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R-Type Requiem of Bifröst:EP-5

EP-5:最強の敵、プロメテウス

灰色の曇天が世界を覆い尽くしていた。光を失ったかのように暗い雲が低く垂れこめ、時折、わずかな光条が地表をかすめる程度。そんな日が何日も続くと、人々の心まで沈んでしまいそうだ。しかし、今この世界を包む陰鬱さは気象のせいだけではなかった。

 様々な地域で“怪物”が出没し、人々が怯え暮らす日々――それは、もはや日常化しつつある。特務B班や軍、警察、民間武装組織まで動員されても、怪物化した存在を完全に抑え込むには至っていない。ましてや、“怪物”とは元は人間だったものがバイド係数の増大で変異した存在である。根本的な解決策はなく、対処療法的に現場を回り続けるしかなかった。

 そんな中、不穏な噂が飛び交うようになった。
「各地の怪物が次々と“殲滅”されているらしい」――
 しかも、その方法が凄まじいほどに速く、残酷で、そして容赦がないという。目撃例によれば、怪物が転がるよりも先に“光”のような何かに切り裂かれ、跡形もなく消し去られているというのだ。目撃者たちは恐れ戦き、その“殲滅者”をまるで神話の怪物でも見たかのように語るが、誰もそいつの正体を詳しくは知らない。

 「もしかして新手の怪物では?」
 「軍の新型兵器かもしれない」
 「いいや、“フォース”というのがいて、怪物だけを狙っているらしい」

 そんな憶測が渦巻くなか、特務B班にもこの噂は届いていた。副長の如月は、各地の怪物目撃報告と突き合わせ、独自にデータをまとめる。そこに浮かび上がるのは、圧倒的な戦闘速度と切り裂かれた怪物の断片という残酷な事実だけ。怪物を倒すにしては過剰な破壊……まるで獲物を屠る“処刑人”のようだ。

「最近、怪物が出たという報告があっても、俺たちが向かう頃には既に死骸だけが残っている……このパターンが増えている。誰かが先回りして怪物を殺しているとしか思えない」
 如月はそう言ってタブレットを叩きながら嘆息する。

「そいつは味方なんだか敵なんだか……」
 メカニックのダニーが口を挟むが、誰も答えを持たない。倒されるのは怪物だから、一見すると人類の側に立っているようにも思えるが、その方法があまりに凄惨であるため安易に礼を言えないのが現状だ。

 そんな噂を聞かされて、アリシア・ヴァンスタインは複雑な気持ちを抱えていた。人々を苦しめる怪物が減るのは一見好ましいはずだが、彼らが元は人間だったことを考えると、乱暴な処刑は割り切れない思いを残す。しかも、その“殲滅者”が何者で、何を目的としているのか不明のままだ。

「私たちも、一度でいいからその“殲滅者”を直接見てみたい……そうすれば、何か分かるかもしれないのに」
 アリシアが呟くと、如月は苦笑いを浮かべる。
「だが、そいつのほうがこっちを避けてるようだな。接触していない以上、何とも言えないが……最近、軍の連中の中には“怪物よりタチが悪い”って噂する者もいる。怪物を倒したあと、人間側にも容赦なく攻撃を仕掛けた例があるとか、ないとか」

「どういうこと……? まさか、怪物だけじゃないの……?」

 アリシアは嫌な予感に胸を押さえる。もし人類と先祖帰りの者たち両方を無差別に虐殺する存在だとすれば、特務B班にとっても脅威でしかない。

「今は噂レベルさ。とはいえ、わからないことが多すぎる。用心はしておくに越したことはないな」

 そう言う如月の表情は険しい。彼もまた、何か嫌な予測を立てているかのようだった。


 特務B班が所在する仮設拠点の一角では、アリシアが整備ベッドに腰掛け、ダニーやドクター・Lのチェックを受けていた。左目には人造フォース“Ω(オメガ)”を装着しているが、戦闘以外のときは出力を落とし、最低限の情報だけが表示されるように調整してある。防御壁や先読み機能をフル稼働すると脳に負荷が大きいため、普段は“省エネモード”だ。

