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T.O.Dーちからと意思の代行者:EP9-2

EP9-2:シャルティエとのダンス

やわらかな照明が満ちるパーティー会場の片隅で、“エミリア”に扮したリオン・マグナスは、ため息まじりに壁を背にしながらドレスの裾を持て余していた。
周囲は未だ熱気を帯びており、貴族や軍将があちこちで談笑し、音楽に合わせて踊る人々がホールの中央を彩っている。華麗な衣装を身にまとった参加者たちが美酒に酔いながら笑い合う声が響き、運命の調整者として世界の陰を渡り歩いてきたリオンにとっては、どうにも馴染めない雰囲気だ。

しかし、彼は今“エミリア”という令嬢の姿を演じるほかない。スタンやカイルといった運命の中心人物ではなく、死者として蘇ったリオンがこの場に立つこと自体、もともと異質な存在。しかも、それをさらに覆い隠すために女装までする羽目になったのだから不満は募るばかりだ。
だが、クレメンテ老とハロルド・ベルセリオスという奇妙な二人組に上手く乗せられ、館中の注目を浴びつつも、運命改変を最小限にとどめるには仕方がない。もともとこのパーティー自体が軍事的な意味と技術的な意味を包含しており、あえて参加し断ることはさらなる波紋を呼ぶ――そんな判断も手伝って、リオンはしぶしぶ女装を受け入れているのだった。

(……こんなの、いつまで続ければいいんだ。早く終わってくれ……)

心中でぼやきながらも、リオンは表向きはうっすらと笑みを作り、客に挨拶を返す。ドレスによる束縛感とヒールの高さに慣れず、足は疲労困憊だ。そんな彼を遠くから見守っている“フィリオ”ことフィリアも、いつ声をかけていいのか逡巡していた。互いにケガをしないよう気を配りつつ、微妙な距離感を保っているのだ。

そんなとき、彼らの視界に一人の青年将校らしき人物が入ってきた。背筋を伸ばして立ち尽くす姿は、典型的な軍人という風情だが、どこかぎこちない雰囲気をまとっている。短くまとめた髪に中尉か少佐ほどの階級を示すような装飾が付いた制服。顔立ちは整っているのに、居場所を見つけられずに所在なさげに軽く周りを見渡している。

(……あいつは、何だ? 少佐……だろうか。客の一人だろうが、明らかに浮いてるな。)

リオンは少し興味を持って目を細める。わざわざパーティーの端に立っているため、周囲からも微妙に距離を置かれているようだ。ひときわ華やかな人々の中では、あまりに朴訥として落ち着きがない。その姿がどこか自分と重なって見えてしまい、リオンは思わず顔を逸らそうとしたが、相手の雰囲気から視線を切れないでいる。

「エミリアさん……あの方、大丈夫でしょうか。ずっと壁際で浮いていますね。」
フィリアが“フィリオ”の姿で控えめな声をかけてきた。彼女もやはり気づいていたのだろう。リオンは歯を噛みしめつつ、「放っておけばいいだろう。俺たちが他人に構う義理はない」と素っ気なく応える。しかし、その態度とは裏腹に、リオンの目は引き寄せられるように少佐らしき青年を追っていた。

“シャルティエ”――その青年将校の制服に刻まれた名札か何かの文字が、一瞬だけリオンの目に入った気がする。名こそ知っている。かつて、自分の“ソーディアン”として知られる剣の人格“シャルティエ”という存在がいたはずだ。もちろん、それは千年前の大戦での話。いま目の前にいる“シャルティエ少佐”が、同じ存在とは限らないが……不思議な既視感が拭えない。

(……シャルティエ……か。まさか、たまたま同じ名前の軍人なんだろうが……こんな時空に来てまで、どうして同じ名を持つ奴を目にしなきゃならないんだ。)

リオンは苦い感情を抱えながら、視線を下に落とす。だが、遠巻きに彼の姿を追ってしまうのを止められない。やがて、“シャルティエ”少佐のほうがそちらに気づいたのか、ほんの少しこちらを見ては、目を伏せ、壁際で落ち着かない仕草を繰り返している。

