
T.O.Dーちからと意思の代行者:EP8-3
EP8-3:嫌がるリオン、諦める
仮オフィスに戻ることなく、リオン・マグナスとフィリア・フィリスはクレメンテ老の取り巻きに連れられ、奥まった部屋へと案内されていた。館の廊下を進むたびに、左右の壁には華麗な装飾が並び、天井には優雅なシャンデリアが灯る。まるで貴族の舞踏会でも開かれそうな華美な空間だが、二人には緊張しか走らない。特にリオンは、これからどんな「衣装」を着せられるのかと思うと憂鬱な気分でいっぱいだった。
「……まったく、俺たちの服を替えるなんて余計なお世話だろうが……」
リオンが眉を寄せつつ苦々しく呟く。腕を組みながら、ワンウェイ・リヴを隠す形でずっと保持しているが、目の前の従者や侍女らしき人物が笑顔で「さあ、こちらへどうぞ!」とドアを開き、きらびやかな衣装が並ぶ光景を見せつけてくる。
フィリアは戸惑いを隠せない表情で、そっとリオンの腕に触れて声を潜める。「リオンさん、ここで拒否したらクレメンテ老に変な目で見られますよ。ハロルドさんの手前、わたしたちを“面白い客”として扱っているわけですから……」
「わかってるよ……くそ、死んだ身が正装したところで何の意味があるんだ……」
リオンは不服そうに舌打ちするが、事態はすでに動き出している。クレメンテ老は「男装・女装問わず、面白い衣装でパーティーを盛り上げるのが伝統なんじゃよ」と、先ほど愉快そうに説明していたのだ。要するに、老将はふだんと違う格好をさせることで、皆が驚き楽しむのを狙っているらしい。
「ほらほら、あなたたちが“特別ゲスト”なんだから、もっと弾けてくれていいのよ?」
さっそく後ろから絡んできたのは、天才科学者ハロルド・ベルセリオス。彼女は白衣に加え、奇妙なアクセサリーを多々くっつけており、完全に“研究者の宴会モード”といった風情だ。楽しそうな笑みを浮かべながら、リオンの横をぐりぐりと肘で突く。
「ねえ、リオンくん、やっぱりあなたにはドレスがいいと思うのよ。ほら、シルクのやつとか! 女装したら絶世の美女になりそうだし?」
ハロルドの不躾な提案に、リオンは青筋を立てる。「誰が女装なんかするか……ふざけるな。俺は男だ、普通のスーツでいいだろ……!」
「つまんないわねー。せっかくのパーティーなんだから、もっと派手に楽しもうよ?」
ハロルドがケタケタ笑う後ろで、クレメンテ老が杖を突きながら登場し、声を上げた。「おやおや、ハロルドくん、あんまり無茶を言うでない。もっと面白い提案があるかもしれんじゃろう?」
「老将……ほんとにやめてくれ、俺は普通の格好でいいから……」
リオンが頭を抱えそうになった瞬間、クレメンテ老はニヤリと口元を歪め、「まあ、わしのパーティーは軍事的な意味がしっかりあるし、あまりふざけた装いばかりでも困るが……しかし、ハロルドくんの見立ても一理あるのじゃ。あんたはなかなか美形だからな。女装すりゃあ、客たちが仰天すること請け合いよ。ふはは!」と豪快に笑った。
「……こんな話に巻き込まれるなんて、聞いてないぞ」
リオンは完全に気乗りしない表情を浮かべる。だが、その場にいる侍女たちがチラチラとリオンを見ては、「きっと似合うでしょうね……」などと囁いているのを感じ、背筋が寒くなる。一方、フィリアは口元に手を当て、困惑しながらもどこか楽しそうな仕草を見せる。
「リオンさん……あなた、背も高すぎず、スリムですし、意外と衣装映えするかも……。もちろん、普通のタキシードでも十分素敵だと思いますけど。」
「フィリア、お前までそんなこと言うのか……!」
リオンの悲痛な表情に、フィリアは「いえ、そういう意味じゃ……!」と慌てて否定しようとする。しかし、ハロルドやクレメンテ老、さらには侍女が次々に「女装!」「令嬢スタイルが見たい!」などと盛り上がってしまっている。
「いいかげんに……くそ、うるさい……! 俺は男だって言ってるだろ!」
頬を赤くして反発するリオン。しかし、老将やハロルドはまったく引かない。むしろ大勢の貴族たちが集まる前で、これほどの“美形”が女性服を纏って現れれば、盛大な笑いと驚きを誘うに違いない――彼らの狙いはまさにそこだ。
「ま、無理やり着ろとは言わんがのう。面白いほうを選ぶのは自由じゃぞ?」
クレメンテ老がさりげなく言うが、その眼差しはまるで「着ろ」と言わんばかり。ハロルドは「ねえ、リオンくん、あたしが手伝ってあげるからさ! このレンズ技術を使って、姿をちょっと細工してあげることもできるし!」とスパークした瞳で語る。
「お断りだ……俺はタキシードにする……!」
