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天蓋の欠片EP9-3
Episode 9-3:ユキノの決意
夜半から降り続いた雨は明け方に止み、地面に薄い水たまりができたままの校庭。朝の薄曇りの空の下で、タスクフォースの護衛が機材を点検しているのが見えた。ユキノは昇降口からその光景を見下ろし、胸に息苦しいほどの重圧を感じる。
「今日、とうとう“G-6”へ突入するんだね……」
つぶやく声は誰にも届かない。自分自身に言い聞かせるように、ユキノは拳を握りしめる。連続事件の背後にある儀式の真相、そして観測者・蒔苗が“終了”を下すかもしれないという脅威――全てが今夜にも決着を迎えようとしている。
背後から小さく足音がして、カエデが静かに近づいてきた。「ユキノ……ごめん、遅れちゃった。朝の点呼でタスクフォースの人に捕まっちゃって……」
ユキノは振り返り、微笑もうとするが、ぎこちない笑みになる。「ううん、平気。……なんだか緊張するよね。私たち、一日普通に学校で過ごして、夜になったら廃棄施設に突入して……」
カエデは苦い表情で頷く。「そう……普通の高校生には、信じられない生活だよ。私たちだって、こんな運命になるとは思ってなかった。……でも、やるしかない。先生やアヤカさんが私たちを頼りにしてるんだもの」
その言葉が、ユキノの胸をチクリと刺す。頼りにしている――つまり、自分が戦わなければ多くの人が危険にさらされる。それは誇りでもあり、同時に重荷でもある。けれど、ユキノは逃げないと決めた。
「……やろう、カエデさん。私たちが痛みを超えて戦えば、蒔苗だって観測終了をしないかもしれないし、真理追求の徒も止められる。これは私たちが選んだ道だよね」
カエデは小さく微笑み、「そうだね。いまさら怖いなんて言えないよね」と返す。雨上がりの空気が二人の間を冷ややかに包むが、その決意を揺るがすほどの寒さではない。タスクフォースの護衛が「お二人とも、時間ですよ」と声をかけ、二人はホームルームへ向かう。
教室では、担任が「昨日の雨で校庭がぬかるんでるから、体育は室内になるぞ」と連絡事項を話し、クラスメイトたちはいつも通りの反応を示す。「えー、やだなあ」「まあ仕方ないか」という、何気ない学生生活の風景。ユキノは席に着きながら、胸の奥に重たい塊を抱え込んでいるのを意識する。
(こんなに平和そうに見える日常が、今夜の戦いで壊れるかもしれない。もし私が失敗したら、蒔苗が“終了”を選んで、この世界ごと消えるかもしれない……。こんな普通のクラスメイトたちが消えるなんて、絶対嫌だ)
担任が黒板に書き込む文字を眺めながら、ユキノは自分の呼吸を整える。今まで何度となく戦ってきたが、今回ほど大規模な危機感はなかった。廃棄施設の奥に待ち受ける真理追求の徒の本拠地を叩き、儀式を阻止する――失敗は許されない。
隣の席からカエデが小声で「大丈夫?」と囁く。ユキノは小さく頷いて笑顔を作る。「うん、平気。……それより、今日はちゃんと食べて体力つけよう。放課後も痛みの訓練を軽くして、夜に備えたいし」
カエデも同意し、二人は一瞬だけ視線を交わす。ナナミが「どうしたの、二人とも内緒話?」と笑いかけてくるが、ユキノたちは「う、ううん、なんでもないよ」と曖昧に返すしかない。こうして学校という日常に潜む大きな秘密を抱えながら、朝のホームルームは淡々と終わった。
夕方、学校帰りのユキノとカエデは護衛の車で探偵事務所へ向かう。ドアを開けると、すでにアヤカがエリスと打ち合わせしているところだった。
エリスが地図をテーブルに広げ、「よく来たわね。準備はどう?」と問いかけると、ユキノは鞄を置いて小さく息を吐く。「うん、もう覚悟はできてる。痛みも……少し慣れたよ。二射目や三射目も、頑張れば何とか撃てそう」
カエデは自分の胸に手を当て、「私も、心を受容するやり方に慣れてきた。まだ完全じゃないけど、研究施設で強制的にコントロールさせられたときよりは自由に動ける。……だから、あたしも大丈夫」と言葉を絞る。
