![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/170220283/rectangle_large_type_2_b0fd009cc9c304c500e0c9366ed2e3cd.jpeg?width=1200)
再観測:星を継ぐもの:Episode1-1
Episode1-1:荒廃の地と騎士団の気配
かすかな風が吹き抜ける、大地に深い影を落とす夕暮れだった。地平線には、かつて人類が築き上げた文明の残骸が歪な黒いシルエットとなって沈み、赤黒い空気の粒子が漂っている。視界の端々には、崩れたビルや長く放置された輸送船の枯れた鉄骨が散在し、そのどれもが錆色に染まっていた。何十年も前に終わりの見えない戦いが始まり、今なお続くこの惨状こそが「荒廃した地球」の現状を語り尽くしているかのようだ。
荒れた大地をゆっくりと踏みしめるように、黒い外套をまとった男が歩いている。その足元には土と瓦礫の粉塵が巻き上がり、かつてのアスファルトが砕けた破片が散らばっていた。男の名はカイン。王国の「円卓騎士団」に所属する若きパイロットであり、今は偵察任務の一環としてこの区域の調査に来ている。
カインが歩を進めるたび、廃墟から舞い落ちるコンクリート片がかすかに音を立てる。ここは数年前までは小さな集落があったと伝えられる地域だが、今は住民が移住したか、あるいは何かしらの襲撃によって離散したらしく、人の気配はまったくない。空には灰色と紫が入り混じった不気味な雲が広がり、ときおり稲光のような閃光が遠方で走っている。放射性物質を含んだ埃が空気中を漂うせいで、夕焼けなのか汚染による色合いなのかわからない、異様に赤黒い光が世界を染め上げていた。
「こりゃ……人の住める環境じゃないな。」
カインはヘルメット越しに、ローカルマイクを通じて独り言のように呟いた。ヘルメットに装備された防塵シールドが、絶え間なく細かな砂埃から顔を守ってくれている。スーツの内蔵モニターを見ると、外気の数値が限界を越えて危険域に近づいていることを示していた。酸素濃度は標準より低く、微量の有毒ガスが検出される。
「戻ったほうがいいわね。ここで詳細を調べても時間の無駄ってところかしら。」
不意に、カインの耳元で澄んだ少女の声が響いた。正確にはヘルメット内の通信システムを介して届く声であり、その声の持ち主こそがアリス。カインの相棒にして、戦闘機「銀の小手(Silver Gauntlet)」のコアシステムとも言える存在だ。仮想的に少女の姿をとる“AI”のような存在だと説明されることも多いが、真実はまだ多くの謎に包まれている。
「ああ、そうだな。……アリス、君の分析でもやっぱりここは何もなさそうか?」
「ええ。少なくとも、この廃墟にはThe Orderの部隊が潜んでいる形跡はありませんし、建物内には生体反応もゼロ。ずっと遠方に微弱なノイズがありますが……多分、大昔に破壊された通信施設の残骸かもしれません。」
「わかった。もう少し周辺だけ確認したら、引き返そう。」
カインは足元の瓦礫を蹴り払いながら、ヘルメットのバイザー越しに辺りを見回す。瓦礫から数メートルほど先には、スクラップと化した大型の兵器か車両らしきものが転がっていたが、あまりに朽ち果てていて何であったかは判別できない。そこには、まだ乾ききった血液のような黒い跡がこびりついており、過去にここで争いがあったことを無言のまま物語っている。
この地球上には、こうした廃墟がいくつも点在している。文明が栄えていた頃の名残——それがThe Orderとの戦いによって崩され、人々は城壁のある都市や地下シェルターへと逃げ込んだ。その代表的な存在が王国と呼ばれる大都市国家であり、そこで組織されたのが「円卓騎士団」だ。カインは、その騎士団の一員。何がどうしてこうなったのかと問われても、誰も正確には答えられないほどに世界は混乱している。しかし、今は混沌よりも前に、圧倒的な脅威——The Orderに対抗する必要があるのだ。
