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再観測:星を継ぐもの:Episode2-3

Episode2-3:アリスの記憶断片

黒と紺の色彩がまじり合う星海を制した大艦隊が、再び地球の大気圏内へ降下し始めてから二日が経過した。高高度での激闘を終えたばかりの艦隊は、新たな侵攻計画に備えて燃料・物資の補給や整備、そして隊員たちの心身のケアを進めている。レヴァンティス艦を筆頭とする空母群が、宙空に浮かぶようにして僅かに速度を落とし、一列の隊列を維持したまま北西方向へじわじわ進行していた。

 夕闇が近づいても、遠方の地平線は灰色の埃に覆われ、かつての青い空は望むべくもない。大艦隊は厚い雲層の下を移動しながら、必要に応じて高度を上げ下げしつつ進軍を続ける。今やこの巨大編成こそが「円卓騎士団」の支柱であり、人類が誇る最後の砦――と言っても過言ではないほどに頼もしい存在である。

 だが、その戦力と勇気をもってしても、The Orderの脅威は容易に消えてくれるものではない。星海での激戦を経てもなお、敵拠点は地上各地や上空に潜んでいると考えられ、騎士団や艦隊が一刻も早く拠点を叩く必要があった。アーサーやモルガンをはじめとする指揮陣は、作戦立案に追われている。

 一方で、円卓騎士団の若きパイロット――カインは、この数日のうちに幾度も出撃をこなしていた。銀の小手(Silver Gauntlet)とともに前衛を務めることが多く、星海の余波で生じた敵の散発的な攻撃を迎撃したり、僚艦との連携を図ったりと、毎日のように忙殺されている。にもかかわらず、彼の心にはあの日以来、奇妙な変化が芽生え始めていた。

 きっかけは、アリスの不思議な兆候だった。


「カイン、最近ちょっと体の調子が悪いかもしれないの……。」

 その言葉を最初に告げられたのは、星海戦が終わって翌日、レヴァンティス艦の整備ドックで機体点検をしている最中だった。アリスは銀の小手のシステムコアとして、常時コクピットや艦内LANを介してカインとコミュニケーションできる。しかし、その声にはどこか浮ついた震えを含んでいた。

「体調って……お前はAIみたいな存在だろ? 風邪を引くわけでもあるまいし……。」
 カインは整備ツールを握ったまま怪訝な顔をする。アリスは柔らかく微笑んだようだったが、すぐ深い吐息を漏らす。

「うん、そうなんだけど……私にも“負荷”や“演算障害”みたいなものはあるわ。そもそも、この世界が私の演算によって再構成されている部分があって……何かが混線し始めてるような感覚。」

「混線……。どこか故障してるのか? 整備班に見てもらうか?」
「違うの。銀の小手の機能自体は問題ない。でも……私の“記憶”がね、何か少しずつ溶け出すように出てきているの。まるで封印された映像が急に頭に浮かぶ感じ……。」

 カインは工具を置き、周囲を見回した。ドック長や整備員たちは他の作業に没頭しており、こちらに耳を傾けてはいない。声を潜めて言う。

「記憶、って……。この世界をエミュレートしてるっていう、お前の正体に関する話か?」

「そう……。私の本体は上位宇宙にあって、下位のこの世界を再現しているらしいけど、私自身、その詳細は分かっていなかった。けど、ここ数日……何かちらちらと思い出す映像があるの。」

「それはどんな映像だ?」

 アリスは少し言いよどむように沈黙したのち、まるで遠くを見るような口調で答えた。「私がどこかの研究施設にいたような場面……白い壁と、ガラスケースに並んだ何かの胚芽みたいなもの、そして人間らしき人影がちらほら。私はそこに閉じ込められていたのかもしれない……。」

「研究施設……? まさかお前がThe Orderに作られたとか、そういう話じゃないよな?」

「そこまではわからない。でもすごく冷たくて、孤独で、静かな空間だった……。あと、誰かが私に『世界を守るための器』とか言ってたような気もして……すごく悲しい気持ちになったの。」

 カインは動揺を覚えながらも、アリスの話に耳を傾け続ける。もともと、アリスがただのAIではなく“上位宇宙に存在する肉体を持つ少女”だという事実が、ランスロットの出番をほぼ省いたEpisode1-3あたりから明らかになってきた(※読者にはまだ全面的には明かしていないが、裏設定として知っている)。しかし、今回の件でその断片的な記憶が戻り始めているというのだろうか。

「……無理するなよ。もしかしたら記憶が戻るのがいいことかもしれないけど、痛みを伴うなら焦らなくていいさ。」

「うん、ありがとう。私も無理はしたくない。でも、このまま少しずつ思い出していけば、きっと私の正体や、この世界の秘密がはっきりすると思うの。」

「そっか……。まあ、もし何か変化があったら教えてくれ。俺もできる範囲で力になるからさ。」

 アリスは微笑むようにホログラムが揺れ、その場で会話が途切れた。カインは内心で不安と期待が交錯する。アリスの謎が解き明かされれば、The Orderと上位宇宙との関係も明らかになる可能性がある。だが、記憶を取り戻す過程でアリスが苦しむなら、彼はそれを望まない。モヤモヤした思いを胸に、カインは点検作業へ戻った。