「あの、リオン……いえ、エミリアさん。もしよろしければ、お話をしてみますか? わたしたちもこういう場で居場所に困ってる者同士、何か力になれるかもしれません。」
フィリアは優しげに勧めてくる。リオンはほんの数秒考えたが、「運命改変に関わりそうな深い干渉は……」という気持ちと、「放っておけない」という思いが入り混じり、最後にはくぐもった声で「……仕方ない。少しだけだぞ」とうなずいた。

こうして、二人はシャルティエ少佐のほうへ近づく。ドレスを引きずるリオンの姿は嫌でも目立つが、周囲の客はすでにダンスフロアや会話に夢中で、そこまで関心を持たないようだ。気づいたとしても「絶世の令嬢が動いている」という見方をするだけで、リオンが男だと知る者などいない。
少佐は人見知りなのか、会釈をしては顔をそむけるようにしていたが、フィリアが柔らかな声で呼びかける。

「こんばんは、少佐。あなた、もしかしてここで誰とも話せず困っていらっしゃるのでは……? わたしたちは、エミリアとフィリオと申します。今日のパーティーで特別に招かれたゲストです。」
それを聞いたシャルティエ少佐は、一瞬だけ目を見開いて戸惑い、かすれた声で応じた。

「あ……初めまして。私はシャルティエといいます……少佐の地位をいただいてはいますが、こういう社交の場は苦手で……実はどうしてもパーティーに出席しなきゃいけなくて……でも上手く馴染めなくて……」
ぎこちない語り口だが、どこか誠実さが感じられる。リオンはそんな彼の様子に、険悪な気持ちが少し和らぐのを感じた。自分もここに馴染めない死者だが、彼もまた別の理由で馴染めずに困っているらしい。

「ふん……俺、じゃなかった、わたしも似たようなものだ。あまりこういう場は得意じゃなくて……」
リオンが低い声を調整しながら言うと、シャルティエ少佐はホッとしたように胸を撫で下ろし、「そ、そうなんですか……よかった……あ、すみません、失礼な言い方で」と慌てて言い添える。

フィリアは笑みを浮かべ、「大丈夫ですよ。実はわたしたちも、少し迷っていたんです。あなたほど軍服が似合う人は珍しく、でも元気がなさそうだったので……」と続けた。
シャルティエ少佐は軽く顔を伏せ、「あまり、他の将校と仲がいいわけでもなく……本当は、こういうパーティーには出たくないんです。きちんと溶け込もうと努力はしているんですが、なかなか上手くいかなくて……」と打ち明ける。

その正直な姿に、リオンはたまらず苦笑をもらした。「奇遇だな……実は俺たちも似たようなもんでね、ほぼ無理やりここに出席してるんだ……。失礼ながら、少佐、あなたもそんな感じか?」
少佐ははっと目を見開き、「ええ……正直、自分の立ち位置が半端でして。階級は少佐ですが、周りは自分より格上だったり派閥が違ったりで、なんだか肩身が狭いんです。開発部門との繋がりがあまりないもので……」と自嘲気味に説明する。

「なるほどな……お前――い、いえ、あなたも苦労してるってわけか……」
リオンは上手く丁寧語を使えず、ドレス姿のまま口調が乱れがちだが、シャルティエ少佐は気に留めず「はい……」と苦笑を返してくる。その目にはほんのりとした親しみが浮かんでおり、リオンもまた、これまで拒絶していた社交に少し肩の力が抜けるのを感じた。

そこへ、ちょうどステージの楽団が曲調を一段上げ、ダンスフロアに組の人々を誘うようなワルツを奏で始める。周囲の客が「また踊ろう!」と盛り上がる中、シャルティエ少佐は所在なさげに視線を落とした。
「い、一応、ダンスなんかも練習はしてるんですが……ここでは誰も誘えなくて……。変ですよね、少佐なのに……」
小声で自虐的に笑う姿がどこか痛々しい。リオンも苦手な立場同士という妙な連帯感を覚え、思わず口を開くが、「……いや、気にすることないさ。社交が苦手な人間だっている――」と続けようとして言葉に詰まった。