アヤカが深刻な表情で頷き、「今夜の突入に関しては、私が選抜した数名の隊員だけが同行するわ。他の隊員や上層部には『別の捜査』としか言っていない。スパイに漏れないように最低限しか動員できないから、危険だけど……」と説明する。
エリスはやや皮肉めかして笑う。「少数で奇襲するしかないわ。大部隊で行けば敵に準備されて終わりだし、そもそも“内部”に裏切り者がいる以上、命令系統が混乱して逆に危ない。あなたの決断は正しい。ありがとう、アヤカ」
アヤカは肩の力を抜く。「……正直、今でも悩んでる。ユキノさんやカエデさんを最前線に立たせるのは、タスクフォースの保護方針に反する。でも、彼女たちの力がなければ儀式は止められないと分かっているし……」
ユキノは首を振って真剣な目で答える。「アヤカさん、気にしないで。私たちも自分の意思で戦うんだよ。先生やアヤカさんに無理やりやらされてるわけじゃないから」
カエデも「ええ。むしろ、保護してくれたおかげでここまで来れたんだし。ありがとう」と付け加える。アヤカはそれを聞いてほろ苦い笑みを浮かべ、「ありがとう……あなたたちにそう言われると、救われるわ」と呟く。
夜半に差し掛かる前、ユキノとカエデは軽い痛みの訓練を行うため、探偵事務所の一隅で射出機に触れる。エリスが「無理しないで」と声をかけるが、ユキノは「ここで慣らしておかないと、本番で二射目が撃てないかもしれない」と譲らない。
ユキノは胸に射出機を当て、一度だけ撃ち抜くイメージで弓を具現化。衝撃的な痛みが体を走り、「うあっ……」と呻くが、すぐに深呼吸して押し返す。次の瞬間、青い弓が安定した形で手元に現れ、弦を引く状態まで持っていく。
「はぁ、はぁ……まだ苦しいけど、前よりは倒れそうにならないかも」
ユキノが笑ってみせると、カエデも痛みに耐えながら自分の胸の“心”を撃ち抜く感覚を呼び起こし、紫色の刃を作る。「さっきまでなら私も怖かったけど……いける。ユキノと一緒なら、痛みを抑えられる気がする」と唇を噛む。
エリスとアヤカはその光景を見つめ、やや感動すら覚えている。ほんの数週間前まで普通の女子高生だったはずの二人が、今や世界の命運を背負うかのように力を磨いている。
「ありがとう。あなたたちがいなければ、真理追求の徒は既に儀式を始めていただろうし、蒔苗もどうしていたか分からないわ。……今夜で決着をつけましょう。痛みに耐えて、世界を救うのよ」とエリスは優しく言葉をかける。
アヤカも同調し、「あなたたちの決意を尊重します。タスクフォースの皆も、陰ながら応援してる。スパイの問題は私がケリをつけるから、あなたたちは儀式を止めることに集中して」と少し強がるような声で語る。
ユキノは一度弓を消し、カエデも刃を解いて深呼吸をする。「ありがとう。先生、アヤカさん……私、痛みを受け入れてでも、この世界を守りたい。蒔苗にも“終了”なんてさせないから」ときっぱり宣言する。カエデも「うん、わたしも。もうあの研究施設みたいに無力でいるのは嫌……。何より、ユキノと一緒に戦えるから、頑張れる気がする」と力を込める。
こうして、二人の決意は最終段階に到達しつつある。まさに**“ユキノの決意”**が頂点に達し、今夜の突入を迎えるまであとわずかだ。
深夜、タスクフォースの少数精鋭部隊とエリス、ユキノ、カエデが数台の黒いバンに分乗してG-6廃棄施設へ向かう。アヤカは班長として先頭車両に乗り、無線で他の隊員たちに指示を出す。上層部には“別件捜査”としか伝えていないため、大々的な動員はできず、合計10名程度の潜入作戦となった。
バンの車内で、ユキノとカエデは無言のまま緊張を噛みしめる。エリスが隣で微笑み、「私も久々にリボルバー全開で戦うつもり。あなたたちにばかり痛みを負わせるわけにはいかないしね」と軽く冗談めかして言うが、表情は硬い。
アヤカの無線が入り、「到着10分前。皆、最終装備の確認を。静かに降りて、二手に分かれて侵入する……」と指示が飛ぶ。隊員たちはヘルメットや防弾ベストをチェックし、ユキノやカエデは最後に深呼吸。痛みを制御しながら二射、三射を放つイメージを頭に叩き込む。
(私……このまま死ぬかもしれない。でも、守りたい人がたくさんいる。痛みに負けてる余裕はない!)