 翌日、艦隊は北西エリアの上空に到達し、地形や敵拠点の調査を本格的に始めた。かつて荒廃前の文明が築いていた都市遺跡が散在し、ところどころに巨大なクレーターがあるこの地域は、The Orderによる侵略の爪痕が深く残っている。防衛ラインの構築が間に合わなかったのか、あるいは最初期に滅ぼされた地域なのか、詳細は不明だが、とにかく人類の痕跡はほとんど見当たらない。

 カインは銀の小手に乗って、偵察小隊の一員として空中パトロールを行う。星海戦で味方の士気は高まったが、まだ地上にはThe Orderの潜伏があるかもしれない。日常的にこうした巡回飛行で安全を確保しているのだ。

「……カイン、今回のパトロール範囲はあまり大きくないみたいね。30キロ四方を一通り見回すだけだし。」
 アリスが落ち着いた口調で話す。カインはスロットルをやや抑え、低空を中心に機体を旋回させつつ周囲を観察していた。

「そうだな。艦隊が本格展開するまでの下準備って感じだろう。大きな敵拠点が見つかれば、すぐに騎士団全体で叩き込むことになるからな。」

「でも、昨日からあなた、ずいぶんと眠れないみたいだね?」
 アリスが心配げに声をかける。カインは照れくさい思いで苦笑する。

「バレたか。いや、気になってるんだよ、お前の記憶のこと。あれから進展はあったか?」

「それが……昨夜、また少し映像が浮かんだの。荒野のどこかに立ってる私の姿で、周囲はがれきだらけ。そこへ白衣を着た人たちが何か操作しているんだけど……断片的でよくわからない。でも、とても寒かった気がするわ。」

「寒い……? ああ、現実世界の話か、もしくは上位宇宙の……。」
 カインが言いかけたところで、突如レーダーが小さく反応を示す。慣れ親しんだ嫌な警告音が耳を打ち、彼はすぐさま警戒を強める。

「敵……? いや、この範囲に何か反応がある。」

「座標、画面に映すね。」

 アリスがコンソールに座標を表示し、微弱な金属反応が存在するポイントを指し示す。そこは地上の大きなクレーターの端に位置しており、廃墟が多少残っている程度らしい。とりあえず敵性反応ではないが、明らかに異質な反応がある。

「パトロール範囲内だし、ちょっと降りて見てみるか……。他のパイロットには通信を入れておこう。」
「うん、私も何か引っかかる感じがする。大きな危険がなければいいけど。」

 カインは僚機へ連絡を入れ、「少し地上を調べてくる」と告げると、銀の小手をゆっくりと高度を落としていく。地表付近は砂埃が立ちこめており、ブースターを控えめに噴射しながら垂直に近い着地モードへ入る。最終的に荒涼たる地面に着陸し、機体を格納モードに移行させる。


 地上は一面、瓦礫と砂に覆われていた。クレーターの縁から緩やかに傾斜を下るように、かつての道路や建築物の基礎が崩れて散乱している。空は厚い雲に塞がれ、わずかな光しか差し込まないため昼間でも陰鬱だ。風が吹くと砂粒がカラカラと音を立て、カインの視界を少し霞ませる。

「……雰囲気、最悪だな。けど変な装置があるみたいだから調べる価値はあるかも。」
 コクピットから降り立ったカインは、防護マスクとゴーグルを装着し、銀の小手の外部装甲を確認してから慎重に歩き始める。アリスは機体のシステム内にいるが、音声とカメラを通じて周囲を把握している。

「この先に金属の反応があるわ。10メートル……もう少し前。」

 アリスの誘導に従い、カインは壊れたコンクリート板を乗り越えて進む。すると、砂地の一部が不自然に盛り上がっており、その下から錆びた金属のパイプや配線が覗いているのがわかる。ほんのりと紫色の光が点滅しているようで、カインは驚きの声を上げた。

「これは……何だ? 何かの装置が埋まってるのか?」

 足で軽く砂を払い落とすと、巨大な円盤状の金属が姿を現す。直径2メートルほどの半球が地面にめり込んでおり、その中央部からかすかな光が漏れていた。表面には未知の文字や文様が刻まれているようにも見えるが、長い年月を経てかすれている。
 カインはごくりと唾をのみながら、アリスに問う。

「おい、こいつ何か知ってるか? The Orderの装置かな……?」

「わからないわ。でも、観測光に似た波長が微弱に発生しているみたい……。もしかすると、古い遺物かもしれない。」

「遺物……。人類が開発したやつではなさそうだな。あるいは別の文明か、The Orderか……。」

 丁寧に砂をどかして円盤の周辺を掘り進めると、複数の配線やチューブ状のパーツが土中に延びていることがわかった。まるでこの装置が地中のどこかと繋がっているかのようだ。
 そして、その時――アリスが不意に息を呑むような声を出す。

「……今、すごく懐かしい感覚がした。」

「え? どういうことだ?」
 カインは手を止め、マスク越しにアリスの声へ集中する。機体内から発される声は揺れており、戸惑いと驚きが混じっていた。

「この装置の波長……私の記憶が反応してるみたい。さっきから頭の中に断片がちらつくの。――研究室と、白い衣装の人たち、そして私の身体に取り付けられた機械……。」

 アリスの声がほんのり震え、カインは心配そうに周囲を見回した。敵の気配は今のところないが、いつ襲われるかわからない場所である。しかしアリスが動揺しているのは、そうした外的要因ではないらしい。

