4.78章 天道虫
「ん、ああ」
声が上手く出ない。
手足が痛い、でもそれ以上に今、立ち上がらなければならない。
なのに、手足に力が入らない。
自身の体の状態を確認しようとするも、視野が赤く濁って良く見えない。
ただ、自分が大きな赤い液体の上にうつ伏せになっていることしかわからない。
これは。
(やられたわね。どうして、こうなったのかしら)
頭だけが冷静に動き状況を分析し始める。
これまでに培われてきたソラナの職能によるものだった。
どんなときも冷静に。
しかし、状況が状況だ。
自身の体が動かないにも関わらず熱も奪われていく。
目の前に銀色の人型が歩いてくる。
頭はカブトムシの様なフォームをし、有機的なデザインの甲冑をまとったそれは、悠然とどこか余裕のあるような表情をしている様に見えた。
(なるほど、これで、チェックメイトなのね)
(打てる手はもうないわね)
敗因は、もう既にわかっていた。
自身の能力に固執しすぎたのだ。
今ならやれる。
ニトロのSVMを経由して、トランザクションを発動できる自分が、一度は、ジノを倒すことに成功した自分がやれるはずだと思っていたのだ。
複数の要因を検討し、それらを組み合わせて実行する事。
平たく言うならば
『お前は、自分のちからで全部やりすぎなんだよ』
それは、アラメダリサーチでCTOを務めていた際に上司であり兄の様な存在だったFOXにさんざん言われていたセリフだった。
(だって、これ以上、友達に、フィーに負荷をかけるわけにはいかないじゃない)
フィーは、ジノをFetch.AIに降臨する際に大きくリソースを消耗していたのだ。
そのまま戦闘をさせてしまったら、最悪、意識体としての存在を保てないくらいの量にまで、そのリソース量は低下していたのだ。
だから、ソラナが前に出て、SVMで自らを強化し、GNO-タワーに集中したリソースを身にまとい、味方殺しのNFTを作用させて戦ったのだが。
結果は、惨敗だった。
強化されていたはずのソラナの瞳に写ったのは、殿様バッタの頭をした怪人でもなければ、ジノ本体でもなく。
(カブトムシの頭をした銀色の人型?)
そいつは、顕現すると同時にソラナの視界から消え、再び、視界に映ると大きくなっていたのだ。
(ちがう。わたくしの足がやられ手が潰された。だから)
ソラナが地面にうつ伏せになる形になり、相手を見上げる状態になっていたのだった。
全てのは彼女の計算違い。
そもそも、速さの規格が違ったのだ。
(でも、ここで、あのカブトムシ型のボットもどきが出るなんて思うわけないじゃない)
そう自身の心の中で愚痴るソラナ
(まぁ、転移のトランザクションでみんなは逃がしたから、あとはわたくしの残骸から色々回収してクレセントあたりが上手くやってくれるでしょう)
彼女が酷く落ち着いているのは、自分の大切な人たちは全員逃がした。
そう確信できたからであった。
(わたくしの最後もあっけないものでしたわ)
(でも、彼女達には感謝しなくてはね。ここで過ごした日々はとても楽しかったのだから)
銀色の人型が振りかざした手刀が彼女の頭に迫る。
そのスピードは、彼女にも見える速さで。
(わざとね。ぜったいに怯えてなんてやるものですか)
目を見開き、カブトムシの様な兜の奥にある瞳を睨みつける。
降り下ろされる手刀が僅かに振るえているのがわかった。
(ふん。不甲斐ないわね。こんな、死にかけのわたくしに怯えるだなんて)
最後まで強気なソラナに降り下ろされた手刀。
振り切られた瞬間、緑色の液体が周囲に散乱した。
自分の意識は続いている。
それに”緑色”の液体!?
その持ち主には、憶えがあった。
「フィー!!何しているのよあなた!!」
燃え盛る空気によって焼かれた喉をありったけ震えさせ叫ぶソラナ
いるはずの無い、大切な人が目の前で血をまき散らせ倒れたのだった。