「調子はどうだ、アリシア? 頭痛や目の乾燥感はないか?」
 ダニーが小型スキャナを動かしながら尋ねる。彼は最近、Ωのメンテナンスやカスタマイズも担当している。

「ええ。少し重い感じはするけど、前ほどの耳鳴りや眩暈はなくなりました。慣れてきたのかもしれません」
 アリシアはそう答え、今は落ち着いた表情をしている。

「そうか。慣れたのはいいことだが、使いすぎには注意しろよ。お前さんが倒れちゃ、こっちの戦力が一気に落ちるんだからな」
 ダニーは冗談めかして笑うが、その声には本心からの心配も滲んでいた。アリシアがバテれば、特務B班が怪物と渡り合うのは厳しくなる。

 そこへ、班長が足早にやってきた。手には通信端末を握り、どこか焦った表情だ。
「アリシア、ダニー、ちょうどよかったわ。大きな怪物発生の報告が入ったんだけど、どうやら“例の殲滅者”もそこに現れたらしいの」

「例の殲滅者……つまり、噂の“モノ”が動いてるってことですね?」
 アリシアが身を乗り出すと、班長は深刻そうに頷く。
「ええ。しかも、政府軍が怪物と交戦していたところ、その殲滅者と遭遇して一悶着あったらしい。詳細はまだわからないけど、何人かの兵士が行方不明になっているとか……」

「まさか、殺されたってことじゃないでしょうね……」
 ドクター・Lが淡々と口を挟む。班長は歯を食いしばり、沈痛な面持ちで首を振る。

「そこまで断定はできない。でも、状況的に何があってもおかしくない。私たちは現地へ向かって調査と救援をするわ。アリシアも来てくれるわよね?」

「もちろん。怪物も厄介ですけど、その殲滅者が味方かどうか確かめないと……。やっぱり、自分の目で見ないと納得できません」

 こうしてアリシアと特務B班は、新たな任務へと出発する。狙いは、怪物の被害を食い止めつつ、噂の“殲滅者”に接触し、その正体を探ること。アリシアの胸には高鳴る鼓動があった。いつも以上に嫌な予感がする――だが、それを振り払うように、彼女はスラッシュゼロとΩを確かめる。自分にできることをやるしかないのだから。


 隊列を組んだ特務B班の車両は、夕刻前に目的地の荒野に到着した。そこはかつて農地だった場所だが、干ばつや土壌汚染により今では砂に埋もれている。廃棄されたトラクターや農機具が風化して錆びの山と化し、見る者に失われた営みを感じさせる。

 案の定、遠くで黒い煙が立ち上っている。軍が使用していた装甲車が燃え、倒れ込む兵士の姿が見受けられる。特務B班の医療チームやダニーたちが素早く救援活動を始める中、アリシアは班長や如月とともに前線に向かった。

「ひどい有様ね……怪物が暴れたのか、それとも……」
 班長は眼下の光景を見下ろし、眉を寄せる。横倒しになった装甲車には、巨大な爪痕のような凹みがあり、血痕が散らばっている。一方で、付近にいる怪物の死骸は見当たらない。

「怪物がいない……倒した形跡もないし、噂の殲滅者が持ち去ったとか?」
 如月がタブレットを駆使して周囲のバイド反応を探るが、反応は極めて薄い。ここにはもう怪物がいないか、完全に消されてしまったのか――。

「いずれにせよ、一度生存者を探しましょう。詳しい状況がわからないと動きづらいし。アリシア、Ωで周囲をスキャンできる?」

「やってみます」
 アリシアは人造フォース“Ω”を最低限の出力から少し上げ、視界に情報を呼び出す。バイド係数の大きな反応や人間の生命反応があれば検知できるはず……そう思って目を凝らすと、しばらくして彼女の瞳に微かなシグナルが映った。