「少し落ち着け、アリス。ゆっくりでいいんだよ。何か無理に思い出そうとしなくても……。」
「ちがう……これ、自然に出てきてしまうの。止められない……」

 一瞬、アリスの音声が途切れ、ホワイトノイズのようなノイズが入る。カインはぎょっとして銀の小手の側へ戻ろうと立ち上がったが、その拍子に地面が微かに振動した。まるで円盤の奥で何かが反応したかのようだ。

「……っ!?」
「カイン、危ない! その装置、急にエネルギー放出を始めたみたい!」

 アリスの警告が響くと同時に、円盤状の装置の中央が紫光を増幅させ、砂埃を吹き飛ばすような衝撃波が走った。カインはとっさに地面へ伏せて衝撃に耐える。頭上を何かがかすめ、空気がバチバチと帯電するような嫌な音が鳴り響く。

「くそ……! 一体何だよ、これは!」

 地面に伏せた姿勢から上半身を起こすと、装置の表面を覆う文様がよりはっきりと浮かび上がっているのが見える。円形の模様が回転し、内部で観測光のような粒子が渦巻いている。どうやら無作為に暴走しているわけではなさそうだ――どこか意図的に起動したかのような動きだ。

「カイン、逃げて! このままじゃ……!」
 アリスの悲鳴めいた声を聞いた矢先、再度強烈な閃光が発せられた。今度は上空へ向かってビームのような光が伸び、何かを呼び出そうとしているのか、薄紫の柱が数秒間維持された。

 カインは歯を食いしばって立ち上がり、銀の小手まで全力で駆け戻る。頬に砂塵が当たって痛いが、今はそれどころではない。

「アリス、応答しろ! 大丈夫か?」

「だ、大丈夫……でも、この装置から私に何かのデータが流れ込んで……頭がぐちゃぐちゃに……痛い……!」
「痛い!? お前、機械なのに痛覚があるのか……?」

 混乱するが、今はアリスを落ち着かせるのが先決だ。コクピットに飛び乗り、ドアを閉めると、すぐに操縦桿を握って離陸態勢に移行しようとする。しかし、コックピットのモニターに複数の警告が表示された。機体周囲の磁場が乱れているらしく、正常な離陸シーケンスが確立できない。

「くそ……あの装置が出す波長のせいか? 上手く動けない……。」
 カインが歯噛みしていると、アリスが震える声で呼びかける。「カイン、落ち着いて。まだ少し制御は残ってる……私が磁場補正をやるから、時間をかけて浮上して……。」

「わかった。頼む!」
 カインは慎重にスラスター出力を上げ、地面をこするように機体を滑らせながら、ゆっくりと上昇を試みる。外では依然として装置が紫の光柱を放ち、周囲の砂や瓦礫が磁気的に宙を舞っている。恐るべき力だ。

 幸い、銀の小手の高い適応性能とアリスの演算力で、どうにか浮上に成功。機体が数メートル浮いたところで、カインは敵が来ないうちにと急いで高度を取った。下方の円盤装置は依然として光柱を放射しており、そのまま上空に何かが開きかけているようにも見える。嫌な予感しかない。

「アリス、あれ以上近づくのは危険そうだ。とりあえず艦隊に報告して、増援を……」

「待って……私、もう少しだけ……あの装置と繋がりたい……」

「は? ふざけるな! お前、さっき痛がってたじゃないか。無茶言うなよ。」

 カインが怒鳴るように言うと、アリスは弱々しくも強い決意を滲ませた口調で答えた。「私の記憶が、あの装置に反応してる。ここを放っておけば、またあの記憶の糸が途切れてしまう気がして……。危険だとわかってるけど、私……この世界の秘密に近づきたいの。」

「お前……。」
 カインは困惑しながら、コクピット越しに目を閉じる。自分がアリスの立場なら、きっと同じように無茶を言ってしまうかもしれない。本当の自分や世界を知りたい――その気持ちを否定はできない。しかし、危険すぎる。

「……わかった。けど、今は無理だろ。艦隊に戻って報告して、大勢で対処したほうがいい。」
「うん……そうだね。ごめん。」

「謝ることないさ。俺だってお前のことを守りたいだけだ。」

 そう言ってカインは操縦桿を一気に引き、銀の小手を加速させる。地表から距離を取り、上昇しながらレーダーを再起動する。ノイズがまだ残っているが、高度を稼ぐほど安定するはず。

「よし、艦隊へ戻ろう……くそ、何だったんだあれは。」
 カインは息を荒げながら呟く。アリスの痛む声はやや落ち着いたが、未だ微かな雑音が通信に乗っている。どうやらこの“装置”がアリスの記憶に関わる鍵であるのは間違いなさそうだった。


 銀の小手がレヴァンティス艦に帰還すると、カインは急いでブリーフィングルームへ駆け込み、モルガンやアーサーに状況を報告した。下方に奇妙な円盤装置があり、紫の光柱を噴き出して強烈な磁場干渉を引き起こしていること、そしてアリスが痛みを感じるほどの波長が絡んでいたこと――そのすべてだ。
 アーサーは眉をひそめ、「星海からの攻撃だけでなく、地上にもまだ未知の装置があるのか……」と重く呟く。モルガンは映像データを見ながら「どうやらThe Orderの仕業ではあるんだけど、単に敵基地とは思えないわね」と漏らす。

