見出し画像

天蓋の欠片EP5-3

Episode 5-3:隠れた観測

曇り空の夜明け前、街灯の明かりが薄れていく時間帯。ビルの狭間を吹き抜ける風が、どこか冷たく感じられる。
ユキノは、いつものようにタスクフォースの護衛に守られながら夜を越え、朝を迎える。数日前の連続した事件――日向カエデとの遭遇や、真理追求の徒の襲撃が続いたことで、身体も心も疲れが溜まっていたが、今はわずかに心が軽い。

「カエデさん、今日も学校に来るかな……。」

布団から起き上がり、窓の外を見つめる。ユキノの頭には、昨日まではほとんど姿を見せなかったクラスメイト、日向カエデがようやく再び登校し始めたことが浮かんでいた。彼女は真理追求の徒から逃げているらしく、その力も「生成者」めいた不思議なものを持っている。それでも、クラスにいるあいだは穏やかな表情を見せてくれるようになり、ユキノ自身も少しずつ打ち解け始めた。

(でも、カエデさんの過去はまだ謎のまま……真理追求の徒の研究施設にいたらしいけど、そこを裏切ったみたいだし。いつまた狙われるか分からない。)

ユキノは深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。右胸には、射出機(初心者用)のストラップが肌身離さず装着されていた。最近は、痛みをこらえて弓を形成することにも慣れはじめ、矢を撃つことにもわずかに余裕が出てきた。エリスからは「あなたはもっと強くなれる」と太鼓判を押されているが、同時に「無理は禁物」とくぎを刺されてもいる。

窓の外にちらりと動く影を感じた。遠くのビルの屋上を何かが横切ったように見える。だが、よく見ると誰もいない。ただの幻影かもしれない――あるいは、朝方の警備ドローンかもしれない。いずれにせよ、ユキノは何か不穏な気配を感じたが、それが何かを突き止めるまでには至らない。

(まるで誰かが、ずっと私たちを観察しているみたい……。)

そう思うと、蒔苗(まきなえ)の姿を思い浮かべる。あの神秘的な“観測者”。最近はカエデのほうに気が取られているが、蒔苗も相変わらず自由に姿を消したり、事件の合間に現れたりしている。彼女は一体、どのような目的を持って観測を続けているのか――ユキノにはまだ分からない。

時刻は朝の6時半。タスクフォース護衛の車が迎えに来るまで、あと1時間ほど。ユキノは食卓へ向かい、軽い朝食を取る。母親は少し前よりも落ち着きを取り戻しているが、娘が続けて事件に巻き込まれている現実を思うと、本心ではとても心配しているはずだ。むしろ何も聞いてこないのが申し訳ない気がする。

「行ってきます……。」

一声かけて出かけようとすると、玄関のドアがノックされる。タスクフォースの隊員の到着だ。階下に下りて外へ出ると、車が待っていて「天野ユキノさん、今朝も学校まで送ります」と恭しく頭を下げる。もはや慣れてしまったこの護衛生活に、ユキノは複雑な思いを抱えながら車に乗り込むのだった。


学校へ到着すると、門のところには警備員が立ち、数台のタスクフォースの車が止まっている。以前よりは人数が減った気がするが、それでも物々しい雰囲気を醸し出している。登校する生徒たちも、どこか慣れた顔つきで「また警備強化か」などと話している。
ユキノは校舎に入り、教室へ向かう。少し早く来たつもりだったが、既にカエデは席に着いてノートを読んでいるようだ。隣の席に鞄を置き、「おはよう、カエデさん」と声をかけると、彼女は穏やかな顔で「おはよう、天野さん」と返してくれた。

「今日も早いんだね。」
「うん、なんとなく朝の空気が好きで……。それに、あんまり家にいても落ち着かなくてさ。」

一瞬、ユキノは彼女が家に居場所を感じていないのかもしれないと察する。逃亡生活をしていたかもしれないカエデが、安定した住居を確保できているかどうかは分からない。担任が言うには、保護者との連絡もとれずに困っているらしいし。
とはいえ、今は深く追及しない。日常の些細な会話を交わしながら、少しでもカエデがクラスに馴染めるように気を配りたい――それがユキノの今の望みだった。二人の姿を見たクラスメイトのナナミが「カエデちゃん、最近来てくれて嬉しい! また一緒にご飯しようね」と明るい声をかければ、カエデはぎこちなくも「うん……」と応じている。そこには確かな“友達の始まり”があるように思えた。