「! あっちに、弱い反応があります。人間かどうかはわかりませんが、何かいます!」

 彼女は茂みの向こう、錆びたトラクターの裏手を指し示す。班長は如月と目を交わし、即座に指示を出す。

「了解。私と如月で回り込むわ。アリシアは後方から援護して。もし怪物なら即応できるように」

「はい!」

 3人で息を合わせ、廃棄トラクターの裏手へ回り込むと、そこには血まみれの軍人が一人倒れていた。意識が朦朧としているが、かろうじて息はあるようだ。身体には深い切り傷が走り、まるで獣に引き裂かれたかのような悲惨な状態だ。

「助け……ろ……」
 かすれた声が聞こえる。班長はすぐに通信機で医療チームを呼ぶが、この兵士は今にも絶命しそうだ。アリシアが膝をついて介抱しようとすると、兵士が震える手で彼女の腕を掴む。

「お、俺たち……怪物を、仕留めると思ったら……まるで……何か、光る……フォース……が……」

「光るフォース……!?」
 アリシアの脳裏に“本物のフォース”たるプロメテウスのイメージがよぎる。だが、どうしてここに?

「そ、そいつが……怪物も……俺たちも……区別なく……切り裂いて……」
 兵士はそこまで言うと、体を痙攣させながら息絶えてしまう。アリシアはショックで動けなくなる。怪物を倒しただけでなく、軍も容赦なく屠った存在……本当にフォースがそんな行為を?

「アリシア、ショックなのはわかるけど、今は状況を把握するのが先だ。どうやら、ここで何か……凄まじい強さを持つ奴が軍と怪物を両方相手にしたのは確かなようだな」
 如月が静かに兵士のまぶたを閉じさせる。班長は厳しい表情で周囲を睨む。

「“光るフォース”……まさか、プロメテウス? 確かに彼なら、怪物を一瞬で始末できるし、軍相手でも圧倒できるでしょうけど……ここまで無慈悲とは……」

 “プロメテウス”――かつてバイド殲滅のために創られた究極のフォース。アリシアは第1話からの記憶を辿る。以前、別の場所で僅かにその名を聞いたことがあったが、実際に会った者はほとんどいない。唯一聞こえてくるのは、その圧倒的な破壊力と速度、そして気まぐれとも言える言動。もし本当に彼がここに来ているとしたら、ただ事では済まない。

「班長! そちらを見て……!」
 如月が指差す先、遠方の荒野に小さな影が浮かんでいるのがわかる。夕日の逆光でシルエットしか見えないが、こちらに背を向けて立っているようだ。何か金属的な輝きも確認できる。

「……あれが、もしかして……」
 アリシアの胸が高鳴る。あそこまで離れているのに、肌がピリピリと刺激されるような独特のオーラを感じる。先ほどの噂の“殲滅者”が目の前にいるのかもしれない。

 班長は通信機を握り、「接触する」と告げる。隊員たちが援護態勢を整え、医療チームは安全圏に避難する。アリシアもまたスラッシュゼロを握り、Ωの表示をオンにしてバイド係数のチェックを行う。だが、この距離からははっきりとした数値はわからない。ただ、強烈な波動エネルギーが検出されるのは確かだ。

「アリシア、行くわよ。最悪の場合は衝突もあり得るわ。臆さないでね」
「はい……!」


 夕日が赤く染め上げる荒野を、班長、如月、アリシアの3人が慎重な足取りで進んでいく。風が砂を巻き上げ、視界を染めるオレンジ色に悲哀が漂う。そこに一人きりで立つ“何者か”は、少しも振り向かず、ただ静かに遠方を見つめているようだった。

 数十メートルまで近づいたとき、アリシアはその姿をはっきり捉えて息を呑む。その“人物”は、少年とも少女ともつかない中性的なフォルムをしていた。肌は白く、長いオレンジ色の髪が風に揺れる。洋服というよりはフリルのついた可愛らしい衣装を着こなし、背中には薄い金属質のパーツが見える。それは人形のような――いや、どう見ても“人外”のオーラを放っている。

(これが……プロメテウス……?)