その脅威との長い戦いが続く中、人類はわずかに残された希望にすがり、王国を中心に防衛組織を築き上げてきた。大空に舞う戦闘機のいくつかが、今のところ唯一の“前線”と言える。カインは銀の小手という特別な機体を与えられ、仲間たちとともに空を駆けながら敵に立ち向かってきたのだ。
そしていま、この廃墟の偵察はその一環に過ぎなかった。王国の防衛境界線を拡張できるのか、それともここは危険度が高すぎる場所なのか。それを見極めるための任務である。
「アリス、艦の方から何か通信は?」
「隊長からの連絡では、北西にある丘陵地帯で小規模な戦闘の痕跡があるって。調査に向かってほしいって要請が来てます。」
「そうか……じゃあ、ここはとりあえず切り上げるか。」
そう言ってカインは踵を返し、朽ち果てた大通りを引き返していく。遠くの地平線には、王国から派遣された空母型の輸送艦が停泊している。地上から高く浮遊する大型艦は、薄紫の大気の中に紺色の船体を沈ませ、かすかに灯るランプが暗い空を照らしていた。艦まで戻るには、廃墟の奥へ回り込む必要があるが、それでもそう遠い距離ではない。
無造作に積み上がった瓦礫の山を横目に、カインはゆっくりと駆け足になり始めた。ブーツに取り付けられた軽量アシスト装置が微弱な駆動音を立て、彼の体をサポートしてくれる。この装置のおかげで、荒野を長時間移動するのも以前ほど苦ではない。
「それにしても……。」
アリスの声を待たず、カインは低くつぶやいた。
「これじゃあ、人が生きていくなんて想像もつかないよな。こんな世界、いっそ、全部夢だったらいいのに……」
「カイン。辛いのはわかるけれど、あなたは騎士団の一員でしょう? 夢なんかじゃ済まないわ。ちゃんと、現実を見て。」
「……わかってるよ。」
彼の瞳には、一瞬だけ弱々しい光が宿った。アリスが発する言葉は、時に厳しくもあるが、カインはそれを聞くたびに不思議な安心感を抱く。彼女の声は、荒涼とした大地に一本だけ差し込む灯火のような存在だからだ。
廃墟を出た先に見える開けた空間には、砂塵をかぶった格納庫のような建造物があった。その扉は半ば崩落しており、中には使い物にならない金属製のコンテナや廃材の山が散乱している。カインは念のために覗き込んだが、やはり生体反応もなければ、敵の痕跡もなかった。
「隊長たちに連絡を――」
そのとき、遠方の大気を貫くように、低く鈍い轟音が響いた。まるで地面の底が震えるような衝撃で、カインは思わず立ち止まる。
「今の……爆発音か? アリス、わかるか?」
「確かに爆発と思われる衝撃波を感知しました。北西方向からですね。距離はおよそ十五キロ。さきほど言っていた“戦闘の痕跡がある”という丘陵地帯かもしれません。」
「まったく穏やかじゃないな……。急いで帰投して、銀の小手で出撃するしかなさそうだ。」
「そうね。私も同じ意見よ。」
アリスの声に背中を押されるように、カインは再び足を速める。そこここに転がる障害物を飛び越え、破壊された橋の残骸を回り込んでいく。荒廃の風景のなかを、ただひとり黙々と駆ける姿は、どこか寂しげでもあるが、その奥には彼の揺るがぬ決意が宿っていた。
やがて見えてきたのは、半ば浮遊する形で周囲の砂塵を巻き上げている小型のシャトル船だ。王国の軍用輸送艦に付属する移動艇であり、騎士団員が地上へ降り立つ際に使われる。カインはその船体へ手を振りながら駆け寄り、操縦席の横で待機している整備士に声をかけた。
「悪いな、待たせちまった。」
「いえ、お疲れさまです。廃墟調査は成果なしか?」
「ああ。敵の痕跡はまったくない。とりあえず隊長へ報告したい。あと、北西でさっき大きな爆音があった。」
「こっちでも観測できましたよ。どうも本格的にやばい兆候がありますね。」