リオンが反論を試みるが、そこへ侍女がにじり寄って、スーツも確かに用意されているが「婦人用のドレスのほうが、クレメンテ老のお眼鏡にかなうかもしれません」と囁く。どうやら周囲の空気が完全に「リオン=女装させてみよう」の方向に流れているようだ。
「おい……フィリア、どうにか……」
助けを求めるような視線を送るが、フィリアは申し訳なさそうに目を逸らす。「あの……リオンさん……運命改変を最小限に抑えるためには、ここで衝突するのは得策ではないかと……」
「こんなふざけた状況……!!」
リオンは苛立ちと恥ずかしさを抑えきれずにいる。だが、既に館の使用人や兵たちまで興味津々な視線を向けてきていて、逃げ場がまったくない。「嫌がるほど面白がられる」という雰囲気が、ひしひしと感じられた。
結局、リオンは頭をかきむしり、「……くそ、わかったよ。好きにしろ……」と完全に折れたように溜息をつく。極力干渉を避けるのが自分たちの任務だが、ここでパーティー主の意向を無視して大きな騒ぎになるほうがリスクが高いと判断したのだ。
その瞬間、ハロルドが「やったー!」と拳を上げ、クレメンテ老が「ふははは、期待しておるぞ!」と哄笑を上げる。周囲の侍女や使用人も「お似合いになると思います」と微笑ましげに肩を寄せ合い、フィリアは「ごめんなさい、リオンさん……ありがとうございます……」と申し訳なさそうに呟く。
「まったく……こんなのに付き合うとは……オリジンに笑われそうだな……」
リオンは大きく息を吐き、諦めの表情を浮かべる。こうして嫌がるリオンがついに折れ、「女装」に近い衣装を着る流れとなってしまったのだ。
そして、館の広い奥室のドレッシングルームで、リオンは呆然と鏡に映る自分を見つめていた。フィリアや侍女たちが手際よくドレスを着せ、髪の毛を少しまとめられた形になっている。ボディラインを強調するように調整された衣装は、本来の戦闘服とは全く異なる優美さを帯びていた。
「……俺、ほんとに女装してるんだな……」
額に手を当て、リオンは半泣きになりながら絞り出す。死者として蘇り、陰から世界を救う運命調整者が、こんな格好をさせられるとは予想外の事態だ。
フィリアは申し訳なさそうに隣に立ち、「ご、ごめんなさい……でも、とても似合ってますよ。まるで……お姫様みたいです」と頬を染めている。確かに、リオンの中性的な容姿がドレス姿にマッチして、少し斜に構えれば誰も男性だとは気づかないほどの美貌を生み出していた。
「笑うな……仕方なかったんだ……」
リオンは視線をそらしながら強がりを言うが、その冷ややかな瞳は赤面を抑えきれていない。侍女たちが「うふふ……」と笑みをこぼし、「こんなに似合うと思いませんでしたね!」などと囁いているのを聞くと、ますますいたたまれない気持ちになる。
ドアの向こうでは、ハロルドが「早くー! そろそろ出番よ!」と催促する声が響き、クレメンテ老が「おお、待ちきれんのう、早う見せろ!」と笑っている。リオンの怒りがじわりと込み上げるが、今さら逃げようがない。
「行くぞ……フィリア、頼むから笑うなよ……」
「え、ええ……!」
フィリアも慌てて表情を整え、彼の腕にそっと添える。ワンウェイ・リヴは見えないように隠されているが、きちんと時空ズレを行使できる程度には調整してある。運命調整者としての備えは欠かせない。
「まったく……死んだ身なのに、こんなドレス着て……わけわかんねえ……」
ぼやきながら、リオンは意を決してドアを開ける。そこには、ドレスアップされたフィリア――男装ではないが多少フォーマル度を上げた僧衣風の衣装――が控えていて、彼女を見たリオンは一瞬言葉を失う。
「……フィリア、お前も綺麗じゃねえか……」
思わず素直な感想が口を突いた。フィリアは照れた様子で微笑み、「ええ……ありがとうございます。リオンさんも、本当に綺麗ですよ……」と返す。噴出しそうな笑いをこらえながらも、目には優しさが宿っている。
「すぐ笑うなって……はあ、もういい。どうせ見世物だ。行こう……」
半ば投げやりになったリオンの腕にフィリアが絡む形で、二人はホールへ向かう。ドアが開かれ、そこでは客たちが集い、楽団が演奏し、華麗な衣装を身につけた貴族や軍人が談笑を深めていた。視線が一瞬にして二人へ集まり、その場がどよめく。
「おお……あれは……何と気高い娘君だ!」
「とても美しい……!」
周囲で口々に驚きの声が上がり、リオンは顔を引きつらせながら微妙に俯く。フィリアが申し訳なさそうに微笑みかけ、それだけで場の人々は「まあ、なんと麗しいカップルなのだろう……!」と勝手に盛り上がる。あちこちで拍手や感嘆の声が上がり、照明が彼らをスポットライトのように照らす始末。
「やれやれ、完全に注目の的だな……」
