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天蓋の欠片EP10-2
Episode 10-2:蒔苗の提案
まだ夜も更けきっていない時刻。外には冷たい雨が降り続いている。タスクフォース指定の医療施設で治療中のユキノは、相変わらず痛みを抱えながらベッドに横たわっていた。
「……痛み止めの効果が少し切れてきたかな」
呟いてみても返事があるわけではない。個室に備え付けられた照明は仄暗く、雨の音が窓を伝わる以外は静寂だけが支配している。痛み止めの点滴も効いてはいるが、深い眠りには落ちきれず、まどろみと覚醒を行き来する状態だった。
(みんなは今ごろどうしてるんだろう……。カエデさん、先生、アヤカさん……わたしのこと、心配してるだろうな。早く治って、一緒に戦わないと……)
心の奥で焦りが芽生える。真理追求の徒が次の「計画」を進めているらしいが、ユキノは身体が言うことを聞かず、ここで寝ているしかない。自分が動けなければ、カエデやエリスが余計な苦労を背負い込む。それが悔しくて仕方ない。
雨音が強まり、点滴のリズミカルな滴と重なり合って、不思議な催眠効果のように襲ってくる。そのまま意識が揺れかかっていたとき、窓辺のカーテンが静かに揺れ、部屋の空気がひんやりと変化した。
「……また、来たんだね」
ユキノは薄目を開き、訪問者の気配を感じ取る。もはや慣れたものだ――観測者・蒔苗が出入りしているのだろう。案の定、カーテン越しにプラチナブロンドの髪がうっすら浮かび上がり、虹色の瞳が病室を見回している。いつものように、まるで人形のように無表情な姿。
「あなたって、こうしていつも勝手に入ってくるんだね……」
ユキノは苦笑混じりに言うが、蒔苗は特に動じる様子もなく、「人間たちの施設に仕掛けられたセキュリティは、私にとって障害にはならない」と淡々と答える。
「そっか……わたしには到底真似できないや……」
ユキノが小さく笑うと、蒔苗は首をかしげる。「あなた、ずいぶん余裕があるのね。そんな身体で」
「……正直、ぜんぜん余裕ないよ。でも、ここで塞ぎこんでても仕方ないじゃない。心配してくれる人たちがいる。痛くても、前を向いていたいんだよ」
その答えに、蒔苗は一瞬だけまばたきをして、その瞳に微かな興味を宿すかのように見えた。「そう、確かにあなたは不思議なほど強い意志を持っている。こんなにも体を壊してまで、世界を守ろうとするなんて……」
その言葉には、何かを思案するような響きがあった。ユキノは少しだけ体を起こそうとして、「ぐっ……」と痛みに顔を歪めながら、歯を食いしばって上体を起こす。背にもたれかかりながら、「そんなの、みんなを守りたいから……」と言葉を紡いだ。
「蒔苗……あなたはまだ“終了”を選んでないけど、それって何か理由があるの? 本当なら、いつでも世界をリセットできるんでしょ?」
蒔苗は小首を傾げ、「理由……そうね。あなたたちの行動が少し面白いのと、真理追求の徒がまだ“観測”に値するかどうか……私は、最後まで見届けたいの。いずれ消すかもしれない世界だとしても、まだ退屈していない」と答える。
(やっぱり、人間らしい思考とはずれている……)
ユキノは再認識しつつも、「でも、できれば最後まで消さないでよ……わたしは、あなたにだって生きてほしいというか、共にありたいと思う。だから、決して終わらせたくないんだ。世界も、あなたとの出会いも」と正面から伝える。蒔苗は視線を伏せ、またしても何か考えている様子。
数秒の沈黙が流れた後、蒔苗が口を開く。「あなたがそこまで言うなら、私から“提案”があるわ。……あなたたち人間が望むなら、私はある条件を提示してもいい」