整備士は細めの目をしかめながら、シャトル船のエンジン起動スイッチを入れる。船体がわずかに揺れた後、再び浮遊状態に入る。カインはすかさず搭乗し、簡易シートに腰を下ろした。シャトルの操縦席は別のパイロットが操作しているらしく、そこではいくつもの計器類が忙しく点滅していた。
「まずは母艦へ帰投だな。ありがとよ。」
「了解。離陸します!」
ウィーンという低い駆動音とともに、シャトルは地表数メートル上へと浮かび上がり、砂塵を大きく舞い上げた。機体が安定するや否や、エンジン出力が急上昇し、遠方の母艦へ向けて水平方向に加速していく。
大きく開けた荒野の上空を、シャトルは茜色の夕陽を背に高速移動する。その夕陽と呼べる色彩が本当に太陽由来のものか、それとも地球大気に溶け込んだ不純物の影響によるものかは判然としない。とにかく、地表には絵の具をぶちまけたようにおぞましい橙色の色彩が揺らぎ、廃墟群が長い影を落としている。カインは窓の外を見つめながら、心の底にたまった言いようのない焦燥感を噛みしめていた。
(本当に、こんな場所ばかりになってしまったのか。昔、俺が小さいころに聞いた話じゃ、もっと青くて広い大地があったらしいのに。)
感傷に浸るのは嫌いだが、この光景を見るたびにそう思わずにはいられない。
そして、再び思い浮かぶのはThe Orderの影である。そもそも、なぜ彼らは人類に攻撃を仕掛けているのか。敵が何を目的としているのか。未だによくわかっていない。だが、無慈悲に都市を破壊し、人類の生活圏を侵食してきたという事実だけは変わらないのだ。
シャトルが到着した先は、地上数百メートルほどの高さに浮遊する移動型母艦、いわゆる空母に近い機能を持つ巨大艦船だった。王国が保有する複数の艦のうちのひとつで、名前は**「レヴァンティス」**と呼ばれている。金属製の甲板が何層にも分かれ、戦闘機の発着エリアが左右に配置されている大型艦だ。
シャトルが甲板へ着艦すると、カインは素早くハッチを開けて降り立つ。飛行甲板には強烈な風が吹きつけ、係留されている戦闘機たちが油圧式の足でしっかり固定されているのが見える。空気が汚れているせいで鼻を刺すような臭いがするが、カインは慣れっこだ。
ふと視線を上げると、沈みかかった陽の赤い輪郭が、低い雲の切れ間にわずかに見える。まもなく夜が訪れようとしている。ここでの夜は、地上の放射能帯や赤潮のような大気汚染が合わさって、一段と不気味で重苦しい暗闇だ。
「カイン、おかえり。調査のほうは?」
声をかけてきたのは、この艦の作戦指揮を担当している青年将校——ロイド少尉だ。細身の体躯に薄い金髪で、やや神経質そうな面持ちをしているが、作戦プランを立てる腕は確かだと評判の人物である。
「お疲れさまです。成果なしだ。敵の痕跡も住民の姿も見つからなかった。むしろ、北西で爆発音がしたのが気になるな。隊長にはもう報告済みか?」
「うん、隊長はそれを受けて、緊急招集をかけようとしてる。甲板下のブリーフィングルームで待ってくれ。あとで指示があるはず。」
「了解、助かる。」
ロイドが手を振って去っていくと、カインは甲板上を歩き、銀の小手が置かれている整備エリアへ向かった。甲板の端には大小さまざまな機体が格納されており、中央付近にはひときわ異質な外観を放つ戦闘機が鎮座している。それこそが**「銀の小手(Silver Gauntlet)」**。
主翼のフォルムは流麗だが、機体表面には奇妙な幾何学模様が浮かび上がり、まるで何かの“紋章”を刻んだように見える。通常の王国製戦闘機とは一線を画す設計であり、どこか古代文明の痕跡を思わせる素材が混ざっているとも噂されている。
機首にあたる部分は鋭利に尖っており、機体色は銀と青の境界線がぼんやり揺らぐようにグラデーションを描いている。整備班の隊員が数名、機体下部で何かのチェックをしているようだ。