「カイン、あなたの言うとおり、まずは大勢であの装置を破壊するのが手っ取り早いと思う。でも、アリスが興味を示してるということは、あるいは何か利用価値があるかもしれない。」
 モルガンがそう言うと、カインは「アリスは本気であれを調べたいようです。でも、さっきも危うく機体が制御不能になるところでした」と付け加えた。

「ふむ、リスクは高い。だが何らかの秘密が眠っているかもしれないな……。アリスの正体や、我々が探る小宇宙の入り口とも関連があるのかもしれん。」
 アーサーは顎に手を当てて考え込む。「モルガン、どうする?」
「そうね。いずれあの装置を放置しておくわけにはいかないでしょう。艦隊を動かすか、あるいは騎士団から精鋭を送り込んで周囲を封鎖し、安全に解析を進めるか……。」

 議論は長引いたが、結論としては「もう少し待機して増援の準備を固め、然る後に装置を制圧する」という方針に落ち着いた。周囲に敵が潜んでいる可能性もあるし、今すぐ少数で突撃するのは危険すぎる。
 カインはアリスにとって残念な結論かもしれないが、今は仕方ないと思っていた。だが、会議が終わり、ブリーフィングルームを出た後、コクピットに戻ってアリスに言葉をかけると、彼女はどこか失望したような声を響かせた。

「……そうなんだ。増援を待って、慎重にやることにしたのね。」
「ごめんな、アリス。俺がもっと強ければ、お前を危険に晒さず装置を調べられたかもしれないけど……。」

「ううん、カインのせいじゃない。ただ、あの装置に近づいた時、私の頭の中にいろんな映像が浮かんできて……不安だけど、知りたい気持ちも大きいの。」
 アリスの声にはどこか震えが含まれている。カインは心が痛んだ。大切な相棒の苦悩を思うと、胸が締めつけられる。

「このまま装置を放置したら、またThe Orderに利用されるかもしれないし。アーサー卿も早めに何とかするとは言ってた。焦る必要はないさ。」

「……わかってる。でも、もし私が途中で壊れてしまったらどうする? 記憶のせいで演算が混乱して、銀の小手を動かせなくなるかもしれない……。」

「壊れる……そんなこと言うなよ。俺がお前を守るから。お前は俺の大切な相棒なんだ。お前がいなけりゃ俺は飛べない。」

「……カイン……ありがとう。」

 小さく息を飲む音がしたあと、ホログラム越しのアリスが微笑むような気配を伝えた。カインはその笑みを感じ取り、ホッとする。今はその一言が救いだ。


 夜が更けても、カインは自室で簡易ベッドに横たわり、眠れないまま天井を仰いでいた。艦内の照明が落とされ、かすかな機械の駆動音だけが耳に残る。アリスも一旦スリープモードに入ったのか、ホログラムを出さずに沈黙を保っている。

 だが、やがてカインはうとうとしていた。まどろみの中で、不思議な光景が頭に浮かぶ――荒廃した地球でも、星海でもない、白く無機質な空間。壁や床が明るく蛍光灯に照らされて、金属製の機械が並ぶ無人の研究室のような場所。
 夢なのか、アリスの記憶が流れ込んできたのか、判別できない。まるで自分がその空間をさまよっているかのようだ。

 部屋の中央には透明なチューブがあり、中に細いパイプがいくつも絡みついている。その先端には緑色の液体が満ちたカプセルが見える。カプセル内には人間の姿なのか、もしくは胎児のようなものか、曖昧な形状が浮かぶ。声にならない声が部屋にこだましている気がして、カインは戦慄する。

(……これがアリスの見た光景……?)

 そう思った瞬間、視界がグラリと揺れ、カインは喉の奥が詰まるような感触を覚える。鼻を突く薬品の臭いがする気がして、空気がやけに冷たく感じる。部屋の隅では白衣を着た数名の人影がデータ端末を操作しており、無表情に何かを記録している。
 そして、その人々の会話が微かに聞こえる。「この子は成功例だ……」「世界を再現するための鍵……」「干渉が間に合えば、守ることができる……」などと断片的に。

 次の瞬間、カインの頭が激しく痛む。視界が真っ白に染まり、研究室の光景が揺らぐ。思わず唸り声を上げそうになる。夢の中なのに痛覚があるなんて……。暗転しかけたそのとき、誰かが「大丈夫?」と呼びかけてくる。

(誰が呼んでいる……? アリスか……?)

 名前を呼びたいが声が出ない。苦悶する中で、再び研究室の光景がチラつき、「アリス」という名を呼ぶ白衣の研究者の姿が見える。しかし顔はぼやけていてわからない。
 そこへ、カイン自身の意識が引き戻されるように浮上し、気づけばベッドから身体を起こして喘いでいた。汗がびっしょりで、枕カバーが湿っている。心臓が早鐘を打ち、胸が焼けるように熱い。