ユキノは息を飲む。「提案……?」と繰り返すが、蒔苗は淡々と言葉を続ける。
「そう。もしあなたたちが、ある条件を満たしてくれるのなら、私は“終了”をしないと約束してもいい。そして……真理追求の徒の計画から私を完全に切り離すよう、手を貸してもいいかもしれない」
思いも寄らない言葉に、ユキノは驚きで目を見開く。「嘘、あなたが“手を貸す”って……どういうこと? 今まで観測だけって言ってなかった?」
蒔苗は微かに鼻で笑うような仕草。「私も完全に干渉しないわけじゃない、ということは前から言っていたでしょ。もしあなたたちが、本気で世界を守りたいなら、私にとっても興味深い観測対象を失うのは退屈……。だから、一種の取引と言えるかもしれない」
「取引……」ユキノは微妙な顔をする。蒔苗が冗談ではなく本気だと感じる一方、その「条件」が何なのか怖くもある。「どんな条件を要求するの?」と尋ねると、蒔苗は少しだけ口角を上げる。
「簡単よ。“観測者の意志”に人間が正面から応えること。私が干渉した場合、あなたたちがそれを受け入れる。それと……あなた自身の“心の完成”を見せてほしい。まだあなたは痛みを克服したとは言えないし、最後まで苦しみの中にいる。もし、それを越えて真の力を手にしたとき、私はあなたを“認める”わ」
複雑すぎる条件に、ユキノは頭がクラクラする。痛みを克服するとは言っても、すでに四射目まで撃った自分に、さらに何があるのか想像できない。でも、観測者が“認める”とまで言うのは、相当に大きな意味がありそうだ。
「わたしの“心の完成”って……どういうこと?」
「あなたがまだ、本当の意味で自分の痛みや恐怖を受け止めてない証拠よ。四射目を撃ったとき、あまりにも身体を壊しすぎた。それは“制御”とは呼べない。ただの捨て身の攻撃。……もしあなたがさらに制御を極め、私との接点を超えて“人の意志”を具現化できれば、真理追求の徒の儀式なんかに遅れは取らない」
ユキノは歯を食いしばり、「それって、もっと痛みと向き合えってこと?」と苦しく笑う。蒔苗は首をすくめ、「そちらがどう解釈するかはお好きに。私はあなたを強制しない。ただ、“そうしたあなた”を見てみたいだけ。あなたが限界を越えて死ぬなら、それまでの存在ということ」と、相変わらず冷淡に言い放つ。
蒔苗の提案は衝撃的だった。もしユキノがさらに痛みを制御し、心を完成させるなら、蒔苗はリセットを行わず、真理追求の徒の干渉も排除する手伝いをしてくれるかもしれない――世界を守るためにはこれ以上ないほど頼もしい申し出。しかし、その代償としてユキノはさらに苦しむ可能性が大きく、失敗すれば死を迎えるだけ。
病室のベッドで、ユキノは頭を抱え、「……これ、アヤカさんや先生、カエデさんとちゃんと相談しないと……」と汗ばんだ額を拭く。蒔苗はそんな様子を見て、「好きにすればいいわ。ただし、この提案には期限がある。真理追求の徒の次の計画が始まるまでに、あなたがどう行動するか決めなさい」と告げる。
「期限……って、わたしがここで回復を待ってる間に動き出すかもしれないのに……」
「そう、時間はあまりない。だからこそ“選択”が迫られる。あなたはどうする? このまま痛みに屈して寝ているのか、それともさらなる境地へ到達するのか……」
雨音が窓を打ち、稲光が一瞬病室を照らす。ユキノは少し身を震わせ、視線を床に落とす。身体が思うように動かない現状で、さらに“極めた痛みの制御”を試すなど、命が危ないのは自明。だけど、それが世界を救う鍵になるかもしれない――大きすぎる賭けだ。
(でも……もしわたしがやらないと、真理追求の徒にまた好き放題やられる。カエデさんだって頑張ってるし、わたしだけが寝てるわけにはいかない……!)
