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天蓋の欠片EP10-1
Episode 10-1:計画の発動
雨が降りしきる薄暗い夕刻、タスクフォース指定の医療施設。ビル群の一角に佇むこの医療センターは、特殊任務で負傷した隊員や、機密度の高い治療を要する者が運ばれる場所だ。そこにある一室、ユキノは白いベッドの上で静かに横たわり、まだ意識が戻っていない。
窓外では強い雨音がガラスを打ちつけ、室内の湿った空気をさらに重くしている。点滴やモニターが淡い光を放ち、規則正しい機械音がささやくように響く。ベッド脇にはカエデがイスを引き寄せ、俯きながら微動だにせず佇んでいた。
「……ユキノ、もう目を覚ましてもいい頃だよ。先生もアヤカさんも待ってる……私も、待ってるんだ」
カエデはかすれた声で呟き、ユキノの手をそっと握る。あの廃棄施設での激闘からすでに三日が経過した。円環の結界は破られたものの、ユキノは負傷が深刻で、四射目の反動が大きかったらしく体力が急激に消耗したのだ。医師曰く「意識が戻るかは本人の回復力次第」とのこと。
扉が静かに開き、エリスが顔を出す。コートを肩に掛け、疲れ切った表情ながらも「カエデさん、少し休んだら? ずっと付き添っているんでしょ?」と気遣う。カエデは首を振り、「まだ大丈夫……私がここにいないと、ユキノが不安になると思うから」と微笑む。
エリスはそんな彼女の頑固さに苦笑しつつ、「あなたも限界が来ないようにしてね。私たちが見てくれるときは交代してもらっていいから」と声を落とす。
「はい……でも、もう少しだけ。ユキノを一人にしたくないんです」
その言葉にエリスは小さく頷き、窓から外の雨を見やる。重苦しい空気――まるで次なる嵐の前兆を予感させるかのように、雨脚が途切れることなく降り続いている。
連続事件を解決したかに見えるが、タスクフォース本部では大きな揺れが生じていた。上層部は「G-6」での独断作戦を問題視し、一部の幹部がアヤカを厳しく追及しているのだ。スパイの正体はいまだ不明で、捜査は進んでいない。
大理石の床がきらめく広い会議室。そこに座る上層部の老人たちの前で、アヤカは硬い表情で立っていた。壁際に数名の幹部や隊員が控え、重々しい沈黙が場を支配している。
「アヤカ局員……あなたは連絡もなく“G-6”廃棄施設へ少人数で突入し、多数の隊員を負傷させた。さらに民間人であるユキノ・カエデを前線に投入したと報告を受けています」
上層部の一人――壮年の男が書類をめくりながら冷たく言い放つ。周囲の幹部が同調するように小さく頷き、アヤカは唇を結んだまま下を向く。
「……あの連続事件の真相は“円環の結界”による大規模儀式の一環であり、あそこで止めなければ大惨事になっていた可能性が……」と弁明を試みるが、男は手を振ってさえぎる。
「そんなオカルトじみた話、正式には確認されていない。だいたい、生成者を危険に晒すのは保護政策に反する。あなたは保護すべき対象を戦力として利用したのでは?」
アヤカの眉が一瞬動き、「彼女たちが自分の意志で戦うと決めていたんです。無理強いではありません。それに……彼女たちなしでは、円環の結界を破るなど不可能でした」と小さく声を震わせる。
だが幹部たちは冷ややかだ。別の上層部員が「結果として“連続事件”が収束したのは評価するが、今後こうした独断専行を許すわけにはいかない。あなたには一定期間の職務停止を言い渡すべきでは?」と提案し、その場は紛糾する。
(どうして……真理追求の徒の大規模な儀式を止められたのに、上層部はこんな反応なの? まさかスパイが彼らに影響を……)