「エミリアさん?」
フィリアが心配げにリオンの顔を覗き込む。リオンの胸に浮かぶのは、さきほどフィリアと強引に踊ったぎこちないワルツの記憶。周囲はそれを見て楽しげに盛り上がっていたが、本人は恥ずかしくて仕方なかった。とはいえ、このシャルティエ少佐も同じように居場所を失っているなら、手を貸すのも悪くないかもしれない。奇妙な共鳩同士、少し肩の荷が下りるかもしれない。

「……あんたも、ダンス練習したんだろ? なら、踊ればいいじゃないか。ほら、こんな場所で立ち往生してたら、ますます浮くぞ。」
リオンはいつもの棘を抑えながら声をかける。少佐は「でも、誘う相手もいないし……」と不安げに目を伏せたままだが、ちょうどそこにハロルドが横やりを入れるように笑いながら割り込んできた。

「なら、エミリアちゃんと踊ってみたら? どうせエミリアちゃんも嫌がってるけど、踊らないと目立つし、ちょうどいいじゃない。少佐くんも、彼女と一曲踊ればきっと自信がつくと思うわー?」
天才科学者はまるでからかうように言い放つ。“エミリア”ことリオンはたまらず顔を引きつらせ、「勘弁してくれ……俺は……」と言いかけるが、ハロルドはニヤニヤ笑顔で「ほら、もう曲が始まってるわよ?」と煽る。

「え、エミリアさん、嫌でしょうか……?」
シャルティエ少佐が恐縮気味にたずねる。見れば、その瞳は強くはないが、どこか誠実な光を帯びている。完全に場に溶け込めず、孤独を抱えた男のまなざしだ。“死者”である自分と同じく、ここに居場所がない感覚を思い起こさせる。
リオンは歯を食いしばりたくなったが、フィリアの優しい視線を感じ取り、ついに観念する。「……別に……いいさ。嫌かどうかなんてもうわからないが……。踊りたいなら付き合うよ……」と、ドレスを持ち上げて溜息をつく。

「ほ、本当ですか? ありがとうございます……!」
少佐が安堵の笑みを見せる。リオンも「ええい、やるしかない……」と心を決め、フィリアが「エミリアさん、頑張って……」と背を押す。その一連のやり取りを見たハロルドは「あはは、おもしろい!」と大喜びし、クレメンテ老も遠目に「ふははは、盛り上がっておる」と興味深そうに眺めている。

こうして、“エミリア”はシャルティエ少佐に手を取られ、ダンスフロアへ足を運ぶ。先ほどフィリアと踊ったときとは打って変わって、今度は完全に相手が男性役を務める形だ。腰や手の位置が自然なダンスフォームになり、リオン――“エミリア”が女性パートに入るかたちになるのが何とも言えず気恥ずかしい。

(くそ……こんな恥を重ねるなんて……。いや、落ち着け。これはただの目立たない戦術……)

まわりの客が期待するように視線を集める中、シャルティエ少佐は緊張でぎこちない笑みを浮かべ、「それじゃあ……失礼します」と、リオンのウエストに手を添えた。繊細なドレスの布地がずれる感触に、リオンはかすかな戦慄を覚えながらも、“令嬢”らしい笑みを作る。
曲は柔らかいワルツのリズムで、ゆったりとしたステップから始まるタイプだった。少佐は明らかに初心者らしく、ステップを時折間違えながらも、一所懸命リオンをリードしようとしている。リオンのほうも女装した体で踊るのは二回目だが、それでも先ほどのフィリアとの練習(?)の甲斐あって、ある程度動きを合わせることができる。

