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星を継ぐもの:Episode5-2

Episode5-2:仲間への誤射

灰色の雲が低く垂れこめる王都の空は、夜明け前にもかかわらずほとんど明るさを感じさせない。街の路地には湿った冷気が満ち、兵士や神官たちが早足で行き交う姿が見える。彼らの表情には焦燥が混じり、つい先日から騎士団の一部に拡がり始めた“謎の発熱”への不安と、次なる戦闘への準備が重なっていた。

そんな重苦しい空気の中、王城の飛行甲板にはいくつかの戦闘機が停められ、整備員たちがランプの光を頼りに装備の点検を進めている。ここで夜を明かした者も少なくない。先日の戦闘で損傷を受けた機体の修理を急ぐ一方、いつ襲撃があっても飛べるように備えなくてはならない。

カインは銀の小手の機体に寄りかかりながら、遠くの空を見やっていた。まるで夜明けを拒むように垂れこめる厚い雲が、ぼんやりとした赤紫の色を宿している。どこかで風が鳴り、機体の外装に取り付けられた鋼材がかすかな振動を伝えてきた。

「……嫌な空だな。まるで敵の歪みが空全体に広がってるみたいだ」
カインが自嘲気味に呟いたとき、横からモードレッドが足音も荒く近づいてきた。彼は赤茶色の髪を短く刈り込んだ頭を振り、ヘルメットを脇に抱えながらこちらを見る。

「おい、まだこんなところにいたのか。もうすぐ朝の点呼だぜ。まさか昨夜からずっと起きてたんじゃねえだろうな?」
「ちょっと眠れなかっただけだよ。気になることが多すぎる。……それで、また敵の動きがあるって話か?」
カインが問い返すと、モードレッドは舌打ち混じりに肩をすくめる。

「どうやら東の平野でまた奇妙な形態の白銀装甲が確認されたらしい。しかも、速さと修復力が増してるとか何とか。俺たちの“位相干渉弾”を早速封じる手段を編み出したんじゃねえかって噂もあるくらいだ。ああ、あと、病人がまた増えたってさ」
「そっちの方が厄介だな。仲間が動けなくなると、どうしようもない」

二人の足元では、乾ききらない水溜まりがランプの光を鈍く反射している。カインは思わずそれを踏みしめ、わずかな波紋が広がるのを見つめた。そう、波紋が伝わるように不安が拡がり、いずれ騎士団全体を巻き込むかもしれない。そんな暗い予感を振り払うように、彼は意識を切り替えてモードレッドに向き直る。

「まずは点呼に行こう。神官たちも来てるなら、様子を聞かないと。もしまた前線に行くなら、今回こそ短期決戦で倒しきるしかない」
「だな。行くぞ」

そう言って二人は歩き出す。が、そのとき甲板の向こう側から悲鳴のような声が聞こえた。整備員たちが何かに驚き、騒ぎ始めている。

「……あれは?」
カインが駆け寄ると、複数の整備員が一人の騎士を取り囲んでいた。騎士の顔は蒼白で、汗が吹き出し、息を荒らげている。先日から増え始めた発熱の症状かもしれないが、どうにも様子がおかしい。目の焦点が合わず、片手で銃を握りしめて微妙に構えているのだ。

「ま、待て、落ち着け。まだ早朝だぞ。何を……」
整備員のひとりが声をかけるが、騎士は反応せず、震える腕で銃を振り回しかけた。その銃口があちこちを彷徨い、そばにいた者たちが思わず後ずさる。

「……やめろ! そんなところに銃を向けるな!」
モードレッドが低い声で制止し、周囲の人々が一瞬で張り詰めた空気に包まれる。やがて騎士が不自然な呼吸を続けながら、かすれた声を吐き出した。

「く……くるしい……敵が……見える……!」
「敵? ここにはいないぞ。落ち着いて」
カインが呼びかけても、騎士は耳を貸さない。眼は焦点を合わさず、何か恐怖の幻影を見ているかのように、銃を周囲へ向ける。照準がぐらつきながら、むしろこちらを狙っているようにも感じられた。

