言う。真理追求の徒のやり方だと、生成者の力を無理やり抽出する非道な手段があると聞かされている。ユキノは強い恐怖を覚えるが、ここまで来たら逃げるわけにはいかない。
「カエデさん……一気に叩こう。私が弓を撃つから、合わせて突撃して……」 「分かった。こいつらは少数みたいだし、油断はできないけど連携すれば勝てる」
短く言葉を交わし、ユキノは胸の射出機に手を当てる。鋭い痛みが体を突き抜け、頭がクラクラするが、踏ん張って弓を形成。カエデは紫の刃を生み出し、わずかな動きで重心を低く構える。男たちはオーラを膨れ上がらせ、次の瞬間、激しい衝突が始まる。
「うわあああっ……!」 ユキノが痛みに耐えて矢を放つ。青白い閃光が宙を走り、一人の男の左肩を掠める。血が噴き出すわけではなく、オーラが砕け散る形でダメージを与える。しかし相手もタフなのか、そのまま突進してくる。
カエデが刃を振りかぶり、低い姿勢から斬り込みを狙う。が、別の男が横からオーラを飛ばして牽制し、カエデはギリギリでステップして回避。
「くっ……もうちょっと……」
歯がみするカエデの背後から二人目の男が回り込む。ユキノは目を見開いて「カエデさん、後ろ!」と叫ぶが、すでに刃は振りかぶってしまい、振り返る暇がない。やむを得ず、ユキノは急いでもう一度矢を作ろうとするが、すでに限界に近い胸の痛みが体を襲う。
(もう一射……撃ちたいのに……!)
視界が揺らぎ、手元の弓が不安定になる。そのまま撃てば、もしかするとカエデを巻き込んでしまうかもしれないという不安が頭をよぎる。どうすれば――そんな迷いが生まれた瞬間、別方向から鋭い一撃が男の背後を撃ち抜いた。
「グアッ……!」 青い閃光。それはエリスがリボルバー型射出機を放った弾丸だった。探偵として独自に駆けつけたのだろうか、彼女は校庭の脇から狙いを定め、見事に男の背後を射抜いてみせたのだ。
「危ないところね……ユキノ、もう少し早く私を呼びなさいよ」
エリスが軽口を叩く。ユキノは心底ホッとして、「先生……! ありがとう」と声を上げる。
「ふん、勝手にピンチにならないでよね。まあ、これで残りは一人だけかしら」 エリスの言葉通り、男のうち二人は倒れ、残る一人がカエデを睨んで構えている。血走った目が「裏切り者……ここで仕留める……!」と叫びそうな憎悪を放っている。
(裏切り者……やっぱりカエデさんを研究施設に連れ戻そうとしてる……)
ユキノは胸を押さえながら、次の矢をどうにか作ろうとするが、足が震えて立てない。そこでカエデが踏み込む。「もう、いい加減にして……私は二度とそっちの言いなりになんかならない!」
男のオーラが膨張するが、エリスが横からまた射撃を加え、動きを止める。カエデはその隙を逃さず疾走し、紫の刃を水平に振り払う。バチッという衝撃が走り、男はオーラを砕かれて転倒。タスクフォース隊員が待ちかまえていて、一瞬で拘束に入る。
「やった……!」
ユキノは安堵の笑みを浮かべるが、すぐに体が重くなり、膝から崩れ落ちそうになる。駆け寄るエリスが「大丈夫?」と肩を支え、カエデも息を切らしながら「ユキノ、無理しないで」と声をかける。
「……ごめん、弓の二射目が撃てなかった……あのまま先生が来なかったら危なかったよ、ありがとう……」
「安心しなさい。私があなたたちを見捨てるわけないでしょう。……でも、そろそろ本気で“痛み”のコントロールを考えないと危険ね」
エリスは苦い顔で笑う。カエデがそっと目を伏せ、「私もまだ制御は完璧じゃないし、もっと訓練が必要かも……」と呟く。
護衛の隊員が慌ただしく駆けつけ、「皆さん、ご無事ですか!」「被害が大きくなる前に制圧できてよかった……」と安堵し合っている。校庭は一部がえぐられて、深い傷跡が残る。生徒や教師たちが校舎窓からこわごわと覗き込んでおり、またも学校が襲撃を受けた形だ。
昇降口へ戻ると、既に下校したと思われていたナナミや一部のクラスメイトが残っていた。事件を目の当たりにした人が多く、噂はすぐに広まり、「ユキノとカエデがまた怪物みたいな連中を倒したんだって……」と半信半疑の声が飛んでいる。