アヤカはもどかしい気持ちを抑えきれない。結局、彼女を擁護する声も少なく、このままでは組織内での立場が危ういどころか、“G-6”での成果が認められないまま終わってしまうかもしれない。しかし、彼女自身もわずかに安堵している――上層部が本格的に調査を進める気がないなら、むしろスパイが暴かれる日も近い。
上層部の会議の直後、廊下の隅で二人の男がささやき合う姿があった。一人はタスクフォースの制服を着ており、もう一人はローブを思わせる怪しげな服装だ。
「円環が壊されたとはいえ、真理追求の徒が全滅したわけではない。まだ“予備プラン”があるそうじゃないか」
「ええ、どうやら“G-6”はただの前哨戦だ。次の計画こそが本命……。観測者を無理やり引きずり下ろすか、生成者の力をさらに引き出して次元の扉をこじ開けるのが目的らしい」
「ふん……アヤカも痛い目に遭ったし、あの探偵と生成者の娘たちは疲弊している。今ならまだ間に合う……。上層部には引き続き“隠蔽”を働きかけるから、好きに動け」
二人が不気味に笑い合い、書類を交換すると、スパイと思しきタスクフォース職員は軽く敬礼して立ち去る。ローブの男は闇に消えるように姿を消すが、その背に「次の儀式」という不穏な気配をまとわせて――。
**こうして“計画の発動”**へ向け、敵勢は再び暗躍を始めた。G-6での失敗を補う新たなプランが存在するならば、ユキノの決死の四射目による一時的な勝利も、まだ通過点に過ぎないのかもしれない。
雨音が優しく窓を叩く中、ユキノは重い夢の中をさまよっていた。痛みが体中を蝕み、呼吸するだけで胸が焼けるような感覚。記憶の断片が浮かび、「四射目を撃った」ところで止まっている。
(あれからどうなったんだろう……先生、カエデさん、みんな無事かな……?)
どこからともなく声が聞こえる――「ユキノ……頑張って……」「死なないで……」。それはカエデの声か、エリスの声か、あるいは聞き慣れたクラスメイトの声かもしれない。彼女は必死に目を開けようとするが、瞼が重くて動かない。
しかし、夢の中にもう一つの声が混じる。蒔苗のような、冷静でどこか優越的な響き。「痛みを受け止めると決めたのはあなた。でも、このまま死ぬなら、それも一つの結末……」
(そんな……私はまだ、世界を守りたくて……!)ユキノは心の中で叫ぶ。痛みや恐怖を超えて、みんなの日常を守るために戦ったのに、ここで終わるわけにはいかない。
(生きなきゃ……カエデさんのためにも、先生やアヤカさんのためにも、蒔苗を“終了”させないためにも……)
その強い意志が、暗闇に一筋の光をもたらしたかのように、ユキノの視界が少しずつ明るくなる。重い瞼の奥に、人の気配を感じる。彼女は痛みを振り払うように、意識を浮上させ始める。
「……ユキノ、ユキノ」
カエデの声がはっきり聞こえ、ユキノがゆっくりと瞼を開く。蛍光灯の柔らかな光が目に刺さり、ぼやけた視界が次第に焦点を結ぶ。ベッドサイドにはカエデの顔があり、涙目で微笑んでいる。「ユキノ……!」
「カ……カエデ……さん……?」
声がかすれて喉が焼けるような痛みを感じるが、生きている実感が胸に湧く。カエデは嬉しそうに口元を震わせ、「よかった……本当によかった……」と涙をこぼす。ユキノは苦しい呼吸の中で微笑み、「ごめんね、心配かけて……」と返すのが精一杯だった。
やがて病室のドアが開き、エリスとアヤカも駆けつける。エリスは「バカ……よく生きてたわね」と半笑いで涙ぐみ、アヤカは「あなたの身体はもうボロボロよ。でも、生きてくれてありがとう」と声を震わせる。
ユキノは痛みをこらえながら薄く笑う。「あたし、みんなを守りたかったから……死んだら意味ないもんね……」