 そう思った矢先、その存在はくるりと振り返った。まだ幼ささえ感じる顔立ちだが、その瞳にはどこか無機質な光が宿っている。薄い唇が微笑みを形づくり、まるで子供が友達を見つけたかのような無邪気な声を上げた。

「こんにちは。今日は夕日がきれいだね」

 何の警戒心もなく話しかけてくるその態度に、3人は一瞬言葉を失う。
 しかし、班長が即座に声を張り上げる。

「あなたがプロメテウス? 聞きたいことがあるわ。なぜ怪物や軍を無差別に殲滅しているの? 彼らを害する理由は何?」

 相手の正体を確信したわけではないが、“光るフォース”という特徴と、この不可思議な雰囲気からして、まず間違いなく“本物のフォース”プロメテウスだろう――そう判断したのだ。

 すると、その存在は頭を傾げて首を振る。オレンジの髪がサラリと揺れる。

「無差別? 僕はただ、“殲滅対象”を排除しているだけだよ。邪魔をするなら人間だろうが怪物だろうが関係ないさ」

「殲滅対象……ですって?」
 班長は困惑の色を浮かべる。プロメテウスは幼子のような無邪気さを保ちながら、笑みを深める。

「僕はもともと“バイドを滅ぼす”ために創られた存在だ。だけど、今の世界じゃバイドと人間が混ざってしまっているんだろ? だから、バイド係数が高い奴が怪物化する。でも、怪物だけを狙うのは手間がかかるし……じゃあその周囲もろとも排除しちゃおう、そう思っただけさ」

「なんて……乱暴な……!」
 アリシアは絶句する。確かに、バイド係数が高い者が怪物化しやすい現実はあるが、彼らは元は人間だ。しかも、プロメテウスは軍人までも“邪魔”という理由だけで攻撃している。これでは無差別虐殺と変わらない。

「あなたがフォースだっていうなら、もっと別の方法があるはずじゃない……? たとえば、怪物化を防ぐとか……!」
 アリシアが声を上げると、プロメテウスはくすくすと笑い出す。その笑いには、どこか侮蔑めいた響きが含まれていた。

「ふふ、面白いね。人類の側に立つフォース? バイドと混血してる人間を守るのかい? 戦う理由を教えてよ。君はバイド係数が低いらしいから、僕からすれば“純粋な人類”に近いんだろう? なのに、どうしてバイドの血を持つ者を守る必要があるの?」

 その言葉に、アリシアは強く反発を覚える。
「だって、彼らは“人間”だから! バイド係数が高かろうが、低かろうが、怪物化しなければ普通の生活を送れるんです! 私は、その人たちを守りたいから戦ってる! あなたのように全部切り捨てるのは間違ってる!」

 彼女の叫びに、プロメテウスは一瞬だけ瞳を細める。そこには、妙な興味が浮かんでいた。

「へえ……なら、力で示してみせてよ。そういうとき、人類ってどうしてきたんだっけ? ああ、殴り合うんだよね? つまり――戦いってやつさ。いいよ、僕とやろうよ」

 その表情は、純粋に“遊び”を提案する子供のように見えた。しかし、その内には恐るべき殺意と破壊衝動が渦巻いているのが伝わってくる。アリシアの背筋に冷たい汗が流れた。

「アリシア、逃げるのよ! こいつ……本気で来るわ!」
 班長が危機感を露わにするが、プロメテウスは既に動いていた。足が砂に触れるか触れないかというタイミングで、まるで瞬間移動のように消え――次の瞬間、アリシアの目の前に立っていた。

「え……っ!? 速い……!」

 反応する間もなく、プロメテウスの手がアリシアの喉元に伸びる。そのスピードは視覚の限界を超えており、彼女はギリギリで後方に跳んで回避するが、首筋をかすっただけで冷や汗が噴き出る。