ナナミが「ユキノ! カエデちゃん!」と駆け寄り、「大丈夫!? 本当に大丈夫!?」と血相を変えて尋ねる。ユキノは微苦笑を浮かべ、「なんとかなったよ……ちょっと疲れたけどね」と答える。カエデは困ったように目をそらすが、ナナミはそんな様子にも「助かったんでしょ? すごいよね、ほんとに……」と素直な賞賛を送ってくれる。
周囲の生徒の一部は「またあの子たちが戦ったのか……」と戸惑いを隠せないが、もはや“生成者”であるユキノとカエデが学校を守っているという事実を完全に否定できない段階に来ている。以前までただの噂話だったものが、こうして目に見える形で何度も起こり、彼女たちが何らかの力を使って危機を回避していることを感じ取っているのだ。
「もう隠せないよね……私たちが普通じゃないってこと」とユキノが肩を落とすと、カエデは少し沈んだ表情で俯く。「それで……嫌われたらどうしよう。クラスで、もっと孤立したら……」という不安が胸をかすめるのだろう。けれど、そのときナナミが言う。
「何言ってんの、これだけ助けられてきたんだよ? 私たちはそりゃ怖いかもしれないけど、少なくとも私は二人を嫌いになんてならない。むしろ、ありがとうって言いたいよ」
その言葉に、カエデの瞳がかすかに潤む。ユキノも胸が熱くなって、小さく「ありがとう……」とつぶやく。周囲のクラスメイトの中にはまだ動揺している者もいるが、ナナミの一言によって空気が少しだけ柔らかくなる。
(こうやって、私たちの“非日常”を認めてくれる人が増えれば、カエデさんも孤立しなくて済むかな……。)
友情の芽が、さらに広がっていく兆しをユキノは感じていた。戦いはまだ終わらないのに、不思議と心が暖かい。隊員が「あー、でもあまり長居しないでくださいね……危険かもしれないので」と苦笑するが、ナナミも「うん、すぐ帰る。じゃ、また明日ね、ユキノ、カエデちゃん」と手を振る。
「うん、また明日」 「また、ね……ありがとう、ナナミさん」
戦闘後の後処理で、エリスとアヤカ(タスクフォース)が再び顔を合わせる。先日の“衝突”からまだ間もないが、必要な情報交換を行わなければならない。
校庭の片隅で、エリスがリボルバーをホルスターに収めながらアヤカに声をかける。「今回もギリギリだったわね。ユキノとカエデがいなかったら、校舎がもっと壊れていたかも」
アヤカは手帳にメモを取りつつ、淡々と応じる。「……ええ、二人の力を認めざるを得ない。でも、あれほど危険な力を未熟なまま振るうのはやっぱりリスクが大きい。早く管理体制を整えないと、今後もっと大規模な事件が起こるかもしれない」
エリスは少し口角を上げ、「あら、また管理だの保護だのって話? ユキノには彼女の自由もあるし、カエデはなおさらあなたたちを信用してないでしょうに」とからかう調子で言う。アヤカは軽く眉を寄せるが、すぐに息を吐いて落ち着く。
「分かってる。実際、あなたの言う通り強硬すぎるやり方は逆効果でしょう。でも、組織としては何か指針を打ち出さなければならないの。……まあ、先日あなたと交わした約束通り、私が上層部を説得してみる。情報を共有する代わりに、強制的な拘束は行わないという条件を」
「ふふ、それがいいわ。でも私も、蒔苗に関する手がかりは慎重に扱うからね。あなたがどう動くか、まだ見極めてる段階よ」
苦々しいやり取りだが、先日までの激しい衝突とは違って、今は最低限の利害一致を見いだしている。真理追求の徒の攻勢が強まる以上、探偵と公務員が協力しなければ対処できないのだ。
遠くで、ユキノとカエデが顔を見合わせて笑っているのが見える。アヤカがその光景を視線の片隅でとらえ、「二人とも仲がいいわね」と、どこか羨望交じりに漏らす。
エリスは肩をすくめ、「まあ、あの子たちは同世代の“生成者”同士、痛みや苦しみを共有しやすいんでしょう。私たちより柔軟に支え合ってる」と応じる。
「私たちより柔軟、ね……」
アヤカが小さく呟く。先日まで真正面からぶつかったエリスとの関係を思い出し、内心複雑な思いが募る。仕事と信念、どちらも捨てられないからこそ対立した――しかしこうして少しずつ理解し合っている実感もある。
「じゃあ、後処理は任せるわ。私はユキノを連れて帰る。あの子、もう限界みたいだし」