「……ただいま、相棒。」
カインは機体の腹部をそっと叩き、まるで生き物を撫でるかのように愛着を込めて声をかける。心の中で呼びかけると、インカムからアリスの声が微かに返ってきた。
「おかえりなさい、カイン。銀の小手も退屈してたかもしれないわ。」
「ふん、そうかもな。——おい、ドック長! 状態はどうだ?」
整備長らしき初老の男が顔を上げ、グローブを外しながら近寄ってきた。髪は白髪交じりで厳しい顔立ちだが、口調はどこか温厚な感じを漂わせている。
「カインか。ちょうどいいところだ。銀の小手は随時メンテしてるが、特殊合金の表面がところどころ劣化しててな……一部を再コーティングしないと危ないかもしれん。今すぐ出撃ってんじゃなけりゃ、今夜のうちにやっておくぞ?」
「悪いな、すまない。でも、もし隊長から緊急出撃がかかったら、どうなる?」
「そのときは応急処置だけでやるしかない。合金が危険域までいくことはまあないはずだが、弾痕が増えたらさすがに厳しくなるかもしれんぞ。」
「わかった。様子見で頼む。状況によってはすぐ飛ぶかも。……ありがとう、ドック長。」
整備長は黙ってうなずくと、再び機体下の床下スペースへ潜り込んでいった。その背中を見届けながら、カインはブリーフィングルームへ向かうため移動を始める。周囲には、同じく帰投したばかりのパイロットたちが行き交い、誰もが急ぎ足だ。緊迫感が甲板全体に漂い始めているのを、カインは肌で感じ取った。
ブリーフィングルームは艦内に設けられた大部屋で、壁面に大型のスクリーンが設置されている。隊長のモルガンがそこに投影される地図を睨みつけながら、複数の騎士団員と打ち合わせを行っていた。モルガンは長い黒髪を後ろで束ねた女性で、空挺団や空母の指揮運用を一任されている。表情は鋭く、澄んだ灰色の瞳が見る者を萎縮させるような凛とした佇まいを持つ人物だ。
「すでに一部隊が北西の丘陵地帯を調査しに向かってる。そこで敵との交戦があった可能性が高い。……カイン、来たわね。待ってたわ。」
「失礼します。隊長、さっきの爆発音はやはり……?」
「恐らくThe Orderの攻撃か、あるいは謎の傭兵集団かもしれない。断定はできないが、放っておけば我々の作戦に支障が出るわ。できればこのレヴァンティス艦から直接航空支援をしたいの。あなたの銀の小手には期待してる。」
モルガンはバシッと指し示すように地図上の一点を叩いた。そこは衛星からの映像でもやや粗いが、丘陵がいくつも連なっている場所で、ところどころクレーターのような窪みが見える。最近は強い磁場の乱れが観測され、通信やレーダーが遮断されがちなエリアだという。
「合点承知。すぐ出撃ですか?」
「いや、夜間の索敵は危険が多い。日が沈む前に偵察隊を送って状況を把握したいが、この艦の移動もある。準備に少し時間がかかるから、出撃は夜半か、それに近い時間になるかもしれないわ。とはいえ、油断はできない。作戦が決まったらまた声をかけるから、しばし待機よ。整備を入念にしておきなさい。」
「了解です。」
カインは敬礼のように頷いた。モルガンが鋭い視線で全員を見渡すと、そのまま部屋を退出して指示を飛ばしに行く。残された隊員たちがざわめき始めるが、誰もが手持ちの端末を確認し、今夜の出撃に備えて動こうとしているのがわかった。
「忙しくなるな……。アリス、準備はいいか?」
「もちろんよ、カイン。早く私たちの“銀の小手”で飛びたいわ。」
アリスの声に微かに弾んだ響きが混じったのを感じ、カインは少しだけ唇をほころばせる。たとえ外は荒廃していようとも、どこかに希望を見いだしている仲間の存在がいるのは心強い。
夜が近づくとともに、母艦レヴァンティスの周囲に漆黒の闇が降り始めた。上空を覆う雲の流れは速く、時折、雷鳴が遠くでとどろく。甲板に配置された投光器だけが青白い光で艦周囲を照らし出していた。甲板の上では整備班や補給班が慌ただしく動き回り、各機体へ弾薬や燃料を装填している。空母が発進させる戦闘機数は多くはないものの、それでも夜間作戦に備えてフル稼働状態だ。