ユキノは意を決して顔を上げ、「分かった……あなたの提案、聞くよ。わたし、さらに痛みを克服してみせる。だって、わたしはもう諦めないって決めたんだ……」と高らかに言う。蒔苗はわずかに驚いた表情を見せ、「そう。あなた、やはり面白い」と呟いた。
「なら……私も、少しだけあなたを手助けしてあげる。この病室の中で、痛みと戦う方法をね。観測者として、あなたの“心”の在り方を直接観測する。もしそれが不快なら、やめても構わないわ」
「いいよ……むしろ、手助けしてくれるなら助かる。ありがとう、蒔苗……」
蒔苗は虹色の瞳を伏せ、「礼には及ばない。私にとってもメリットがあるから。もしあなたが心を完成させられず、途中で壊れるなら、それまでの存在……観測終了と大差ないわ」と冷たく言い放つ。しかし、ユキノはそれでも微笑みを返す。「うん、それでもいい。わたしは絶対に諦めない……!」
翌朝、雨は止み空気がしっとりしたまま。朝早くカエデが病室に来ると、驚くべき光景があった。ベッドの傍でユキノが射出機を手にして“痛みの制御”を行おうとしており、その隣には蒔苗が静かに立っている。
「な、なにこれ……蒔苗が一緒にいる……!? あんた、ユキノに何をしてるの?」カエデは即座に警戒態勢を取り、刃を出しかける。しかし、ユキノが「待って、カエデさん落ち着いて」と汗をかきながら制止する。
蒔苗は相変わらず冷静な面持ちで、「彼女が望んだから、私が干渉しているの。あなたが騒ぐならやめてもいいけど?」とそっけない。カエデは苛立ちを見せ、「騒ぐなって……意味分からない。ユキノは怪我がまだ癒えてないのに、また痛みの練習をさせるつもり?」
ユキノは苦笑いし、「ごめん、カエデさん。わたし、また痛みを超えないといけないの。蒔苗がわたしの“心”を直に観測して、何か手助けしてくれるかもって……。これが上手くいけば、身体の負担を減らしながら弓を撃てるかもしれないんだよ」
カエデは困惑しつつも、ユキノの真剣な表情を見て何も言えなくなる。「そこまで考えているなら……でも、危険すぎるわ。あなた、本当に大丈夫?」と声を落とす。ユキノは小さく頷き、「ううん、分からない。でも、やるしかないの」と決意を示す。
蒔苗がユキノに向き直り、「では、始めるわ。私があなたの心を直接観測し、痛みを誘導してみる。もし耐えられなくなったら止めてもいい。ただし、止めれば私はあなたたちを見限るかもしれない」と冷たく警告する。
「分かってる……お願い、やって」とユキノは息を整える。カエデは不安げに見守り、もし危険があれば止めようと構える。
蒔苗は虹色の瞳を輝かせるように閉じ、手をかざす。次の瞬間、ユキノの周囲の空気が揺らぎ、まるで次元が歪むかのような感覚が走る。カエデは思わず身構えるが、蒔苗はユキノだけに干渉しているらしい。
「……これは……何? 頭の中が……痛い……」
ユキノは胸を押さえて呻く。まるで心臓を直接握られているような圧迫感があり、射出機を使わなくても痛みが増してくる。蒔苗が冷静に「あなたが抱える“恐怖”や“自己否定”を増幅しているだけ。痛みは物理的なものだけではないわ」と告げる。
(自己否定……? そういえば、わたしはいつも“もっと強くなりたいのに”って、自分を責めてた……)
ユキノは混乱する意識の中で、幼いころから抱えてきたコンプレックスや不安を思い出す。生成者としての特別な力がありながら、自分が大したことないと思い込み、痛みに怯えていた。廃棄施設でも結局は捨て身の攻撃になり、身体を壊した。
「くっ……あああっ……!」
悲鳴が漏れ、カエデが「やめて!」と声を上げるが、蒔苗は動じない。「あなたが本当に超えたいのは“痛みそのもの”じゃなくて、自分の心の弱さ。そこに向き合わない限り、四射目以上の力を制御するのは無理でしょう」
ユキノは床に落ちるようにうずくまりかけ、「でも……怖いよ……もう身体が壊れるのは嫌……死ぬのはもっと嫌……」と涙をにじませる。蒔苗は冷酷な口調で応じる。「なら諦めれば? あなたには選択肢がある。死にたくないなら戦わなければいい。でも、世界がどうなるかは知ったことじゃない」
カエデは耐えきれず、「蒔苗、あなたは本当に悪魔だ……!」と叫ぶ。蒔苗は少し悲しげにも見える表情を浮かべ、「私は観測者。ただあなたたちの可能性を見ているだけよ。もし嫌なら、すぐにでもこの干渉をやめるわ」と答える。