「……幻覚かもしれない。病の影響か?」
カインとモードレッドは視線を交わし、一瞬で意思疎通を図る。下手に動けば、誤射を誘発しかねない。騎士の顔色は土気色を帯び、汗がポタポタ落ちる。そして、その口元が痙攣するように動いたと思った瞬間――

パンッ、という乾いた銃声が響いた。

あまりにも突然で、周囲は一瞬時が止まったようになる。モードレッドが反射的に身を屈め、カインも咄嗟に避けようとしたが、銃弾がどこへ飛んだのか把握するには短すぎる時間だった。甲板に叫び声がこだまする。

「やめろおっ……!」
二発目の銃声が鳴る前に、モードレッドが飛びかかり、騎士の腕を捻り上げた。周囲の整備員たちが慌てて銃を奪おうとするが、錯乱した騎士は力任せに抵抗しようとする。最後にはモードレッドの強烈な拳が騎士の顎を打ち、気絶させる形で事態を収めた。

そこには血の臭いが残り、そばにいた兵士が片腕を押さえてうずくまっている。どうやら誤射の一発が兵士の腕をかすったようだ。カインはすぐにその兵士へ駆け寄り、「大丈夫か!」と声をかける。

兵士は痛みで表情を歪めながらもうなずき、「かすっただけです……すぐに神官を呼んで……」と苦しそうに漏らす。整備員が医療班を急ぎ呼びに行く。モードレッドは怒り混じりに騎士の首根っこを掴んだまま、青ざめた顔でこいつを見下ろした。

「なんなんだ、こいつ……。敵の幻を見た? くそ、こういう形で味方を撃つとは……」
「分からない。あいつも病気のせいで幻覚を見てるのかもしれない。いずれにせよ、仲間を撃つなんてありえない……」
カインは声を震わせながらそう吐き出す。仲間への誤射、それは騎士団にとって最も避けたい悲劇の一つだ。敵の凶弾に倒れるならまだしも、味方に撃たれるなど……。

混乱の中、神官セリナが駆けつけ、魔法で負傷した兵士を応急処置する。リリィもあとから走って来て、倒れた騎士を診断しようとするが、明らかに熱があり、意識も混濁している。観測術を使っても、呪詛や空間歪曲の反応はなく、ただ異様に落ち着かない精神波が見て取れるだけだ。

「これ……やっぱりあの謎の病なの?」
リリィは目を潤ませながらカインに問いかける。セリナも動揺を隠せず、かすかに声を震わせる。

「可能性はあるわ。熱と倦怠感だけじゃなく、幻覚や興奮状態が出るなら、簡単な治癒では抑えきれない。騎士団がこんな形で崩れるなんて……許せない」

周囲で観衆がざわつき、アーサーやエリザベスも慌てて駆けつける。誤射された兵士は命に別状はないが、怪我は重そうだ。誤射を起こした騎士も気絶したまま、痙攣するように身を震わせている。医療班が担架に乗せて奥へ運んでいくが、何とか静まったのはモードレッドが抑え込んでくれたおかげだった。

「ここまでか……。仲間への誤射など前線でもそうそう起こらないのに……」
エリザベスの言葉には絶望が滲んでいる。王都の中枢でこんなことが起きるのは、秩序崩壊の前触れとさえ言えそうだった。アーサーは「後ほど詳しく調査しよう」と静かに指示を出し、被害の拡大を防ぐべく周囲を落ち着かせようとする。

「どうか騒ぎを大きくしすぎないように。原因が分からぬまま不安が蔓延すると、ますます状況が悪化する。医療班と神官が全力で対処するまで、我々は耐えなければ……」
アーサーがそう言い渡し、モードレッドやカインも彼の威厳に背中を押されるように頷いた。


騎士団のメンバーは動揺を隠せなかった。とりわけ戦闘機のパイロットたちは、「そんな……俺たちの仲間が病で幻覚を見て味方を撃ったのか?」と信じられない思いを口にする。神官たちもリリィを中心に対処を模索するが、どうしても“ギネヴィアウイルス”のような呪術感染を想起させると噂が広まってしまう。