リオンが唇を噛むように言う。クレメンテ老が前方に姿を現し、「ふははは、見事じゃ! リオンくん、まったくもって華やかじゃろう? これがわしのパーティーだ!」と豪快に笑う。ハロルドも「きゃはは、最高! 似合ってるじゃない!」と無邪気に手を叩く。
「……絶対にいつか覚えてろよ、ハロルド……」
リオンがぼそりと呟くが、その声は周囲の騒音に掻き消される。フィリアは彼の腕を握り、少し微笑みながら「大丈夫ですよ、誰も気づいていません。あなたが男だなんて」と耳打ちする。
「だから、そこが余計に屈辱なんだよ……まったく……」
文句を言いながらも、すでにこの場に立っている以上、諦めて演じるしかない。死者の身であることを隠し、運命改変を最小限に抑えるためにも、クレメンテ老とハロルドが主導するパーティーに深く介入しないよう振る舞わねばならない。
リオンは深呼吸して、その美しい“令嬢”姿を保ちつつ、周囲の貴族や技術屋たちと挨拶を交わし始める。フィリアがフォローを入れながら、「わたしたちは旅の者でして……」と当たり障りのない自己紹介をする形だ。拍手が起こり、視線が集中するたび、リオンの恥辱感は増していくが、すでに抗う術はない。
「くそ……どうしてこんなことに……」
リオンは心の中で呻く。だが、フィリアのささやかな微笑みや手の温もりが、彼に安心感を与えているのも事実だ。死んでいるはずの自分が、こうして華やかな場に立ち、女装のような姿までして、周囲を誤魔化しながら存在しているのだから、どこか滑稽でしかない。
しかし、もう諦めるしかないとリオンは腹をくくった。陰から運命を支える運命調整者――いまはその役割を失念しないよう、パーティーを乗り切る。クラシカルな音楽が響き、貴族たちの失笑や賞賛が飛ぶなか、嫌がりながらもリオンは自分を抑え込むしかない。
「ありがとうございます。……ええ、はじめまして……」
口先だけの挨拶を繰り返すリオン。その苦々しい表情を、フィリアが巧みに隠すようにフォローしている。ドレスの裾を気にしながら、いつバレるかとビクビクする気持ちを抑えるリオンに、クレメンテ老がまた軽口を叩いて楽しんでいるのが見える。
「……覚えてろよ、じいさん……」
リオンは小さくこぼしながらも、ここで変な揉め事を起こせば目立ちすぎるし、フォルトゥナの改変も懸念される。最小限の介入、そして最低限のトラブルで済ませるには、“従う”ほうが得策と自分に言い聞かせるのだった。
あきらめたように女装を受け入れ、嫌々ながらも周囲と笑顔を交換するリオンの姿は、運命調整者としての苦労を象徴していた。死の淵から蘇った彼が、こんなコミカルな状況に陥るとは誰も想像しなかっただろう。しかし、何が起ころうと運命改変を最小限に抑えるために、彼はこのパーティーをやり過ごすのだ。
フィリアはその隣で、そっと背中を支えるように手を添える。恥ずかしさで真っ赤になるリオンを眺めながらも、「ごめんなさい、リオンさん……あなたが嫌がっているのに」と心の中で詫びる。しかし、同時に彼の“諦めつつもやり遂げる”姿勢が少し頼もしくも感じられるのだった。
「さあさあ、皆さん、ここに我らが特別ゲストが……! ご覧の通り、実に美しく、そしてどこかミステリアスな存在じゃ! 拍手、拍手!」
どこからともなくクレメンテ老が手を叩き、会場の人々も掛け声に合わせて拍手を送る。リオンは頬を染めながら下を向き、一瞬フィリアの手を握る。彼女は微笑みで返し、弱々しくうなずく。すぐそばでハロルドが「ひゃはは」と笑いを零しながら、その様子を観察している。
こんな騒ぎの中、リオンは確信する――もう逃げ場はないのだと。嫌がっても、いまは諦めるしかない。演じきることこそ、次の運命を救うための最小限の条件なのだから。
そしてパーティーのライトが照らす中、嫌がるリオンがドレスを纏い、フィリアに支えられつつ舞台へ――否、華やかな社交の場へと押し出される。観衆のどよめきと称賛が沸き起こり、リオンは気恥ずかしさに顔を伏せながら、心の中でつぶやく。
(……これでいい。死んだ身がどうこうより、カイルたちの未来を守るには、この程度の屈辱は受け入れないといけない……。)
その瞳に宿る意地と恥辱が複雑に交わり、フィリアの微笑みが励ますように柔らかく光っている。この特異なパーティーが、今後どんな騒動や運命への影響を生むのか――嫌がるリオンが諦めてしまったことで、彼らの物語はまた予測不能な方向へと踏み出していく。
少なくとも、今宵はドレス姿の“令嬢”リオンとして、運命を守るために演じ続ける。それが死者が生を偽る意義なのかもしれない。踏みとどまることこそ、最小限の介入とカイルたちの未来を信じるための証なのだと、リオンは渋々自分に言い聞かせるしかなかった。