(やっと、こんな風にクラスに溶け込める日が来たんだ……。)

ユキノは心の中で喜ぶ。事件や襲撃が絶えず、痛みや苦しみに耐える日々であっても、こうした小さな平和を噛み締める瞬間があるのは尊いことだと思う。


朝のHRが終わり、1時間目と2時間目の授業が終わった休み時間。ユキノが廊下の窓から校庭を眺めていると、ふと不思議な気配を感じる。
その気配は、どこか神秘的な“観察の視線”に似ていた。蒔苗――ユキノがそう確信する前に、背後で静かな声が聞こえた。

「天野ユキノ……少しは成長したみたいね。」

振り返ると、やはりそこに煤織蒔苗(ススオリ マキナ)が立っていた。プラチナブロンドの髪が蛍光灯の光を反射し、虹色の瞳がユキノを見つめる。クラスの廊下にはそこそこ人通りがあるが、誰も彼女の存在に気づいていないかのようにスルーして通り過ぎる。まるで蒔苗だけが“隠れた観測者”として、この世界に溶け込まずに立っているかのようだ。

「蒔苗……久しぶり……元気、だった?」
「元気、という表現は少し違うかもしれない。私は常に観察を続けているだけだから……でも、あなたの動向はとても興味深いわ。」

いつも通り淡々とした口調。ユキノは少し気を悪くしながらも、「そう……まあ、最近は色々あったしね……」と返す。蒔苗は一歩窓際に近づき、外の校庭を俯瞰するように見る。

「また何度か戦ったわね。真理追求の徒、その新顔の生成者・カエデ……あなたとエリス、タスクフォースが繰り返し衝突している。それでもあなたは壊れずにいる……興味深い。」
「興味深いって、いつも言うけど……私たちをただ見てるだけなの? 手伝ってくれてもいいじゃない……。」

ユキノがそう言うと、蒔苗はゆるく首を振る。「手伝う……そういう発想が私には馴染まないの。私は観察する存在だから。あなたたちを助けるために介入するのは、私の本意ではない。けれど、あなたたちが全て壊れてしまうのも……少しだけ悲しい。」
その言葉にユキノは困惑する。蒔苗がこの世界を“0次宇宙”だか何かの視点で観測している特殊な存在であることは聞いているが、どこまでなら干渉してくれるのか分からない。

「もし……このまま真理追求の徒がカエデを追いつめたり、街を壊したりしそうになったら、蒔苗は見てるだけなの?」
「そうね……あなたやエリスが対処できないレベルに達したら、私はこの観測を終了するかもしれない。そうすればあなたたちも……消える。」

あまりに淡白な答えに、ユキノは背筋が寒くなる。(消える? 一体どういうこと……?)
しかし、蒔苗は続きを言わない。ぽつりと囁くように、「今のところは、まだ大丈夫。あなたが成長しているから。もう少し観測を続けさせてもらうわ……」と言って、廊下の先へ歩き出す。ユキノが引き止めようとする間もなく、蒔苗は人混みに紛れて消えてしまった。

(隠れた観測……やっぱり、蒔苗は私たちを見てるだけ……でも、いつか消すかもしれないって、どういう意味?)

胸の中に不安が芽生える。蒔苗が完全に敵対しているわけではないが、やはり彼女の存在は計り知れない――下手をすれば、真理追求の徒以上に危険かもしれない。そんな恐れが頭から離れない。
ユキノは弓を握る右手を見つめる。(私……もっと強くならなきゃ……。蒔苗に“消される”前に、私たちの意思でこの街を守り、カエデさんも助けたい……。)


昼休み、廊下でナナミが「あ、ユキノ、カエデちゃんが困ってるみたい」と呼びに来る。どうやらクラスの同級生が体調を崩して倒れかけたのを、カエデが見つけて保健室へ連れて行こうとしているらしい。
急いで保健室に行くと、カエデがうずくまる男子生徒を支えていた。顔色の悪い彼を見て、保健室の先生が「熱中症かもしれないわね……」と案じる。カエデは無表情ながらも、「大丈夫? 一歩一歩ゆっくり……」と声をかけて、男子を支えている。