「これじゃ敵と戦う前に、内側から崩れちまう……」
モードレッドが吐き捨てるように呟き、ガウェインは無言で首を振る。カインは歯を食いしばり、暗澹たる気分を押し殺す。何よりこの誤射によって、騎士団内に恐怖の種が一気に芽を出したのだ。「仲間への誤射」は絆を裂く最悪の出来事でもある。

その一方で、敵の侵攻は相変わらず止まらない。観測によると、北方や西方で小規模な襲撃が断続的に発生しており、騎士団の数が足りず、神官たちも手分けせざるを得ない状況に陥っている。誰もが病を抱えているかもしれない、あるいは精神に異常をきたして誤射を起こすかもしれない……そんな不安が隊員同士の信頼を蝕む。


夕暮れが近づくころ、甲板でカインとモードレッド、ガウェインたちが再び集まり、次の出撃準備を進めていた。誤射事件のあとの空気は重く、整備員たちも口数が少ない。

「……あいつら、さっきの犯人をどう処置するんだ?」
モードレッドが低く尋ね、ガウェインが厳しい表情で答える。

「まだ意識が戻らないそうだ。神官たちが呪術かどうか調べてるが、発熱があるようだし、どうにも原因不明らしい。とにかく隔離して治療中だとさ」
カインは黙って二人の会話を聞き、機体の動力部をチェックしている。誤射により仲間が撃たれた光景が頭を離れず、どこか手の動きがぎこちなくなるのを感じていた。

(これ以上こんな悲劇が繰り返されたら、仲間を信じて背中を預けることすら困難になる。どうにかしないと……)

そこへ神官リリィが駆け寄ってくる。いつものようにローブを纏ってはいるが、緊張を浮かべた面持ちだ。小さく息を整えてから、カインたちに声をかける。

「皆さん……いったん発進の準備、完了しましたか? そろそろ出撃要請が来るかもしれないらしいです。北方の偵察でまた敵影が確認されたとか……」
「何だって……もうか」
モードレッドが唸り、ガウェインも「時間がなさすぎる」とこぼす。誤射事件の後処理もままならぬうちに、新たな戦いが迫っている。

リリィは苦しげに目を伏せる。「ごめんなさい。私たち神官もこの誤射の原因を探りたいんだけど……前線での観測支援がないと、さらに被害が大きくなるから、やはり行くしかなくて」
カインは小さく首を振り、「謝ることない。お前らがいなきゃ歪みを捉えられないし、俺たちもどうしようもない。気をつけてくれ」と返す。

彼女も薄く笑みを作るが、その瞳は明らかに揺れていた。誤射により生じる仲間不信の種が自分たちを分断するのではないか、そう怯える気持ちが見え隠れする。現に周囲の兵士や騎士が互いの動きを注意深く見るようになり、以前のような気安さは感じられない。


ほどなくして、「出撃せよ」との合図が下される。北方に再度敵が出没したとの報告で、規模はそこまで大きくないが、歪みを伴う新形態の可能性があるため円卓騎士団が出動することになった。神官はリリィやセリナを含め数名が同行し、急いで輸送機へ乗り込む。

夜が迫り、空の暗さが増すなか、発進のランプが甲板を照らす。カインの銀の小手、モードレッド機、ガウェイン機、そしてトリスタン機が次々とテイクオフし、背後から神官を乗せた輸送機が続く。
だが、そこにはいつもと違う緊張が漂っていた。整備員たちは皆、昨夜の誤射事件を目撃しており、あのような悲劇が再び起きるのではないかと心配している。実際、発熱のある隊員は下がるよう命じられたが、軽度の者は隠して出撃している可能性もゼロではない。

飛行中、カインは通信回線で仲間の声を聞く。ガウェインやモードレッドは何度も「大丈夫か? そっち発熱とか変な症状ねえか?」と声をかけ合い、自分自身にも異変がないか確かめながら飛んでいるのだ。わずかな幻覚や頭痛があれば、操作を誤り誤射を起こす恐れがある――皆がそれを意識し、異様なまでに慎重になっていた。