ユキノは崩れ落ちそうになった体を支え、苦しみの中で「……やめ、ないで……」と懇願する。カエデが驚いて「ユキノ!」と抱き止めるが、ユキノは苦しい呼吸でなお言う。「わたし、もっと強くなる……だから、蒔苗、このまま……」
そこで激痛が胸を突き刺し、ユキノは「うああっ……!!」と叫ぶ。カエデが必死に止めようとするが、ユキノは泣きながら首を振り、「いいの……カエデさん、信じて……わたし、死なないから……!」と浅い笑みを浮かべる。
蒔苗の干渉がさらに深まると、ユキノはまるで夢を見ているかのような精神状態に陥る。周囲の光景がぼやけ、意識だけが心の奥底に沈み込んでいく。そこにはこれまで積み重ねてきた恐怖や不安のイメージが漂っていた。
(自分なんかが痛みに耐えて戦えるのか……)
(世界を守るなんて大げさすぎる……)
(先生やアヤカさんに迷惑をかけるばかりで、結局何もできないかもしれない……)
そうした自己否定の声が次々と現れ、ユキノを責め立てる。まるで無数の影が取り囲むように嘲笑するかのような幻影。ユキノは耳を塞いで泣きそうになるが、そこでふとカエデの顔やエリスの笑み、アヤカの優しさ、そしてクラスメイトたちとの思い出が脳裏に浮かぶ。
「でも、わたしは……みんなに支えられてここまで来たんだ……痛くても、なんとか立ってこれた……」
その思いが、自らを責める影たちを振り払う力となる。ユキノは立ち上がる意志を見せ、「わたしはもう自分を否定しない。たとえ弱い部分があっても、それを抱えて強くなるんだ……!」と心の中で叫ぶ。
すると、暗闇に微かな光が射し、影たちは一瞬だけ揺らぐ。
痛みは消えないが、その奥に何か希望のようなものが生まれ始める。
ユキノは涙を拭い、「カエデさんや先生、アヤカさん、わたしを信じてくれる人がいる……わたしもわたしを信じたい……」と強く思う。
この内面での対話はごく短時間かもしれないが、ユキノにとっては長い苦しみとの格闘。実際の病室ではほんの数分が経過したにすぎない――カエデは隣で「ユキノ、ユキノ……!」と呼び続け、蒔苗が静かに見守っているだけだ。
やがて、ユキノは現実世界の感覚に戻り、荒い呼吸を繰り返しながら薄く瞼を開ける。蒔苗の干渉が少し緩んだのか、部屋の景色が再びはっきりと映り、カエデの顔が真っ赤に泣きはらした様子で迫ってきた。
「ユキノ……戻ったの!? 本当に大丈夫?」
ユキノは苦しさに顔を歪めつつ、「うん……たぶん……」と返事する。身体中が痛いのは変わらないが、先ほどまでの鋭い痛みとは少し違う、“内側から力が漲る”ような感覚があるような気がする。
「……あれ? 何だろう……まだ痛いのに……少し動ける……?」
蒔苗が黙って佇み、その瞳にはわずかに満足げな色が混じる。「あなた、自己否定をほんの少し乗り越えたわね。まだ試行段階だけど、それこそが“心の完成”への第一歩かもしれない」
「心の完成……?」ユキノが呟くと、カエデは混乱したように「どういうこと? ユキノ、何をしたの?」と問いかける。ユキノは精一杯の笑みを浮かべ、「蒔苗に“提案”されて……痛みをさらに制御するために心の奥に向き合うっていうのかな……。まだ全部は分からないけど、さっきまでより身体が楽になった気がする」と説明する。
「そんな……危なすぎるよ」とカエデは涙声で叱るが、ユキノは「ごめん、ありがとう。でも、わたしはやりたいの」と握った手を離さない。大きな痛みの奥に、わずかな光を見つけた――それが今のユキノを支える手応え。
蒔苗は静かに言葉を重ねる。「まだ過渡期よ。あなたがこれを続ければ、痛みを分かち合う新たな方法を会得するかもしれない。でも、失敗すれば死ぬ可能性だってある。それでもやるのね?」
ユキノは頷き、「うん。痛いのは怖いし、死にたくないけど……それ以上に、わたしが何もしないでみんなが傷つくのは耐えられない」としっかりとした眼差しで答える。カエデは横で黙り込んだが、その表情にはユキノを信じる決意が浮かんでいた。
ほどなくして、アヤカやエリスが病室へ来る。ユキノの容体がやや安定したらしいと聞き、様子を見に来たのだが、蒔苗の存在に二人とも驚く。「また勝手に入り込んだのね……」エリスが呆れ気味に苦笑し、アヤカが警戒を解かないまま、「今度は何を企んでるの……?」と問いかける。