エリスがそう告げると、アヤカは「分かった。捕らえた男を取り調べしておく。何か分かったら連絡するわ」と応じる。互いに軽く視線を合わせ、短い沈黙が流れたあと、「よろしく」「ええ」とだけ言葉を交わし、その場を後にする形だ。
険悪だったはずの二人が、少なくとも連携することには成功しつつある。これこそユキノが望んでいた“協力”なのかもしれない――まだ道半ばだが、アヤカもエリスもこのまま大きな対立には至らないと感じさせる、一抹の希望が見える。
夕刻、再び三人(ユキノ・カエデ・ナナミ)は校門の付近に集まっていた。先ほどの襲撃騒動で校内が一時混乱に陥り、大半の生徒が早々に帰宅したが、隊員の指示でしばらく校内で待機し、安全が確認できてからの下校になったのだ。
ユキノとカエデは戦闘で疲れ切っているが、ナナミが「無事で何より」と手を握ってくれる。「本当にすごいよ……二人とも、カッコよかった」としみじみ呟く。カエデはテレを隠すように顔を背け、「別に……カッコいいとかじゃないけど、やるしかなかっただけ」とつぶやく。
「わたし、あんなにバタバタしてるのに、全然役に立てなくてごめんね。何か手伝いたいけど、力がないし……」
ナナミがシュンとするのを見て、ユキノは「そうじゃないよ。私たちが戦えるのは力があるからってだけで、ナナミが普段からクラスを明るくしてくれるから、私たちも救われてるんだよ」と笑顔を向ける。
カエデも控えめに頷き、「そう、あなたがクラスをまとめてくれるから、私も居場所を感じられる。……ありがとう、ナナミさん」と小さい声で言う。するとナナミは目を丸くして「カエデちゃんに感謝されるなんて、なんか照れる~!」と大袈裟に顔を手で覆う。
「こういう時こそ、仲間って感じがするよね」とユキノが言うと、二人とも賛成を示すように笑う。ほんの数週間前までは想像もしなかった温かな雰囲気だ。戦闘によるストレスや疲れは大きいが、それでもこうして一緒に乗り越えられることが嬉しい。
校門を出た先ではタスクフォースの護衛車が待っている。アヤカはいないが、別の隊員が何人か連携して「天野さんとカエデさんを送ります。ナナミさんはどうします?」と尋ねる。ナナミは「わたし、自宅が近いんで歩いて帰ります。危なそうならタクシー呼ぶし大丈夫」と言ってペコリと頭を下げた。
「じゃあ、また明日ね」と手を振り合い、ナナミは先に歩いていく。ユキノとカエデは車に乗り込むが、カエデがまだ躊躇する様子を見せている。「本当に……いいの?」と呟くので、ユキノは「大丈夫。隊員さんもそこまで怖くないよ」と笑顔を見せる。
「わかった。じゃあお邪魔する……」
カエデがそれだけ言ってシートに腰を下ろす。その目にはわずかに安堵の色が見える。こうしてタスクフォースの車で送られることが当たり前になる日は、そう遠くないのかもしれない――ユキノはそう感じつつも、無理に踏み込まないよう配慮する。
エンジンがかかり、夕闇に沈む街を車が走り出す。助手席の隊員が通信機で状況を確認しているが、「先ほどの襲撃犯は取り押さえ済み。被害は最小限。校舎へのダメージが一部……」と報告する程度で済んでいるらしい。
「やれやれ……今回も大きな惨事にならずによかった」
ユキノが素直な安堵を口にすると、カエデは少し視線を床に落として、「いつまで続くんだろうね……こんな戦いが。真理追求の徒が諦めるとは思えない」と弱い声を漏らす。
「わからない。……けど、先生とアヤカさんも、私たちを守るために動いてくれてる。ナナミたちクラスメイトも温かく見守ってくれる。きっと、いつか終わるよ」
そう言いながら、自分自身にも言い聞かせる。痛みは相変わらず、心に重くのしかかるが、ここで挫けるわけにはいかない。カエデもそんなユキノの言葉に小さく微笑み、「……そうだね」と頷く。
車が揺れながら住宅街を抜け、高層ビルの立ち並ぶ一角へさしかかる。窓の外には、タスクフォースの別の車両が並走しており、安全を確保しているのが分かる。夜の闇が深くなるほど、真理追求の徒が潜む恐れが増すからだ。