「……こんな状態で敵に挑むなんて、狂気の沙汰かもしれない」
誰かがぽつりと漏らした声が通信に入り、カインは苦い思いで同感する。しかし、戦わないわけにはいかない。この国を支える円卓騎士団が倒れれば、アリスが眠る病室も、民の生活も、何も守れないのだから。


北方の山間に近づくと、谷間を吹き抜ける風が機体を揺さぶる。下方にはちらちらと光が散っており、小規模の村があるようだが、どうも落ち着かない雰囲気だ。偵察情報では、ここに敵が潜んでいるとのことだが、どこに潜んでいるか特定できない。

「リリィ、セリナ、観測を頼む。歪みや修復能力の反応があるはずだ」
ガウェインが通信で促すと、輸送機内のリリィはすぐに魔力を集中し、セリナと協調して術式を起動する。薄い光が輸送機の周囲を漂い、探知の網を広げていく。

「……微弱だけど、あの山肌の向こうに歪みがあると思います。うまく隠れてるのか、振動がわずかに漏れてるだけ」
リリィがそう告げ、セリナも「同感ね。すぐに地図へ送るわ」と落ち着いた声でデータを騎士団へ送信する。
「よし、あそこを叩くぞ。皆、気をつけろよ。ちょっとした動揺で誤射するなよ……」
モードレッドが半ば冗談めかすが、その声には張り詰めた空気が滲む。先ほどの誤射事件が脳裏にこびりついており、ほんの些細なミスでも取り返しのつかない事態になりえることを、皆が感じている。

すると、谷あいから白銀の光が瞬き、一条のビームが編隊の脇をかすめて通過した。敵の先制攻撃だ。ガウェインが防御フィールドで受けようとするが、タイミングがわずかに合わず、後方の補助機がかすかに被弾する。

「くっ……なんて精度だ!」
トリスタンが驚きながら急旋回し、上空からの狙撃位置を取ろうとする。だが、敵は歪みを駆使して射線を変えたり隠れたりしているのか、思うように狙いが定まらない。カインは銀の小手を操作しながら、歯を食いしばる。

「奴ら、さらに進化してやがる。リリィ、セリナ……位置情報を細かく送ってくれ!」
「分かりました……っ!」
リリィは魔力を研ぎ澄まし、敵の微妙な動きをキャッチしようとする。だが、そのとき彼女自身がふらりと視界を歪ませた。頭が軽くくらっとしたのだ。セリナは彼女を心配そうに見る。

「大丈夫? 無理しないで」
「だ、大丈夫……。少し疲れただけ……」

もしここでリリィが倒れ、観測が途切れれば、短期決戦もままならない。カインたちが誤射の危険を避けるためにも、神官の正確な指示が不可欠だ。まさに二重三重の恐怖が重なり合う状況だ。
だが、リリィは必死に踏ん張り、観測の魔法陣を維持する。セリナが補助的に魔力を流し込み、二人でなんとか視界を確保し続ける。


前方ではモードレッドが砲撃を開始し、ガウェインが防御フィールドで空間を押さえる。トリスタンが上空から牽制し、カインは位相干渉弾の発射タイミングを計る。敵が移動を繰り返すため、焦って撃てば外すかもしれないし、状況が混乱すれば誤射の危険も高まる。

「……やるしかない。この歪みが集中してる部分を撃てれば、修復を妨害できる」
カインは自分に言い聞かせながら、リリィの伝える座標を頼りに操縦桿を動かす。視界の先で紫電が乱れ、敵の輪郭が歪んだようにちらついている。ここを狙えば一瞬で仕留められる可能性があるが、わずかなズレが命取りだ。誤射で仲間を撃つ危険もある。心拍が上がり、嫌な汗が背中を伝った。

「撃つ……! ガウェイン、しっかり押さえてくれ!」
「任せろ!」
ガウェインが防御フィールドを展開し、モードレッドが斜め方向から威嚇射撃で敵を動かさないようにする。トリスタンは遠方から弾道を整え、敵の回避を制限しようと試みる。すべてが一瞬のコンビネーションだ。ここでカインは位相干渉弾を連射モードで発射する。