周囲にはほかにも踊るペアがいるが、その中で“エミリア”とシャルティエ少佐は特に注目の的になっていた。なにしろ、“絶世の美貌を持つ令嬢”と“人見知りの少佐”が、互いに不慣れな動きでコミカルなワルツを踊る姿は、愛嬌があって微笑ましく映るからだ。
最初こそ手や足がぶつかりがちだったが、徐々に息が合い始めると、シャルティエ少佐のぎこちない緊張も和らいできたのか、彼は少しだけ笑みを浮かべ、リオンを案内するように回転を加速する。

「すみません、下手くそで……でも、エミリアさんがお上手だから、だいぶ踊りやすいです……」
シャルティエ少佐が、音楽の合間を縫ってささやく。リオンは唇を歪めて、「いや、別に……俺だって慣れてない……」と苦々しく応じる。
相手はもちろん、リオンが本当は男などとは思いもしない。その事実がたまらなく恥ずかしいが、同時に少佐のぎこちなさに共感も覚える。まるで、自分もこの場で浮いている存在なのだと再認識するのだ。

やがて曲が一段盛り上がり、ホールの中央を回りながら二人の動きが波に乗る。死者の身でありながらリオンの身体は不思議な軽さを感じ、少佐のステップに合わせてターンをこなす。ドレスの裾がふわりと舞い、客の歓声と拍手がいっそう高まる。
リオンとしては恥の上塗りだが、ここまできたら観念して“エミリア”を演じるしかない。せめて少佐が自分の力でダンスをやり遂げられるなら、それも悪くないかもしれないと思い始める。

「あ、あの……エミリアさん。ありがとうございます。わたし、こんなに踊れたのは初めてで……」
シャルティエ少佐が照れ混じりに言う。リオンは作り笑いで返しつつ、「ああ……こっちこそ、慣れてないが……少しは形になってると思う」とだけ述べる。本音をいえば、こんな小芝居は早く終わらせたいが、少佐とのやりとりを経て、気持ちがわずかに楽になっているのも感じていた。

曲の終盤、クレッシェンドに合わせて二人が回転を深め、最後のキメポーズに入る。リオンの腰に手を添えた少佐が、多少踏ん張りながらもリオンの身体を受け止めるように低く屈み、ラストポーズをとった。
“エミリア”の長いドレスが宙をひるがえし、深紅の布が美しい円弧を描く。周囲からは大きな拍手と感嘆が湧き上がり、ライトがステージ上の二人を照らす。リオンは心中で「もう二度とやりたくない……」と強く思いながらも、どうにか微笑を浮かべて息を整えた。

「やった……踊れた……」
シャルティエ少佐が額の汗を拭いながら小さくつぶやく。リオンは小声で「お疲れさん」と返す。死んでいる自分が言うのもなんだが、少佐の生真面目な努力を感じ取って、どこか切なさがこみ上げた。
お互いにとって決して得意ではないダンスが一曲終わり、まばらに集まっていた客も「ブラボー」と声をあげ、暖かい拍手を続ける。そこへハロルドが「やったわねぇ、二人とも最高!」と駆け寄り、クレメンテ老も「ふはは、見事見事!」と得意満面だ。リオンは顔をそむけたい気分だが、名誉のためというより、この場を無難にやり過ごすためには仕方ない。

「すごい……エミリアさん、シャルティエ少佐、素敵でした!」
人混みの中から声が飛び、フィリア……“フィリオ”が笑顔を浮かべて近づいてくる。リオンは苦々しく目を伏せ、「いい加減に済ませたいんだが……」と低くつぶやくが、少佐のほうは嬉しそうに笑って「フィリオ卿、見てくださったんですか? ほんとに、なんとか踊れてよかったです……」と返す。

クレメンテ老が杖を打ち鳴らし、「ふむ、これが“面白い組み合わせ”ってわけだな? いやはや、素晴らしい。二人とも、いや三人か、すっかり場を盛り上げてくれるじゃろ!」と上機嫌だ。その隣でハロルドが「まだまだ続くわよ、パーティー。もっと面白いことやってちょうだい!」と煽るように言う。

(頼むから、もうこれ以上は……)