「カエデさん……すごい、優しい……。」
ナナミがこっそり囁く。確かに、これまで他人を遠ざけていた印象の強いカエデが、こうして真剣にクラスメイトを気遣う姿は新鮮だ。男子生徒は「ご、ごめん……ありがとう……」と弱々しく笑うが、カエデは「気にしないで」と短く返すだけ。しかし、その声には冷たさではなく、控えめな優しさが感じられた。

先生が「ベッドに横になって」と促し、カエデは男子をそっと寝かせてあげる。一連のやり取りを見ていたユキノは、自然に口元がほころんだ。カエデも人を思いやる気持ちを持っているんだ――やはり、彼女は決して冷酷な人間ではないと思う。
カエデが部屋を出ようとすると、ユキノが声をかけた。「すごいね、カエデさん。あんなに親身に人を助けるなんて……。」
「そう? 誰でもやることでしょう。私、医療の知識があるわけじゃないけど、体調が悪い人を放っておけないし……。」

カエデはそっけなく答えるが、ユキノは心の底で嬉しい。こうした日常のやり取りを続けるうちに、確かな“友達”としての絆が芽生えていく。カエデが実は人に優しくできるという事実は、クラスの印象も良くしていくはずだ。
一方でユキノは、(彼女は研究施設で育ったとか言ってたし、そういう環境で得た知識や技能があるのかも……)と考える。体調不良の人を支える動きが妙に慣れていたのが気になる。もしかすると、何か医療的な実験に関わっていたのかもしれない。真理追求の徒がやっているという“強制具現化”や“人体実験”の記憶が頭を過ぎり、胸が痛む。

(もっと、彼女のことを知りたい……。そして一緒に戦いたい。)


放課後、タスクフォースがまた「学校付近の巡回を強化する」と連絡を回してきた。どうやら真理追求の徒の一派が、**“隠れた観測者”**を意識しているという情報を得たらしい。「隠れた観測者」と呼ばれる存在――ユキノたちは蒔苗ではないかと推測しているが、真理追求の徒も存在を察知し始めた可能性がある。
エリスもその情報をキャッチしており、ユキノに「気をつけて。もし蒔苗を見かけたら報告を」と伝えている。真理追求の徒が蒔苗と接触すれば、重大な次元崩壊のリスクまで発展しかねないからだ。
しかし、蒔苗が観測者として“この世界”をどう扱うかは誰にも分からない。タスクフォースや真理追求の徒とは根本的に次元が違う存在という話だ。彼女を追い詰めたりしては逆に危険が増すかもしれない。そのため、エリスは無用な刺激を避けたいと考えている。

「隠れた観測か……蒔苗がまた学校に来ることはあるのかな。でも、彼女はいつも好き勝手に出入りしてるし……。」
ユキノは保健室の前の廊下で一人考え込む。あの冷静な虹色の瞳が、どんな感情を内包しているのか。カエデの問題もあるが、蒔苗の存在もまた“この世界”の均衡を左右する重要な要素だと感じる。
そして、もう一つ、真理追求の徒がカエデを狙うだけでなく、蒔苗にも興味を持ち始めているとなれば、事態はさらに深刻だ。二つの“特殊な存在”が学校に関連している――ユキノはそこに必然を感じると同時に、大きな責任感に押しつぶされそうになる。

(カエデさんを助けたいし、蒋苗を危険に巻き込まないようにしたい。でも、私にそんな力があるのかな……まだ痛みを伴う弓だって安定しないのに……。)


そんなとき、カエデがぽつりと「天野さん、少し時間ある?」と声をかけてきたのは放課後のことだった。ユキノはタスクフォースの護衛が待っているが、少しだけなら大丈夫と思い「うん、あるよ。何か話したいの?」と返す。カエデは一瞬遠慮がちに視線を落とし、やがて小さく頷く。

「ちょっと、屋上で待ってる。人が少ないところがいいの……。」

ユキノは戸惑いつつ、「わかった」と答え、護衛に「少しだけ校内を回ってから帰る」と伝えた後、屋上へ向かう。夕暮れが校舎を赤く染め始めており、風が強い。扉を開けると、カエデが柵のそばでぼんやり街を見下ろしていた。

「どうしたの? こんなところに呼び出して……。」
「……天野さんに、手合わせしてみたいの。」
「手合わせ……?」

ユキノが目を見開くと、カエデは少し照れくさそうに肩をすくめる。「あなた、私と同じように生成者の力を持ってるんでしょう? 一度だけ一緒に戦ったけど、もっと互いに力を引き出せれば、連携もうまくなるかもしれない。」
確かに、先日の共闘は突発的だった。二人とも手探りで力を合わせたが、ちゃんとした訓練や連携の打ち合わせをしたわけではない。ユキノは「でも、屋上でそんなことしていいのかな……」と不安になるが、カエデは「もちろん全力は出さないよ。力を使う練習って感じ」とフォローする。