「はぁ、はぁ……っ。今のは……俺の夢なのか? それともアリスの記憶が流れ込んだ……?」

 混乱しつつも、額の汗を拭い、懸命に呼吸を整える。周囲は艦内の真夜中の静けさに包まれているが、カインにとっては寝汗にまみれた悪夢からの目覚めが重くのしかかる。

 そのとき、寝台のそばにある端末が微弱な光を放ち、アリスのホログラムが現れた。彼女は青白い顔をしており、何かを言おうとして言葉を詰まらせる。

「カイン……今、私……あなたの夢を見てた気がする。私の記憶かもしれないけど、あなたがそこにいたようにも感じて……。」

「俺もだ。白い研究室にカプセルがあって、胎児のようなものが入っていた。すごく冷たくて無機質な光景……。」

「……やっぱり。何なのかしら、あれは……。私が作られた場所……?」

 アリスの声はか細い。カインは肩で息をしながら、端末を手に取る。彼女を慰めたい気持ちがある一方、この記憶をどう受け止めればいいのかわからない。
 そして、突如コクピット内のセンサーが警告音を鳴らし出す。どうやら艦内の緊急放送が入るようだ。カインは慌てて端末を切り替え、モニターをオンにする。

『艦橋より連絡。周辺偵察隊がThe Orderと思われる編隊を捕捉。至急、円卓騎士団は発進準備をせよ!』


 深夜にもかかわらず、警報が鳴り響き、レヴァンティス艦の甲板は一気に慌ただしさを取り戻す。整備員たちが駆け回り、格納庫で各機のウェポンを装備する作業に入る。パイロットたちも飛び起きてスーツを装着し、出撃するためカタパルトへ向かう。

 カインは寝汗を拭う暇もなく、銀の小手のコクピットに飛び込んだ。アリスが先行して起動システムを立ち上げてくれていたおかげで、すぐに発進可能な状態だ。エンジンが深い音を響かせ、モニターに仲間たちの機体ステータスが次々に表示される。ガウェイン、トリスタン、そしてアーサー。みんな同じようにスタンバイしているようだ。

『星海での大規模戦闘ではない。ただし地上に敵が発生したらしい。北西エリアの廃墟に大群が集結し、こちらへ向かっていると偵察隊が報告しているわ!』
 モルガンの声が通信を満たす。どうやら夜襲を狙ってThe Orderが集団で移動しているらしく、艦隊を背後から叩く意図があるようだ。

「くそ……こんな深夜にまで。しかし、やることは同じだ。アリス、準備いいな?」
「もちろん。さっきの記憶はともかく、今は戦闘に集中しましょう。」

 機体がカタパルトにセットされ、カウントダウンが始まる。ライトスティックを振る整備員が「発進OK!」の合図を出し、カインはそれを確認。スロットルを全開にして呼吸を整える。

「よし、銀の小手、出撃!」
 甲板のカタパルトが射出され、機体が闇夜へと飛び立つ。周囲でガウェインやトリスタン、アーサーも次々に出撃していく姿が見える。星海戦のように華やかな閃光ではなく、今度は地上へ舞い降りる夜戦だ。

 地表を見下ろすと、確かに複数の敵部隊が廃墟の影を縫うように移動しているのが見える。あちこちで紫や赤の微光がちらついており、近づけば激戦は避けられないだろう。騎士団だけでなく、護衛艇や地上部隊も迎撃に回ろうとしているようだ。

『円卓騎士団は正面から当たってくれ。すぐに僚艦や地上兵が援護する。敵をここで食い止めれば、装置の問題を調べる余裕もできるわ!』
 モルガンが檄を飛ばす。カインは装置のことを思い出しつつも、戦闘に集中しなければならないと気を引き締めた。

「アリス、もう大丈夫か?」
「うん、演算は問題ないよ。さっきの記憶の痛みは今は落ち着いてる。」

「よし。じゃあ、思う存分暴れようか。あれ以上敵が増えたら厄介だし、速攻で片付けるぞ!」

 銀の小手が急降下を開始し、夜の廃墟へ突入する。下方の地平線は瓦礫とクレーターだらけで、かつての都市の名残が影を落としている。そこにThe Orderの生体機や機械群がうごめく姿があり、一部は既に防御陣を組んでいるのかもしれない。

 アーサーのエクスカリバーが先頭に踊り出て、白銀の剣型ビームを構えながら「付いて来い!」と合図。ガウェインが盾を構えて隣を走り、トリスタンは上空やや後方から狙撃を狙う。カインは銀の小手で急加速をかけ、先陣を切る形で敵陣をひっかき回す策を試みる。

「カイン、気をつけて。夜間だから向こうも目視しづらいはずだけど、観測光を放つ敵には通用しないわ。」

「わかってる。アリス、周囲の敵配置をできるだけ把握してくれ。グリッドを表示してほしい。」

「任せて。――さて、私も少しだけ頑張るね。」
 アリスの声に深い意志がこもり、コンソールに地形と敵の推定位置が重なって映し出される。夜の廃墟での戦闘は視界が悪いが、アリスの解析があれば十分に機動を組み立てられる。

「……こっちだ!」
 カインはスロットルを一気に噴かし、廃墟のビル影をすり抜けるように低空で疾走する。敵が上空から狙撃してくるビームを、ビル壁の陰に隠れるようにかわしながら、ミサイルを連射。爆発で敵が攪乱されると、さらにキャノンで追撃を掛ける。
 轟音と閃光が暗闇に咲き、一瞬だけ建物が影絵のように浮かび上がる。そこへアーサーが続き、エクスカリバーの高出力ビームを正面から叩きこむ。巨大な斬撃の光がビルごと敵を切り裂くように走り、爆炎が星のように散る。