ユキノの心は、不思議なほどクリアだ。カエデも同じ気持ちでいるようで、無言ながら手を取り合い、軽く微笑む。彼女たちは今こそ、自分たちの力を最大限に発揮する時だ。
やがてバンが停車し、隊員たちは一斉に静かにドアを開けて外へ散開する。辺りはひどく暗く、街灯も少ない工業地区。廃棄施設の敷地はフェンスで囲われており、遠くに大きな建造物の影が見える。雨が再び降り始めたのか、冷たいしずくが髪を濡らす。
アヤカが手信号で指揮し、二手に分かれて施設へ侵入する計画だ。ユキノとカエデ、エリスはアヤカを含む第一班、もう一方の第二班は別の隊員が指揮する。スパイがこの動きを把握しているかもしれない以上、奇襲が成功するかは微妙だが、やるしかない。
「……静かすぎる」
エリスが小声で呟く。まるで誰もいないかのように見えるが、真理追求の徒がここで儀式を行うなら、既に内部で待ち伏せしているか、どこか別の場所に集まっているかもしれない。
フェンスを切り開き、第一班が敷地内へ侵入したそのとき、突如として周囲が眩いフラッシュに包まれる。「きゃっ……!」とカエデが目を覆い、ユキノも一瞬何が起きたか分からない。施設の各所に仕掛けられた強力な照明が一斉に点灯したのだ。
「しまった、バレた……!」
アヤカが叫ぶと同時に、遠くの建物の屋上からオーラの弾が飛んでくる。隊員が悲鳴を上げて転倒し、エリスが慌ててリボルバーを抜く。「持ちこたえて! ユキノ、痛いけど撃てる?」
ユキノは目を開け、胸の射出機を握る。痛みに抗いながら弓を呼び出し、一射目を空中のオーラに向けて放つ。青い光が閃き、敵の攻撃を相殺して粉塵が舞う。カエデも反撃に出ようとするが、照明が眩しくて狙いが定まらず、「くっ……」と歯噛みする。
(やっぱり待ち伏せされてた……スパイの情報が漏れたんだ!)
アヤカが顔をしかめて思う。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。儀式を止めるには奥へ進むしかないのだから。彼女は無線で第二班に連絡を取るが雑音が入り、「ノイズが……」と途切れてしまう。どうやらジャミングさえ仕掛けられているらしい。
「先生、どうする?」ユキノが弓を維持したまま尋ねる。エリスは一瞬躊躇いながらも「突っ込むしかない。ここで退けば儀式を止められないし、私たちの命も保証されない」と唇をかみしめる。
目の前にローブ姿の真理追求の徒が数人現れ、オーラを集中させて突進してくる。隊員たちが応戦するが、強烈なオーラによって吹き飛ばされる者が続出。
ユキノは二射目のために意を決し、再び胸を撃ち抜くイメージを重ねる。「うあああっ……!」と絞り出すような声とともに青い弓を安定させ、一気に矢を放つ。弓が光を引き裂いて敵のオーラをかき消し、三人ほどをまとめて吹き飛ばす。
「すごい……ユキノ、二射目も成功したの……!」
カエデが驚く一方、ユキノは足元をよろめかせ、「は、はぁ、はぁ……痛い……まだ倒れないで……」と自分を奮い立たせる。まるで瞼が重くなるのをこらえるように、それでも視線を敵に向け続けるのだ。
カエデも覚悟を決め、紫の刃をさらに研ぎ澄まし、敵の懐へ潜り込む動きを見せる。「ユキノを狙うな……私が相手だ!」と気迫を込めて踊りかかり、激しい斬撃を放つ。オーラの火花が散り、金属がぶつかるような音が響く。
隊員たちも「制圧する!」と銃撃を加えるが、敵もさることながら強固なオーラで防御し、簡単には倒れない。激しい打ち合いが廃棄施設の入り口で展開されるなか、雨脚が再び強まり、視界がどんどん悪くなる。
「ふふふ……ここであなたたちを潰すのもいいかもな」
ローブ姿のリーダー格が嘲笑し、「だが、蒔苗を呼ぶ仕掛けはすでに動き始めている。いくらお前たちが抵抗しても、円環の力で観測者を封じるのは時間の問題だ!」と叫ぶ。ユキノは反発心を胸に燃やし、「封じられてたまるか……!」と弓を握る。だが、二射目を放ったばかりで体が悲鳴を上げている。もう一発、三射目はいけるか……?