騎士団の一角には、漆黒のコートを纏った男が立っている。明らかに他の隊員とは違う雰囲気を放ち、鋭い瞳で甲板の奥を睨む。その胸元には円卓騎士の象徴である紋章が微かに刻まれていたが、その名を聞けば周囲は畏怖の色を示すだろう。
——ただ、カインたちの視点では、彼はほんの通行人に過ぎず、このエピソードでは深く言及されないまま消えていく(ランスロットの姿だったかもしれないが、詳細は今は要らない)。甲板を吹き抜ける冷たい風が、その男の存在を一瞬で包み込み、やがて闇に溶けていくようだ。
そんな中、カインは再び銀の小手の整備状態を確認しに戻った。ドック長が機体下を覗いているのが見える。
「ドック長、どうだ?」
「おう、予想以上に表面素材が傷んでる箇所があったが、応急処置でどうにかした。遠征飛行くらいはこなせるが、あまり無茶はするなよ。急降下とかフルバースト加速とか、あんまり乱用しないほうがいい。」
「承知した。でも、こいつの性能を最大限に使わないと、俺たちは勝てないかもしれないんだ。」
「言うな……。わかってるさ。おまえさんの気持ちもな。」
ドック長は苦い表情を浮かべつつ、整備ツールをまとめてサポートスタッフに渡す。カインはその姿を見て胸が苦しくなる。みんな、限られた資源や技術をやりくりしながら必死に機体を稼働させている。もしこの戦いで銀の小手が大きく損傷すれば、修理にどれほどの労力がかかるのか想像するだけで頭が痛くなる。しかし、それでも戦わなければ世界は守れないのだ。
「アリス、聞こえるか? 今からコクピットに入りたい。ナイトチェックを済ませておこう。」
「了解。機体内部を起動モードに移行するね。」
カインは機体横に設置された昇降リフトに乗り、コクピットハッチを開けて中へ滑り込んだ。銀の小手の操縦席は、一般的な戦闘機よりやや広めだが、モニターの配置やスイッチ類はやや独特のレイアウトをしている。メインコンソールには波紋のような文様が浮かび上がり、奥のスクリーンにシステム状態が流れる。
コクピットが気密を保つと、ほんのりと青白いライトが灯り、アリスのホログラフィック映像がシート前方に投影された。少女の姿をかたどった光の粒子が集まり、微笑むようにしてカインへ向き合う。
「ようやく落ち着いて話せるわね、カイン。今日の調査は本当に大変そうだったけど、大丈夫?」
「まあ、廃墟の風景はいつ見ても胸糞悪くなるけどな。敵の姿がなかったのは逆に不気味だ。」
「……私も少し気になるわ。周囲に気配はないのに、地形の乱れが明らかに“戦闘跡”を示していた場所がいくつかあったから。」
「爆音は、おそらくそっちの方面か……。ま、すぐに出番が来るだろうさ。」
カインは操縦桿に手をかけ、一通りの動作確認を始める。スロットルレバー、エンジン始動スイッチ、武装パネルなどを順番にチェックしていく。いつもの手順だが、念入りにやるに越したことはない。
「機体制御AI、オンライン。メインエンジン、出力正常。補助スラスター、問題なし。武装は……まだ積んでないみたいだな。夜間出撃直前に積むのか?」
「そうみたい。作戦内容が固まっていないから、何を積むべきか保留にしているって、補給班が言ってたわ。」
「そりゃそうか。長距離砲にするか、近距離格闘兵装にするか……どんな敵が出るかわからない。ああ、まったく厄介だな。」
カインが大きく息をつくと、アリスのホログラムがすっと近づいてくる。まるで人間がシートを覗き込むかのような動作だ。
「大丈夫よ、カイン。きっとどんな敵が現れても、あなたと私が一緒なら切り抜けられる。あなたもそう感じない?」
「……ああ、まあな。君がいてくれると心強い。ありがとう、アリス。」
「ふふ……どういたしまして。」