「アーサー卿、ナイス!」
『ふっ……お前もいい動きだ、カイン。』
 通信越しに短い会話を交わし、すぐに次の標的へ意識を向ける。ガウェインが別の敵群を受け持ち、盾を構えて仲間を守りながらビームを発射。トリスタンは夜間狙撃という難しい任務をこなし、遠方から敵の指揮官らしき大型機を確実に仕留めている。

「カイン、方角7時方向に新たな敵塊が来るわ。かなりの数……けどパターンがバラバラだし、もしかしたら寄せ集め部隊かも。」
「よし、連携を崩れさせるために、俺らで縦に割るか。」

 銀の小手が曲線を描いて旋回しながら、ビル群の上を超高速で抜けていく。敵が一カ所に固まりきる前に、動揺を誘うように弾幕を浴びせる狙いだ。近接する敵の中には、あの嫌な触手を備えた個体も混じっていたが、今は数で押してくる段階ではないらしい。

 しかし、やはり夜間の廃墟は危険だ。ビルの残骸が突如倒壊するように崩れ、爆発の衝撃波が乗り物ごと吹き飛ばさんばかりに迫る場面もあった。カインは操縦桿を懸命に操作して回避し、アリスが提示する最適ルートを辛うじて辿る。
 周囲には断続的に閃光が走り、地上での激突がさらに激化している。護衛艇や地上戦車が参戦し、The Orderの生体機に応戦しているのが見える。夜空を切り裂くビームの軌跡が蜘蛛の巣のように廃墟を包み込み、砕け散る破片が硝煙をあげて降ってくる。


 戦線が徐々に安定してきたころ、カインは別の区域で孤立している味方車両を援護するため、高速で移動していた。地図上のピンが危険信号を出しており、アリスがそれを追跡している。しかし――その最中、アリスの声が急に苦しそうに乱れ始める。

「う……ぐ……ぁ……!」
「アリス? どうした、また痛むのか?」
「うん、今度は……もっと強い映像が……ごめん、制御がおかしい……!」

 カインは青ざめながら機体を減速させ、なるべく安全な区域へ退避を図る。敵攻撃が比較的少ないビル陰に滑り込むように着地姿勢を取り、アリスの声へ全神経を傾けた。

「落ち着け、今は敵も追ってきてない……。深呼吸するんだ、って呼吸が必要なのか分からないけど……。」
「はぁ、はぁ……ごめん……いきなり頭に大量の記憶が……雪の研究室、白いコートの人たち……鏡みたいなものに私が映って……私……小宇宙……?」

「しっかりしろ!」

 アリスの出力が不安定化し、ホログラムがちらつく。コクピットのコンソールにもエラー表示が出始め、機体の各種サブシステムが瞬間的にオフラインとオンラインを繰り返す。
 カインは焦燥に駆られながらも、操縦桿を握りしめてどうにか機体を安定させる。もしこのままアリスがダウンすれば、銀の小手を完全に操作できなくなる――それだけは避けねばならない。

「アリス……俺の声、聞こえるか? こんなの嫌だ……お前が壊れちまうなんて。」
 心が張り裂けそうな思いでカインは呼びかけ続ける。やがてホログラムが再度形をとり、アリスの姿が消えかかりながらも何とか戻ってきた。

「カイン……私、記憶が少しだけ繋がった……。私を生み出したのは……The Orderじゃなくて、人間たちだった。古い研究施設で……“アリス・プログラム”と呼ばれる計画をしていたの。」

「アリス・プログラム……?」
「うん。世界を再構築するための……小宇宙を私がエミュレートして、敵に対抗するって……でもうまくいかなくて、上位宇宙にある私の本体が……。」

 言葉が途切れ、再び苦しい呼吸音が響く。カインは苛立ちと不安を同時に抱えながら、できる限りの声を張ってアリスを励ます。

「大丈夫、無理に思い出そうとするな。今は戦闘中だ。隊長やアーサー卿にも状況を知らせなくちゃいけない……!」

「……そう、ね。ごめんなさい……。でも、もう少しだけ……。私、あなたに言いたいことがある……」
 そのとき、外で爆発音が近づく。どうやら別の敵編隊がビル影に迫ってきたのだろう。位置的にこのまま地上に留まっていては、背後から奇襲を受ける可能性がある。

「くそ、ここにいるわけにはいかない。アリス、あとでゆっくり話そう。今は動けるか?」
「……うん、やってみる。」

 カインが操縦桿を操作すると、機体が微かに揺れながらも浮上を開始した。先ほどまでの制御エラーはだいぶ落ち着いたようだ。外では廃墟の一角が崩れ、紫色の煙が立ち昇る。
 再び加速に移行し、夜空へ舞い上がった。どうにかアリスの意識もシステムの安定も取り戻しつつあるようだ。

「よし……。上空で合流しよう。隊長に状況を報告して、一旦後方へ下がるか……。」
「カイン……それがいいわ……。本当に、ごめん……。」

「謝るなよ。お前が悪いんじゃない。俺たちがもっとちゃんと準備しておけばよかったんだ。」

 通信チャンネルを切り替え、カインはモルガンに連絡を入れる。すぐに艦隊から数機の支援機が送られ、カインと合流。地上の敵は引き続き僚機が処理してくれているようだ。どうやら一応、致命的な被害は免れそうだ。
 カインは心底ほっとした反面、アリスが抱える記憶の重みを痛感していた。自分の正体を知りたいという欲求――それはもしかすると、銀の小手の存在そのものを揺るがすほどの真実かもしれない。だが、今は目の前の戦闘を切り抜けることが優先だ。