その一方、街灯の下を横切る薄い影があった。ユキノはちらっと目をやるが、すぐに消えてしまう。「また蒔苗?」と思うが、はっきりとは見えない。頭の中で“観測者”の存在を思い出すたび、なんともいえない不安と期待が入り混じる。あの子が手を貸してくれる保証などないが、もし最悪の事態になれば蒔苗の介入で救われる可能性もある――逆に、“観測終了”が宣言されれば全てが終わるかもしれない。そんな危うさが付きまとう。
程なくして車がマンション前に停まる。ユキノの家のあるエントランスだ。カエデは「じゃあ私はここで……」と口を開くが、隊員が「この時間帯、もう危険かもしれないので、ご自宅まで送りますよ?」と申し出る。カエデは少し迷い、ユキノを見つめる。「……どうしよう」
「うちで一緒にご飯食べる? お母さんに連絡すればいいけど……」ユキノが提案するが、カエデは微かに首を振る。「ううん、ありがとう。でも、あまり他人の家に上がったことがなくて……今日はやめとく」
隊員は「それじゃあ、ご自宅までお送りします」と淡々と再提案する。カエデは緊張しているが、ユキノが「大丈夫だよ、絶対変なことしないから、任せて」と背を押す形で説得し、カエデは観念したように「分かった……」と了承する。
ドアが開き、ユキノがマンションの前で降りる。カエデは後部座席に残ったまま、わずかに手を振ってくれる。そのとき、彼女が勇気を振り絞るようにして声をかけた。
「今日はありがとう。……助けてもらってばかりだね、私」
「そんなことない、私だって危ないところをカエデさんに救ってもらったし。……明日、学校でまた会おうね」
「うん、また明日」
カエデの笑顔はまだぎこちないが、確実に温かみが増しているように感じる。ユキノは小さく手を振って車から離れ、エントランスに向かう。車がゆっくりと走り去っていくのを見届け、心の中で(また少しだけ距離が縮まった)と、満ち足りた気分になる。
部屋に戻ると母親が「おかえり、また物々しい感じだった?」と声をかける。最近は事件ばかりで何も言わずとも察するらしく、ユキノは「うん、またいろいろあって……」と曖昧に返しながら食卓へ向かう。背中と胸に残る痛みをこらえ、今夜はゆっくり眠りたいと思いつつも、頭の中にはカエデの笑顔が浮かんでいる。
(放課後、あんなに大変だったけど、結果としてはいい方向に進んでる……かもしれない。カエデさんとの友情が芽生えてるのを感じる。私にとっても、彼女にとっても大切なことだよね……)
しかし、ベッドに横になると、やはり不安が押し寄せる。真理追求の徒がこのまま大人しくなるとは思えないし、蒔苗が観測をどう判断するかも未知数だ。エリスとアヤカが仮に協力しても、内部にはまだ衝突の火種が残っているはず。
それでも、今日の襲撃を二人で乗り越えたという事実は、ユキノの心に勇気を与えてくれる。カエデもまた同じ思いだろうと信じたい。痛みを共有し合える仲間がいるというのは、何よりの救いであり、次への力となる。
(私、絶対に諦めない。カエデさんが笑顔で学校生活を送れるように、蒔苗の観測が壊滅をもたらさないように――私が守るんだ)
夜の窓辺を見つめながらユキノはひとり心に誓う。**“友情の兆し”**は確かに芽生えている。この繊細な芽を折らせることなく、より強く大きく育てるために、次なる戦いも恐れずに立ち向かう。たとえ痛みを伴っても、彼女たちの絆がそれを乗り越える原動力となると信じながら――ユキノは目を閉じ、眠りについた。
まだいくつもの謎や葛藤を抱えながら、ユキノやカエデは日常と戦闘のはざまで揺れている。エリスとアヤカの衝突は一時和らいだかに見えたが、真理追求の徒の執拗な攻撃と蒔苗の“隠れた観測”が暗い影を落とすのは変わらない。
それでも、友情の兆しは確かに強まりつつある。ユキノとカエデが対等に力を合わせ、互いをかばい合う姿が、校内やクラスの雰囲気を少しずつ変えている。痛みを抱える者同士だからこそ、わずかながら心を通わせることができるのだ。
次なる嵐がいつどこで起こるか分からない。だが、これまで培われてきた友達という小さな光が、二人を導く一歩となってくれるだろう――そう信じさせる、今日の放課後の出来事であった。
(こうして、さらなる危機を予感しながらも、二人の絆は少しずつ形を成し、物語は新たな段階へと歩み始めるのだった……。)