リオンは喉の奥で呻くが、どうせ断れない。だが、シャルティエ少佐には安堵が広がり、再びリオン……“エミリア”へと視線を向けてきた。
「その……エミリアさん、本当にありがとうございました。もしよかったら、この後……いろいろお話できれば……」
含みを持たせた様子に、リオンは一瞬戸惑う。もちろん、人懐っこくあしらうのは得意ではないが、ここで邪険にすれば余計な波紋が立ちそうだ。フィリアがすぐに助け舟を出してくれた。

「少佐、エミリアはまだ踊りに慣れなくて少しお疲れですので、少し休憩をとらせていただけると助かります。後ほど、ぜひお話などどうでしょうか。」
優しい口調でフォローしつつ、フィリアはそれとなく時間を稼ぐ案を示す。少佐は「もちろん、無理強いはしません」と恐縮気味に笑い、深く頷いた。

「では、後ほど……ぜひ。」
そう言い残し、シャルティエ少佐は人混みへと消えていく。別の軍人や技術者に挨拶を求められているのだろう。彼の背中を見送りながら、リオンはどっと肩の力を抜き、再びフィリアに身体を寄せる。

「はあ……もう、勘弁してほしい……女装で踊るとかどんな罰ゲームだよ。死んでる上にこんなことまでやらされるなんて……」
「お疲れさまです。……でも、リオンさん、楽しそうでしたよ。少佐とも合いそうでしたし。」
フィリアがからかうように微笑むと、リオンは顔を赤らめて小声で言い返す。「別に、楽しいわけないだろ……まったく……。ただ、アイツ……シャルティエ少佐が、俺と同じく浮いてるのを見て、何も言えなかっただけさ……」

「そっか……でも、心が通じ合えたのなら、よかったですね。これ以上の大騒ぎは避けたいですし、あの少佐と仲良くなればクレメンテ老も安心するかもしれません。」
フィリアの言葉にリオンは納得しかけたが、同時にどこか言い知れぬ不安を感じた。ソーディアン“シャルティエ”を思い起こさせるその名が、何か運命的なものを暗示している気がするのだ。いや、偶然の一致かもしれないと理性では思うが、死者である自分の本能がザワつくのを止められない。

――ともあれ、さしあたって大きな騒動は起きていない。リオンはシャルティエ少佐とのダンスをどうにかやり遂げ、場を円滑に治めた。干渉は最小限、運命改変は目立っていない……はず。ハロルドやクレメンテ老は楽しげに眺めているだけで、何か策略を仕掛けてくる様子もない。
ホールの真ん中でダンスが一段落し、また軽食と会話のモードへと移る。リオンとフィリアはさっそく隅のテーブルに逃げ込もうとするが、途中であちこちの客から「ああ、先ほどの……!」と声をかけられ、嫌でも足を止めざるを得ない。これも女装による苦行かと痛感するリオン。しかし、フィリアが軽妙に返事をし、上手く話を打ち切ってくれるため、なんとか被害は最小限にとどまっている。

(くそ……女装でダンスなんて、もう一生したくねえぞ……)

心の底で毒づきながらも、リオンは捨てきれない違和感を感じていた。シャルティエ少佐とのひと時は不思議な落ち着きをもたらしたが、それと同時に“シャルティエ”という名と自分にまつわる遠い記憶がかすかに結びつきそうになる。――自分がかつて命を落としたあの激戦、ソーディアン“シャルティエ”を手にした記憶、歪んだ運命……あり得ないほど遠い思い出のように胸が疼く。

フィリアが小声で呼びかける。「リオンさん、大丈夫ですか? また顔色が……」
「大丈夫……ちょっと考え事してた。なんでもない……」
リオンはそれだけ言うにとどめ、“エミリア”としての笑みを作る。会場のざわめきを感じながら、彼は己の運命をかみしめる。死んでいるのに、こうして生者の舞台に立ち、女装で踊り、そして“シャルティエ”という名の人物と出会う……これは偶然か、それともフォルトゥナの悪戯か。