蒔苗はアヤカに冷たい視線を向け、「企んでるというより、“提案”をしただけ。人間たちが私を利用しようとするなら、私も逆に観測者として条件を出す」と言い放つ。
エリスは目を細め、「提案って……具体的に何を?」と促すが、ユキノが苦しい息を吐きながら答える。「蒔苗は……わたしが“心の完成”ってやつに到達したら、リセットをしないし、真理追求の徒から力を奪われるのも防いでくれるかもしれないって……」
アヤカは驚きで一瞬言葉を失う。「観測者がそこまで……本当なの? 蒔苗、あなたはいつも冷淡なのに、どうして急にそんな協力姿勢を見せるの?」
蒔苗は相変わらず感情を読み取りづらい表情で、「私が干渉するのは私の自由。あなたたちがどう受け止めるかも自由。ただ、あなたがたは“私に利用される”かもしれないわね」と答える。まさに相互利用の関係――人間が蒔苗を利用するなら、蒔苗も人間を利用する形になる。
エリスは頭を抱えるようにして、「複雑ね。でも、今は背に腹は代えられない。もしあなたが本気で真理追求の徒を排除するつもりなら、スパイ問題も含めて助けてほしいものだけど……そこまで期待していいのかしら」と質問する。
蒔苗は軽く首をかしげ、「さあね。あなたたちの“観測”がどこまで面白くなるか次第。スパイに関しては興味ないけど……あまり私をイラつかせないでくれれば、最低限の協力はしてもいい」と曖昧な返答に留まる。
こうして、観測者と人間側の話し合い(?)は一応の合意を得る――ユキノがさらなる力に目覚め、「心の完成」を見せるなら、蒔苗は世界を終了しないし、真理追求の徒の最終的な干渉もブロックするかもしれない。ただ、そこには大きなリスクが伴う。
蒔苗が一旦消えた後、病室にはユキノ、カエデ、エリス、アヤカが集まり、今後の方針をめぐって話し合うことに。
「……蒔苗の“提案”は魅力的かもしれないわ。もし本当に彼女が真理追求の徒を排除してくれるなら、私たちもいろいろ助かる。でも、観測者がいつ気分を変えるか分からないし、何よりユキノにさらなる負担を強いる……」エリスが深刻そうに言う。
カエデは「わたしは反対……ユキノがこれ以上苦しむのは嫌。でも、彼女の気持ちも分かる。蒔苗が本気を出してくれれば、世界が確実に守られるかもしれないし、真理追求の徒の新しい儀式も防げる」と苦悩を隠せない。
アヤカは腕を組み、「タスクフォースの上層部は、蒔苗の話をまともに聞かないでしょうし、スパイもいる。正面からの作戦には限界がある。蒔苗の力を借りて一気に終わらせるのは理にかなってるけど……ユキノさんが死んじゃったら本末転倒。どうすればいいか」と思案する。
ユキノはベッドの上で背もたれに寄りかかり、「わたしはやるよ。蒔苗が信用できるかどうかは別として、リセットされるよりはマシだし、わたしがもっと痛みに強くなれば、先生やカエデさんを守れるでしょ?」と決意を述べる。痛みで声がかすれているが、瞳の奥には強い光が宿っている。
エリスは苦々しく「本当にあなたって子は……」と嘆息しながらも、「分かった。止めても無駄なら、私も腹を括る。あなたが死なないよう全力でサポートするから。でも無理しすぎないで、ね?」と同意を示す。
カエデは涙ぐみながら、「わたしも……やっぱりあなたと一緒にいたい。危なくなったらわたしが止める。いいわね?」と厳しい声で念を押す。ユキノは微笑んで「うん、ありがとう」と答える。
こうして、ユキノは蒔苗の“提案”を受け入れることを正式に決める。タスクフォースの協力は望み薄だが、少なくともアヤカとエリスの支援があれば可能性はある。カエデも反対しながらも、ユキノを信じて支えようと決めた。
一方で、真理追求の徒は次なる“計画”を着実に進めていた。円環の結界を破壊されたものの、別ルートで準備していた術式の最終段階に入り、生成者や観測者をより直接的に呼び込む形を試みるらしい。
スパイからもたらされるタスクフォースの内部情報を基に、彼らは「ユキノが重体」「カエデが病院で看病」といった状況を把握し、襲撃をかけることでユキノを狙うか、あるいは観測者・蒔苗を引きずり出そうとするか。さらに彼らには「“外部解放術式”」などの新技術が噂され、オーラの制御を飛躍させる狙いがあるとされている。