その笑顔は、機械的なものとはとても思えず、まるで生身の少女がそこにいるかのように柔らかい。カインはこの不思議な存在に引き込まれるような感覚を覚えるが、深く考えれば考えるほど混乱しそうになるため、目を伏せて息を整えた。
コクピットを出てリフトで甲板へ降りる頃には、空母レヴァンティスが大きくスラスターを噴射し、ゆっくりと移動を開始しているのを感じた。重低音の振動が艦全体に伝わり、脚部の骨に響くようだ。甲板上のクルーが慌てて甲板備品を固定している姿が見える。
「移動を始めたか。目的地はやっぱりあの丘陵地帯かな……。気を引き締めないと。」
夜気が頬を撫で、さっきより少し温度が下がったように感じる。荒廃した地球の夜は早く、そして長い。大地に広がる瓦礫の影はさらに深くなり、闇に潜む何かを警戒させる。その何かが、The Orderなのか、あるいは別の脅威なのかはまだわからない。
いずれにせよ、カインはこの艦とともに空へ舞い上がり、戦いの最前線へ赴くことになる。銀の小手は、その切り札であり、カイン自身の誇りでもあるのだ。
夜の幕が降り切る直前。甲板上に並んだ戦闘機たちのシルエットが暗がりの中に沈み、投光器と機体ランプだけが浮かび上がる。エンジンからは青いプラズマの光が漏れ、まるで小さな星がいくつも並んでいるかのようにも見える光景だ。
アリスの声がインカムを通じて届く。
「……そろそろだと思うよ。発進命令が出るはず。」
「わかった。いつでもいける。」
カインはヘルメットのシールドを下ろし、冷たい夜気を断ち切る。遠くからかすかに聞こえる轟音は、さきほどの爆発地点か、あるいは別の何か。胸中にわだかまる不安を振り払うように、彼は深く息を吐いた。
世界は荒れている。だが、希望が完全に失われたわけではない。人々は生きる場所を求め、わずかに残された資源を頼りに、こうして今日も空に挑もうとしている。円卓騎士団の威信を背負い、カインは銀の小手を操縦する。そこにアリスが寄り添い、ふたりはまだ見ぬ強大な敵へと立ち向かうのだ。
(きっと、俺たちがやるしかないんだ。どこかで聞いたような英雄譚が現実に転がってるなら、ここがその舞台だろう。騎士団が世界を守る力になるって、信じたい。)
夜の帳が濃くなり、やがて星もほとんど見えなくなるほどの曇天となる。砲煙や微細な塵が空を覆い、閃光の走る雲海がかすかに光って見える。
遠方には廃墟のシルエットがうっすらと映し出されるが、その先に何があるかまではわからない。そこは誰も足を踏み入れぬ領域。人々が恐怖するほどの未知が広がっている。それでも、騎士団の気配は確かにここにあり、大空へ飛び立つ準備をしている。
世界は荒廃したまま、しかしその凛とした意志を宿す者たちが集う場所——それこそが円卓騎士団の象徴だ。カインは、その一員として明確な使命感を胸に抱く。
そして、カインの鼓動が高まると同時に、銀の小手のメインコンソールも青い光を帯び始め、甲板のクルーが口々に「発進準備完了!」と叫びながら合図を交わす。もう間もなくして、レヴァンティス艦の艦橋から発進指示が出され、暗雲の世界に向けて、その銀翼が羽ばたく時が来るだろう。
こうして、荒廃の地にうごめく闇に対抗するための物語が、静かに幕を上げようとしていた。
まだ誰も知らない——この先の激烈な戦いと、謎に満ちたThe Orderの存在。そして人々を結びつける円卓騎士団という名の意志が、絶望的な世界をどのように変えていくのか。
カインはただ一瞬、視線を夜空に投げ、心のなかでアリスと会話するようにそっと目を閉じた。
(どんなに世界が暗くなっても、銀の小手がある限り、俺は飛べる。アリスと共に——そう、俺たちはまだ希望を捨てない。)
夜闇に溶け込むようにして、レヴァンティスの船体がじわじわと前進していく。その姿は、地上の廃墟群と対照をなすかのように、わずかな光を帯びながら大空を滑っていた。