「なるほど、少しは動けるんだね。でも、まだまだ遅い」

 プロメテウスは悪戯っぽく舌を出しながら、指先をスッと突き出す。そこから光の刃が伸び、空気を裂くように迫ってくる。アリシアはスラッシュゼロを横に振り、どうにか弾き飛ばそうとするが、その刃はまるで予測不能の軌道を描き、斜め下から突き上げてきた。

「……っ!」

 辛うじてかわすが、プロメテウスの“0秒攻撃”はそれだけでは終わらない。目にも止まらぬ速さで複数の光刃を放ち、アリシアを翻弄する。まさに“予測不能”の連撃。Ωの先読み機能を使おうとする暇すら与えてくれない。

(こんなの……速すぎる……!)

 アリシアは必死で防御壁を展開しようとするが、間に合わない。光刃が左肩を掠め、焼けるような痛みが走る。血が噴き出し、思わず体勢が崩れた瞬間、プロメテウスは笑みを深める。

「やっぱり弱いんだね。どんなにバイド係数が低くても、こんな程度じゃ話にならないか……」

「アリシア、下がれ! 私たちが援護する!」
 班長と如月が射撃を加えようとするが、プロメテウスは瞬く間に姿を消している。高級車並の速度ではない。視界に捉えきれないほどの高速移動。まさに“超高速移動”だ。彼の存在が、砂塵の中を揺らめく光の残像だけ残して左右に瞬間移動しているように見える。

「射線を取れない……こんなの……」
 如月が焦る声を上げる。プロメテウスは一瞬、班長たちの死角に回り込んでいた。そこから光の刃を何本も発生させ、二人を狙う。

「っ、まずい……!」
 アリシアは咄嗟に防御壁を展開しようとするが、間に合うとは思えない。しかし、Ωが脳裏に強いシグナルを送り、最小限の時間でシールドを転送させることに成功する。青白いバリアが二人を一瞬だけ覆い、光刃は弾かれる。

 とはいえ、プロメテウスが本気を出したわけではないようだ。その証拠に、彼は今も楽しげに笑いながら言葉を投げてくる。

「へえ、まだやるね。でも、もう終わりにしようか。退屈だよ、こんな相手……」

 次の瞬間、空気が凍り付いたような張り詰めた緊張感が走る。プロメテウスの雰囲気が“遊び”から“殺意”へと変化したのを全員が肌で感じ取る。まるで周囲の大気が急激に圧縮され、息苦しくなるような感覚。

(やばい……これ以上は……)

 アリシアは直感的に最悪を悟る。このまま戦っていては、こちらが皆殺しにされるだけだ。彼我の戦力差はあまりにも大きい。スラッシュゼロを使おうが、Ωを使おうが、追いつけない。

「ま、待って! まだ戦うつもりはないの! 話を――」
 アリシアの声は最後まで届かない。プロメテウスは腕をゆっくりと上げ、その掌からまばゆい光の球体が生まれる。見るからに高エネルギーの攻撃。まともに受ければ一瞬で焼き尽くされるだろう。

「さようなら。君たち“中途半端な人類”と話すことは、もうないんだ」

 その言葉と同時に光球が膨張し、アリシアたちに向かって放たれる。逃げ場はなく、防御壁を張ろうにも間に合わない――と思われたそのとき、何処からか猛烈な突風が巻き起こり、視界が乱れる。風の壁が一瞬だけ光球の軌道を狂わせ、地面に当たり爆発する。轟音と衝撃波が荒野を揺るがし、アリシアたちは転がるように吹き飛ばされるが、直撃は免れた。

「げほっ、げほっ……な、何……今の風……」
 アリシアが砂を払いながら起き上がると、砂煙の向こうにプロメテウスの姿はなかった。恐らく、彼も予想外の介入に気づいて撤退したのだろう。

「助かった……みたいね……」
 班長が胸を撫で下ろし、周囲を見回す。だが、誰が救いの手を差し伸べたのかはわからない。もしかしたら自然現象か、あるいは別の“何者か”かもしれないが、確証はない。