「私、先生とかに相談してからのほうが……」
「いいえ、今は二人きりで試してみたいの。ほんの少しだけ、どこまで制御できるか。あなたも痛みを伴うんでしょ? 私もそう。だから、慣れるにはこういう練習が必要。」

その言葉にユキノは揺れる。確かに、実戦でしか覚えられない痛みや力の制御を、仲間と一緒に試すのは有意義だ。でも、屋上は学校施設であり、人目がある。危険行為でもある。しかし、カエデの真剣な眼差しを見て、思わず納得してしまう。

(先生には内緒だけど……少しだけならいいか。誰もいなければ、被害もないはず……。)

ユキノは「わかった。じゃあ、ほんとに短い時間だけね」と答え、射出機に手を添える。カエデも軽く腕を回し、紫がかった光をかすかに出す。屋上の端で二人が向き合い、微妙な緊張感が漂う。
「じゃあ……始めようか。痛いかもしれないけど……」
「うん……頑張る。」


まずはユキノが胸に射出機を当て、弓を形成しようとする。痛みが走り、身体が一瞬ガクッとなるが、最近の経験から意識を集中して耐える術を身に付けている。数秒後、透き通るような青い弓が姿を現す。
カエデはそれを見て小さく息を吞み、「綺麗な形……」と呟く。自身も軽く目を閉じ、右手を前に突き出すと、紫の波紋が腕から発せられ、“刃”のような光が生成される。前回の戦闘時よりやや落ち着きを増しているようだ。

「ふふ……こんなふうに落ち着いて力を出すのは初めて。普段は逃げてばかりだったから……。」
「私も、痛みを抑えるのは苦労するよ……でも、こうして少しずつ慣れてきたかな……。」

二人は微笑み合い、まずは軽い動きで力をぶつけ合う――と言っても、本当に軽く触れあうだけの模擬戦。ユキノの弓は矢を放つのではなく、弦を振るう形でカエデの刃を軽く受け止める。衝撃が走り、屋上の床に淡い光の残響が落ちる。
「わ……すごい……。衝撃もそんなに大きくないのに、体がブルッと震える……。」
「それは“感覚を共有する”みたいなものかもしれない。私たちが同じような力を持ってるから……波長が近いのかも……。」

カエデが息をはずませながら語る。ユキノは「そうなんだ……」と興味をそそられつつ、弓を引く動作を再現してみる。痛みが込み上げるが、何とか耐える。
「じゃあ、私が軽く矢の形を作って、あなたに向けて放ってみるから、防げるか試してみる? 威力は少しだけにするから……。」
「うん、いいよ。こっちも力を引き上げる必要はないし、少しだけ攻撃を受け止めてみたい。」

こうして、まるでゲームの練習のようなやり取りを交わし、ユキノが短い矢を作り、それをカエデが紫の刃で打ち払う――それを何度か繰り返して、二人の息が合ってくるのを感じる。
痛みはあるが、不思議な高揚感もある。周囲に人の気配はなく、夕暮れの風が冷たさを増してくる。空はオレンジ色から深い藍色に移り変わる途中で、街の雑音が遠くで響いている。

「もう少し……あっ……!」

ユキノが弓を引いた瞬間、思った以上に痛みが強く襲ってきて足元がふらつく。矢がうまく形成できず、青い光が散り散りになりかける。カエデが慌てて駆け寄り、ユキノの腕を支える。

「大丈夫? やっぱり無理しちゃダメ……!」
「ごめん……ちょっと調子に乗りすぎたかな……。」

冷や汗が頬を伝うが、カエデが支えてくれているのを感じて心が温かくなる。いつもはエリスのサポートを受けていたが、こうして同世代の子――しかも同じ“生成者”――が自分を支えてくれるなんて、初めての経験かもしれない。


ふと、屋上のフェンスの向こう側に違和感があった。人の気配――ユキノがそちらへ視線を向けると、確かに誰かがいるように見えるが、すぐに風が吹いてシルエットを掻き消す。
「……今、誰かいたような……?」
「え? 私には分からなかったけど……気のせいじゃないかな。」

カエデは首を傾げるが、ユキノは“蒔苗の気配”を感じ取った気がする。少しだけ虹色の光が視界に映り込んだような――しかし、それは一瞬で消える。
(やっぱり……蒔苗、ずっと見てるの? 私たちのこの訓練を……?)