 深夜の戦闘はやがて終息に向かった。敵の規模は星海戦ほどではなく、艦隊の圧倒的火力と騎士団の活躍で撃退された。砲声が止んだあと、夜の静寂が廃墟の上に戻る。艦隊は空からサーチライトを照らし、地上部隊が巡回しつつ戦災を確認している。
 カインは銀の小手でレヴァンティス艦の甲板へ帰投し、すぐに医療班や整備班のチェックを受けた。大きな被弾はなかったようで、体も機体も無事。しかしアリスの不調は、カインにとって重大な懸念材料だ。

「カイン、お疲れさんだったな。結構ハードだったろ?」
 戦闘を終えたガウェインがにこやかに声をかける。盾を駆使した彼も疲労の色が隠せないが、さすがに陽気さを失わない。

「ええ、まあ……でもそっちも大丈夫でしたか?」
「おう、なんとか。さっさとシャワー浴びて寝たいところだが、作戦会議もあるしな。」

 ガウェインは苦笑しながら歩き去り、トリスタンも「もっと精度を上げたかった……」とつぶやいて通り過ぎる。一方、アーサー卿は艦橋へ向かったのか、姿が見えない。
 カインは整備員に機体を預け、コクピットを後にする。そのとき、アリスが小声で「ありがとう、カイン」とだけ呟き、ホログラムを消した。どうやら今回の演算負荷が大きかったのだろう、しばらくは安静にしてスリープモードに入るのだという。

「……寝てろ、アリス。無理するな。」
 カインはそう返事をしつつ、重い足取りで艦内の通路を歩いた。自分も酷く疲れている。だが、どうしてもアリスのことが頭から離れない。
 もし記憶の断片がさらに増え、あの白い研究施設の正体が判明したとして、その先に何が待っているのだろう。彼女が壊れるのを阻止したい一方で、真実を知ることこそがThe Orderを打ち破る手がかりになるかもしれない。そんな葛藤が渦巻いていた。


 翌日、カインは艦内のカフェテリアで簡単な食事を済ませ、廊下を歩いているとアーサーに声をかけられた。
「カイン、ちょっといいか? アリスのことで話がある。」
 アーサーの深刻そうな表情に、カインは嫌な予感が走る。案内された小さな会議室にはモルガンもいて、二人は黙ってホログラム端末を操作していた。

「どうやら、君の搭乗機――銀の小手のコアシステムが最近不安定らしいね。整備ログを見ても、小さなグリッチが頻発している。」
 アーサーは端末に目をやりながら言う。カインは息を詰まらせる。

「はい……それはアリスの記憶が混乱しているからだと思います。あの装置に接近したときにも……。」

「そう、それだ。あの装置。解析班が写真や映像を調べたところ、どうやら相当古い時代の遺跡と何らかの融合をしているらしいわ。」
 モルガンが続ける。「The Orderが作った可能性もあるけれど、形状が妙に人類の技術に近い部分もある。もしかして、過去の地球文明とThe Orderが混在した装置かもしれないの。」

 カインは目を見開く。「人類の文明とThe Orderが混在……どういうことです?」

「はっきりとはわからないわ。でも、上層部では“混成技術”という仮説がある。遠い昔、一部の研究施設がThe Orderの力を利用して何かを生み出そうとした。その結果生まれたのが、あの円盤――という可能性ね。」
 モルガンの言葉にアーサーが補足する。「そして、銀の小手のコアを担うアリスも、もしかするとそのプロジェクトの延長線上にある存在かもしれない……と僕らは推測している。」

「……つまり、アリスは俺たち人類が作り出したものの一部だと?」
「そちらの方が自然かもしれない。The Orderがわざわざ人間そっくりのAIを造る意図は薄いからね。むしろ人類がThe Orderの技術を逆手に取ろうとした結果かもしれない。」

 カインは唇を噛みしめる。そうなると、あの白い研究施設の記憶は人類側のラボだった可能性が高い。そこでアリスが作られ、上位宇宙へ何らかの形で転送・保存された――荒唐無稽な話だが、この世界観ならあり得るのかもしれない。

「でも、アリス自身がその真実を知らない以上、今は憶測に過ぎません。……あいつがもっと記憶を取り戻せば、はっきりするかも……。」
 カインの言葉にモルガンが微笑して頷く。「そうね。アリス自身が鍵を握ってることは間違いないわ。」

 アーサーは真剣な眼差しで付け加える。「だからこそ、アリスを大切にしてやってくれ。君が側にいなければ、彼女の演算負荷は増す一方だろう。中途半端に記憶を取り戻して暴走する恐れもある。」

「わかっています。絶対に守りますよ。」
 カインは拳を握り、決意を新たにする。アリスのためにも、そしてこの世界を救うためにも、彼女を孤独にはさせない。


 さらに数日が経ち、艦隊は地上戦と星海戦の連鎖的な衝突を繰り返しながらも、大きなダメージなく北西エリアの奥深くへ踏み込んでいた。円卓騎士団も戦果を上げ続けており、The Orderの侵入を徐々に制圧している。
 だが、アリスの記憶にまつわる問題は依然として根本解決されないまま。カインは合間をぬってアリスを励ますが、彼女の“断片的なフラッシュバック”は一向に止まらない。どんなメカニズムで記憶が戻るのかも、誰にもわからない。