(もう限界かもしれない。でも、やるしかない……!)
雷鳴が遠くで轟き、真っ暗な空が稲光で一瞬白んだ。その光に照らされて見ると、敵はまだ数がいる。アヤカや隊員たちは必死に応戦しているが、物量的にはややこちらが劣勢だ。ユキノの三射目がなければ突破は困難に思われる。
「ユキノ、もう撃てないなら下がって……私がなんとかする!」とカエデが声を上げるが、ユキノは首を振る。「無理、カエデさん一人じゃ限界がある……私、三射目いってみる!」
「馬鹿言わないで……二射目だってあんなに辛そうだったのに……!」
カエデは必死で止めようとするが、ユキノは目を閉じ、再び胸へ射出機を当てる。「痛みは私の一部……受け止める……受け止めるんだ……」と自分に言い聞かせ、トリガーを引く。途端に、まるで心臓を抉るような感覚が体を襲い、視界が閃光で混乱する。
「うああああっ……!!」
絶叫に近い悲鳴が廃棄施設の暗い空間に響き渡る。エリスが「ユキノ、やめて……倒れちゃう……!」と焦るが、ユキノは堪えきれない痛みに耐えるように地面に膝をつきかけながらも、強引に弓の形を再構築する。青白い光が激しく点滅し、まるで暴走寸前のようにも見える。
(倒れちゃダメ……私がここで倒れたら、みんな……)
ユキノはギリギリの意識を保ち、弦を引く。手が震え、青い矢が揺らぐが、最後の力を振り絞ってターゲット――ローブのリーダー格――を狙う。「これで……終わりにしてやる……!」
パシュンと空気が弾け、矢が直線を描いて飛ぶ。三射目の閃光は凄まじく、通り道の雨粒が蒸気になって空中に煙る。敵のリーダー格が「なっ……!」と目を見開くが、回避が間に合わない。矢はオーラを一瞬でかき消し、男を施設の壁へ吹き飛ばす。
「ぬあああっ……!!」
凄まじい衝撃が施設の壁にクレーターを作り、男はそのまま崩れ落ちる。他のローブ姿の者たちも震えるように後退し、隊員たちが一気に突撃して拘束へ回る。全体の戦意が消失したのか、残った数人も逃げるように散っていった。
ユキノは矢を放ちきった瞬間、体が限界を超えて崩れ落ちそうになる。エリスとカエデが駆け寄り、間一髪で支える。「ユキノ……大丈夫?」
呼吸が乱れ、意識が遠のきかけるが、ユキノは笑みを浮かべて「あ、あは……倒れなくて、よかった……」と震える声で答える。三射目を成功させたのは彼女自身も初めての体験で、全身に痺れと痛みが走り、動きが取れない。
「まったく、無茶するんだから……」とエリスが苦笑しながら、ユキノを支え、アヤカが急いで応急処置を施す。隊員たちは施設内部の探索を続行し、追撃部隊が逃走した真理追求の徒を追う形になっている。
こうして、施設の入り口の激戦はユキノの三射目によって制圧された。 だが、これが終わりではない――儀式の核となる装置や次の段階がさらに奥にある可能性が高い。ユキノは膝から崩れ落ちそうになりながらも、視線を建物の奥へ向ける。
一段落したタイミングで、カエデがユキノを壁際へ座らせ、「ユキノ、少しでも休んで。わたしが先に奥へ行って探索するから……」と言う。ユキノは首を振り、「一緒に行く。私が倒れても、止まるわけにはいかないじゃん。蒔苗のリセットも止めたいし……」
カエデは苦渋の表情で「そ、そんな……もうあなた限界だよ。痛みがひどすぎる。立てるの?」と不安げに尋ねる。ユキノは歯を食いしばり、膝を叩くようにして立ち上がろうとするが、足がガクッと震え、顔を歪める。
「痛い……あっ……大丈夫、まだ……動ける……」