そこに医師や看護師が入ってきて「まだ起き上がっちゃダメですよ」と制止するが、ユキノは「ごめんなさい、少しだけ……」とカエデの手を握りかえす。カエデも看護師に頭を下げ、「少しだけです、本当に」と許しを請う。
病室の安堵の空気も束の間、エリスのスマホが震える。着信を見ると情報屋からの暗号メッセージで、「奴らが新たな手段を用いて動き出した。G-6の失敗は想定内だったらしい。今度は生成者や観測者を直接狙うのではなく、“第二の儀式”を準備中……詳細は追って連絡」とある。
「やはり……。あの円環が失敗しても、真理追求の徒は完全に諦めたわけじゃないわね」とエリスが呟く。アヤカも顔色を変え、「私たちがまだ混乱している間に、次の一手を打つつもりか……」と息を詰まらせる。
ユキノはベッドで横になりながらも耳を澄まし、「第二の儀式……って何……?」と問うが、エリスは苦い顔をして「分からない。でも、このタイミングで動き出すのは間違いない。タスクフォース内部も混乱していて、アヤカが制限される可能性があるし……やばいわね」と答える。
「ちょ、ちょっと待って……私もすぐ行く……」とユキノが体を起こそうとするが、カエデが必死で止める。「ダメ、あなたはまだ……死ぬ気なの!? 少しは自分を大事にして!」
ユキノは苦笑いし、「でも、あたしがいなきゃ……また痛みを受け止めないと、皆を守れないじゃん……」と視線をそらす。カエデは歯を食いしばり、「あなたを危険にさらしたくない……」と言うが、ユキノは首を振る。「わたし、決めたんだ。死にたくはないけど、戦うって」
“ユキノの決意”――それは命を燃やして仲間を守り抜くと誓った意志。だが周囲は、彼女の身体が危険すぎると感じ、どう説得すればいいか迷いに迷う。医師が「少なくとも一週間以上の安静が必要です。絶対安静ですよ」と厳しい口調で釘を刺すが、ユキノの決心を緩めるには至らない。
結局その場で、エリスとアヤカは「ユキノの体が回復するまでは、彼女を戦わせない」という共通認識を持つ。ユキノには申し訳ないが、もうこれ以上の無茶はさせられない――カエデも同意し、「私一人でもやってみせる……」と奮い立つ。
病室を出て、廊下でエリスとアヤカは軽い作戦会議を行う。
「第二の儀式が動き始めた以上、また真理追求の徒が生成者を狙うかもしれない。カエデだけじゃ心許ないけど……ユキノが出られる状態じゃないし」
「私が率いる隊員の中にも、まだ疑心暗鬼があって……でも何とかなるわ。カエデだけでも戦力になるし、もし蒔苗が干渉しなければ、こちらのペースで進めるはず」
エリスは肩を落とし、「でも、蒔苗がどう動くかは読めないわ。下手に敵が観測者を引きずり出したら、世界がリセットされるかも。ユキノが絶対安静だとすると、カエデの精神的負担も大きい……」と本音を漏らす。
アヤカは苦しげに目を伏せ、「私たち、彼女たちを保護するはずが、痛みを押し付け続けてる……でも、もう止まれない」と振り絞るように言う。**“タスクフォースの葛藤”**は今なお深く、だが“計画の発動”を目前にして迷っている時間も少ない。
その夜、タスクフォースの医療施設の警戒が薄い隙を突くかのように、真理追求の徒の一部が奇襲を仕掛けてきた。病棟の周囲で照明が落ち、遠くで銃声や警報が鳴り始める。
カエデはユキノの病室で付き添っていたが、異変を察知して廊下へ出る。そこにはローブ姿の二人組が隊員を蹴散らしながら進んでくる様子が見えた。どうやらユキノを再び狙っているのかもしれない――カエデの背に冷や汗が伝う。
「やっぱり来た……私がここで守らないと……!」
カエデは胸の内を撃ち抜くイメージで紫の刃を作り出そうと試みるが、まだ傷が完全に癒えぬ体を酷使しているため、鋭い痛みが背中を走る。それでもユキノを守るため、オーラを具現化するしかない。