背筋がぞくりとするが、同時に「蒔苗なら、放っておいても問題ないか」とも思う。彼女は干渉しない――観測するだけ――それがスタンスだ。ただし、「もし私たちが壊れそうになったら、観測を終了する」と蒔苗は言った。
ユキノは痛みをこらえながら心の中で呟く。(私は壊れない。カエデさんもきっと壊れない。蒔苗、見てなさい……。)


日も落ち、屋上に長居するのは危険だと判断し、二人は片付けを始める。ユキノは弓の具現化を解除し、胸を押さえて呼吸を整える。カエデも紫の刃を消し、微かに胸をおさえている。お互いに疲労しているが、満足感があった。
「ありがとう、カエデさん。こんな形で練習するなんて思わなかったけど、すごくためになった……。」
「私も……あなたが弓を使うところを目の前で見られたのは大きいわ。痛みに耐えながらも、あれだけ制御できてるのがすごい……。」

カエデが初めて感嘆の言葉をくれたことに、ユキノは心が温かくなる。いつも少しだけ冷めた口調だった彼女が、ちゃんと褒めてくれるなんて新鮮だ。
「私も、あなたの刃の動きが見られて勉強になったよ。真理追求の徒から逃げてきたわりには、すごくちゃんと力を使いこなしてるんだね……。」
「……まあ、実験体の“失敗作”扱いだったから、むしろいっぱい試されてたんだと思う。逃げた後も、独学で戦わないと生き延びられなかったし……。」

言葉に重みがある。カエデの過去がどれほど壮絶だったかを考えると、ユキノは胸が痛む。同じ生成者とはいえ、自分はタスクフォースの保護やエリスの指導を受けられる。彼女は孤立無援のまま血を吐くような戦いを続けてきたに違いない。
(こんな状況でさえ、私と“友達”になってくれようとしてる。……私ができることは、もっと彼女を支えてあげること……。)

ユキノは深くうなずき、そっとカエデの手を握る。カエデは一瞬ビクッとするが、すぐに抵抗せず手を預けてくれる。手のひらは冷たく痩せているが、その奥に確かな生命力を感じる。

「これからも、二人で頑張ろうね。私……あなたともっと仲良くなりたい。クラスでも、バトルでも、いろんなことを共有したいの。」
「……うん、私もそう思い始めてる。あなたが本当に信頼できる相手かどうか、まだ全部分からないけど……少しずつなら、いいよね。」

そう言ってカエデは恥ずかしそうに微笑む。ユキノの心は喜びで満たされる。確かな“友達の始まり”を感じる瞬間――もしかすると、これがカエデの人生にとっても初めての友情かもしれない。
夜風が吹き、空には雲が薄くかかって星がわずかに見える。遠くからタスクフォースの車が止まっているのが見え、「そろそろ帰らないと、護衛がうるさいかも……」とユキノが苦笑する。カエデは「そっか。じゃあ、また明日……?」と小さく囁き、二人は屋上を後にする。


そして、屋上の隅――二人が去ったあと、静寂が戻った場所に、蒔苗はまた姿を現す。プラチナブロンドの髪を夜風に揺らし、虹色の瞳が遠くを見つめる。彼女の耳には、ユキノとカエデの会話がまだ微かな残響として残っている。

「成長したわね、ユキノ。カエデも、少しだけあなたに心を開いている……。こうやって世界は流動していくのか……。」

呟きながら蒔苗は階段へ足を進める。誰もいない暗い廊下を通り抜け、気配を消すように学校の外へ出る。その足取りには迷いがない。夜風が吹く街を歩きながら、考えを巡らせる。

(生成者が増えれば、0次宇宙との接点も増える。私の“観測”は加速するかもしれない。でも……ユキノが壊れない限り、私は介入しなくて済む。あなたたちがこの世界を守ると言うなら、見届けるだけ。――そしてもし……。)

もし、彼女が壊れる時が来たら――蒔苗はその選択肢を胸に抱きながら、静かに夜の街を去っていく。まるで“隠れた観測”を続ける神のような存在として。


いいなと思ったら応援しよう!