痛みに耐えるユキノを見て、エリスが険しい顔をする。「もうやめて……あなたが倒れたら意味がない。でもあなたの決意も分かる。どうしたらいいのか……」
ユキノは息を荒げながら、意地でも笑みを作り、「先生……あたし、痛いのはもう慣れたんだ。カエデさんがいて、先生がいて、アヤカさんがいる……。そのみんなを守りたいって気持ちだけで、なんとか立てるから」と語る。
“ユキノの決意”――それは単に世界を救いたいという大げさな理想ではなく、大切な仲間を守りたいという純粋な想いに根ざしている。痛みを恐れる気持ちは消えていないが、それ以上に「守りたい」という感情が上回るのだ。
カエデは目を潤ませつつ、「分かった。私はずっと隣にいるから。無理しすぎないで」と支える。エリスも苦笑して、「よし、あなたたちがそこまで言うなら、一緒に行くわ。大きな敵が控えてるかもしれないけど……あなたの決意を無駄にしない」と背中を押す。
アヤカも合流し、隊員から「奥のエリアで大きな装置らしきものを発見しましたが、結界のような障壁があって近づけません……」という無線が入る。皆が一斉に奥へ向かう態勢を整え、ユキノは足を踏み出す。痛みで視界が若干ぼやけるが、カエデの肩を借りながらゆっくりと進むのだ。
廃棄施設の深部は、扉が幾重にも閉ざされているが、タスクフォースの隊員がバリケードを破壊しながら突き進んでいる。やがて大きな空間に出ると、そこには見上げるほどの金属フレームが組まれた不気味な装置が鎮座していた。円形にコンクリ床が割れており、その周囲に幾何学模様が刻まれている。
「こ、これが……儀式の装置……?」アヤカが息を飲む。ユキノとカエデも怯えるように一歩下がる。装置は妙に脈打つような光を放ち、暗い空間に紫と黒の混じったオーラを発散している。
隊員の一人が近づこうとした瞬間、突然バチンという火花が散り、見えないバリアに弾かれた。「ぐっ……なにこれ!?」と叫ぶが、どうやら“円環の結界”が稼働し、侵入を拒んでいるらしい。
「円環がほぼ完成したってことか。近づけない……どうすれば……」エリスがコートの裾を翻しながら周囲を探す。
ユキノは弓を半ば倒れそうな形で構え、「私が撃ってみる……痛いけど、このバリア壊せるかも……」と唇を噛む。しかし、カエデが慌てて制止する。「やめて、三射目どころか、もう限界でしょ? これ以上は……あなたが死んじゃう!」
まさに葛藤が走る。ユキノの決意は固いが、体力は限界に近い。アヤカが無線で「第二班、どうぞ、第二班!」と呼びかけるが、雑音で応答がない。どうやら第二班も戦闘中かもしれない。時間がない以上、この円環の結界を壊す方法を見つけるしかない。
そのとき、金属フレームの一部がカラカラと音を立て、ローブ姿の幹部らしき男が姿を現す。顔には不気味な笑みを浮かべ、「ふん、よくここまで来たな……だが、お前たちを待っていたのだよ。生成者が二人と、探偵、そしてタスクフォースの精鋭……ちょうどいい。ここで観測者を呼び出し、儀式を完成するのさ!」と嘲笑する。
「観測者を……?」カエデが剣呑な眼差しを向ける。男は狂気に満ちた眼で「そうとも。あいつが世界を“終了”するかどうかなど知らんが、私たちが扉を開けることで新時代を迎える。お前たちが死のうが生きようが関係ない」と呟き、装置のスイッチを押す。
すると、装置が低い唸りを立て、空間が歪むように見える。結界のオーラが一層強まり、ユキノたちが立ち尽くす床にも振動が伝わる。「やばい……蒔苗を強引に呼び出そうとしてる……!」エリスが叫ぶ。