ローブの男が「貴様一人で守るつもりか? 生成者……いいね。お前を捕らえて利用してやる」と笑う。カエデは歯を食いしばり、「そう簡単には……いかない……!」と構えるが、痛みで体がうまく動かない。
激しい閃光が走り、カエデの刃と敵のオーラがぶつかり合う。廊下の壁が焼け焦げ、天井の蛍光灯が割れる。「きゃあっ……!」と看護師の悲鳴が響くが、カエデは気を取られずに敵の攻撃を弾く。「ぐっ……痛い……ユキノを傷つけさせない……!」
相手は二人以上いる。カエデは1対複数の状況に追い込まれ、背筋が凍る。さすがに厳しいかもしれない――そう思った瞬間、突風のような気配が廊下を走り、ローブの男が一人吹き飛ばされた。
「大丈夫、カエデさん?」
声の主はエリス。リボルバーを携え、胸に疑似EMをチャージして冷静な射撃を見せたのだ。「あなた一人じゃ危ないから、病室の巡回に来てたの。間に合ってよかったわ」
カエデは息を切らせながら「ご、ごめん……あまり動けなくて……」と顔を伏せるが、エリスは笑って「そんなことないわ。あなたが少しでも耐えていなければ、ユキノが狙われていたんだから」と返す。
怒声が響き、残りの男が二人でエリスとカエデに迫ってくる。「まとめて倒すわよ、痛みに耐えて!」とエリスが声を掛け、カエデは刃を握りしめて頷く。廊下が狭い分、連携が取りやすい。それぞれが息を合わせて猛攻を仕掛け、男たちを押し返していく。
銃声とオーラの光が交錯し、床に煙が漂う。最後にエリスがリボルバーを的確に撃ち抜き、カエデが痛みを堪えながら斬撃を加えてとどめを刺す。男たちは壁際に倒れ込み、拘束される。廊下には砕けた石膏と切り裂かれた配線が散乱し、緊急事態が続いている。
激しい騒動がひと段落した後、病室に戻ると、ユキノが薄目を開いて寝台に身を起こそうとしていた。医師や看護師が「まだ安静に!」と制止するが、ユキノは怯えた声で「な、何があったの?」と周囲を見渡す。
カエデは思わず笑顔になり、「ユキノ……起きたの! 襲撃があったけど、私と先生で追い払ったよ。あなたは無理しないで……」と駆け寄る。ユキノはまだ顔色が悪いが、痛みで身を震わせながら「ごめん……私も手伝えれば……」と苦々しく俯く。
エリスがベッド脇に立ち、そっとユキノの肩に手を置いて軽く笑う。「あなたがいなくてもなんとかなったわ。むしろ休んでてちょうだい。……でも、安心するのはまだ早いわ。真理追求の徒がまた動き出したみたい。いまの奇襲もその一環かも」
「……また、儀式を……?」ユキノの眉がひそめられ、目に焦りが浮かぶ。寝たきりの自分をもどかしく感じる。カエデはすぐに「でも大丈夫。円環は壊れたし、あなたがあんなに頑張ってくれたんだから」と励ますが、エリスは否定気味に首を振る。
「今回の“円環”は破壊したけど、連中が持っていた計画はそれだけじゃない可能性が高い。情報屋からの連絡で、新たな手段を使って“観測者”を狙うって話が出てる。……つまり、蒔苗を無理やり呼び出して世界を揺るがす計画を再開するつもり」
ユキノは苦しい呼吸のまま、シーツを握り締める。痛みで意識が遠のきそうになるが、がっちり食いしばって耐える。「……くそ、私がもっと動ければ……」
エリスはユキノの肩を押さえ、目をまっすぐに見つめる。「あなたはまだ休んで。次の計画を阻止するには、あなたが死んじゃ元も子もないわ。カエデと私、それからアヤカが動く。蒔苗が現れたら、また大きな戦闘になるでしょうね……」
ユキノは唇を噛んで悔しさを滲ませるが、体が思うように動かない状況を前に、無理に参加すれば死にかねない。それを分かっているからこそ、彼女は葛藤を抱える。
(自分が倒れたら、カエデさんや先生がまた危険にさらされる……でも、今は動けない……どうすれば……?)