どん、と響く衝撃が機体を揺らし、3つの弾頭が閃光を描いて敵の中央部に突き刺さる。爆炎と白銀の粉塵が舞い、周囲の空気が震えるほどの爆音が轟き渡る。歪みの破裂音が重なり、敵の形態が崩壊していくのが見えた。

「やったか……!」
カインの声が通信に乗り、周囲の騎士たちが戦況を一斉に注視する。大きく抉られた敵の装甲が修復しようとする様子は見られず、宙を漂うように細かい破片が消散していく。リリィとセリナが魔力を通して観測すると、敵の振動がほぼ途絶えているらしい。

この一撃で敵の主核は破壊されたようだ。残りの端末的な部位があれば、モードレッドやガウェインが追撃するだろう。一方、トリスタンは「よくやったな」と静かに称えるように通信を入れる。

「……助かった。誤射を起こさずに決着をつけられてよかったよ」
カインはそう呟き、機体のモニターを見下ろす。内心ヒヤヒヤだったが、仲間を撃たずに済んだ。それでも、今度はいつまでこれを繰り返すのかという不安がこみ上げる。


戦闘を終え、夜の王都へ戻ってきたころには、すでに幾つかのベッドが埋まっていた。誤射事件の影響は大きく、団内の空気は重い。医療区画ではまだ騎士の意識が戻らず、周囲が看護に追われている。手伝いに駆り出されたリリィやセリナは、回復魔法を次々と施しながら、患者の変調を見逃さないよう必死で観察する。

「そんな……呼吸がどんどん荒くなってるじゃない……」
リリィが驚いた声を出すベッドには、今朝誤射で人を撃った騎士がぐったり横たわっていた。体温は依然として高く、時折うわ言のような言葉を漏らす。あの瞬間、何か幻覚を見ていたのは確かだが、その原因も解明できていない。

「私の治癒魔法も効きが悪い。魔力がどこかへ吸い込まれるみたいで、まるで敵の修復能力に似た何かが体内で動いてるかのよう……」
セリナは渋面を浮かべながら杖を握り直し、追加の魔法を唱える。が、結果は大きく変わらない。呪いとも違う、観測光とも異なる、けれど何か不気味な力が体の中で動いているように感じられるのだ。

「もしこれが本当に“ギネヴィアウイルス”なら……早く何とか手を打たないと。仲間同士で疑心暗鬼が拡がり、誤射が増えるなんて最悪よ」
リリィは焦りを募らせる。先ほど自分たちはうまく連携して敵を倒せたが、心の片隅には常に「味方が突然発砲するのでは」という恐怖がこびりついている。神官としてそれを沈静化する責務があるのに、肝心の病が得体が知れず歯が立たない。


夜が更け、城内が静まり始めても、医療区画と騎士たちの宿舎だけは落ち着かなかった。加えて時折、巡回の兵が慌てた足音を響かせ、廊下を行き来する。
“仲間への誤射”――この言葉が空気を重くし、彼らの間に小さな亀裂を生み始めている。ある者は「大丈夫か、怪しい咳をしてないか?」と疑いを含んだ目で仲間を見てしまい、またある者は「俺は違う」と声を荒らげる。ささいな不信が積み重なれば、円卓騎士団の結束すら危うい。

「我々はもう、敵と戦う前に互いを警戒し合わねばならないのか?」
誰かがそう嘆く声を聴きながら、カインはたまらない息苦しさを感じていた。もしかすると、この病がさらに広まれば、今後何度も“仲間への誤射”の悲劇が繰り返される可能性がある。それこそ、The Orderにとっては絶好の機会だろう。人間同士が自滅してくれれば、敵の手間は省けるのだから。

「させるもんか……」
カインは廊下に佇み、遠くで神官が回復を施す光景を横目に呟く。アリスが眠っているせいで干渉波も使えず、新しい戦術に頼っている今、内部崩壊は最悪のシナリオだ。神官や騎士の努力でなんとか防がなければならない。


夜明け前、医療区画から低いうめき声が響き、何名かが騒ぎ出した。誤射を起こした騎士が再び暴れ出しかけたのだが、すぐに鎮静剤と神官の魔法で落ち着かせた。しかし、さらにもう一人、似たような症状で意識が混濁し始めた者が出る。