絶体絶命の状況下、ユキノの心に稲妻のような決意が走る。“このままでは観測者が呼び出され、徒の野望が叶うか、蒔苗がリセットを起こすか――いずれにせよ最悪”。ならば自分がもう一度矢を放ち、結界を破壊するしかないと腹を括る。
「ユキノ、ダメだ、もう無理って……」カエデが必死に止めるが、ユキノは微笑んで「痛いのはもう慣れた……わたし、世界を守るって決めたんだよ。大切なみんなと日常を失いたくない」と囁く。カエデは涙を滲ませ、「そんなのズルい……」と声を震わせるが、ユキノを押し留められない。
「先生、アヤカさん、カエデさん……ありがとう。私、絶対にこの結界を壊す」
ユキノは胸に射出機を当て、既に限界を超えた痛みに身を投げ出す。四射目――想像を絶する負荷だ。身体がばらばらになりそうな衝撃が走り、心臓が張り裂けるほどの苦しみで視界が歪む。絶叫も出ず、喉が焼け付くような感覚だけがこみ上げる。
(苦しい……けど、絶対に……)
それでも矢を形作り、青白い弓が眩しく光る。周囲の隊員やカエデが「やめろ!」と叫んでも、ユキノの意志は微動だにしない。全ての痛みを“仲間を守る代償”として受け入れ、三射目すら超えた四射目に挑むのだから。
装置が轟音を発し、円環の結界が怪しく光を放つ。ユキノは弓を、まっすぐそれに向けて引き絞る。「頼む……私に力を貸して……!」と心の中で叫んだ瞬間、弓が青い稲妻を帯びて閃く。そして――
「はああああっ……!!」
限界を超えた魂の叫びが廃棄施設の奥深くにこだまする。矢が放たれ、空気を裂く衝撃波が円環を直撃。まるで亀裂が走るように光が乱反射し、轟音が空間を満たす。結界のバリアがバチバチと弾け飛び、床に敷かれた幾何学模様が焼き切られたかのように砕け散っていく。
「ば、バカな……!?」
装置の制御パネルが火花を散らし、ローブの幹部が絶叫。「こんな小娘が、結界を……!」と衝撃に打ちひしがれながら崩れ落ちる。結界が崩壊したことで周囲のオーラが一気に拡散し、装置は制御不能な状態に陥る。
「やった……ユキノが……!」カエデが歓喜するが、その瞬間、ユキノは弓を維持できずに地面へ前のめりに倒れ込む。エリスが慌てて駆け寄り、「ユキノ! しっかりして……!」と抱き起こす。血の気が失せた顔で、呼吸は浅く、意識が遠のきつつある。
アヤカが必死に脈を取り、「まだかすかに息がある……急いで医療キットを!」と隊員に指示。カエデは膝をつき、「ユキノ、死なないで……! あなたがいなければ、私……」と涙を流す。
ユキノは微かに唇を動かし、“大丈夫……大丈夫だよ” と言おうとして、声にならない。痛みが全身を支配するが、装置は破壊された――世界はまだ終わっていない。そう思うだけで、彼女の心は満たされていた。
装置が壊れたことで、儀式は中断され、施設内部での戦闘も鎮圧されつつある。ローブの幹部たちはほぼ制圧され、ある者は逃走したが、円環を完成させる計画は破綻したようだ。
そんな中、廃棄施設の鉄骨の上に、ぼんやりと人影が浮かぶ。蒔苗だ。彼女は虹色の瞳でユキノの姿を見つめ、呟くように言う。「自分の命を削って、装置を壊す……か。観測者としては、もっと見たいところだけれど……あなたたちは本当に面白い存在ね」
隊員は蒔苗に気づき、銃を向けようとするが、エリスが「やめなさい、無駄よ!」と制止する。蒔苗は冷やかに笑い、「私を撃って何になる? 私はあなたたちと同じ次元に属してないもの。……それより、ユキノは大丈夫なのかしら?」と鋭く見下ろす。