意識がやや朦朧とするなか、夜更け近い病室にユキノはぽつんと一人。看護師が定期巡回に来る以外は静まり返った空間で、雨音だけが薄く聞こえている。カエデやエリスは仮眠や別室での打ち合わせに行っていて、いない時間が少しだけある。
すると、窓が不意に揺れ、冷たい風が侵入してくる。カーテンを揺らすその風の中、蒔苗が幽霊のように姿を浮かび上がらせた。ユキノはびっくりして体を起こそうとするが、痛みで声にならない叫びを上げる。「いたた……」
蒔苗はベッド脇に佇み、虹色の瞳でユキノをじっと見下ろす。「……無理をしたわね。そちらが勝手に痛みを背負っただけだから、私には関係ないけど……興味深いわ。あなたがまだ生きていることにも」
ユキノは息苦しいながらも、「どういう意味……」と問う。蒔苗は軽く首をかしげ、「あなたが死んでしまえば、私は別の観測をするだけ。でも死ななかった。つまり、あなたはまだ“何か”を成し遂げようとしているのかもしれない」とそっけなく答える。
「……あたしは死なないよ。蒔苗、あなたが“終了”を選ばないように頑張ってるんだから……」
「そう。あなたが頑張るのは勝手だけど、真理追求の徒も新しい計画を動かし始めている。私に干渉しようとするなら、今度こそ世界が崩れるかもしれない。あなたたちがどこまで対抗できるか……見物ね」
ユキノは悔しそうに唇を噛み、「でも、あなたは助けてくれないんでしょ? この前みたいに、ただ見ているだけ?」と問いかける。蒋苗の瞳がほんの少しだけ揺れる。「……観測者だから。私はあなたたちがどうするかを見る。それに、今回の事態は深刻かもしれないけど、私にとっては“観測”の一部……」
そこまで言って、蒔苗は小さくため息のような息を吐き、虹色の瞳を伏せる。「……でも、前にあなたが“死にそう”になったとき、私は少しだけ手を貸したわね。あれは無意識だった。今回はどう動くか、私自身も分からない。あなたがどんな決意を示すか次第、といったところかしら」
ユキノは息を詰まらせ、「……あたしは絶対に諦めない。蒔苗、あなたが本気で世界を終わらせようとするなら止めるし、真理追求の徒があなたを利用するならそれも止める。痛くても、苦しくても……誰かがやらなきゃいけないから」と微笑みを返す。
蒔苗は一瞬だけ目を見開く。その笑みは、痛みと苦しみを伴いながらも、強い光を宿している。いつ倒れてもおかしくない身体なのに、ユキノはなお前を向いているのだ。
「そう……面白いわね。じゃあ、もし真理追求の徒が次の儀式を発動したとき、あなたはまた戦うの? 死ぬかもしれないのに」
「もちろん、戦う。カエデさんも先生もいるし、タスクフォースの人たちも。あたしは一人じゃない。……これが、あたしの“決意”」
蒔苗は静かな姿勢のまま、「ふうん」とだけ言って窓辺に身を移し、風に溶けるように姿を消す。ユキノの決意が、彼女の心をどう揺さぶるかはまだ分からないが、少なくとも蒔苗が観測を続ける以上、この世界にはまだ可能性が残されている。
やがて、真理追求の徒の動向が再び活発化する。タスクフォースの一部情報網によれば、連中は“円環”とは異なる形で観測者を強制呼び出し、新たな儀式を行う準備を始めたらしい。その名も「外部解放術式」と呼ばれる、生成者のオーラを媒介に次元干渉する手段だと言われている。
スパイからの情報なのか、独自の研究なのか――詳細は不明だが、連中はG-6施設の失敗を踏まえ、もっと大胆かつ直接的に“観測者”に干渉するプランを練り上げた可能性が高い。もしそれが成功すれば、蒔苗の力が暴走して世界を破滅へ導くか、真理追求の徒がその力を手にして次元を乗り越えるか、いずれにしろ破局的な結果を招くだろう。
「まさか、二度目の儀式を狙うとはね。もっとも、連続事件の前から複数のプランを進めていたんだろうけど……」