「……とにかく、私たちでは歯が立たなかった。こっちの攻撃をまともに当てることもできないほど、速かったわ」
 如月が地面に拳を叩きつける。無念な思いが伝わってくる。

 アリシアは、左肩から流れ落ちる血を抑えながら膝をつく。痛みよりも、心に重い挫折感がのしかかった。あれほど簡単に、自分がやろうとしたすべてを封じられてしまうとは……。

「私……全然、太刀打ちできなかった……。Ωもほとんど使えなくて……」
 血混じりの唇を噛み、涙が浮かぶ。もしかしたら、自分の仲間を殺されていたかもしれない。そうならなかったのは偶然の風が吹いたから。実力ではない。まざまざと突きつけられた、自身の非力さに胸が苦しくなる。

「アリシア、今は撤退するわよ。仲間の治療と被害状況の確認が先。幸い、あの怪物はプロメテウスによって倒されてる……救助活動を優先しましょう」
 班長が優しく促す。アリシアはうなずき、フラフラとした足取りで戻り始める。敗北感が焼けるように胸を締めつけた。プロメテウスという“本物のフォース”――その圧倒的強さは、どの怪物よりも恐ろしく、理不尽だ。


 夜、特務B班は仮設拠点に撤収し、負傷者の治療や装備の補修を行っていた。アリシアはドクター・Lの処置を受けて、肩の傷を縫合してもらう。幸い骨までは達しておらず、回復には時間がかかるが命に別状はないという。

「こんなに深い切り傷、どうやって防いだの? 普通なら腕ごと吹き飛ばされててもおかしくないわ」
 ドクター・Lは淡々と問診しながら消毒を続ける。

「間一髪、かすっただけで……攻撃が速すぎて、避けられなかったんです……」
 アリシアは自嘲気味に答える。背筋がまだ震えている。あの“0秒攻撃”の光景が脳裏に焼き付いて離れない。

「無理はしないで。あなたは特務B執行官として重要だけど、死んでは元も子もない。次に会うときまでに、策を考えなきゃね」
 ドクター・Lが言い含めるように伝える。その通りだが、それが簡単ではないこともアリシアは理解している。

 治療後、テントの外に出ると、夜空には星がチラチラ瞬いていた。冷たい風が砂を撫で、アリシアの頬を刺す。そこへ如月が来て、少し申し訳なさそうな顔をする。

「調子はどうだ? すまなかったな、俺たちが何もできなくて……」
 その声には悔しさがにじむ。アリシアは首を振る。

「いえ、私の力不足です……。怪物にはある程度勝てても、あのプロメテウスにはまるで……」

「俺も正直、あれほどまでとは思わなかった。速さ、攻撃の強度、そして迷いのなさ。フォースとしての完成度が桁違いだ……」

 二人の間に沈黙が落ちる。やがて如月が意を決したように顔を上げる。

「アリシア、これからどうする? 奴を諦めるのか? それとも、再戦に向けて備えるのか? どっちにせよ、お前の意思が大事だ」

 その問いに、アリシアはぎゅっと拳を握りしめる。プロメテウスの言葉と姿が脳裏にこびりついている。彼は“バイドを滅ぼす”ために作られたフォースでありながら、人間や怪物を無差別に切り捨てている。それは絶対に許せない。どんなに相手が強大だろうと、放っておけばさらなる犠牲が増えるだけだ。

「私……絶対に、もう一度戦うと思います。放っておいたら、多分プロメテウスは怪物も人間も区別なく殺し続ける。私たちが止めなきゃ、誰がやるんですか……」

 そう言いながらも、弱々しい声だった。先ほどの戦闘を思い返せば、再戦など無謀に思える。でも、彼女の心には譲れない想いがある。怪物だろうが人間だろうが、ただ排除すればいいというプロメテウスの価値観は間違っている。だから、立ち向かわなければならない。