カエデが睨むように上を仰ぎ、「あなたならこの暴走を止められたのに、何もしなかったの?」と怒りをぶつける。蒔苗は無表情で答える。「観測者だから。あなたたちがどんな選択をするかを見るのが私の役目。……でも、少しだけ手を貸してもよかったかもね。痛みに耐える姿は、私の想定を超えていたから」
そう言い放ち、蒔苗はふわりと消えゆく。まるで風に溶け込むように姿をなくす。その最後に小さくつぶやいた言葉は「まだ……続くわよ、この観測は」。誰の耳にもはっきり届かなかったが、エリスはうっすら聞き取ったような気がした。
結界は崩壊し、連続事件の謎を起点とする大規模な儀式の企みは阻止された。ローブの幹部は何名か捕縛され、施設の装置は完全に壊滅。だが、ユキノは重傷を負って意識不明のまま、隊員やエリスが救急処置を続ける。
カエデが血の気を失ったユキノの頬を叩き、「目を開けてよ、ユキノ……!」と必死に呼びかける。エリスは胸を抑えるようにして、「無理しすぎたわね……四射目なんて、聞いたことない……」と震える声で語る。アヤカもやりきれない表情で「すぐに医療班を呼ぶ。ここに救急車を……!」と焦る。
ユキノの瞼がうっすら動き、かすかな声が漏れる。「わ、たし……勝てた……かな……?」
カエデは目を潤ませて頷く。「勝ったよ……円環は壊れて、敵も退いた。大丈夫……だから、しっかりして……!」
ユキノは弱々しい笑みを浮かべ、「よかった……。みんな……守れた……。痛み……怖かったけど……これで、少しは、蒔苗が……」と言いかけ、意識が落ちる。アヤカが「ユキノ、ユキノ!」と呼びかけても返事はない。
施設外で救急車やタスクフォースの応援が到着し、負傷者の搬送が始まる。ユキノは担架に乗せられ、カエデが付き添い、エリスとアヤカは他の隊員と共に後処理にあたる。こうして“G-6”の大きな戦闘は一応の決着を見た。
しかし、蒔苗の存在やスパイの完全特定、真理追求の徒の本当の全滅など、まだ解決していない課題は多い。連続事件は収束したかもしれないが、根幹にある対立は残っているのだ。ユキノが払い除けたのはあくまで“今回の円環”であり、組織全体の狙いがすべて消えたわけではない。
ユキノの決意――それは命を削ってまで友や世界を守ろうとするほど強いものだった。しかし、その姿は痛々しいほどに周囲の胸を締め付ける。カエデは彼女を看取るように寄り添いながら、もし今後さらなる危機が訪れるなら、自分がもっと強くならなければと心に誓う。
エリスは空を見上げ、まだ落ちない雨雲を睨む。「ユキノ……生き延びてよ。あなたの“決意”が報われるためにも、スパイを突き止めて、蒔苗を説得するしかないんだから」と呟く。アヤカも肩を落としつつ、「私が護る……次は絶対にこんな無茶をさせない」と悔しそうに震える。
ユキノが連続事件の最終結界を破り、真理追求の徒の大きな計画を一時的に阻止することに成功した。しかし、その代償は大きく、彼女自身の命が危ぶまれるほどの痛みに耐えた。観測者・蒔苗は相変わらず冷静な姿勢を崩さず、まだ世界を“終了”していないが、いつ翻意するかは不明。またタスクフォース内のスパイ問題、真理追求の徒の全滅には程遠い実態など、課題は山積みのままだ。
(この先、ユキノが生還し、決意を新たに再び立ち上がるのか、それとも仲間たちが彼女を守りながら更なる陰謀に立ち向かうのか。痛みと決意が交錯する中、蒔苗がどう“観測”を続けていくかが世界の行方を握っているのだ。ユキノの決意が生み出したこの夜の結末は、新たな道へ続く始まりであるとも言えるだろう。)