エリスが苦い顔で言い、アヤカはタスクフォースの少数隊員と共に地図を広げながら再度作戦を検討する。「奴らが次に狙う場所は不明。でも、今回の儀式は“生成者”を直接取り込む形だという話がある。つまり、ユキノやカエデを攫って生贄にする可能性が高い」
カエデが目を伏せ、「……ユキノを狙わせないように私が囮になる。でも、あの子はまだ体が動かないし……」と悔しげに言う。医療施設を襲撃されたばかりで、警備を強化したとはいえ、次にいつ襲われるか分からない。
そんな不安定な状況にあっても、真理追求の徒は着々と準備を進めている。どこか別の拠点か、あるいは新たな研究施設か――スパイの存在があるため、タスクフォースは大胆に動けない。
「くそ……早くスパイを特定しないと、また情報が漏れて敵の計画に乗せられる。ユキノが回復するまでに手を打たなきゃ……!」とエリスが唇を噛む。アヤカも焦りを抱えているが、上層部の追及もあって自由に動けないでいる。
そうして時間が刻々と過ぎる中、**“計画の発動”**へ向けた闇が再び広がっていく――。
医療施設の病室で、ユキノは苦しげに寝返りを打つ。痛みはまだ消えず、容体も安定しきらないが、頭ははっきりしてきており、意志が強く芽生えている。「私……こんなところで寝てる場合じゃない……」と呟く声がかすれ、カエデが心配そうに覗き込む。
「ユキノ、また動こうとしてるの? 無茶だよ。今度こそ命が危ない……」
「でも、敵がもう一度観測者を狙うなら、私たちが止めなきゃ……カエデさん一人じゃ危ないし、先生やアヤカさんだけじゃ追いつかないかもしれない。私……やらなきゃ……」
涙を浮かべつつ、カエデは頑なに首を振る。「無理しないで……まだ怪我が癒えてないのに。でも……分かるよ、あなたの気持ち。私も怖い……でも、あなたがいなきゃ足りない。でも本当に死ぬかもしれない……」
その言葉にユキノは小さく笑みをこぼす。苦しい中で、あえて冗談ぽく、「死んだらカエデさんの怒る顔も見れなくなるね」と言う。カエデは「バカ……!」と涙声で笑い返す。不思議と二人とも泣きながら笑っている。死の恐怖と痛みを前に、なおも前を向こうとする。その姿こそユキノの決意であり、カエデの支えがあるから成り立つ。
「……先生たちが動くなら、わたしも行く。例え歩けなくても、痛くても……ここで寝ているよりマシだよ。絶対に守りたいんだ、あたしの日常を。クラスメイトやナナミ、カエデさん、先生、アヤカさん、それに蒔苗だって……どこか嫌いになれないから」
呟く言葉にカエデは目を潤ませ、「うん……分かった。わたしも信じる。あなたを無理やり止めるくらいなら、隣で支えるほうがまし」と握り拳をそっと重ねる。
こうしてユキノの決意は、痛みを超えてさらに強固なものへと成熟した。もうこの段階で誰も彼女を止められないだろう――それが“計画の発動”が迫る現実を見越した選択なのだから。
円環の結界を破ったのも束の間、真理追求の徒は新たな手段をもって観測者・蒔苗や生成者を狙う。タスクフォースは保護と利用のジレンマの中でスパイを抱えて動きが封じられ、アヤカは上層部の追及を受ける。エリスは情報屋の警告に耳を傾け、深まる闇に挑もうとするが、ユキノの容体は重く、回復には時間が必要――にもかかわらず、当のユキノは痛みを押してでも再度の戦闘に臨む意志を捨てない。
観測者・蒔苗は相変わらず“冷静な観測”の姿勢を崩さないまま、世界をリセットするかどうかを見極める。真理追求の徒の再集結と計画の再始動は間近――果たしてユキノたちが間に合うのか、それとも世界は破滅へ向かうのか。
この大きな岐路を前に、痛みと決意を背負う少女はもう一度立ち上がる算段をしている……。