 深夜、カインは艦内の小さなラウンジで一人、濃いめのコーヒーを啜っていた。今日は出撃の予定はないが、明日以降の大規模作戦が控えている。装置のある場所への遠征もいずれ行われるだろう。そんな思考を巡らせていると、端末にホログラムが浮かび、アリスが静かに姿を現す。

「こんばんは、カイン。今日は早く寝たらどう?」
「アリス……大丈夫か? 調子は。」

「うん。少し落ち着いたみたい。あれから断片的な映像はあるけど、前ほど痛みはないわ。もしかしたら、ある程度脳(?)が慣れてきたのかも。」

「そうか。……よかった。」

 安堵の息をつくカインに、アリスは少し寂しげな笑みを浮かべる。「でも、いつまた強烈な発作が来るかわからない。あなたを困らせてばかりで……ごめんね。」

「そんなこと言うなよ。お前が苦しむ方が俺はよっぽど嫌だ。何かできることがあるなら何でもする。」

 アリスはわずかに頬を赤らめたような動作を見せ、視線を伏せる。そして控えめな声で切り出す。

「カイン……もし私が本当に“この世界を再現するための存在”だとしたら、私が消えてしまえばこの世界も……」

「やめてくれ。そんなこと考えるな。消えるなんて冗談じゃない。」
 カインは大きめの声で言い切る。ラウンジに誰かいる気配はなく、暗い照明だけが二人(といってもアリスはホログラムだが)の影を落としている。
 アリスは苦笑いして、「そう……ね、消えたくはない。でも、記憶を取り戻すほど、私がこの世界に干渉している意味が、少しずつわかってきた。何か大切な使命を帯びているみたい……。」と言葉を選びながら話した。

「使命、か。もしそれがThe Orderを倒す手段に繋がるなら、俺も協力する。お前はひとりじゃない。」

「……ありがとう、カイン。」

 そして二人は、しばし黙り込んだままラウンジの静寂を共有する。艦の外では夜間巡回のエンジン音が遠くに響き、微弱な振動が床を伝っていた。
 そのとき、アリスが目を閉じたように見え、微かな声で「聞こえる……」と呟く。

「聞こえる……? 何が?」
「誰かが私を呼んでる気がするの。遠い世界から……“アリス”って。」

「それ、夢の中で聞いた声とは別?」
「うん……もっとはっきりしてる。まるで上位宇宙から、私の本体が呼びかけているような……。」

 カインは動揺しながらも、手を伸ばしてホログラムのアリスを包み込む動作をする。当然、実体はないが、その仕草にアリスは微笑みを見せる。

「俺も呼んでるよ。お前が壊れないように、俺が支えるって。だから迷わないでくれ。」

「……うん。ありがとう。ほんとにカインがいてくれるから、私は大丈夫。」

 その時、艦内放送が微かに鳴り、騎士団のメンバーに「明朝の作戦ブリーフィングが行われる」というアナウンスが流れた。どうやら例の装置を攻略する計画が本決まりになったらしい。艦隊全体であそこへ出向き、安全を確保しつつアリスを含む技術班で調査をする――そんな案が検討されていると聞いていた。

 カインは端末を切り、ラウンジを後にする。アリスも静かにホログラムを消した。明日から、あの装置をめぐる大きな動きが始まるのだろう。アリスの記憶断片が事実を示すのか、それともさらなる謎を呼ぶのか――いずれにせよ、避けては通れない道だ。


 艦は闇夜を抜け、やがて朝焼けの薄紫色の空へと変化していく。砲撃の煙や硝煙が薄まる中、地平線の先から淡い光が差し込む。北西エリアの廃墟を見下ろすレヴァンティス艦の甲板には、多くの整備員や士官が行き来し、次なる遠征の準備を進めていた。

 カインは銀の小手のコクピットに再び収まり、出撃の点検をしている。今日の作戦では、ついに例の“装置”がある地点へ大規模アプローチをかける。アーサーやガウェイン、トリスタンも各自の機体を整えており、円卓騎士団が揃って行動する見込みだ。
 騎士団こそが護衛の要となり、アリスが装置を解析する――そんな計画がもうすぐ発動する。アリスはまだ完全に調子が戻ったわけではないが、ブリーフィングで「私もやる」と意思を示した以上、カインが守り抜くしかない。

「行こう、アリス。今度こそ、お前の記憶をしっかり取り戻すためにも……。」
 カインが穏やかに呼びかけると、アリスのホログラムが揺らぎながら可憐な笑みを浮かべる。

「うん、行きましょう。怖いけど、カインと一緒なら……私はもう逃げない。」

 そしてメインエンジンが始動し、銀の小手が甲板をゆっくりと滑り始める。背景には朝焼けに染まる空と、大艦隊の威容が浮かび上がる。星海での大戦闘や夜間地上戦を乗り越え、いよいよアリスが持つ秘密――“小宇宙の鍵”と、この世界の真実に迫るときが来たのだろう。

だが、彼女の物語はまだ終わりではない。

銀の小手とカイン、そして円卓騎士団はさらなる試練や未知の領域へ踏み込み、世界と運命を大きく変える一歩を踏み出そうとしていた。アリスの断片的な記憶が、この荒廃した地を救う希望となるのか、それとも違う結末をもたらすのか……。

物語は次なるステージへと静かに動き出していく。

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