――だが、今は深く考え過ぎてはいけない。いずれにせよ、パーティーは続く。もし次にシャルティエ少佐が話しかけてきたり、さらなるダンスを求められれば、リオンは再びこの屈辱を味わうことになる。それでも、こんなに恥を掻いても歴史が守られるなら仕方がない――そう言い聞かせて、リオンはフィリアの気配を背中に感じ、パーティーの夜がさらに深まっていくのをただ見守るしかなかった。

やがて、どこかでワインのグラスが高く掲げられ、乾杯の声が響く。軍人たちが談笑し、貴族たちが派手な衣装で盛り上がり、技術屋が兵器の話をする――そんな喧騒の中に、しんと浮き上がるように孤独を湛えるシャルティエ少佐の背中がまた目に留まった。先ほどのダンスの後、彼はまた一人になっているらしい。
(……あいつ、本当に馴染めないんだな……)

リオンは小さく息を吐き出す。女装であることを忘れるほど引き寄せられる気がしたが、フィリアが肩を触れながら言葉をささやく。「リオンさん……もしよろしければ、シャルティエ少佐と少しお話をされるのもいいかもしれませんね。運命改変を避けるにしても、情報を集めることは悪くないかと……」
「……考えておく。でも今は……もう足が痛くて何も考えられない……」
リオンはドレスのきつさに眉を寄せる。フィリアが笑いをこらえながら、「では、少し休憩しましょう。ホールの隅に席がありますし……」と誘う。リオンは頷き、二人で談笑する客たちの間をすり抜け、テーブルへ向かった。

それにしても、シャルティエ少佐とのダンスはリオンにとって最大級の屈辱……いや、不思議な安堵も混じる瞬間だった。踊りが苦手な者同士が連帯を感じ、かつリオンは自分の“死者”としての身分を、わずかばかり忘れられた気もする。女装での戦慄と恥ずかしさは別として――
今宵はまだ終わらない。パーティーには次の演目もあるかもしれないし、シャルティエ少佐だけでなく、さまざまな客が“エミリア”に興味を抱いて近づいてくるかもしれない。リオンはその度に惨めな思いを続けるのだろうが、それが運命調整者としての役目と割り切るしかなかった。

(いつか、こいつ……シャルティエ……ともっと話す機会が来るのか? なぜか気になる……)

リオンは小さく首を振り、気を取り直す。この場で何を見ても驚かないようにしなくてはならないし、ハロルドが次にどんな無茶を仕掛けてくるかもわからない。クレメンテ老もまた、このパーティーにさらなる“余興”を用意していると言っていた。
だが、少なくとも一つの踊りは終えた。嫌がる心と、諦める心と、妙な連帯感を見出したリオンの胸中に、ほんの一瞬だけ届いたシャルティエ少佐の笑みが、かすかな温もりを残している。死者である自分がここで他人の救いになれたのなら――その小さな意義が、リオンの足元をささえる一条の光なのかもしれない。

「……いいさ。今夜だけだ……。これで世界が守れるなら……」
リオンは誰にも聞こえないほどの小さな声でそう漏らし、フィリアの手を借りて椅子に腰をおろす。ドレスの裾を気にしながら、そっと息を整える。音楽が新しい曲に変わり、また別のペアがフロアで優雅に踊り始める。リオンはその光景を眺めながら、シャルティエ少佐がまた孤独に立ちすくんでいないか気にかかって仕方ない。

結局、嫌がりながらも“エミリア”としてダンスに興じるリオンと、何も知らずに救われた少佐シャルティエ。まるで運命の悪戯のように二人を引き合わせたのはこの奇妙な夜のパーティーだった。それがいつか大きな意味を持つのか、それともただの一夜限りの出会いか、今は誰にもわからない。
ただ、慣れない衣装と舞台の上で、リオンはまた一つ人間らしい“連帯”を感じとっていた。死者としての自分と、ソーディアン“シャルティエ”を彷彿とさせる名の青年――そのダンスは、運命改変をほんの少しだけ照らす光となってくれるのかもしれない。

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