「なら、そのための準備をしよう。俺も班長も、ダニーも、きっと協力する。お前一人で何とかなる相手じゃないが、特務B班全体で対策を立てれば、勝機はあるかもしれない」

「はい……ありがとうございます」

 二人の視線が夜空を仰ぐ。遠くで吹く風が砂塵を巻き上げ、星の瞬きを曇らせる。だが、アリシアの瞳には小さな炎が宿っていた。たとえ今は非力でも、いつかきっと――そう、自分に言い聞かせるように拳を握り込む。


 翌日、早朝。仮設拠点の指令テントでは班長、如月、ダニー、ドクター・L、そしてコンサルタントのクラウスが集まり、今回のプロメテウスとの接触結果を話し合っていた。アリシアは負傷した肩を気にしながら、その場に同席する。

「つまり、奴は怪物も軍も区別なく、邪魔ならば排除する。このままでは“新たな脅威”として認識せざるを得ないわね」
 班長が深刻な表情で切り出す。

 クラウスは資料を見ながら冷静に分析する。
「政府上層部も“謎の存在”について把握し始めているが、詳細はまだ知らない。彼らがプロメテウスを脅威とみなして動き出せば、さらに混乱が広がるだろう。怪物問題に加え、フォースの暴走なんて話になれば、社会がパニックになる可能性もある」

「我々としては、怪物対策を続けながら、プロメテウス対策も並行しなければならない。だが、対策といっても一筋縄ではいかない。奴の速度と攻撃力は、人間の反応を遥かに超えているし……」

 ダニーは歯噛みしながら続けようとするが、言葉が出てこない。アリシアがうなだれているのを見て、きっと同じ苦悩を抱えているのだと察していた。

「アリシア、あなたはどう思う? 実際に奴と少しだけ打ち合った感触として……」
 班長がアリシアの様子を窺うように問いかける。

「……正直、歯が立たなかったです。“0秒攻撃”なんて、ほとんど見えない。Ωがあっても追いつけませんでした。たぶん、今の私じゃ話になりません」

 惨めな声を落とすアリシアに対し、ドクター・Lがしんみりと告げる。
「彼は、もともとバイド殲滅のために生まれた“究極兵器”。スペックだけ見れば、今の人類の技術やバイド混血では到底追いつけないかもしれない。だからこそ、あなたが焦って無茶をする必要はないわ。準備と作戦をきちんと立てること」

「そもそも、本物のフォースを倒す必要があるのか……という問題もあるけどな。放っておけば怪物を倒してくれる、という見方もある。けど、あれだと軍や民間にも被害が出る。どうするかは慎重に判断しないと」
 如月が腕を組む。

「私は、プロメテウスを放っておくなんてできないと思います。あんな非道なやり方で、怪物化した人や兵士を切り捨てるなんて間違ってる。何とかして止めなきゃ……」
 アリシアは声を震わせながら言葉を重ねる。視線には決意の色が宿っていた。

「私も同意見よ。奴のやり方は極端すぎるし、このまま怪物との共存やバイド化の研究が進む中で、奴が動き回るのは邪魔にしかならない。アリシアが再戦を望むなら、私たちも全力でサポートする」
 班長がアリシアを力強く見つめる。

「ありがとう、班長……!」

 ほんの少し救われた気がした。自分一人ではとても勝てない敵でも、特務B班みんなの協力があれば道は開けるかもしれない。彼女は肩の痛みを堪えながら、スラッシュゼロの柄を軽く握る。

(次に会うとき、今度こそ……)


 夜風に揺れる仮設テントの灯火が淡く光る。そのわずかな明かりの下、アリシアは一人、スラッシュゼロを携えて外に出ていた。星が見えない曇天は今も広がり、世界が小さく萎縮してしまったかのように感じる。

 ケガをした腕が痛むが、じっとしてはいられない。彼女は独り、素振りのように剣を振っていた。波動エネルギーを溜め込み、素振りごとにわずかな閃光を走らせる。力を制御する練習を怠らなければ、いつかあの超高速の動きに少しは対抗できるのでは……そう淡い期待を抱きながら汗を流す。

(プロメテウス……)