「やっぱりこれ、感染なんじゃ……」
「かもしれない。まだ数人だけど、増える可能性は大きい」

部屋の外ではモードレッドが廊下を行き来しており、「くそっ」と舌打ちを繰り返している。彼は派手な戦闘を好む一方、こうした内部の病にはどう対処すればいいか分からず、苛立ちが募るばかり。トリスタンは無言で壁にもたれ、瞳を伏せて思案に沈んでいる。

セリナとリリィが夜通し看護を続けている姿を見て、カインは胸が苦しくなる。短期決戦で敵を倒すことは大事だが、同時にこの病の原因を突き止めない限り、騎士団の仲間たちを守りきれない。誤射が続けば士気の低下は避けられないし、最悪の場合は騎士団が自壊する未来さえ見えてしまう。

「俺たちの仲間に銃を向けるなんて……もう見たくない」
カインはそう決意を新たにし、アーサーやエリザベス、マーリン、そして神官長マグナスらと力を合わせて原因究明にあたることを誓う。病の解析と、敵の進化に対処する戦闘、この二つの問題を同時にこなさねばならないという過酷な状況だが、ここで踏ん張らなくては王都が取り返しのつかない危機に陥る。

遠く夜明けの鐘がかすかに響くころ、漆黒だった空が少しだけ青みを帯び始める。整備ドックの片隅では銀の小手が薄い光を受けて鈍く輝き、カインはその胴体を静かに撫でた。アリスがいない今、機体だけが彼の傍にある相棒のようにも感じられる。

「仲間を撃つなんて二度と起こさせない。俺たちが不安に負けてしまえば、敵の思う壺だ。どうにか……どうにかしなくちゃ」
その呟きが誰に届くかは分からないが、カインは最後の意地で夜通しの疲れを振り払い、わずかな時間でも休息を取ろうと決心する。次の出撃はいつ来るか分からないし、誤射の再発を防ぐ手立ても探らねばならない。

甲板では朝陽が見えないままに新しい日を迎える。依然として厚い雲に覆われ、かすかな湿り気が空気に溶けている。兵や騎士が行き交う度に、皆がどこかぎこちなく相手を見ては足早に去っていく。いつまた“仲間への誤射”が起きるかもしれないという恐怖が、言葉にせずとも共有されているのだ。

こうして、王都の朝は始まる。感染の兆候を隠しきれずに広がりつつある病の影、そして敵の絶え間ない適応や襲撃。不安の種は確実に大きく育っているが、円卓騎士団はまだ挫けない。神官たちの奮闘があり、アリスの眠りからの復活を信じる心がある以上、彼らは前を向くしかない。

やがて日が昇りきらぬうちに、また騒ぎが起きて出撃の合図が鳴るだろう。いつものように騎士たちは機体に乗り込み、神官は魔法の準備をし、整備員は弾薬を装填する。だが、心のどこかには常に「味方が突然撃ってくるかもしれない」という恐れが巣食っている。その感覚が続く限り、仲間への誤射はより大きな悲劇を予感させるものとなり、騎士団の絆を脅かし続ける。

それでも、カインたちは進まねばならない。アリスが目覚めるまで、あるいはこの病が沈静化するまで。あるいは敵を根絶やしにできる奇跡が訪れるまで――戦いの幕が下りることはないのだ。仲間を救うためにも、誤射の悲劇を繰り返さないためにも、彼らは明日も出撃の準備を整えるだろう。

灰色の空を見上げ、カインは唇を結んだ。その視線の先には、遠く薄雲の切れ間が微かな光を見せている。夜明けを感じさせる一筋の輝き。けれども今のところ、それは闇を払うには力不足に思える。
仲間への誤射――それが騎士団内に燻る不安を顕在化させた事件であり、病と敵の二重苦がじわじわと足元を侵蝕している。どちらかが解決しても、もう片方が残れば破局は避けられない。神官たちの祈りと魔法、騎士たちの剣と位相干渉弾、それらすべてが足並みを揃えなければ、この不安を解消することはできないのだ。

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