その結果、病院への小規模襲撃(前回の奇襲)を仕掛けつつ、真の目的は別の場所で進行している可能性が高い。タスクフォースの一部が混乱しているうちに、大きな一手を打とう――それが連中の狙いだ。
「円環を失っても、連中は諦めない……。今度はどんな形で蒔苗を利用するつもりなのか……」
エリスは情報屋からの断片を聞き出しながら苦い顔をする。アヤカは隊員を最小限で動かすしかできず、上層部の許可も得られない状況。スパイが引き続き内部情報を流している可能性もある。
数日が経過し、ユキノは病室で蒔苗との“痛みの訓練”を断続的に続けていた。カエデやエリスが心配そうに見守る中、観測者はユキノの深層意識を揺さぶり、恐怖や自己否定を浮上させる。それをユキノが受け止め、少しずつ乗り越える――そんな過程を繰り返す形だ。
「うっ……はぁ……はぁ……」
ユキノは汗だくになりながらベッドの上で荒い呼吸を繰り返す。身体の痛みも相変わらず残るが、不思議と徐々に動ける感覚が生まれている。蒔苗が横で「まだ浅い。あなたの心は“怖いけどやる”レベルで留まっている。本当の“心の完成”に至るには、まだ何かが足りない」と言葉を投げる。
「何かが……足りない?」ユキノが苦しげに問うと、蒔苗は一瞬視線を伏せて、「それは私にも分からない。あなた自身が見つけるしかないわ。痛みを受け止めるだけでは、所詮自己満足かもしれない。誰かと痛みを共有し、初めて何かが生まれるのかも」と曖昧に言う。
「誰かと……痛みを共有……?」ユキノは混乱するが、頭に浮かぶのはカエデやエリス、アヤカ、そしてクラスメイトたち。みんなの思いを背負って戦ってきたつもりだったが、まだ踏み込める余地があるのだろうか。
やがて夜が訪れようとするころ、情報屋から再び連絡が入る。「奴らが動いた。どうやら“外部解放術式”とやらを起動するらしい。場所は市郊外の廃ビル群。タスクフォースの上層部は混乱し、派遣が間に合わないかもしれない。急いだほうがいい」
エリスはアヤカやカエデを交え、すぐに作戦会議を組む。しかし、ユキノはまだベッドから自力で歩けるほど回復していない。カエデは「わたしが行く。ユキノはここで待ってて」と猛反対するが、ユキノはむしろ蒔苗からの“提案”を盾にして、「わたしが行かないと……。ここで寝てるだけじゃ、みんなを守れない」と主張する。
アヤカも困惑し、医師は「駄目だ、絶対安静だ」と叫ぶが、ユキノの意志は揺るがない。蒔苗も病室に姿を現し、「あなたが行くと言うなら、私も同行してもいいわ。もっとも、あなたが途中で折れるなら、その程度の存在だということだけど」と冷やかに告げる。
(ここまできたら、わたしはやるしかない……)
ユキノはふっと微笑み、「先生、アヤカさん、カエデさん……ごめんね、迷惑かけて。でも、行かせて」と絶対的な覚悟を示す。その瞳にあるのは、痛みを超えた先にたどり着こうとする強い意志。カエデは半泣きで「わかった……わたしも一緒に行く」と決め、エリスはうんざりした様子で「あなたたち、本当にお人好しなんだから」と肩を落とす。アヤカは葛藤の末、最小限の隊員だけ召集し、再び“秘密裏の出撃”を認めることに。
こうして、**観測者・蒔苗が提示した“提案”**を飲んだユキノは、まだ癒えきらない身体を引きずりながら、真理追求の徒の“新たな計画”が行われる市郊外へ向かわんとする――次こそ、本当に死に直面するかもしれない。けれど、彼女はもう止まれないのだ。
「痛みを乗り越えろ」「心の完成を果たせ」――蒔苗の言葉は冷酷ながらも、世界を守りたいユキノにとって最後の“突破口”かもしれない。
もし、彼女がさらに深い境地で自分の心と向き合えば、蒔苗をも納得させる究極の力を得ることができるのか。だが、その過程でユキノが壊れてしまえば、世界はリセットへと向かうだけ。
一方、真理追求の徒は新しい術式「外部解放術式」を発動し、蒔苗を引きずり出そうとしている。スパイはなおタスクフォース内部で暗躍し、アヤカの行動を制限し、エリスとカエデは再び少数での奇襲を計画する。
この危うい均衡の中、ユキノは痛む身体を奮い立たせ、夜の市郊外へ旅立つ――すべては、自身の世界を守るため。