 彼の幼さを残した容姿、どこか無邪気な笑顔。それなのに、その胸の内には恐ろしい破壊衝動と冷徹な理論が潜んでいる。バイド係数の高い者はもとより、邪魔をする人間も容赦なく排除する。それはアリシアにとって、断固受け入れられない価値観だ。

「自分の弱さを、嘆いていても始まらない……強くならないと、また同じことになる……」
 彼女は腕の痛みに耐えながらスラッシュゼロを振り下ろす。波動エネルギーが地面に触れ、小さな火花を散らす。

「だけど、私一人じゃ勝てない。だからこそ……特務B班のみんなと力を合わせて……」

 その時、背後から軽い足音が聞こえた。振り返ると、如月がコーヒーの紙コップを持って立っている。
「夜更かししてまで素振りか。偉いな」

「ええ……でも、まだまだ足りないんです。あんな動き、どうすれば止められるのか……」

「焦らずに行こう。俺たちは捜査や作戦立案でバックアップするし、ダニーやドクター・Lもお前の身体をフォローする。班長は予算面や部隊運用にクラウスを巻き込んで強化を図るらしい……お前が戦える場を整えるのが俺たちの役目さ」

「……はい。すみません、いつも助けてもらってばかりで」
 アリシアは謝意を示すが、如月は苦笑して首を振る。

「感謝するのはお互い様だろう。お前が頑張ってくれてるから、俺たちも前に進める。プロメテウスにいつかリベンジするつもりなんだろ? その時は俺たちがサポートして、一緒に倒すんだ」

「はい……絶対、倒します。彼のやり方は、あまりにも……」

 アリシアの瞳が決意に燃える。負傷している身でありながら、その炎は消えない。プロメテウスに何度負けようと、諦めるわけにはいかない。バイド係数を理由に無差別な殲滅を許容する世界なんて、あってはならないのだから。

 夜空の下、特務B班の灯火だけがまるで希望のように揺れている。プロメテウスの存在は、怪物問題と並んで新たな脅威として立ちはだかる。だが、アリシアは一歩も引かないと誓う。彼女はΩを握りしめ、痛む肩を撫でながら静かに剣を鞘に収める。

「また、修行からやり直しだね」

 自らに言い聞かせるように呟く。これまで以上の訓練が必要だろう。怪物に対する戦い方や、プロメテウスのような圧倒的な超高速戦闘への対策、それらを身に付けるために、彼女はもう一度地面に膝をついて頭を下げる。

「神様、誰でもいい……これ以上の犠牲を出さないために、私に力をください」

 瞼を閉じた先、思い浮かぶのはプロメテウスの揺れるオレンジ色の髪と、あの冷酷な笑顔。無情に光刃を放ち、すべてを切り裂いていく姿。それを止められずに逃げるしかなかった自分――。次に会うときは、必ず真っ向から立ち向かってみせると、自分に言い聞かせるように誓う。

 夜風が少し強まってテントを揺らし、砂がざわめく。やがてそれは小さなうねりとなって、仮設拠点の灯火を揺らめかせる。星も見えない空の下、アリシアは膝をついたまま空を見上げる。どれほどの時を要するかはわからないが、彼女はこの敗北を糧に、さらに強くなると決めたのだ。

 “プロメテウス”――最強の敵。
 彼との次の再会を思うだけで、恐怖と怒り、そして奇妙な興奮が胸を締め付ける。バイドを殲滅するためにつくられた本物のフォース。その力は圧倒的で、何もできずに終わった自分の無力さを痛感した。しかし、それでも諦められない。人々を守りたいという気持ちがある限り、彼女は剣を捨てないだろう。

(これで終わりにするわけにはいかない。私は……絶対に、あなたを倒す)

 遠くの空で雷鳴が鳴り響く。嵐の予兆だろうか。まるで世界がこれから訪れるさらなる激闘を示唆しているかのように、夜の闇が不気味に震えている。アリシアはその中で、静かに目を閉じ、次の決戦に向けての決意を胸に刻み込んだ。


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